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第1章 『竜は街に居る』
5.堂々巡り「命なんてかけられない」(4)
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ご飯会の夜、伊谷に魔法を見せよう、と囁かれたけれど、失敗した記憶を呼び戻したばかりだったから、さすがにすぐに乗るほど陸斗も浮ついてはいなかった。
けれど1週間後、店にやってきた伊谷には驚いて立ち竦んでしまった。
「何がお勧めですか?」
「あ、えーと、今日ならバナナマフィン、かな、それともアーモンドベーグル…チーズとハムとレタスを挟んで」
「ああ、じゃあベーグルで」
にっこり笑った伊谷は開いていたメニューを閉じて、コーヒーは本日のお勧めで、と卒なく付け加える。少し開いたシャツの胸元に銀鎖、そう言えば、いつかもかけていた気がする銀色の十字架。
「何モノ、彼」
「知り合いです」
「劇団の?」
「はい」
「妙に人目惹くねえ、それほど美形じゃないのに」
マスターが感心したように伊谷を眺める。
「店の女の子の視線、半分は攫ってるけど」
「そうですね」
注文の品ができる間、陸斗は視界の端で伊谷を見遣る。
確かに目立つ。さりげない着こなしが一流品揃いで、ちらりと見えた時計が数十万は下らないとか、多分靴はオーダーじゃないかとか、そこかしこにちらつく『優良物件』の気配だけでなく、視線に気づいて振り向いた伊谷が、嫌味じゃなく親しそうに微笑む仕草もごく自然で、まるでこのカフェが伊谷のための舞台になってしまった気がする。
ましてや。
「はい、よろしく」
「はい」
陸斗が注文の品を持って伊谷に近づくと、周囲の視線がより粘っこいものになった。中には露骨にごくりと喉を鳴らした者まで居る。
「お待たせしました」
いつもならもう少し腰を屈めないとスムーズに置けない高さのテーブル、それでも今日は視線が痛くてそれ以上腰は突き出せないなと思った陸斗に、伊谷が微かに低く笑った気がした。
「?」
「…」
とんとん、とテーブルを指先が叩く。注文ミスでもしたかと思った陸斗の視界に、文字が飛び込む。
『19時半、迎えに行きます』
「え……あっ」
思わず漏らした声に伊谷が軽く片目を閉じて、唇の前で指を立てる。
「なぜ…」
それでも尋ねずにはいられなかったのは、確かに今日はカフェの閉店がいつもより早くて18時半、家に戻ってシャワーを浴びて着替えるならば、それぐらいの時間、と頭がすぐに弾き出したせいで。
「魔法を見せたくて」
「……魔法…」
囁く伊谷を呆然と見ると、相手は柔らかく微笑みながら、
「この前約束したでしょう?」
「あれは」
「でもこの魔法は難しいから」
伊谷は目を細めて呟いた。
「あなたは命を賭けてくれなくちゃ」
カフェの仕事を終わらせて、本当に誘われたのか悩みながらもシャワーを浴びて、一旦着替えた服を少し改まったシャツに着替えたのは、昼間の伊谷の格好を思い出したせいだ。
「…釣り合うものなんて持ってない……って、何期待してるのかな」
伊谷はノンケだ。男を抱く趣味も抱かれる趣味も持っていないと感覚が告げる。
なのに、昼間の伊谷は明らかに陸斗に興味を持っていて、ひょっとしたらと浮ついてしまうのは随分『そういうこと』から遠ざかっていたせいで。
鏡の中から見返す自分に、不意にカークが重なった。冷ややかで取りつく島のない端正な容貌のイメージがあるから、今の陸斗のように、微かに頬を赤らめてシャツのボタンを止めていたりはしないだろう。鏡に関わる場面は、オウライカを想ってレグルに犯される場面だ。表の顔とは全く違う、儚くて激しい、散っていく薔薇のような姿、実際にそういう場面を演じるわけではないが、言動の片鱗に爛れ崩れるような淫猥さが欲しい。
「オウライカ……オウライカ…」
鏡に額を押し当て台詞を吐いてみたが、オウライカは雷牙だ。気持ちが一気に萎えて乗れない。
思いついて、台詞を変えてみる。
「舜……舜……」
ずきん、と腰が痛くなった。熱くて鋭くて容赦のない刃に刻まれる感覚を想像する。
「…は…」
ぐずりと体が鏡に近づく。吐いた息が曇らせた鏡面から瞳が見返す。
『堕ちてますよ……十分堕ちている』
『もう……どこまで正気でいられるか、わからない』
カークが珍しくブルームに弱音を吐き出す場面だ。
「本当に、どこまで行けばいいんだろう」
答えなんてわかりきっているのに。
「……わかってるじゃないか」
どこまでいっても、1人なんだ。
だから、陸斗はライヤーに出会うまでのカークを演じることは容易い。どこまでも1人で耐えるつもり、殺されるつもりの気持ちなら、嫌と言うほど理解しているしわかっている、再現なんて簡単にできる。舜を想いながら伊谷に魅かれるふりをすれば、大義のために、オウライカに焦がれながら他の男に身を任せるカークも演じやすい、そう言う狡い思惑だってあった、だが。
「……違う……違うんだ、このカークの肝は」
長年『竜夢』に居て、寺戸の下でやってきたからわかる、全てを諦めきったカークが見事に再生を果たす展開が、この物語の駆動力の一つとなるはずだ。
なのに、陸斗を満たしてくれる唯一の相手である舜が、目の前で他の男に愛し愛されていく状況を見ながら、全く見知らぬ男に満たされ愛され蘇ることが、果たして陸斗にできるのか。
「……無理…だよねえ……」
苦く悲しく笑う。
ひょっとしたら、陸斗がまた全てをぶち壊していくかもしれない、『青い雨』の時のように。
あの時は舜が居た、けれど今度は誰も居ない。
陸斗1人しかいない。
「ごめん……舜」
唇を噛んだ、その矢先、耳のそばで声が囁く。
『でもこの魔法は難しいから………あなたは命を賭けてくれなくちゃ』
「っ」
顔を上げた瞬間、携帯が振動して、伊谷の名前を浮かび上がらせた。
けれど1週間後、店にやってきた伊谷には驚いて立ち竦んでしまった。
「何がお勧めですか?」
「あ、えーと、今日ならバナナマフィン、かな、それともアーモンドベーグル…チーズとハムとレタスを挟んで」
「ああ、じゃあベーグルで」
にっこり笑った伊谷は開いていたメニューを閉じて、コーヒーは本日のお勧めで、と卒なく付け加える。少し開いたシャツの胸元に銀鎖、そう言えば、いつかもかけていた気がする銀色の十字架。
「何モノ、彼」
「知り合いです」
「劇団の?」
「はい」
「妙に人目惹くねえ、それほど美形じゃないのに」
マスターが感心したように伊谷を眺める。
「店の女の子の視線、半分は攫ってるけど」
「そうですね」
注文の品ができる間、陸斗は視界の端で伊谷を見遣る。
確かに目立つ。さりげない着こなしが一流品揃いで、ちらりと見えた時計が数十万は下らないとか、多分靴はオーダーじゃないかとか、そこかしこにちらつく『優良物件』の気配だけでなく、視線に気づいて振り向いた伊谷が、嫌味じゃなく親しそうに微笑む仕草もごく自然で、まるでこのカフェが伊谷のための舞台になってしまった気がする。
ましてや。
「はい、よろしく」
「はい」
陸斗が注文の品を持って伊谷に近づくと、周囲の視線がより粘っこいものになった。中には露骨にごくりと喉を鳴らした者まで居る。
「お待たせしました」
いつもならもう少し腰を屈めないとスムーズに置けない高さのテーブル、それでも今日は視線が痛くてそれ以上腰は突き出せないなと思った陸斗に、伊谷が微かに低く笑った気がした。
「?」
「…」
とんとん、とテーブルを指先が叩く。注文ミスでもしたかと思った陸斗の視界に、文字が飛び込む。
『19時半、迎えに行きます』
「え……あっ」
思わず漏らした声に伊谷が軽く片目を閉じて、唇の前で指を立てる。
「なぜ…」
それでも尋ねずにはいられなかったのは、確かに今日はカフェの閉店がいつもより早くて18時半、家に戻ってシャワーを浴びて着替えるならば、それぐらいの時間、と頭がすぐに弾き出したせいで。
「魔法を見せたくて」
「……魔法…」
囁く伊谷を呆然と見ると、相手は柔らかく微笑みながら、
「この前約束したでしょう?」
「あれは」
「でもこの魔法は難しいから」
伊谷は目を細めて呟いた。
「あなたは命を賭けてくれなくちゃ」
カフェの仕事を終わらせて、本当に誘われたのか悩みながらもシャワーを浴びて、一旦着替えた服を少し改まったシャツに着替えたのは、昼間の伊谷の格好を思い出したせいだ。
「…釣り合うものなんて持ってない……って、何期待してるのかな」
伊谷はノンケだ。男を抱く趣味も抱かれる趣味も持っていないと感覚が告げる。
なのに、昼間の伊谷は明らかに陸斗に興味を持っていて、ひょっとしたらと浮ついてしまうのは随分『そういうこと』から遠ざかっていたせいで。
鏡の中から見返す自分に、不意にカークが重なった。冷ややかで取りつく島のない端正な容貌のイメージがあるから、今の陸斗のように、微かに頬を赤らめてシャツのボタンを止めていたりはしないだろう。鏡に関わる場面は、オウライカを想ってレグルに犯される場面だ。表の顔とは全く違う、儚くて激しい、散っていく薔薇のような姿、実際にそういう場面を演じるわけではないが、言動の片鱗に爛れ崩れるような淫猥さが欲しい。
「オウライカ……オウライカ…」
鏡に額を押し当て台詞を吐いてみたが、オウライカは雷牙だ。気持ちが一気に萎えて乗れない。
思いついて、台詞を変えてみる。
「舜……舜……」
ずきん、と腰が痛くなった。熱くて鋭くて容赦のない刃に刻まれる感覚を想像する。
「…は…」
ぐずりと体が鏡に近づく。吐いた息が曇らせた鏡面から瞳が見返す。
『堕ちてますよ……十分堕ちている』
『もう……どこまで正気でいられるか、わからない』
カークが珍しくブルームに弱音を吐き出す場面だ。
「本当に、どこまで行けばいいんだろう」
答えなんてわかりきっているのに。
「……わかってるじゃないか」
どこまでいっても、1人なんだ。
だから、陸斗はライヤーに出会うまでのカークを演じることは容易い。どこまでも1人で耐えるつもり、殺されるつもりの気持ちなら、嫌と言うほど理解しているしわかっている、再現なんて簡単にできる。舜を想いながら伊谷に魅かれるふりをすれば、大義のために、オウライカに焦がれながら他の男に身を任せるカークも演じやすい、そう言う狡い思惑だってあった、だが。
「……違う……違うんだ、このカークの肝は」
長年『竜夢』に居て、寺戸の下でやってきたからわかる、全てを諦めきったカークが見事に再生を果たす展開が、この物語の駆動力の一つとなるはずだ。
なのに、陸斗を満たしてくれる唯一の相手である舜が、目の前で他の男に愛し愛されていく状況を見ながら、全く見知らぬ男に満たされ愛され蘇ることが、果たして陸斗にできるのか。
「……無理…だよねえ……」
苦く悲しく笑う。
ひょっとしたら、陸斗がまた全てをぶち壊していくかもしれない、『青い雨』の時のように。
あの時は舜が居た、けれど今度は誰も居ない。
陸斗1人しかいない。
「ごめん……舜」
唇を噛んだ、その矢先、耳のそばで声が囁く。
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