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「岩見さん、どうしたんですか?」
声をかけながら入って、北野はぎょっとした。
この間心筋梗塞を起こしたせいで、まだベッドの上で横になり安静を保っていなければならないはずの岩見が、立ち上がろうとしてもがいている。
血管が詰まって心臓の筋肉が死にかけ、動かなくなってしまう心筋梗塞は、その後の管理がことのほか重要な病気だ。十分に動かなくなった心臓に負担をかけるような動作は、すぐに再度の発作を引き起こし、悪くすれば死を招く。
だが、発作が一段落して薬の投与が行われれば、それほどの苦痛を感じず、治ったんじゃないか、元通りに動いても大丈夫なんじゃないかという錯覚を患者に起こさせる。
そして、まさに今、岩見はその状態にあるように見えた。
「岩見さん!」
北野は駆け寄って立ち上がろうとした岩見の肩をとっさに押さえた。岩見の左腕につながっている点滴のラインが引っ張られ、固定しているばん創こうがねじれている。右手でそちらも押さえようとした北野は、いきなり激しく突き飛ばされてよろめいた。
二、三歩後ずさったところへ、岩見の怒鳴り声が響き渡る。
「触らんでくれ!」
岩見の顔が見る見る赤くなった。
「昨日からずっと、一度立たせてくれ、と言っとるのに、いけません、いけませんと繰り返しおって! わしぁ腰が弱いんじゃ、こんなに寝かされて寝たきりになったら、どうしてくれる!」
寝たきりになるのともう一度発作を起こして死んでしまうのと、どちらがいいんですか。叫びかけて、北野はかろうじて押さえた。
岩見の胸につけられた心電図モニターのラインが揺さぶらて画面が乱れている。詰め所でも警報ブザーが鳴っているはずだが、まだ誰も来ない。焦る北野をより追い詰めるように、岩見は声を荒げた。
「だいたい、看護婦が何をごちゃごちゃ、ややこしいことばかり言うんじゃ。看護婦は先生の言うことをはいはい聞いとればいい。先生は、明日になれば動いてもいいと言ったんじゃ!」
「岩見さん、でもね、待ってください。心臓の病気は一日一日の状態を見てからでないと……」
「わしぁ、元気じゃ! 自分のことは自分が一番よう知っとる!」
岩見は北野のことばにますます激怒した。点滴のラインはもう外れそうだ。
仕方がない、と北野は唇を引き締めた。無言で、岩見にぶつかるようにして近寄り、体で相手をベッドに押し返しながら、右手でラインのつながった腕を押さえ、左手で枕元のナースコールを押す。
「こら、何をする! 何をするんじゃ!」
「岩見さん、とりあえず座って、座ってください! でないと点滴が外れます、お願い、座って!」
点滴には、岩見の再度の発作を抑えるための薬が入っている。それは、口から飲む薬だけでは発作が抑えられない時があるということであり、同時に発作が起きれば一秒のためらいも許されない緊急処置が要るということでもある。点滴ラインは、岩見の命綱なのだ。
詰め所では何かに手を取られているのか、なかなかナースコールに応じてくれない。
「離せ! 離せ!」
「だめ、点滴が!」
「点滴じゃと! これも、昨日から痛い痛い言うとるのに、朝になったら、朝になったらといいかげんなことばかり言いおって! もう朝になっとるじゃろう!」
それでは、深夜の間から点滴ラインに問題が起こっていたのか。それで岩見が余計にいら立っているのか。そう、北野が考えた瞬間、岩見が勢いよく手を振った。
「あ!」
押さえていた腕の方は抜けなかったが、びんん、と鈍い音がして、つってあった点滴ボトルの下からラインの先が抜け飛んだ。すう、と見る間に、腕からそちらへ、ラインの中を血液が逆流する。
北野の頭からも血が引いた。
声をかけながら入って、北野はぎょっとした。
この間心筋梗塞を起こしたせいで、まだベッドの上で横になり安静を保っていなければならないはずの岩見が、立ち上がろうとしてもがいている。
血管が詰まって心臓の筋肉が死にかけ、動かなくなってしまう心筋梗塞は、その後の管理がことのほか重要な病気だ。十分に動かなくなった心臓に負担をかけるような動作は、すぐに再度の発作を引き起こし、悪くすれば死を招く。
だが、発作が一段落して薬の投与が行われれば、それほどの苦痛を感じず、治ったんじゃないか、元通りに動いても大丈夫なんじゃないかという錯覚を患者に起こさせる。
そして、まさに今、岩見はその状態にあるように見えた。
「岩見さん!」
北野は駆け寄って立ち上がろうとした岩見の肩をとっさに押さえた。岩見の左腕につながっている点滴のラインが引っ張られ、固定しているばん創こうがねじれている。右手でそちらも押さえようとした北野は、いきなり激しく突き飛ばされてよろめいた。
二、三歩後ずさったところへ、岩見の怒鳴り声が響き渡る。
「触らんでくれ!」
岩見の顔が見る見る赤くなった。
「昨日からずっと、一度立たせてくれ、と言っとるのに、いけません、いけませんと繰り返しおって! わしぁ腰が弱いんじゃ、こんなに寝かされて寝たきりになったら、どうしてくれる!」
寝たきりになるのともう一度発作を起こして死んでしまうのと、どちらがいいんですか。叫びかけて、北野はかろうじて押さえた。
岩見の胸につけられた心電図モニターのラインが揺さぶらて画面が乱れている。詰め所でも警報ブザーが鳴っているはずだが、まだ誰も来ない。焦る北野をより追い詰めるように、岩見は声を荒げた。
「だいたい、看護婦が何をごちゃごちゃ、ややこしいことばかり言うんじゃ。看護婦は先生の言うことをはいはい聞いとればいい。先生は、明日になれば動いてもいいと言ったんじゃ!」
「岩見さん、でもね、待ってください。心臓の病気は一日一日の状態を見てからでないと……」
「わしぁ、元気じゃ! 自分のことは自分が一番よう知っとる!」
岩見は北野のことばにますます激怒した。点滴のラインはもう外れそうだ。
仕方がない、と北野は唇を引き締めた。無言で、岩見にぶつかるようにして近寄り、体で相手をベッドに押し返しながら、右手でラインのつながった腕を押さえ、左手で枕元のナースコールを押す。
「こら、何をする! 何をするんじゃ!」
「岩見さん、とりあえず座って、座ってください! でないと点滴が外れます、お願い、座って!」
点滴には、岩見の再度の発作を抑えるための薬が入っている。それは、口から飲む薬だけでは発作が抑えられない時があるということであり、同時に発作が起きれば一秒のためらいも許されない緊急処置が要るということでもある。点滴ラインは、岩見の命綱なのだ。
詰め所では何かに手を取られているのか、なかなかナースコールに応じてくれない。
「離せ! 離せ!」
「だめ、点滴が!」
「点滴じゃと! これも、昨日から痛い痛い言うとるのに、朝になったら、朝になったらといいかげんなことばかり言いおって! もう朝になっとるじゃろう!」
それでは、深夜の間から点滴ラインに問題が起こっていたのか。それで岩見が余計にいら立っているのか。そう、北野が考えた瞬間、岩見が勢いよく手を振った。
「あ!」
押さえていた腕の方は抜けなかったが、びんん、と鈍い音がして、つってあった点滴ボトルの下からラインの先が抜け飛んだ。すう、と見る間に、腕からそちらへ、ラインの中を血液が逆流する。
北野の頭からも血が引いた。
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