『朱の狩人』

segakiyui

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 深い夜の中、何かにのしかかれらた気がして、浅葱仁は目を見開いた。
 自分の部屋に寝ていたはずなのに、暗い宇宙空間に独り漂っているのに気づいて、声にならない叫びをあげる。
(落ち着け、いつもの夢だ)
 心の中で言い聞かせるのを嘲笑うように、目の前に白い靄のようなものが現れ、やがて一つの映像となって結ぶ。
 大きな水槽だ。真っ暗な空間に、それが1つ、ぽつんと置かれている。中には真珠色に輝く液体がゆったりと揺れている。
 揺れて? 
 そう、中には何かが浮かんでいる。魚ではない、もっと生々しいもの。
 何かに呼ばれたように『それ』は振り返った。
 白い、赤ん坊だった。髪の毛もないつるりとした頭、真中に切れ目が入ったかと思うと、2つの真紅の瞳になって開かれる。
 赤ん坊は唇をゆっくりと吊り上げた。
 微笑み、というにはあまりにも禍々しい表情。
 威圧的な絶対の自信を秘めて声が響く。
「こちらへ来い、仁。同じ力を持つ仲間ではないか。私の夢に加われ。お前の願いを満たすのだ」
(嫌だ)
 激しい拒否とともに考えた瞬間、闇は一転紅に染まった。
(マイヤ! ダリュー!さとる!)
 叫びながら、声が涙でことばにならなくなる。
 無惨な死体になった仲間がくるくると人形のように暗い空に放り出されて舞っていく。吹き上がる血飛沫、悲鳴が絶叫が仁の耳を貫いていく。
 その中の1人の姿を認めて、体が凍りついた。
(内田!)
 叫びながら混乱し戸惑う。
(そんなはずはない、内田は超能力の影響を受けないはずだ、『夏越』などにやられるわけがない!)
 仁の叫びに、水槽の中の赤ん坊が薄く笑った。
「そうとも。この惨状は私のせいではない。よく見るがいい、そして、思い出すがいい。仲間を危機に追いやり殺していくのは誰なのか。私はもう死んでいる。お前という、強大な力を持った存在に殺されて、な。そうとも、仁。私と同じ『化け物』よ」
(嘘だ…)
 あやふやに仁は首を振った。胸の表面にちりちりと炎が走ったように、もう感じないはずの、『夏越』としのぎあった瞬間の傷みと苦痛が蘇る。
「嘘ではないさ」
 『夏越』はにんまりと笑みを深めた。
「お前の力は結局制御できなかったのだ。だから、仲間を失った。お前が私を殺してまで必死に救い出した仲間だったのだが、な」
(嘘だ!)
 悲鳴が心を貫き、閃光となって出現した。激しくまばゆい青白い炎、非常な高温を思わせる光の矢となって空間を疾り、水槽を砕いた。耳が痛くなるような高い笑い声。
「見るがいい、お前こそが破壊者、お前こそが『人殺し』だ!!』
 愕然とする仁の足下が崩れた。
 落ちる。落ちる。堕ちていく。
 どこへ……どこまで。
 人の姿をした魔物にまで……?

「うわああああーっ!」
 大声を上げて、仁は跳ね起きた。
 轟く胸を抱えて息を弾ませる。窓の外はまだ暗い。8月に入って急に蒸し暑さを増した空気がねっとりと部屋を満たしている。
 しばらく荒い呼吸を繰り返していた仁は、ふいに押えているパジャマの下にあるものに気づき、汚れたものでも触ったように手を払った。無意識にシーツで手を擦り、感触に我に返る。
(こんなことしても、無駄なのに)
 掌を、そしてパジャマの胸を見る。眉を寄せて顔を振り、ごまかすように時計を探した仁の目が部屋の隅に吸い寄せられた。
 壁にめり込み、変形している金属の目覚まし時計。
 見つけたとたんに震えだした体を無理やりベッドから押し出して、仁は立ち上がり壁に近寄った。
 気味の悪い何かのオブジェのように宙に浮いている時計にいやいやながら手を伸ばす。掴んでそっと引っ張ったが、時計は離れない。よく見ると、壁との接点が溶けたようになって一体化している。 
 一瞬息を呑み、それから軽く唇を噛んだ。流れてきた冷や汗をそっともう片方の手で拭い取り、わずかに時計を掴んだ手に意識を集中する。
 ゆら、と時計を含んだ空間に陽炎が躍った。抵抗するかのように変化しなかった時計が、一瞬の後に黒く焦げた微少な粒となり霧となって消えた。仁の指先が、はなから何もなかったように、空間を握って虚ろに取り残される。 
 壁には微かに焦げたような薄茶色のシミが残っていた。見つめていた仁の視界がぼやぼやと歪み、頬に涙が零れ落ちていく。
「ふ……ふふ」
 神経質な笑いをもらし、仁は両手を振り上げた。
 どおん!
「たった……2ヶ月……・2ヶ月、なのに!」
 壁に両手の拳を叩きつけて叫び、そのまま崩れるように座り込む。
 やがて、低い声で、呟いた。
「内田…いつか君を……殺すかも知れない…」

 救急車が緊急用の入り口に着いた。
「城崎先生っ! 城崎先生!!」
 ヒステリックな叫びがけたたましく開け放たれた戸口から響き渡る。
「頼みます! 頼みますよおっ!」
「怒鳴るな! 聞こえてる!」
 救急車が院内に滑り込んできたときから既に向かっていた城崎は、廊下の奥から白衣を翻しながら走ってきて叱りつけた。白衣の下は緑の術衣、小走りに付き添ってきた看護師に顔からむしりとったマスクを押しつけながら担荷に屈み込む。担荷には小学校2、3年の男の子が乗せられている。
「どうなんだ」
「朝のと同じです、けど、こっちは登校途中で……遅れたんでしょう、信号待ちをしてたら、急に悲鳴を上げて倒れたって」
 ち、と不謹慎なほど鋭い舌打ちを城崎は漏らした。すぐに瞳孔と心拍を確認するが、重い吐息をもらして唸る。
「もう急がなくていい」
「し、城崎先生」
「もう、この子は……ここにいねえよ」
「あ、で、でも……」
「紺野さん、部屋が1つ空いてただろう。あそこへそっと運び込んでやってくれ。住所を確認してくれ、俺が電話をいれる。それからできたら……」
 城崎のことばを引き取って、付き添っていた紺野聖美はうなずいた。
「わかりました。緊急蘇生用の器具を運びます」
「え、じゃあ先生」
 助かるんですか、と言いかけた救急隊員達の顔に城崎は首を振った。
「家族が来たら少し蘇生をする。ただし、少し、だ。家族が納得するまで、だ」
「で、でも」
「自分の子どもが何が何だかわからないうちに死んじまって、しかも誰も手を出してくれなかったなんて知らされてえのか、あんたは?」
 思わず声を荒げてしまう。
「あ……」
 隊員の一人が思わず口ごもった。
「そっか……そうですよね、やっぱり」
「そういうことだ。それに……さっき、蘇生用の道具は空いたからな」
「え?」
 城崎は乱れた髪を振り払うように顔を奥へ向けて動かした。
「じゃあ、さっきの男の人も……・」
「ああ……ったくどうなってんだ、この街は! 透明人間の殺人犯でもうろうろしてやがんのか!」
 悪態をつく城崎に恐れをなしたように隊員達は首を竦めて担荷を抱え直し、急いで病室へ入っていく。
 それを見届けてから、城崎は重い足を引きずるように詰め所に戻った。
「ふう……」
 どさ、と身を投げ出すように座ったせいで、パイプ椅子が悲鳴を上げる。ぎいいと思いっきりきしませながら、積み上げたカルテを手に取る。
 どれも薄い。薄っぺらすぎるほど薄い。
 人1人の死が封じ込められているとはとても思えない軽さだ。
 この数週間、厳密に言えば7月下旬から8月下旬にかけて、宮岸病院は原因不明の突然死とでも表現するしかない奇妙な死亡を既に5件扱っていた。年齢も性別も職種もばらばらだ。社会的な共通点はほとんどないし、住んでいる場所も違う。死んだ場所も違う。相互の関係もない。
 ただ、唯一似通っているとすれば、その死に方だけ、と言えるかもしれない。
 症例1。32歳、女性、OL。電車を駅で待っていたとき、急に悲鳴を上げて倒れ、絶命。
 症例2。18歳、男性、コンビニアルバイト中、品物を補充していた最中に倒れて絶命。
 症例3。53歳、女性。隣の主婦と垣根越しに雑談中、いきなり倒れて絶命。
 症例4。64歳、男性。会社での会議に向かう途中、タクシーを止め乗り込もうとしたとたんに倒れ絶命。
 そして、今、カルテを作る間さえないままに増える名前がある。
 症例5。小学生男子。登校途中に悲鳴を上げて倒れ絶命。
「何だ、いったいこれは」
「城崎先生。これ、あの子のランドセルに書かれていました」
 紺野が詰め所に入ってきて、小さなカードを差し出した。かわいらしくパソコンか何かで造られた住所カードで、子どもの名前と住所、電話番号が書かれてある。
「わかった」
 城崎は顔をしかめたまま受話器を取った。紺野が心配そうな顔で見守っているのに、苦い笑いを返しながら、ぐったりとした疲労を声に出さないように気を配りながら口を開く。
「あ、もしもし、谷口さんのお宅でしょうか。谷口準伍くん、の」
 すぐに出た母親の声は見知らぬ男からの電話に緊張した。それでも、数カ月前の事件のせいか、宮岸病院の医師城崎、と名乗るとああ、と頷く様子で、多少は警戒を解いたようだ。
 その母親に、城崎は5回目の苦しい内容を告げた。
 ええ、あなたの、はい、そうです、事故に合われて……お気の毒ですが、至急いらしていただけませんか。
 電話の向こうでひたひたと恐怖が相手の内側を埋めるのがわかる。喘ぐように母親が吐く。そんな、まさか、だって、あんなに元気で。
 ええ、はい。城崎は唇を噛む。残念です………とても残念ですが……。唐突に投げるように切られる声をそっと遠ざけて、城崎は受話器を置いた。
「く……そお!」
 うなって髪を掻きむしった城崎に、側でずっと立っていた紺野が、そっと声をかけてきた。
「城崎先生」
「ああ、すまんな、君に怒ってるんじゃない」
「ええ、わかってます」
 紺野が柔らかく微笑んだ。京人形を思わせる白い卵型の顔に、品よく配置された目鼻がいたわるような表情を浮かべて城崎を覗き込む。
「彼に、連絡を取られた方がいいと思います」
「え?」
 城崎は何を言われたのかわからなくて、ぽかんと紺野を見上げた。
 相手は一瞬ためらったようだったが、やがてもう一度、今度はしっかりとした決意を込めて、繰り返した。
「彼に、伝える方がいいと思います」
「誰だって……? ……っ!」
 ふいに、その名前が城崎の胸に鮮やかに浮かんだ。それをまるで感じ取ったように、紺野はゆっくりと頷き、生真面目な顔で続けた。
「はい、彼なら、わかると思います。浅葱……仁くん、でしたよね?」
「ちょっと……待て」
 自分の声が突然冷えて殺気立ったのを城崎は感じた。
「何の話だ」
 目の前に穏やかな笑みを浮かべている娘の背後に巨大な暗い影が立ち上がったような気がして、全身が緊張していく。
 確かに紺野聖美は並の看護師ではない。宮岸病院なぞの小さな地方病院になぜくすぶっているのかと思うほど、腕もいいし、患者からの評判もいい人間だ。患者だけではない、城崎だって紺野には妙に安心していろんなことを話せる気がする。それが城崎だけの感じ方ではないのは、紺野がしょっちゅう誰彼なしに話しかけられたり呼ばれたりしているのでもわかる。
 しかし、その紺野は、この異常な死亡に関して仁に話せと言い出した。
(なぜ、仁の名前を知っている? なぜ、仁に話せなんて……)
 それは、知っている、ということではないのか。誰も知っているはずがない、『あの出来事』について。
「…」
 無言で相手を凝視した。
(敵、か…)
 身体中が忘れていた殺気にちりちりと覆われていく。
 城崎は数カ月前まで、常識では考えられないような体験をしている。
 それは、遺伝子操作による超能力者『夏越』という、見かけは赤ん坊のような、けれど悪魔のような破壊力と支配欲を持った存在に関わる出来事だ。
 そのころ深い絶望に囚われていた城崎は、実のところ『夏越』の配下として働いていたのだが、そこへ現れたのが浅葱仁という少年だった。
 仁は言わば自然進化の過程で生み出されたとでも言えばいいのか、人工的な操作なしに超能力を発揮する高校生だ。
 仁の能力を強く欲した『夏越』に抵抗し、そのせいで奪われた友人内田を救出に来て、城崎は仁と出逢った。平凡そうな、茫洋とした外見は内側の凄まじい力と深い意識を感じさせなかった。そのどこから見ても当たり前の高校生にしか見えない仁は城崎の心の傷を感じ取り、それを癒す術を導いてくれたのだ。
(もっとも、あいつはそんなこと、わかっちゃいないだろうがな)
 仁がどのように考えていようと、城崎があのままでいたら潰れていたのは確かで、『夏越』と一緒に世界を破滅に陥れるか、自分が破滅するかのどちらかしかなかったはずだ。
 そして、その事件は、裏社会で慣れた城崎の手練手管で巧みに世間からごまかされ、奇妙で不思議な都市伝説として人々の記憶からもするすると抜け出していっているはずだった。
(なのに、なぜ……・いや、そんなこと言ってる場合じゃねえか)
 もし万が一にでも仁に不都合なことを起こすようなら、それなりに対処をしなくてはならない。相手が無害そうに見える女だろうと、城崎には容赦するつもりはなかった。とんでもない能力に屠られてからでは全てが遅い。
 身構えた城崎の気持ちを読み取ったように、紺野は一瞬笑みを深めた。それから、わずかに城崎に近寄って、囁くように、けれどもはっきりと告げた。
「だって、襲われたのは全員、超能力者ですから」
「な……!」
「準伍!」
 全身凍りつく、そんな驚愕に襲われた城崎の耳を悲鳴じみた叫びが襲った。
「準伍はどこですか!」
「城崎先生!」
 紺野が詰め所を飛び出しながら、城崎に手を振る。もう1つの戸口から出て、病室に走れと言う合図だ。城崎は急いで病室に駆け戻り緊急蘇生の処置を整え、取り乱した母親が泣き叫びながら駆け込んでくるのに、険しい顔で胸骨圧迫を開始した。
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