『朱の狩人』

segakiyui

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 ふいに呼ばれたような気がした。
 振り返って見たが、周囲は夕餉の支度を急ぐ買い物客でごった返すだけ、誰も仁を見ている様子はない。
(気のせいか)
 溜息をついて、スーパーマーケットの出口から出て、すぐ側にあるハンバーガーショップに入る。バーガーセットを注文して、隅の席にへたり込む。無意識に左手で腹、肝臓の辺りを押さえていた。重苦しくてずきずきと痛むのをしばらく呼吸を止めて堪える。
(きつい……や)
 『印怒羅』とやり合いながら回復させていたのは予想以上に体力を消耗してしまったみたいで、あそこから家までテレポーテーションした時点でしばらく動けなくなってしまった。部屋の真中でじっと体を抱えて丸くなり、傷の位置と程度を確認しながら1ケ所ずつ力を注いで回復させていく。
 それでも、あれほど早く内田が『印怒羅』に捕まったのはおそらく朱乃の手配だろう。のんびりと休んでいるわけにもいられず、着替えができる程度に回復したところで、再び朱乃探しを再開したのだ。
「ふ……う」
 痛みが少し和らいだところで、座り直してバーガーの包みを開けた。
 今日1日ろくに何も飲み食いしていない。その分のエネルギーをどうやら無理矢理体のあちこちのストックからひねり出しているようで、『印怒羅』に殴られた傷だけではなくて、もっと体の奥、深いところから切れ味の鈍った刀で抉られていくような傷みがじりじりと広がってくる。
 ハンバーガーの包みを開けただけでうんざりしたが、バンズの端っこをちぎってそっと口に押し込んだ。
「て……」
 口の中に鋭い痛みが走って思わず顔をしかめる。大きな傷を優先して治してきたから、口の中の切れたところはそのままだ。もさもさしたパンに血の味がからまって辛い。コーラで無理に飲み下す。
「つ……」
 また無意識に体を抱えているのに気づく。
(回復が遅くなってる……?)
 あの廃虚でいた時は、もっと早くきちんと治ってくれた気がするのに、と思って、仁は体を固くした。
(内田が……いたから、か?)
 内田は確かに仁の能力の制御装置、であるけれども、それは仁へのエネルギー供給もコントロールしているということなのだろうか。
(なら……一層……側には居られない……僕が内田を食い尽くすことになってしまう)
 一瞬目を閉じ、仁は無理に朱乃に思考を戻した。

 真駒朱乃の所在は意外に早く掴めた。
 役所が閉められる時間ぎりぎりに飛び込み、戸籍謄本の照会を依頼した。もっとも正式にではなくて、依頼したように暗示したのだが。相手が謄本を確認しているのに意識を連動させて情報を読み取り、12年前に転出した事、最近になって父を失い転入していることを確認した。それから、暗示を解いてそのまま役所を出て行き、確認しておいた住所に辿り着く。
 そこは仁が朱乃からの電話で捉えた通りの家だった。古めかしい家が立ち並ぶ通りにある、一際大きな和風平家。そこに今、朱乃は母親と2人で住んでいるはずだった。
 仁は始め付近の住人にさりげなく接近し、真駒朱乃という名前とイメージを投射して状況を知ろうと思っていた。ところが、最初に近づいた主婦は道を訪ねる仁には快く応じたものの、真駒という名前には激しい拒否反応を見せた。閃くように流れ込んできたのは、断片的な知識、12年前のわけのわからぬ事件、原始的な理解できない何ものかの存在を『魔』として忌み嫌う本能的な恐怖。挙げ句のはてに、主婦は仁を突き飛ばして逃げ、仁は慌ててその場から離れなくてはならなかった。
 仕方なしに仁は図書館と警察へ足を運び、事件に関する概略を確かめた。幸い、仁が落とし物を尋ねた相手はここに長くいた警官で、12年前の事件の際には新米警官として調書作成に加わっており、困惑と不安定な影を帯びた感情に彩られた必要な情報を仁に与えてくれた。

(『犬の塊が』)
 仁は胸の中で調書のことばを繰り返し味わってみた。
 決して『犬が』とか、『たくさんの犬が』と言ったのではない。
 その後、ぷっつり心の糸を切ってしまった娘のことばだった。そのことばを口にしたとき、既に彼女の心は壊れ始めていたかも知れない。だから、それほど神経質に捉えることではないのかもしれない。
 だが、仁はそのことばにひっかかり続けている。
『犬の塊が壁で吠えていた』
 この異常なことばは何をあらわしているのだろう。
 幾つかの事件を続けてみると、そのことばは、見る見る禍々しい現実の臭いを鼻先に押しつけてくる。消えた野良犬。いなくなった近所の飼い犬。酔漢が出逢った『両手を腹に溶け込ませた女』。
(『それ』は可能だ)
 仁の胸にひんやりとした感覚で部屋の壁に溶け込むように張りついていた目覚まし時計が蘇る。
 壁で吠えていた『犬の塊』。
 では、本当に、それ、だったのだ。
 娘が見たのは、数匹の犬が足と言わず腹と言わず絡み合ってくっついた『もの』だったに違いない。
 それが壁にめり込み、あるいはくっついたまま、けたたましい吠え声を上げている、そんな悪夢のような壁飾りだったのだ。
 そしてまた、酔っぱらいの見た『腹に手をめり込ませた女』も、戯れ言や幻覚などではなく、現実に『それ』だったに違いない。
(『それ』は可能なんだ)
 波紋のように、そのことばが仁の心の闇に広がる。
 可能なはずだ。あの超能力者なら。仁達を襲い、ほかの潜在性の超能力者を襲った相手なら。物体と物体を分子レベルで分解結合させられる力の持ち主なら。
 そして……おそらくは、仁、にも。
 人の体を切り裂く力、人の傷を治す力。それらは方向が違うだけで技術としては変わらない。
(真駒……朱乃)
 彼女の父親が彼女の力に気づいたのかどうかはわからない。が、彼は慌ててこの街を出て行き、遠くの街で死に……そして、娘は帰ってきた、父が自分から引き離した故郷に。いったい何を思って……何のために。
 12年前、朱乃は赤ん坊だった。何を求めて2人の女を発狂させたのか。何を望んで力を使ったのか。
(ひょっとしたら……使う気さえ、なくて)
 ただ側に居てほしくて。うんと近くに居て欲しくて。どこにも行ってほしくなくて。
 ふいに、あの廃虚で『印怒羅』を襲ったときのことが蘇ってきた。
 廃虚に追い込まれ囲い込まれた内田を何とか守りたくて、密かに忍び入った。孤立した人間から数分間の記憶を奪い倒していく。殴る蹴るの喧嘩はほとんど経験がなくて、それでも1人でも多く倒しておきたくて。傷を治しながらひたすら『印怒羅』を追い続け、いつしか意識が朦朧としていた。
 最後の1人に襲いかかったときにはほとんど自動的に体が動いていた。背中を向けている相手の首に手を伸ばす、相手は別の何かに気を取られているみたいで仁に注意が向いていない。体はなめらかに空気を割った。吸い込まれて確実に手の内におさまるはずの獲物だった。
 だが、その瞬間、急に強い力で抱き止められて初めて我に返った。
(それが……内田だったなんて……)
 内田さえも見失うほど自分が戦うことに集中していたことが衝撃だった。自分の力を見せて恐れさせたくなかったのに、一番制御がきかなくなった瞬間を内田に見られた。
(それでも……側に居てくれると言った)
『お前には俺達は不要なのか。邪魔で荷物なばっかりか』
『俺には俺のやり方があるから、邪魔だと言われようとお荷物だと言われようと、そんなこと知ったことじゃねえけどな』
『死ぬときぐらい、1人じゃねえほうがいいだろ?』
 雨の中で珍しく不安そうに微笑んでみせた内田の笑みが胸に痛い。
(だから……帰れない……帰るわけにはいかない)
 会いたいわ、と朱乃の声が仁の耳の奥で谺する。
 会いたいわ、仁。
(僕もだ)
 求めて焦がれて、けれども出逢った瞬間に2人が感じるのはお互いへの殺意だけかもしれない。
 朱乃は仁を捕らえようとし、仁は仲間のために朱乃を野放しにしておくつもりはない。会いたいと思う気持ちは恋人のそれと寸分違わないだろうに、結末だけが違っている。
 まるでナイフの刃の上を歩いているようだ、と仁は思った。薄く鋭いナイフの刃の上を、朱乃は向こうから、仁はこちらから、出逢うためだけに歩き続けている。
 待つのはどちらの破局だろう。朱乃が堕ちるのか、それとも仁がナイフに体を裂かれるのか、人間と化け物、その2つの運命を背負い切れず?
「ぐ……」
 ふいにさっき流し込んだパンが胸元にせり上がってきて、仁は口元を押さえてトイレに走った。緊張とストレスで胃がものを受けつけなくなっている。個室に飛び込みしゃがむ間もなく吐き戻した。臓腑を絞り上げるような痛みに呻きながら膝をついていると、きぃいん、という高い金属音が耳を貫いた。
 目を閉じた真っ暗な視界に別の視野が広がる。
 星が散る澄んだ大気、冴えた月光が街を照らしている。その虚空に、漂うもう一つの巨大な月がある。月の中には少女が蹲り、ふと顔を上げ仁に向かって微笑み両手を広げる。懐かしいような切ないような気配、だが、同じように手を差し伸べた仁の腕に鮮血が散る。温かな血、それをまき散らした体が腕をすり抜け遥か下の道路へ向かって落下する。「内田!」仁は叫ぶ。「内田、内田、そんな、馬鹿な!」。ここに内田がいるはずはない。仁の側に、しかも人間が飛べるわけがない高空にいるはずがない。これを恐れて逃げ回り置き去ってきたのに、締めつけられるような孤独を耐えてきたのに、どうしてこの未来図は実現してしまったんだ。恐怖と混乱が仁の感覚を支配し縛り上げる。月の中の少女が笑う、朗らかに楽し気に。
 未来は変えられないの、知っているでしょう、仁、知っていたでしょう、仁、来るべき破局はあなたの中にずっと用意されていた、あなたが未来を見たときから、時間はそれに向かって動き、運命は全ての準備を済ませる、あなたこそ破滅を予言し成就するもの、あなたが未来を破綻させる凶星、知らなかったとは言わせない、気づかなかったとは言わせない、あなたは全てを知りながら、自分の為に未来をねじ曲げた、だからあたしとあなたは同類なの、未来を弄ぶ神々の末裔、人類を滅亡に追い込む使者、もう諦めて受け入れなさい、運命を。
(いやだ……)
 ぽろぽろと涙が伝うのは吐く苦しさからだろうか、自分の運命の惨さにだろうか。
(いやだ……いやだ……それぐらいなら……僕が僕を……僕が内田を殺すしかないのなら……僕はもう……)
「うっ……うっうう…」
 耳鳴りが遠ざかり、自分の掠れた泣き声だけが響いているのにようやく気づく。
「お客様? お客様! 大丈夫ですか?」
 どんどん、と背後のドアが激しく叩かれていた。からからに乾いた喉に必死に唾を呑み込んで、汗まみれの顔を拭い立ち上がる。体の中がからっぽで、それでもそこにただじくじくとした膿みが溜まり続けているような気持ち悪さを必死に押し殺して、レバーを押して水を流し、ドアを開ける。
「大丈夫ですか……?」
 不安そうなひきつった顔の店員にかろうじて唇を上げてみせた。食べ物商売のことだから、食中毒や消化器がらみの病気を恐れてのことだろう、後ろに店長らしき姿も見える。
「すみ……ません……ちょっと……胃腸の調子が悪くて……」
「ああ…そうですか」
 露骨にほっとした顔になったのを慌てて隠すように、店長が眉をしかめて続けた。
「救急車でも呼びますか?」
 できたら呼んでほしくはないけど。
 そう言う心の声も遮ることができずに聞かされて、仁は微笑を深めざるを得なかった。
「大丈夫です……騒がせて……すみません」
 ここでへたりこんでいられるほど、朱乃は待ってくれないだろう。急がなくては、また誰かが犠牲になる。
「まあ……お大事に」
 不服そうな、不安そうな顔で見送られながら、仁はバーガーショップを出た。
(どこへ行こう?)
 不安定に揺れる足下を必死に支える。
(どこへなんて……そんなこと……決まってるのに)
 『狩人』朱乃はもう仁が自分の居場所を突き止めたことを気づいているだろう。彼女の元へ仁が辿り着くのを今や遅しと待ち構えているに違いない。
(勝てるだろうか……僕は)
 我を失って暴走してしまえば朱乃の思うままに操られる兵器となりかねない。かといって、このまま逃げ回っていれば、遅かれ早かれダリューや内田にも魔手が伸びるのは明らかだ。
 行くしかない。行くしかできない。そして、そこに待っているのは、バーガーショップで見た未来、内田を巻き込み惨い目に合わせる未来なのだ。
(いっそ……このまま……)
 仁は道路に目を向けた。
 夜に入って車の往来は一段と激しくなった。流れ去るテールランプが揺らめいて仁を呼んでいるような気もする。ふらつく体を何とか保ちながら、間近にあった歩道橋を上っていく。自分がどうしてそんなところへ上っているのかわからないまま、1段1段上っていく。
 歩道橋の階段は道路の流れを跨ぎ越えて、どこか別の未来へ仁を運んでくれそうな気がした。
(ほんとに何のための力なんだろうな)
 体がひどく重くて動きが鈍い。一所懸命引きずりあげるのだが、いつもなら駆け上がれる段々がまるで1段ごとに仁の足を跳ね返すようにさえ感じる。ようやく上まで上り切ったときに息が上がっていて、すぐには前へ進めなかった。手すりに体をもたせかけて呼吸を弾ませている仁の隣を、賑やかに話しながら少女達が足早に通り過ぎる。
 少し呼吸が整うと、仁はよろよろと手すりを持ちながら歩道橋の中程まで進んだ。そこまで来ると、何だか向こうがひどく遠くに見えて、もう動く気がしなくなったので、そのまま手すりにもたれ、下を覗き込む。
 最近に作られた歩道橋はそれなりに高い柵が巡らされていたりするけれど、この歩道橋は古い形なのか、それとも改装途中でたまたま外枠がはずされてしまっているのか、手すりの下の段を踏むと体が歩道橋から僅かに乗り出せる。
 仁はそっと段を踏みつけて、道路を深く覗き込んだ。黄金色の光と紅の光が入り交じる流れはとてもゆるやかで居心地がよさそうに思えた。飛び込んでしまえば一瞬のことだろう。力が発動する間もなく、体が引き潰されて死ねるだろう。
(ずいぶん……がんばったよね……?)
 どこへともなく声を投げる。
(もうくたくただ)
 脳裏を父親の笑顔が、母親の心配そうな顔が、秀人の殺気立った表情が、あの公園の激しく揺れていた木々と一緒に走り過ぎていく。
 紺野の微笑が、マイヤの澄ました表情が、さとるのウィンクが、ダリューの激高した顔が流れる。
 城崎の驚いた表情を追いやるように、内田の不敵な笑みが広がって、仁はそっと微笑んだ。
(もう……いいよね……?)
 髪の毛が風に舞い上がった。自動車の騒音が遠くになり、流れるランプがぼやぼやと形を失い無数の光の帯になる。
(何の意味もない力なんだから……消えてもいい、よね?)
 ゆら、と体が前にのめった。

「仁!」
 叫んで内田は跳ね起きた。
「てめ……え……あれ?……」
 瞬きして周囲を見回す。時計は22時を示している。話を聞いている間に、疲れがでてしまったのか眠り込んでいたらしい。
 閉め切った部屋に酒の匂いが充満していた。足下に抱きつくような格好で真奈美が眠っていたらしいが、内田が跳ね起きたのに蹴られるような形になってのけぞり、相手も目を覚ましたようだ。
「ち……眠っちまったのか」
 舌打ちしてガウンを掻きあわせ、立ち上がる。真奈美はぼんやりした顔で乱れた髪をなでていたが、内田が浴室に向かうのに慌てたように後を追ってきた。
「ねえ、待ってよ、どこに行くのよ」
「帰るんだよ、話も聞いたし」
 内田は乾燥機も兼ねた洗濯機の中からさっさとジーパンとTシャツを取り出した。
 ついさっきまで見ていた夢の仁があまりにも生々しくて不安が募る。真奈美が見ているのはおかまいなしで着替えを済ませると、すぐに玄関へ向かおうとして相手が立ち塞がったのに立ち止まる。
「何だい、おねーさん?」
「帰さないから」
「は?」
 内田は真奈美の上から下まで視線を動かし、相手が酔った勢いで言っているのではないとわかると、吐息をついた。
「言ってること、わかってんのか、あんた?」
 冷ややかに突き放す。
「未成年を連れ込んでどーこーしよーって人には見えなかったが」
「こ、怖いのよ」
 真奈美は目に涙を浮かべていた。酔いはもう醒めたのだろう、僅かに目の縁は赤いが口調はしっかりしている。
「怖い?」
「怖いに決まってるでしょう、だって、朱乃はあたしのこと知ってるのよ」
「だから?」
「狙われたら、どうするのよ!」
「だーかーら」
 内田はいっそう冷ややかに続けた。
「さっきも言ったと思うけどさ、朱乃が狙ってるのは仁、てやつだ。正直、あんたみたいな雑魚はもう目に入ってないと思うぜ?」
「ひどいじゃない!」
 真奈美は唇を震わせながら叫んだ。
「あれだけいろんなことを教えてあげたのよ、なのに守ってもくれないの?」
「……・話したがったのはあんたじゃなかったっけか? ……・ああ、そうか」
 内田はにんまりと唇を吊り上げた。
「そうか、あんた……情報流したの、俺達の誰かをガードにつけてもらおうって魂胆だったんだな?」
「だって……」
 見る見る真奈美は顔を赤く染めた。酔いからくる桜色ではなくて、恥じるような深い紅、それに両頬を染めながらなおも言い募る。
「あたしは女よ、何の力も持ってなくて、弱いのよ!」
「過去知とか持ってるんだろ? だから、朱乃のこととかお姉ちゃんのこととかわかったんだよな?」
「それが朱乃に何の役に立つって言うのよ!」
 真奈美はヒステリックに言い返した。
「あんな化け物みたいな力を持ってる子に狙われたら、どうしたらいいのよ!」
「俺だって、無事には済まねえよ」
 内田は苛つきながら応じた。
 こうしている間にも、仁があの夢の通りに歩道橋から道路に飛び込んでしまいそうだ。ただの妄想であってくれればいいのだが、あのバーガーショップ近くの歩道橋と言うのは正直見覚えがあるからタチが悪い。
「でも、男じゃない!」
 真奈美はこぶしを握って体中で叫んだ。
「男なら、女のあたしを守ってよ! 仁って子なら大丈夫じゃない! 強くて凄い力を持ってるんでしょ、気にしなくったっていいじゃない! それに、同じような化け物なんでしょ、朱乃と一緒にあたし達を襲いに来るかもしれないじゃない!」
 す、と内田は1歩で真奈美との間合いを詰めた。向き合えば内田の方が10cmは高い上背、その上から目を細めて真奈美を見下ろす。
「あんたが紺野の友達でなけりゃ、歯の4.5本は折ってるぜ」
 滾る冷たい炎を内側に満たして内田は脅した。
「!」
 びく、と真奈美が体を竦める。
「あいつのことを何もしらねえくせに」
 吐き捨てたことばに軽蔑が混じったのを真奈美は聞き逃さなかったのだろう、硬直した彼女の横をすれ違って玄関に出て行く内田の後ろから喚いた。
「あんただって同じでしょ!」
「何ぃ?」
 振り返る内田に真奈美はぎらぎらとした目を向けた。
「気づいてないの、あんただって同じよ、あたしと」
「どういう意味だ」
「あんたが仁って子を失うのを怖がってるのは、自分のためだって言ってるのよ」
 真奈美はひきつったような笑みを浮かべた。
「繰り返しましょうか。あんたを必要としてくれてるのは、その仁って子だけなのよ。だから、あんたは失いたくないの。自分が可愛いから、自分を必要としてくれる相手を失いたくない、それだけよ」
「……・」
 内田は真奈美を睨みつけた。何か言いたいのに言い返せない。真奈美のことばに心の柔らかな部分をいきなり引き剥がされたような気がした。
「だから、仁は戻ってこないの」
 真奈美はなおも嘲笑うように続けた。
「あんたが、あんたのためだけに仁を必要としているの、わかってるから。結局誰も本当に仁を望んでいるわけじゃないとわかってるから」
 内田の胸に城崎の、ダリューの、マイヤの、さとるの顔が過っていく。確かに誰もが仁を必要としている。けれどそれは、本当に『仁』が必要だったのか。それとも『仁の能力を備えた誰か』でもよかったのか。
(それを疑ってるから……あいつは帰ってこないのか? ……帰ってこれないのか?)
 事実、ダりューは仁を責めている。仁は『探すな』とメッセージを残している。
(俺のしていることは……あいつを苦しめてるのか?)
 儚気な微笑、空気に溶けてしまいそうな仁を思い出す。雨の中に消え去った仁のずたずたになった姿も。
(俺達が探さないことが……朱乃の側にいくことが、あいつにとっては楽、なのか?)
 内田の問いに応えなかった。抱えた腕を押し戻した。追いかけるほどに遠くに逃げ去るのは、本当に内田達から離れたかったからなのか?
「違うって言える? 言えないでしょう?」
(けれど)
 ふいに、その答えは内田の胸の中に広がった。
「ああ、俺はあいつが必要だ、それがなぜいけない?」
 真奈美が何か続けかけた口をぽかんと開いて内田を凝視する。その顔に、内田は自分の真実を感じた。
「あいつが俺を必要としてないかも、なんて考えられるほど大人じゃねえんだ、俺は」
(そうだ、そういうことなんだ) 
 今までずっと引っ掛かっていたことが何なのか、ようやくわかった気がする。
「あいつが俺を必要としてるんじゃねえ、俺にあいつがいるんだよ。だから追いかける、失いそうだったら引き止める、どこがまずい?」
「だって……だって、それって……相手を苦しめたり悲しませたり……」
 真奈美が混乱した顔になってつぶやいた。
「だから?」
 内田は玄関のドアを開けた。ねっとりとした真夏の夜の空気も、真奈美の部屋にこもった酒の匂いに比べれば数段さわやかだ。
「言ってるだろ、俺はガキなんだ。あいつの気持ちなんて知ったことかよ」
 茫然とする真奈美ににやりと笑って見せる。
「追いかける、捕まえる、勝手に側にくっついてる。ガキってのはそういうふうに動くのさ……あんたら大人にはわかんねえ理屈だろうが」
 言い捨てて内田は外へ出た。呑まれたように立っている真奈美に背中を向けて、久しぶりに晴れ晴れとした気分になっている。
「ついでに、ガキは執念深くてしつこい、と来る」
 一人呟きながらくすくす笑った。眠ったおかげで気力が戻った。
(だから捕まえるまで諦められねえ)
 まずは夢で見た歩道橋からだ。
 内田はZIIのエンジンを唸らせながら再び街の中へ出て行った。
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