『辻封じ』

segakiyui

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4.祭事方

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「なあ、達夜」
「うん?」
「これって…この建物ってさ」
 祭事方の努める建物が接する通りに立った克也は、深いため息を吐き出した。
「京都じゃ、確かに多少は似た形で残ってたと思うけど、寝殿造りとかいうものじゃないのかな。門があって、中に木造の建物が広がってて、奥に池や小山があると完璧だけど」
「そうなんか?」
「うん、なのに」
 克也はちろりと側を通っていく灰色の背広姿のサラリーマンを見やった。
「中身を普通の格好の社会人がうろうろしてるんだもんなあ。入り口には受付まであるし」
 少し肩を落としてぼやく。
「役所やからな、基本的には。ほら、いくで。アポイントは取ってあるし、すぐに通れるはずやから」
「アポイント、かあ」
 何だか情けない声を出している克也を従えて、祭事方の門をくぐり、まっすぐに続いた石畳を入って、もう一つ中の扉をくぐる。
 そのすぐ内側に控えていた田宮さんが、磨き込まれた木のカウンターから顔を上げた。
「ああ、これはこれは達夜さん」
「呼ばれたから連れてきたで。姉きは?」
「塗籠においでです、昨夜からの調べで」
 俺は眉をしかめた。
 すると、姉きは結局昨日は帰らなかったのだ。
 そんなことは、俺が知っている限りは一度もない。あちらこちらの『辻封じ』が割られているというのは、考えてたほど簡単なことではなかったらしい。
「こちらは…ああ、今度の一件の異界…」
 すうっと微妙に赤くなった克也の頭を俺は平手で軽く殴った。
「ええかげんにせえ、変態」
「た、達夜さん」
 ひきつった田宮さんを放って、奥へと進む。入り口で靴を脱いで、そのままひたひたとつやつやとした木目の床を急ぐ。
 克也は、まるで小さい子どもが初めて動物園にでも連れてきてもらったような顔できょろきょろ周囲を見回しながらついてくるので、どうにも遅れ気味だ。天井を見上げては部屋を区切る欄間に見入り、廊下を通り抜けては中庭の木々と石の配置にため息をつく。
「すごいなあ、こんなところが実際に何かの建物として機能してるなんて」
 なんか驚く観点が違うんじゃないかと思ったが、ふいに前方からばたばたと人が走り出てきたので俺は立ち止まった。
「まじもの、まじものですえ」
 白い裳裾を引いた姉きづきの女官達が前方奥を振り返り振り返りしながら四、五人、口々に叫んでいる。
「どなたか、お静め、お静めを」
 振り乱した黒髪がなまめかしい二十前後の娘達だ。
「何だろう?」
「またやっとんのか、あのおばはんは」
 克也がきょとんとするのに俺は眉をしかめた。女官達の間を擦り抜けて、彼女らが逃げてきた前へ進み出る。
「あ、達夜さん!」
「わかってる、のいとれよ」
「へえ」
 女官達の離れてきた場所の奥には、ぴっちりと閉まった木の扉があった。祭事方のほぼ中央にあり、異界との接点として使われる『塗籠』だ。
 その木の扉の前に、今、ちょうど小学生ぐらいの高さに首をもたげた一匹の蛇がとぐろを巻いていた。
 肌色は白、だが、聖なる使いでないことは瞳の暗い邪悪な黒炎でわかる。
 俺は呼吸を整えた。蛇もこちらに気づいている。
 いや、俺が近づいたので戦闘体制に入って待ち構えていたというべきか。
 チロリと出した舌は紅蓮の赤、背後に追いついた克也が軽く息を呑む気配がした。
「た、達夜」
「だまっとれ!」
 一喝した瞬間を蛇は見逃さなかった。
 どこにそんな俊敏性があったのか、かま首をもたげたまま体を延ばし、俺の喉首に食らいつこうとする。それを体を後ろにわずかにそらして避けながら、振り上げた片足の先で蹴り飛ばし、吹き飛んだところを手刀一閃、括れた体をもう一方の手で確保する。
 動きにすれば数瞬。
 と、その俺の手の中で、蛇はふしゅ、と姿を失い、あっと言う間に粉々に砕け散ってひらひらと落ちた。床に散った破片を見れば、文字の書かれた薄い白紙だ。落ちてからはぴくりとも動かないそれは、ふいとどこからか吹き込んだ風にあっさりとさらわれて、床を滑ってどこかに飛び去っていく。
 こわごわと遠巻きに見守っていた女官達がほう、と深く吐息をつくのに、きいぃ、と耳障りな音をたてて、正面の木の扉が開いた。
「やんや、やんや」
 かん高い幼い女の声が中から響いて、ぱちぱちぱちと手が打つ音と入り混じった。
「やあ、見事、見事、さすがは達夜、ええ捌き具合どしたなあ」
 笑みを含んで華やかな声に、俺はうんざりした。
「え、え?」
 背後にいた克也が抜けた声を上げる。
「姉き」
 俺は多少ドスをきかせた声でうなった。
「ええかげんにしろや、女官ら、怖がっとるやんか」
「そやかて。ずうっと塗籠に押し込められてたんやもん、暇で暇で……」
 塗籠、と呼ばれる部屋は回りを木の壁で覆われている。窓はない。
 ただ、部屋の四隅にぼんやりとした明かりが灯されていて、部屋の中央に置かれた薄い畳に祭事方が座っているのが通例だ。
 ここで、祭事方は気持ちを落ち着け、異界との接触を図り、問題の解決方法を求める。
 今そこに座っているのは、真っ白だけどつややかな豊かな髪を後ろでまとめた巫女姿の若い女だ。
 若いとはいえ、祭事方の常、年の取り方が多少狂ってるだけのこと、その実俺より七つも上のおばんだ。
 ただ、男には違うふうに見えるのだろうな、と俺はちらっと背後の克也を振り向いた。
 事実、薄暗がりで見る光津子姉きは、十分というかかなり美人の部類に入る容姿で、その性格の荒さを知らずに随分な数の男が姉きの犠牲になっている。
 で、そのおばはん、つまりこの街の由緒正しき祭事方は、細い折れそうな指を紅の唇にそっとあてて、やあ、どうしよう、とかわいらしげに瞬きして見せている。その仕草は祭事方の強面連中をも操るしたたかな姉きの技の一つなのだ。
 案の定、後ろにいた克也も例外ではなかったらしくて、ただでさえ大きな目をなお見開いて、塗籠の中の人形のような姉きに見愡れている様子だ。
「その人が、異界ぽんちなんか、達夜?」
 ふんわりとした唇を指先でするりとなぞる、その動きに男の目が引き付けられるのを確認しながら、姉きは首を傾げて尋ねた。脆そうな表情、心配げに潤む瞳は絶品だ。これで落ちなかった男はほぼいない。
 姉きの祭事方としての容赦なさや実力を知りながらも、ついついとその見かけの儚さ危うさにだまされて、一体何人人生を見失っていることやら。
 俺は深く吐息をついた。
「そうや。ほな、俺はこれでええやろ」
 克也がこれ以上姉きにぼうっとするさまは見ていたくなくて、俺はさっさと逃げようとした。その俺の気持ちを知ってか知らずか、姉きがおっとりと引き留める。
「まあ、待ちいな、何もそんな、あわてて帰らんかてもええやろ。あんたがここへ来るのも、ひさしぶりやしなあ」
「そうだよ、居てくれ」
 ぼうっとしてるとばかり思っていた克也がふいにそう言い出して、俺は驚いた。
「頼むよ、いてくれ」
 何を思ったのか、克也は妙に真剣な顔で俺の片腕を捕まえさえしている。
「いや、そんなん言われても…」
 俺は上がってくる心拍数と克也の挙動に戸惑いながら、腕を振り払った。
「俺にはもう関わりないことやし」
「だけど!」
 ぐいと克也が腕をつかみ直す。意外と力が強くて、細い指なのに手が大きい。しっかり握られると俺の腕が痛んだ。
「たっ」
 思わず眉をしかめて身を竦めてしまった。
「あ、悪い、けど」
 気づいて腕を緩めてくれる、けれど、離そうとはしないまま、克也は体を引く間もなく、俺の耳元でささやいた。
「さっきの蛇、この人が出したんだろ?」
 おいおい。
 俺は今度は本気で驚いた。
 女官達だって、時々現れる得体のしれないあやかし風の蛇だのガマだのを、外部からのまじないだとか、異界の接触だとか考えてるやつらが多いのに。まさか、それが姉きの退屈しのぎの手荒い化け物ごっこだなどとは思いもしていないだろうに。
 克也にはそれがわかっていたというんだろうか。
「ようわかったな」
「わかるよ、そっくりだもの、あの蛇とこの人」
 低くささやくと克也の声は甘くかすれた。
「達夜には悪いけど、僕、この人と二人でいるのは嫌だ、何か、好き勝手されそうでさ」
 大当たり。
 姉きは異界ものにいい感情はもっていない。今日みたいに物事が進展していなくてうんざりしているときはなおさらだ。傍目には親切そうに、また本人にも思いやりあるふうにふるまいながら、その実、にっちもさっちもいかないところへ追い込んでいって困り切った相手と一緒に困って見せるという、いやらしいやり方も得意だ。
 俺なら姉きに相談を持ちかけるなんて危ない橋は渡らない。
 けど、それは長年側にいる身内だからこそわかることで、一見の客である異界ぽんちにわかるとは思わなかった。
 俺はまた少し克也を見直した。
 その俺の腕をしっかりつかんだまま、
「ねえ、達夜、側に居てよ」
 かすれた柔らかな声で耳元でささやかれた。
 瞬間、ぞくりとしたものが耳から胸へ、背中から首筋に走って、俺は思わず目を閉じた。へた、と足元から潰れそうになって、慌てて首を振る。
「だめ?」
 甘やかな声。気持ちのいい声。ずっと聞いていたくなる。視界がゆるやかに熱を帯びて物の形がとろけていく。まるで、克也の瞳の中に吸い込まれたように。
 ぶるっ、と俺は頭を振った。
「…やめろ」
 大声で叫んだつもりだったのに、俺の声もかすれていた。
「え」
「やめろ、て!」
 必死に腕を振りほどき、克也から離れる。
 まるで克也の半径数センチだけ違う磁場があったみたいに、いきなり視界がはっきりした。呼吸が乱れて荒くなっている。そのことに気づいて、俺はひどくうろたえた。
 蛇どころか、もっと手荒い姉きの遊びに付き合っても、俺が呼吸を乱すことなんてなかったのに。俺の取り柄はクールで動じないところだと思ってたのに。
 どうして克也には調子を崩されてしまうんだろう。
「なにしてんのん」
 きつい声が塗籠から響いて我に返る。
「二人していちゃつかんといてんか」
「いちゃつく…」
 かあっと克也が赤くなってなおも俺をつかもうとしていたらしい手を、まるでまずいものにでも触れたような勢いで引っ込め、俺は水を浴びせられたように寒くなった。
「それに、達夜に関係ないことあれへんのやで。聞けば、『辻封じ』壊したんはあんたやそうやないか。言うたら、この異界ぽんち、こっちへ巻き込んだのはあんたや、達夜」
 自分を完全に無視されて、姉きは激怒したらしい。絶対零度に近いような冷ややかな声で責めた。
「え」
 克也がはっとした顔で俺を見る。驚きと困惑。今までなかった警戒の色が無邪気にこちらを見ていた克也の眼を満たして、俺はふいに泣き出したいような気持ちになった。
「そんな…こと、今…言わんかて」
 反論した自分の声が信じられないほど弱々しかった。ずきずきと胸の中央が痛んでいる。
 克也が不安そうに俺を見るのがつらかった。自分を助けてくれた相手、ではなくて、自分を災厄に巻き込んだ相手、という顔になっているのだろうと思うと、まともに克也を見られなくて、俺は目を伏せて顔を逸らせた。
「今言うても、後で言うても、同じことやろ、どっちにせよ、この異界ぽんちの始末には、あんたも関わってもらいます、よろしいな、達夜」
「は…い」
 何で俺はこんなにがっくりしているんだろう。何で克也に、この状況の元凶だと知らされたことに落ち込んでるんだろう。
 落ち込んで?
 そうだ、と俺は思い出した。
 手引き書の最後の項目まで読み聞かせていなかった。あそこには、こう書かれていたはずだ。
『異界ぽんちには、この世界に今後関わりをもたないことを決心させること。また、その異界ぽんちを引き込む原因は速やかに消すよう努力すること』
 俺は克也を速やかに元の世界に帰さなくてはならない。そのための努力をしなくてはいけない。そして、克也が二度とこの世界に関わらないようにふるまわなくてはならない。
 なぜなら。
『なぜなら、ある特定の異界ぽんちの繰り返しの介入により、この世界と異界との通路が出現固定し、混乱を招くことになるから。』
 だから、姉きは異界ぽんちに冷ややかで手荒い対応を取る。それは祭事方としては当然のことだ。
 その祭事方の母親であるおかんも、克也を丁寧に扱う。
 追い出したりすれば、余計な人間が関わって混乱が広がるし、かといって親密に扱えば、元より自分の世界からふわふわして『漂いやすい』異界ぽんちは、あっさりこの世界に住み着こうとしかねない。そして、それは、間違いなく、異界との境を脆くしてバランスを崩してしまうのだ。
「わかったんなら、はようお入り、いろいろと話しとかな、あかんことがでてきたさかい」
 姉きが冷淡に命じて、俺はうなだれたまま、部屋に入った。克也も続けて入ってくるのに、その姿を見ないまま、今度は俺の方から距離を取る。
「異界ぽんちさん、お名前は?」
「あ、大槻、克也、です」
「そう」
 俺がまともに落ち込んで、姉きの機嫌はかなり回復したらしい。にっこりと鮮やかに笑って見せた。
「私は神女光津子、この『京』の祭事方を努めてます」
 女官が内密の話と心得て、背後の扉を閉めていく。
 目の前は輝くような美貌の姉き、隣には克也が立っていて、ただでさえ窓のない塗籠が一層狭く息苦しい感じに満たされていく。
 この場にいたくない、と痛烈に思った。
 さっさと用事を済ませて、ここから、せめて克也の側から離れたい。でないと、胸のずきずきが全然おさまってくれなくて、このまま心臓発作でも起こしそうだ。
 そんなことを思っていた俺の耳に、
「もう知ってはるやろうけど、そこにいるのは、私の妹、神女達夜です」
 姉きがそう言い放つ声が届いて、俺は体が凍った。身動きできないほど体が竦んでしまった。
 克也は俺を男だと思っている。思っていたからこそ、きっとこれほどあっさりと俺と行動を共にしたのだろうし、あれほど昨夜のことにうろたえたのだ。克也の女の好みはわからないが、それでも祭事方だのという少々風変わりな女に警戒するのは当たり前だろう。美貌の光津子姉でも煙たがられるのなら、俺なんか問題外だろう。
(え? 俺、何、考えてんのや?)
 ふいにそう気づいて、俺は二重に凍ってしまった。
(問題外って何や。何がいったい問題外なんや。俺は何を期待してるんや)
 そんなこんながいきなり体いっぱいになって、無意識に口を押さえて体をより竦めてしまった。
 それに、なぜ、いきなり姉きがそんなことを言い出したのか、それが今回の件にどういう関係があるのかもわからない。
 だが、もっと驚いたのは克也の反応だった。
「え、ええ、はい」
 当然のような穏やかな返事。
 俺は思わず克也を振り向いた。 
「はい、そうですよね」
 俺を男だと思っていたはずなのに、克也は眉一つさえ動かさずに、ふんわりと俺に笑って見せた。
「知らないと思ってたの? いや、だって、それなら、あのときだって、あわてたりしなかったよ」
 薄暗い光の中でもうっすらと克也が頬を染めたのがわかった。
 あのときって、あの、夜のとき、か?
 布団の上に倒れかかった俺と、その俺の下にいた克也。頼りなげに見える外見とは違って、意外にしっかりと俺を支えた身体。さっきつかまれた手に重なる温かさ、かすめるように通り過ぎた唇の感触を思いだし、かああっと体が熱くなった。
「男なら事故だってわかってるものね」
 克也は俺のうろたえを気にした様子もない。あわてているのは俺だけで、あっさりことばを続けられて、俺は体中の血が沸騰するほど恥ずかしかった。
「おかしなことを言われたり、ぶっ飛ばされたり、とにかく男としては情けないばっかりでさ、どうしようかって思ってたから」
 そうか、克也がたびたび赤くなっていたのは、自分が情けないと思っていたからだったのか。
「でも、達夜は、僕が達夜のことを男だと思ってる、と思ってたんだね」
 やんわりと笑う克也の顔がほっとしたせいなのか、妙にまばゆい気がして、俺は目を伏せた。
「なんや、おもしろないこと」
 姉きが冷ややかに割って入って、俺は我に返った。
「まあ、ええわ、このさい。多少ラブラブでも」
「姉き!」
「はあ、なんや、気ぃ抜けたなあ」
 姉きはうっとうしそうに細い指先で髪をすいた。
「ちょっと待て。ほな、今日の俺と克也の呼び出しは、からかうためやったんか」
「やあ、克也、やて。いやらし」
「姉き!!」
「それだけで呼ぶわけあらへんやんか、あほ」
 姉きはわめいた俺を軽くいなして、座り直した。
 そうすると、だてに祭事方を仕切っているわけでもないらしい、それなりの威厳がにじんで、俺も克也もあわてて座り直さずにはおられなかった。
「もう、おかあはんから聞かはったやろうけど、街のあちこちの『辻封じ』が壊されてます。克也さんだけやない、この先も異界ぽんちは増えるやろうし、もっとやっかいなんは、これが誰ぞの企みやないかという疑いがあることです」
 姉きは目を細めた。さえざえとした殺気が体全体から広がる。
 十八の頃から五年間、街の異界騒動を扱ってきた苦労は白い髪の毛が示している。
 昔は姉きだって黒々と見事にきれいな髪だったのを、俺ははっきり覚えている。
 この世界にも属せず、かといって異界に染まることも許されない立場の存在でいることは、心も体も消耗させる。性格は悪くて荒くても、それでもこの街を支え守ってきた姉きに、俺の頭が上がるはずはない。
「私はここから動くわけにはいかへんし、かというて、祭事方も今は『辻封じ』の対処におおわらわ、企みを暴くころにはもう全てが終わってるということになりかねません。そやから、達夜」
 姉きが冷えた目で俺を見据えた。
「祭事方御陵所として申し付けます。この件に関して、ぶざまなことにならへんように、克也さんと働きなさい」
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