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5.闇舞妓
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「働く、言うたかてなあ」
俺は自分の部屋でコーヒーを手に溜め息をついた。
「どっから手をつけたらええもんか、わからへんやないか」
「そうだね、だけど」
克也は床にあぐらを組んだ俺の前で、同じようにあぐらをかきながら、そっと掌でカップを包んだ。
「きっと頼子が関わっているんだろうな」
「そうや、その頼子、というのはいったい誰なんや」
俺は勢い込んで聞いてしまい、少し怯んでためらった。それから、それが克也に覚られないように、急いでことばを続けた。
「おまえの何なんや」
「僕の何って…」
克也はわずかに赤くなった。それが無性に腹立たしく、俺は克也から目を逸らせ、ついでに話も逸らせた。
「まあええわ。とりあえず、姉きも言ってたように、何で克也が『京』に紛れ込むになったかを聞こか」
俺は一息ついてことばを続けた。
「昨夜いったい、何をしてたんや? 何でここに来ることになったんや?」
「うん、僕はきのう…頼子を追ってたんだ」
克也は不安そうな優しい声で話し出した。
僕は今京都の高校に通っているけど、元々は東京の方にいた。両親が海外転勤になってしまったから、京都の祖母のところに下宿している形になっている。
頼子は夏休みを利用して、京都に来ていた。祇園の舞妓を見に行きたいと言っていて、それで『一力』の赤塀の近くで待ち合わせていた。
蒸し暑い日だったから、そのあたりで食事をしてから祇園から先斗町あたりをのんびり歩こうと思ってた。細い路地を入ったところに祖母の知り合いがやっている店があって、そこを出てから夕方の街をぶらぶらしていた。
頼子はすごく楽しみにしていて、デジカメの電池を確かめたり、話しかけても大丈夫かと心配したりしていた。頼子が一時、舞妓になりたいと言ってたのを知ってたから、僕は彼女が興奮してるのがかわいかった。
(かわいい、やて?)
ちくんと胸が痛んだ。
(そおか、頼子、いうのは、こいつにとって『かわいい』、んや)
この先を聞く気が急に失せて、俺はうんざりした気持ちを持て余し、慌ててコーヒーを口に含んだ。
(もう、ええわ、わかったし)
そう投げやりに言ってしまいそうになる。
何がわかったのか、なぜ克也がここに紛れ込んできたのか、それに頼子というのがどう関わっているのか、全くわかっていないのに、ましてや、姉きに頼まれた『辻封じ』を壊した奴らの企みについても一切わかっていないのに、俺は『わかってしまった』気になっている。
(何がわかったんや、俺は)
克也の気持ちやろ。
そう別の声が胸から響いてぎょっとする。
(克也の、気持ち?)
俺はそんなことを聞くために、克也と話してたのか?
「達夜?」
ふい、と急に克也にのぞき込まれて、とっさに身を引いた。
「どうしたの? わからない?」
「あ、いや、すまん、続けてくれ」
口元を覆いながらうなる。
(あほう)
どくどくどくどく。体が波打っている。
(急に寄ってくんな……また…口がつくやんか)
また、口が。
あいつに。克也に。克也の……。
(あかん、俺おかしい)
どこに、と考えかけた俺の思考を次の克也のことばが断ち切った。
先斗町だった、と思う。四条河原町の交差点を東に入って上がる細い通りだ。路地は石畳になっていて、水が打たれていて空気は清洌だった。通りから入り込んだせいなのか、人気が急になくなって静かになった。
静かだね、と頼子がつぶやいて体を寄せてきた。通りを入っただけなのに、これほど静かになるのかな、と。さあね、と答えたときに、斜め前の家の引き戸がからからと軽い音をたてて開いた。
「おかあはん、おおきに」「ほな行ってきます」。軽やかな女性の声が響いて数人の舞妓が出てくるのが見えた。黒の着物を着て、銀色のさらさらと揺れる簪をつけていた。頼子が、あ、ラッキー、と叫んで走り寄ったのを見送った僕は、次の一瞬息を呑んだ。
頼子の声に振り返った舞妓は数人、けれど、その誰にも顔がなかったんだ。
真っ白に塗った顔に真っ赤な口紅がぽつりと浮いてた。他には眉も目も鼻もない。けれど、気配だけは笑いさざめくようにふらふらと頭を振りながら、足元のげたをかたかた鳴らしてみるみる頼子に近寄ったんだ。
(闇舞妓!)
ぞくっとした恐怖とも怒りとも言えないものが俺の体を走った。
体の内側でかっと目を見開き牙を向いた気配がある。敵を確認して飛びかかろうとする力の充填を感じる。ちりちりと髪の毛の先まで広がっていく殺気を押さえようと、俺はコーヒーを置いて体を抱きかかえた。
「黒の紋付き赤い襟、おこぼにだらりの金の帯、割れしのぶの髪に緋の鹿ノ子、鼈甲櫛に銀のビラ簪…か?」
おそらくは確かだろうと思いながらも確認する。声が震えないようにするのが難しい。怖いからではなく、狩りの獲物を見つけた興奮から。けれどそれはきっと魔性の特性だろう。
「あ、うん、たぶん、そうだと思う」
「それで…?」
僕は異様なものを感じて頼子に走り寄ったのに、頼子にはそれがわからなかったみたいだった。わあ、一緒に写真撮れますか、なんて場違いな明るい声を上げて、どんどん近寄っていく。
頼子、やめろよ、と僕は叫んだ。
僕は一所懸命に走ってるのに、なぜかなかなかその顔のない舞妓達に近づけない。
逆に頼子はみるみるすっぽりと舞妓達の黒い着物姿に取り巻かれて、薄いピンクのワンピースもすぐに見えなくなってしまい、僕は二重三重に焦った。
頼子、頼子、待てよ、一緒にいよう、と呼びかけた次の瞬間のことだった。
ふいに辺りの家々の灯火が一瞬消えた。闇に飲まれた空間で、手を延ばせばすぐに届きそうな距離にちらちらと銀色の光が走った。
けれど。
「ぱっと明かりが灯ったとき、そこにはもう誰もいなかった」
克也の顔が初めて暗く沈んだ。
「僕は急についた明かりのまぶしさのせいで頼子を見つけられないんだ、とばかなことを考えていた。何度か頼子を呼び、よろよろと頼子を探した。でも、頼子も、奇妙な舞妓達も、もう、どこにもいなかった」
きゅ、と克也が唇を噛む。優しい顔立ちがふいに猛々しい怒りを宿して振り返る。
「達夜…達夜はあの舞妓達を知ってるのか?」
こちらを見据える克也の瞳を染めた陰影の鮮やかさに見ほれて、一瞬俺は我を失ってしまった。ついつい、
「闇舞妓の店出しや」
「闇舞妓? 店出し?」
オウム返しに問い返されてぎょっとする。
(しもた)
「それ、何、達夜」
まっすぐで濡れた克也の目が俺を射る。真剣で、強くて、けれど温かな視線。頼子、という女を心配しての、視線。
(ええなあ)
ついん、と胸が痛んだ。
(こんなに心配してもろたら……ええやんか、頼子)
ええはずないやろ、と別の声がつぶやく。
闇舞妓の店出しやぞ、頼子という娘がどんな目におうてるか、わからんお前やないはずや。
「達夜?」
克也が顔を俺をのぞき込み、俺は耐えられなくて目を逸らせた。
「不思議やと思わへんか?」
「何が?」
「この『京』には圧倒的に女の数が多い……いや、男の方が圧倒的に少ないやろ?」
「そう…かな…」
それがどんな関係があるのだ、そういう顔で克也は瞬きした。それから、うーん、と軽くうなってみて、
「そういえば、達夜の家のお父さんって、いつもいないね」
「おらへんのや、最初から」
「え?」
「ここには『父親』言うのはおらへん」
「…え?」
克也は眉を寄せ、やがて少し赤くなった。
「でも、だってさ、達夜は光津子さんと姉妹なんだし、お母さんはいるんだし。一応命っていうのは、男女があって生まれてくるもんだろうし……え、それともここって、木の股から人間が生まれてくるの!?」
「あほう!」
ぱかーん、と派手な音が克也の頭で鳴った。
「何も殴らなくっても…」
瞳を潤ませた相手にもう一度こぶしを握ってみせる。
「はい、ごめんなさい」
克也はしゅんとしてうなだれた。ちっこい子犬が悪さして叱られたみたいでかわいい。何だかもっといじめてやって、くんくん泣き出すとこまでみてみたくなる。
(あかん、あかん)
俺ははっとした。どうにもだめだ、克也と話していると自分の理性に自信が保てなくなることばっかりだ。
「そやから。『ここ』には『父親』はおらへん。ほな、どういうことになる、考えてみい」
「考えてみいって……ああ、そういうこと」
「……そういうことや」
「そうか、『ここ』は花街と考えればいいんだね?」
克也の指摘は的確だった。
『京』には基本的には男はほとんどいない。けれど、俺らは異界の者と同じように、男と女で命をつなぐ。
だから、この『京』を存続させるために、俺達は一生に一度、異界へ出向く。異界の『京都』という街に入り込み、一夜の未来を持ち帰る。
祭事方を除いては。
俺は克也から再び目を背けた。
そうだ、どれほど俺がこいつに気持ちをもってかれようと、俺は生粋の祭事方、それは生涯一人で生きて一人で果てることを意味している。たった一夜の幻のような関係でも、誰とも結ぶわけにはいかない。
それは俺の役目ではない、からだ。
胸の内をふぃんと寒い風が抜けた。
「で、それが闇舞妓とどういう関係があるの?」
「俺らは生涯一度、相手を求めて異界に出る。それを店出し、と言う。舞妓姿のときもあるし、普通のOL姿やセーラー服のときもある」
「セーラー服…」
「好きなんか?」
感慨深げに繰り返した達夜を横目で見ると、相手は照れ臭そうにつぶやいた。
「いや、頼子が中学のとき、そうだったから」
「…さよか…」
腹の立つやつや。話すのやめたろかしらん。胸の中でそうぼやく。
「それで?」
「……」
「達夜」
「……」
「なぜ怒ってるの?」
「怒っとらへん」
「顔しかめてるよ」
「生まれつきや、ほっといてくれ」
くす、と克也が笑った。暗く陰ってた顔がぽっと光がさしたように明るくなる。
「ふうん、僕、達夜はきれいだと思うけど?」
「……」
「顔、赤くなった」
「ほっとけよ、もう! 闇舞妓の話やろが!」
「うん、それで?」
(ああ、どうしよ)
俺は目の前がくらくらした。
(俺、こいつに弱い。なんでやろう、全然勝てる気がせえへん)
自分からどうしようもないところへ自分を追い込んでしまう。
「達夜」
「……今言うたみたいに、俺らが異界へ出向くのは『店出し』言うて、その動きは公事方で決められる。そやけど、その表向きの動きではないところで、異界に出入りする者もいる。異界にほれ込んでしもたり、あるいは……男を誘うのが楽しかったりするやつらや」
溜め息をついて、俺は一気に続けた。
「そういうやつらは、子どもを得ることも、この『京』を存続させることも、気にしとらへん。自分らがしたいように、男を誘い、男を抱きに、異界に行く……そやから、自分の顔は必要がない、男が誘われ夢を見るような顔を、男の方から張りつけられるように、白い顔に紅だけさして、異界に渡る……それが闇舞妓や」
「えー…っと、つまり、その」
克也がみるみる顔を染めた。見てる方が恥ずかしいぐらいに瞬きを繰り返す。
「チョウチョウ、みたいだよね、それ?」
「……そやろな」
俺はため息を重ねた。蝶々。何というのんびりしたたとえだろう。闇舞妓の実態を知ったら、そんなことは言ってられないだろうが。
「ここでは男は花やということや。そこへ俺らが舞い降りて、『用』を済ませば飛び去ってくわけや」
つい意地悪く言い返して克也を見る。もしこいつが異界におったら、さぞや見事な花だろう。それこそ蝶が群がって、こいつの体をむさぼって……とくんと胸が妖しく鳴った。
俺は自分の部屋でコーヒーを手に溜め息をついた。
「どっから手をつけたらええもんか、わからへんやないか」
「そうだね、だけど」
克也は床にあぐらを組んだ俺の前で、同じようにあぐらをかきながら、そっと掌でカップを包んだ。
「きっと頼子が関わっているんだろうな」
「そうや、その頼子、というのはいったい誰なんや」
俺は勢い込んで聞いてしまい、少し怯んでためらった。それから、それが克也に覚られないように、急いでことばを続けた。
「おまえの何なんや」
「僕の何って…」
克也はわずかに赤くなった。それが無性に腹立たしく、俺は克也から目を逸らせ、ついでに話も逸らせた。
「まあええわ。とりあえず、姉きも言ってたように、何で克也が『京』に紛れ込むになったかを聞こか」
俺は一息ついてことばを続けた。
「昨夜いったい、何をしてたんや? 何でここに来ることになったんや?」
「うん、僕はきのう…頼子を追ってたんだ」
克也は不安そうな優しい声で話し出した。
僕は今京都の高校に通っているけど、元々は東京の方にいた。両親が海外転勤になってしまったから、京都の祖母のところに下宿している形になっている。
頼子は夏休みを利用して、京都に来ていた。祇園の舞妓を見に行きたいと言っていて、それで『一力』の赤塀の近くで待ち合わせていた。
蒸し暑い日だったから、そのあたりで食事をしてから祇園から先斗町あたりをのんびり歩こうと思ってた。細い路地を入ったところに祖母の知り合いがやっている店があって、そこを出てから夕方の街をぶらぶらしていた。
頼子はすごく楽しみにしていて、デジカメの電池を確かめたり、話しかけても大丈夫かと心配したりしていた。頼子が一時、舞妓になりたいと言ってたのを知ってたから、僕は彼女が興奮してるのがかわいかった。
(かわいい、やて?)
ちくんと胸が痛んだ。
(そおか、頼子、いうのは、こいつにとって『かわいい』、んや)
この先を聞く気が急に失せて、俺はうんざりした気持ちを持て余し、慌ててコーヒーを口に含んだ。
(もう、ええわ、わかったし)
そう投げやりに言ってしまいそうになる。
何がわかったのか、なぜ克也がここに紛れ込んできたのか、それに頼子というのがどう関わっているのか、全くわかっていないのに、ましてや、姉きに頼まれた『辻封じ』を壊した奴らの企みについても一切わかっていないのに、俺は『わかってしまった』気になっている。
(何がわかったんや、俺は)
克也の気持ちやろ。
そう別の声が胸から響いてぎょっとする。
(克也の、気持ち?)
俺はそんなことを聞くために、克也と話してたのか?
「達夜?」
ふい、と急に克也にのぞき込まれて、とっさに身を引いた。
「どうしたの? わからない?」
「あ、いや、すまん、続けてくれ」
口元を覆いながらうなる。
(あほう)
どくどくどくどく。体が波打っている。
(急に寄ってくんな……また…口がつくやんか)
また、口が。
あいつに。克也に。克也の……。
(あかん、俺おかしい)
どこに、と考えかけた俺の思考を次の克也のことばが断ち切った。
先斗町だった、と思う。四条河原町の交差点を東に入って上がる細い通りだ。路地は石畳になっていて、水が打たれていて空気は清洌だった。通りから入り込んだせいなのか、人気が急になくなって静かになった。
静かだね、と頼子がつぶやいて体を寄せてきた。通りを入っただけなのに、これほど静かになるのかな、と。さあね、と答えたときに、斜め前の家の引き戸がからからと軽い音をたてて開いた。
「おかあはん、おおきに」「ほな行ってきます」。軽やかな女性の声が響いて数人の舞妓が出てくるのが見えた。黒の着物を着て、銀色のさらさらと揺れる簪をつけていた。頼子が、あ、ラッキー、と叫んで走り寄ったのを見送った僕は、次の一瞬息を呑んだ。
頼子の声に振り返った舞妓は数人、けれど、その誰にも顔がなかったんだ。
真っ白に塗った顔に真っ赤な口紅がぽつりと浮いてた。他には眉も目も鼻もない。けれど、気配だけは笑いさざめくようにふらふらと頭を振りながら、足元のげたをかたかた鳴らしてみるみる頼子に近寄ったんだ。
(闇舞妓!)
ぞくっとした恐怖とも怒りとも言えないものが俺の体を走った。
体の内側でかっと目を見開き牙を向いた気配がある。敵を確認して飛びかかろうとする力の充填を感じる。ちりちりと髪の毛の先まで広がっていく殺気を押さえようと、俺はコーヒーを置いて体を抱きかかえた。
「黒の紋付き赤い襟、おこぼにだらりの金の帯、割れしのぶの髪に緋の鹿ノ子、鼈甲櫛に銀のビラ簪…か?」
おそらくは確かだろうと思いながらも確認する。声が震えないようにするのが難しい。怖いからではなく、狩りの獲物を見つけた興奮から。けれどそれはきっと魔性の特性だろう。
「あ、うん、たぶん、そうだと思う」
「それで…?」
僕は異様なものを感じて頼子に走り寄ったのに、頼子にはそれがわからなかったみたいだった。わあ、一緒に写真撮れますか、なんて場違いな明るい声を上げて、どんどん近寄っていく。
頼子、やめろよ、と僕は叫んだ。
僕は一所懸命に走ってるのに、なぜかなかなかその顔のない舞妓達に近づけない。
逆に頼子はみるみるすっぽりと舞妓達の黒い着物姿に取り巻かれて、薄いピンクのワンピースもすぐに見えなくなってしまい、僕は二重三重に焦った。
頼子、頼子、待てよ、一緒にいよう、と呼びかけた次の瞬間のことだった。
ふいに辺りの家々の灯火が一瞬消えた。闇に飲まれた空間で、手を延ばせばすぐに届きそうな距離にちらちらと銀色の光が走った。
けれど。
「ぱっと明かりが灯ったとき、そこにはもう誰もいなかった」
克也の顔が初めて暗く沈んだ。
「僕は急についた明かりのまぶしさのせいで頼子を見つけられないんだ、とばかなことを考えていた。何度か頼子を呼び、よろよろと頼子を探した。でも、頼子も、奇妙な舞妓達も、もう、どこにもいなかった」
きゅ、と克也が唇を噛む。優しい顔立ちがふいに猛々しい怒りを宿して振り返る。
「達夜…達夜はあの舞妓達を知ってるのか?」
こちらを見据える克也の瞳を染めた陰影の鮮やかさに見ほれて、一瞬俺は我を失ってしまった。ついつい、
「闇舞妓の店出しや」
「闇舞妓? 店出し?」
オウム返しに問い返されてぎょっとする。
(しもた)
「それ、何、達夜」
まっすぐで濡れた克也の目が俺を射る。真剣で、強くて、けれど温かな視線。頼子、という女を心配しての、視線。
(ええなあ)
ついん、と胸が痛んだ。
(こんなに心配してもろたら……ええやんか、頼子)
ええはずないやろ、と別の声がつぶやく。
闇舞妓の店出しやぞ、頼子という娘がどんな目におうてるか、わからんお前やないはずや。
「達夜?」
克也が顔を俺をのぞき込み、俺は耐えられなくて目を逸らせた。
「不思議やと思わへんか?」
「何が?」
「この『京』には圧倒的に女の数が多い……いや、男の方が圧倒的に少ないやろ?」
「そう…かな…」
それがどんな関係があるのだ、そういう顔で克也は瞬きした。それから、うーん、と軽くうなってみて、
「そういえば、達夜の家のお父さんって、いつもいないね」
「おらへんのや、最初から」
「え?」
「ここには『父親』言うのはおらへん」
「…え?」
克也は眉を寄せ、やがて少し赤くなった。
「でも、だってさ、達夜は光津子さんと姉妹なんだし、お母さんはいるんだし。一応命っていうのは、男女があって生まれてくるもんだろうし……え、それともここって、木の股から人間が生まれてくるの!?」
「あほう!」
ぱかーん、と派手な音が克也の頭で鳴った。
「何も殴らなくっても…」
瞳を潤ませた相手にもう一度こぶしを握ってみせる。
「はい、ごめんなさい」
克也はしゅんとしてうなだれた。ちっこい子犬が悪さして叱られたみたいでかわいい。何だかもっといじめてやって、くんくん泣き出すとこまでみてみたくなる。
(あかん、あかん)
俺ははっとした。どうにもだめだ、克也と話していると自分の理性に自信が保てなくなることばっかりだ。
「そやから。『ここ』には『父親』はおらへん。ほな、どういうことになる、考えてみい」
「考えてみいって……ああ、そういうこと」
「……そういうことや」
「そうか、『ここ』は花街と考えればいいんだね?」
克也の指摘は的確だった。
『京』には基本的には男はほとんどいない。けれど、俺らは異界の者と同じように、男と女で命をつなぐ。
だから、この『京』を存続させるために、俺達は一生に一度、異界へ出向く。異界の『京都』という街に入り込み、一夜の未来を持ち帰る。
祭事方を除いては。
俺は克也から再び目を背けた。
そうだ、どれほど俺がこいつに気持ちをもってかれようと、俺は生粋の祭事方、それは生涯一人で生きて一人で果てることを意味している。たった一夜の幻のような関係でも、誰とも結ぶわけにはいかない。
それは俺の役目ではない、からだ。
胸の内をふぃんと寒い風が抜けた。
「で、それが闇舞妓とどういう関係があるの?」
「俺らは生涯一度、相手を求めて異界に出る。それを店出し、と言う。舞妓姿のときもあるし、普通のOL姿やセーラー服のときもある」
「セーラー服…」
「好きなんか?」
感慨深げに繰り返した達夜を横目で見ると、相手は照れ臭そうにつぶやいた。
「いや、頼子が中学のとき、そうだったから」
「…さよか…」
腹の立つやつや。話すのやめたろかしらん。胸の中でそうぼやく。
「それで?」
「……」
「達夜」
「……」
「なぜ怒ってるの?」
「怒っとらへん」
「顔しかめてるよ」
「生まれつきや、ほっといてくれ」
くす、と克也が笑った。暗く陰ってた顔がぽっと光がさしたように明るくなる。
「ふうん、僕、達夜はきれいだと思うけど?」
「……」
「顔、赤くなった」
「ほっとけよ、もう! 闇舞妓の話やろが!」
「うん、それで?」
(ああ、どうしよ)
俺は目の前がくらくらした。
(俺、こいつに弱い。なんでやろう、全然勝てる気がせえへん)
自分からどうしようもないところへ自分を追い込んでしまう。
「達夜」
「……今言うたみたいに、俺らが異界へ出向くのは『店出し』言うて、その動きは公事方で決められる。そやけど、その表向きの動きではないところで、異界に出入りする者もいる。異界にほれ込んでしもたり、あるいは……男を誘うのが楽しかったりするやつらや」
溜め息をついて、俺は一気に続けた。
「そういうやつらは、子どもを得ることも、この『京』を存続させることも、気にしとらへん。自分らがしたいように、男を誘い、男を抱きに、異界に行く……そやから、自分の顔は必要がない、男が誘われ夢を見るような顔を、男の方から張りつけられるように、白い顔に紅だけさして、異界に渡る……それが闇舞妓や」
「えー…っと、つまり、その」
克也がみるみる顔を染めた。見てる方が恥ずかしいぐらいに瞬きを繰り返す。
「チョウチョウ、みたいだよね、それ?」
「……そやろな」
俺はため息を重ねた。蝶々。何というのんびりしたたとえだろう。闇舞妓の実態を知ったら、そんなことは言ってられないだろうが。
「ここでは男は花やということや。そこへ俺らが舞い降りて、『用』を済ませば飛び去ってくわけや」
つい意地悪く言い返して克也を見る。もしこいつが異界におったら、さぞや見事な花だろう。それこそ蝶が群がって、こいつの体をむさぼって……とくんと胸が妖しく鳴った。
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