『ドラゴン・イン・ナ・シティ』

segakiyui

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第1章 『竜は街に居る』

7.どおおん「これ、本当のことなの?」(1)

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 オウライカの本質は『手』なんだろうと思う。
「……」
 部屋で脚本と資料を一文字一文字読み込みながら、禄は思う。
『……人は死なない方がいい』
『犠牲は少ない方がいい』
『私は自分が何をしているか、よくわかっている』
『真実はきっと叶う』
 まだうんと先の台詞を読み上げ、じっと天井を見上げる。薄暗く汚れた木目、一昔前と評されても仕方のない古びた電灯。まだ夕方じゃないから、点けてはいないが、点けても部屋の明るさはあまり変わらないだろう。
 禄は漢字が上手く読めないと寺戸が気づいた。
 ひょっとしたら伊谷あたりから知らされたのかもしれないし、舜が伝えてくれたのかも知れない。馘になるかと思ったが、寺戸は「問題ない」と一言で済ませ、代わりにうんと先までの脚本と資料をルビ付きで準備し、渡してくれた。
 全部を演じる予定はないし、何度も変更になるかも知れない、それでも原型はこういうものだと見ておけばいい。
 低い声で命じた。
 ちらりと部屋の隅を見る。段ボール箱幾つもに詰め込まれた芝居の下地。物理的に部屋が狭くなったはずだが、奇妙なものだ、箱の奥それぞれに別の空間が開いた気がして、狭くなったと感じない。むしろ、何処へでも行ける駅に繋がった入り口みたいで、この部屋が中央ターミナルのようで落ち着かない。
 もう一度、読む。
『……人は死なない方がいい』
『犠牲は少ない方がいい』
『私は自分が何をしているか、よくわかっている』
『真実はきっと叶う』
 仲間のトラスフィに、人身御供のように殺される運命に抗えと煽られて、オウライカが返したことばだ。
 単純な台詞、難しい含みは一切なく、オウライカは真実そう思っており、トラスフィを説得するために話しているのでも、理想を語っているのでもない。
 けれど、このことば全てに自分が切り刻まれるという前提を含めて言い切るには度量が要る。
『……人は死なない方がいい』
 オウライカはいつでもすぐに殺されるが。
『犠牲は少ない方がいい』
 犠牲の中にオウライカは必ず含まれるが。
『私は自分が何をしているか、よくわかっている』
 破滅へ向かって行く世界に虚しいあがきを続けているだけだという声さえ聞き逃すことなく。
『真実はきっと叶う』
 夢でも幻想でもなく、あるべき未来への期待を一瞬たりと揺らがせない。
「……ああ…無理だ…」
 溜め息をついて、ひっくり返る。
 こんな台詞を、気負いなく吐ける人格なんて、どこにいる。
 目を閉じる。
 『飢峡』と言う妖しげな花に体を弄ばれるカザルを救いに飛び込んできて、カザルが彼らの範囲を犯した代償にためらいなく左腕を切り裂いて血を撒く姿。周囲はオウライカが放った炎で燃え上がり揺らめいている。青い楚々とした花と紅蓮の炎と惜しみなく散らされた真っ赤な血。
 このオウライカはカザルを見ていない。
 対する『飢峡』だけに話しかけ、『飢峡』だけに応じている。
 わざわざ乗り込んでくるほどの心配をカザルに向けず、目の前の敵だけを支配しようと立っている。その腕が、掴むべき未来にまっすぐ伸ばされ、怯む気配さえ見えない。
「……どうしてそんなことができるんだろう……」
 勝利を予想せず、敗北の可能性を抱えながら、それでもこの先に進むという強い意志。
 けれども、その『死』に向かう意志を、カザルの存在が初めて折る。
「…カザルは……可愛いなあ……」
 文字が読めなくて、まともに教育さえ受けていなくて、人を殺す技と自分の身体で垂らし込む術だけで生きてきた男が、オウライカにふさわしくない自分にがっかりして、せめてオウライカの紋章、彼が守ろうと決めた相手にだけ送る蝶の紋章を、書架から探し出して慣れない手で必死に写し取って、それだけを握って離れて行く。
「そりゃ……追いかけも…するよねえ………」
 舜にそんなことをされたら、禄は大人しくしていられないだろう。
 けれど、そうすることで、自分の守ってきた世界が全て壊れるとしたら。
 禄はのろのろと机の上の弁当を眺める。
 『あいおい』の大将が持たせてくれたもの、卵焼きと煮物とお浸しと焼き魚、漬物。
 これだけでも、失うと思うと禄はひんやりとする。
『犠牲は少ない方がいい』
 こんな台詞を口にする男が、カザルを抱えて生きようと決心するのはよほど強い思いだ。
 つまり、カザルへの想いの強さは、オウライカが譲れないと宣言した強さの裏返しになる。
 そうでなければ、都市を救うために死を覚悟した男が、その体を削ってカザルを助けに赴くはずがない。自分を削るということは、それだけ足りなくなるからだ、願いの達成に。
 再び瞼の裏に激しく爆発する炎と、燃やされながら散る青い花びらと、まっすぐに伸ばされた左腕から滴る鮮血が広がる。
 ゆら、と禄は立ち上がった。
 机の上の弁当を掴み、無言のまま、流し近くのゴミ箱に放り込む。
 お腹が減った。大将が作ってくれたのに。大事な食べ物を手付かずで。バチが当たる。飢えて死ぬかも。女将さんが泣くよな。
「オウライカを…掴むんだ」
 寒さに震えながら、部屋を出る。
 ご飯を食べられないのは恐怖だ。箪笥に閉じ込められ、数日飢えて過ごした日々を思い出す。手にした温もりが自分の排泄物だった。握ったまま食べられるかとぼんやり考えたあたりで救い出された。
 あんなに美味しそうだったお弁当を捨てた。
 たったこれだけのことで、禄は、内側に大切に守ってきたものが壊れて行く気がする。
 ならオウライカは? 
 繰り返し自分の矜持を踏み潰される目に遭った男は?
 何を拠り所に生きた? なぜあそこまで揺らがずに手を差し伸べた?
 どおおん!
「ひっ」
 横断歩道を渡りかけた途端、目の前のコンビニに突っ込んだ車に目を剥いた。
 なんだなんだどうしたおい警察いや救急車だろ怪我人はいるのかおい無事か!
「……舜……?」
 人が走り寄る様々な色が乱れる怒号が響き渡る中、よろめくように開いたコンビニのドアから出てきた人影に、体が勝手に走り出した。
「舜!」
 髪の毛を掻き上げ、ぎごちない動きで突っ込んだ車を見ている。驚きに見開いた瞳、青ざめた頬の小さな掠り傷までよく見える。
 怪我をしている? 舜が?
 胸に鋭い針を突き立てられた気がした。
「舜っっ!」
 視界が揺れる。胸の中で声がする。
 これ、本当のことなの? それとも脚本を読み込み過ぎて、『飢峡』の場面が重なって現実に溢れ出したの? 
 ああでもそうだ、どれほど世界を救う気概を抱え、自分の体が自分一人のものじゃないと言い聞かせたって、こんな風に体は軽々と、意志を裏切って動いてしまうものなんだ……だから。
「『こっちにも、限界がある』」
 オウライカの台詞を吐き出した。
「……え…?」
 駆け寄り両腕を掴む、振り返る顔が今まで見たことないほど綺麗に見える。
「無事、だったのか……!」
 失うわけにはいかない、この相手を。
「え…あの……あれ……? 禄……大丈夫?」
 声をあげて泣いたのは、禄の方だった。
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