『辻封じ』

segakiyui

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3.手引き書

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「ほな、行ってくるわ」
「へえ、おはようお帰り」
 玄関口で見送る母親に克也があいまいに頭を下げて、先へ進んだ俺に急ぎ足でついてくる。
「待ってくれよ」
「はよ来い」
 言い放って振り向かなかったのは、照れ臭かったからだ。
 結局、昨夜はあの後妙に気まずくなって、克也も疲れてるだろうし、明日またということで、俺は部屋に引き上げた。克也がその後眠ったのかどうかは知らないが、俺は何だか胸がとんとんして眠れなかった。
 朝起きれば、克也の方が先に身支度も整えていて、しっかり朝食の席に座り、不安そうな顔のままでみそ汁をすすっていた。
 俺と目があうと、一瞬凍った顔をしたけど、引きつりながらも笑ってくれて、「おはよう。自己紹介が遅れたけど、僕、大槻克也って言うんだ、いろいろと助けてくれてありがとう」なんて、さわやか路線で決めたので、俺はことばを返せなくなった。
「達ちゃん。あのな、光津子に電話したら、今日朝から、祭事方に連れてきて、て言うてたで」
 母親が間を取り持つように口を挟む。けれど、その口元が吹き出しかけてるのを、俺は知っている。
「まだ、手引き、読んでへんで」
「まあ、ほな、昨日、何してたん」
 がちゃん!
 みそ汁の碗を落としたのは克也だ。
「あ、あ、すみません、あの」
「ああ、ええのん、ええのん、気にせんといて」
 手早くテーブルに広がったみそ汁を拭く母親とうろたえ真っ赤になっている克也を残して、俺はさっさとその場を離れた。その場でのたのたしていたら、母親にどんなからかいの種にされるかわからない。
 で、今は克也を従えて、街の中央にある役所の祭事方へ向かっているところだった。
「おばはん、そのパンくれ」
 バス停横の『伊那や』でいつものようにあんぱんと牛乳を買うと、隣から克也がじっと見ていた。
「何や、欲しいんか?」
「あ、いや、ううん」
 振り返って尋ねると、克也は急いで首を振って、またもや赤くなった。色白のせいか、とりあえず顔色がすぐわかる。気持ちを読み取るのに苦労しなくていいのは確かだ。
「そっか」
 あんぱん二個を牛乳で流し入れ、バスの時間を確かめていると、克也がおそるおそると言った様子で尋ねてきた。
「あの、さ、聞きたいんだけど…ここは京都、じゃないのかな」
 俺は無言で克也を見た。
「でも、うん、きっと日本のどこかなんだよね、たぶん」
 俺の視線に脅えたように、克也は急いで付け足してほほ笑む。
 なるほど、こんなにふわふわしてれば、霧にも迷い、異界の境も踏み越えてしまうだろう。
「バスの時間までもう少しある。そこに座り。手引き書、読んだるし」
「手引き書?」
 克也は俺が顎で示した先を落ち着かない顔で見た。
 別におかしな場所じゃない。バス停によくある、青色のベンチだ。
 俺が腰を下ろすと、克也もおそるおそるという感じでそうっと座った。
 ただし、間は三十センチは空いている。
「何でそんなに空けるんや?」
 俺は眉をしかめた。
「いや、その、あの、別に」
 言いながら真っ赤になってりゃ世話はない。何を考えてるのかもろわかりだ。
 俺はため息をついた。
「あのなあ、昨日のは事故や。別にどうこうしようとしたわけやないから。布団につまづいて足が滑った、それだけのことや」
「ああ、そう、そうなんだ」
 露骨に克也はほっとしたようにほほ笑んだ。
「よかった、僕、どうしようかと思って」
「あほか」
「え?」
「こっちの話や、ええか、読むで」
 何だろう。
 ふいに今、すごく腹が立って、克也を殴りたくなった。
 俺は自分の気持ちにぎょっとして、あわてて手引き書を開いた。
 自分の気持ちに戸惑ってしまう。
 俺はひょっとして、実はサディストだったんだろうか。ふわふわしている頼りなさそうなのを見るといじめたくなる性質だったんだろうか。
 そんなことを考えたら、なぜかどきどきしてきてしまって、必死に手引き書に目をこらした。
「えーと、異界ぽんちへの手引き書、一。まず、ここは、異界ぽんちの知ってる世界ではないことを明らかにする。つまりやな」
「あのさ」
 人が手引き書を読み上げ出したとたん、克也が遠慮がちに口を挟んだ。
「何や」
「その、異界…ぽんち、やめてくれないかな」
 俺は冷ややかに克也をにらんだ。
「や、だからさ、その部分を読み替えてくれるとありがたいんだけど」
 相手は微妙に情けない顔で笑った。
「どういうふうに」
「えーと、できたら、僕の名前で…克也、とかさ」
「わかった。ほないくで。ここは克也の」
 とくん、と胸が不規則になって、一瞬ことばが詰まった。
「どうしたの?」
「いや、なんか、ちょっと変な感じがして」
 俺は戸惑い、胸を押さえた。今は普通に打っている。
 何だろう、感じたことのない不安定な気持ちが胸の中を走り抜けた。だが、今はもうそれはどこにもない。
 ひょっとして、異界ぽんちは何かの病原菌を持ってるものなんだろうか。それで、俺がどきどきしたり、不安になったりするんだろうか。
「姉きに聞いてみよかな」
「何?」
 きょとんとする克也に首を振って見せる。
「いや、こっちの話。すまん、続けるわ。えーと、ここはつまり、京都とか、日本、とかいうもんではない、と」
「え、えええ!」
 克也はこっちが驚くような叫びを上げた。
「日本じゃない?」
「ああ、えーと、その」
「日本語、しゃべってるよね? 君、君、えーと」
「達夜」
「ああ、えーと、達夜…さんは」
「達夜、でいい」
 男だと思い込んでる相手に、達夜さん、と呼ばれるのは妙に不愉快で、俺は思わず訂正した。
「達夜は日本人じゃないの?」
 これはちょっと難しい質問だ。どう答えたものかと悩んで、俺は手引き書をめくった。
「厳密に言うと、違う、ことになるんやと思う」
「厳密に言うと?」
 克也はますます奇妙な顔になる。
「というか、ここは、おまえの住んでいた場所やない。おまえの知ってる世界でもない。けど、そこから離れてるわけでもない。くっついてるわけでもない。まあ言うたら、この街は『時空に漂っている空間であちらこちらの現実とつながりやすい傾向にある街』やそうや」
 途中からは手引き書を棒読みした。
「え? じゃあ、幻とか、夢とか、あ、平行世界とか?」
「おまえの言うてることはようわからへんな。そやけど、俺もおかんも姉きも、ここに生きてるし、この街はこの街でずっと存在はしてるんやけど」
「だよね、このベンチだって、ちゃんと固いし。あ、でも、夢の中でも感触はあるか」
 克也は一人うなずいて、座っているベンチをゆっくりなでた。
「俺が夢やて言うんか?」
 むっとして克也を見ると、無邪気にこちらを見つめ返す。
 きれいな目だ。
 昨夜は暗かったし、今朝は今朝でばたばたしてたからわからなかったけど、何とも澄んだ見事な目だ。
 異界ぽんちに会ったのは初めてだけど、噂には聞いたことがある、異界ぽんちは自分の世界に居ても『漂いやすい』性質があり、それはときどき『境を越えてこちらを見てしまうから』だと。
「いや、夢には見えないな」
 克也はまたぼんやりとどこかとろけるような目になった。
 わずかに焦点がずらせた瞳、俺を通して何ものかを見ているような、そのくせどこも見ていないような、あやふやな視線。
「けど、不思議だな、達夜は」
「何が」
 俺が尋ねると、克也は表現に苦しむような顔で眉を寄せた。
「何か、何だろ、うまく言えないけど、重なってるみたいだ。見えてるものがまとまらないや」
 ぎょっとした。
 見えてるものがまとまらない、それは祭事方の特徴だ。
 公事方と違って、もっぱら異界とのやりとりを仕事にする祭事方には、この世に半分、異界に半分存在するような心の在り方が求められる。それは一般にはストレスが多くて、だからこそ、祭事方は幼いときからこの世界に『完全には適応しないように』育てられるのだから。
 それを感じ取る、というのだろうか、こいつは。
「でも」
 克也はにこっとかわいらしく笑った。
「達夜はかっこいいな、とっても」
 あわてて目を逸らす。
「あほう」
「え?」
 心臓が飛び出るかと思った。
 何か聞きたげな克也のことばを遮るように、ちょうどバスが来た。
 金は先払い、ごとごとと古めかしく揺れる年代物のバスに乗り込み、空いて居る座席に腰を下ろす。平日の割に人がいないのは出社時間を過ぎたせいだろう。
「続き、読むぞ」
「あ、うん」
 ちょこんと行儀よく脚をそろえて座った克也は、あわてたようにうなずいた。
「この世界の成り立ちについて説明する。えーと、まず、言語。『克也のいる世界と同じ言語が使える。ただし、読み書きは別。』つまりな、祭事方の仕掛けの一つで、あちこちに翻訳機みたいなのがあって、それで克也のことばと俺らのことばがやりとりできるんや。そやけど、書いてあることやなんかはよくわからへんはずや。ほら、あそこの文字、読めへんやろ?」
 バスの中の路線図を示してやると、克也をぽかんとした顔でそれを見つめた。
「あれ……文字、なのか」
「路線図。後五つで祭事方や」
「僕には何だか入り組んだ迷路みたいな絵に見えるよ。うーーん、マヤとかオルメカの遺跡文字みたいだ」
「小屋のおかめ?」
 俺が問い返すと克也が吹き出した。
「違うって。僕のところで謎だの神秘だのと言われていた、もう滅びた文明で使われてた文字だよ。意外とこっちから来てたのかもしれないな」
「ときどきようわからんことを言うな、おまえは。ええわ、まあ。次に構成。『この世界の管理機構は祭事方と公事方に分かれている』…公事方はまあ、街のことを決めたり福祉とか教育とか」
「ああ、行政か」
「たぶん、そんなもんや。で、祭事方というのが、異界との接触をとりしきってる。で、『紛れ込んだり巻き込まれたりした「異界物」は「異界物処理法」にのっとって取り扱われることが決まっている。』」
「うわあ」
 克也はひきつった顔になった。
「なんや?」
「僕、ゴミみたいだな」
「まあ、似たようなもんかもしれへんで」
 俺は無邪気な克也を困らせたくなって、からかった。
「いきなり出現して、大抵は様子がわからへんから、暴れたり騒いだり、ひどい時にはこっちの人間を襲ったり建物を破壊したり……」
 言いながら、ふいに気がついた。
 克也はこちらに現れてから、一切そんなことをしていない。
 事情が少しずつわかってきていて、しかも自分の明日がどうなっているのかなんて考えれば不安一杯だろうに、こんなふうにのんびりと俺の隣でバスの座席におさまり返っている。
 ひょっとしてこいつ、意外とたいした奴なのかもしれない。
「ふうん、じゃあ、ゴミっていうより、怪獣かあ。ウルトラマンとかはいないのかな?」
「なんや、その虎売る、とかいうのは」
 今度も盛大に克也が吹き出して、俺はかなりむかついた。
「そうか、こっちにはウルトラマンはいないんだね」
「あのなあ」
 にらみつけると、克也はあわてて謝った。
「ごめん、ごめん。なんていうのか、テレビ番組のキャラクターで、異世界からきた怪獣をやっつける正義の味方、みたいなもんだよ」
「ふうん」
 俺はなおも克也をにらんだまま、
「いたら、今ごろやっつけられとるやろうが」
「あ、そうか」
 克也は笑うのを止めて、生真面目にうなずいた。
「いなくて、僕はラッキーだったんだ」
 どうにも調子が狂う。
 俺はため息をついた。
 とにかく、このわけのわからぬ、おかしな奴をさっさと祭事方なり姉きになり引き渡してしまおう。
「で、これから、克也はその祭事方へ連れてかれて、ここに紛れ込んだ理由を調べられて、元の世界に送り返されることになってる」
「え、でも」
 そこで改めて克也は真剣な顔になった。
「だめだ、僕、一人では帰れないよ」
「なんや、それ」
「だって、僕は頼子を追っかけてきたんだから。彼女を連れ帰るまでは帰れない」
 その口調に妙に温かいものを感じ取って俺は落ち着かなくなった。
 不安定に揺れ出した気持ちを素知らぬ顔で隠して尋ねる。
「誰や、それ」
「頼子?」
 克也はなつかしそうな優しい微笑を浮かべて目を伏せた。まるで、その名前が特殊な呪文みたいにそっとつぶやく。
「頼子は烏葛頼子って言って、僕の…」
 そのとき、バスの案内が祭事方を告げた。
 俺は未練いっぱいで克也を促し、バスを降りた。
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