『ドラゴン・イン・ナ・シティ』

segakiyui

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第1章 『竜は街に居る』

8.ドクターを呼んで下さい 「昔考えたことがあった。でも、それはありえないって思ってた」(1)

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「駄目だ」
「っ」
 もう何度目かの止めを寺戸に食らって、禄は思わず振り返る。
 立ち稽古を始めていた。台詞はちゃんと頭に入っている。間違ってはいない。今回は寺戸がブライアンとして背後に立っていたのも意識していたし、敵地『塔京』の夜、それもいつ襲われてもおかしくない時に単身乗り込んでいる『斎京』のトップとしての緊迫感も保っていたはずだ。前方で右腕に傷を負いながらも、夜の闇に生き生きと戦い続けるカザルを眺め遣る、その距離感も出せたと思う。
 指摘されたことは確実に一つ一つクリアしている。
 なのに、止められることはなくならず、次の駄目出しが際限なく入る。
 さっきまで周囲に居た他の面々は、一旦昼休憩に散っていた。離れなかったのは輝夜一人、それもほっそりした体を両腕で抱きながらひんやりした視線を投げてくるのが、本当にカークそのものの気配で、自分のオウライカが偽者だと否応無く感じる。
「台詞」
『…ああいうのが側にいると退屈しないだろうな』
『冗談じゃありません』
 寺戸が大袈裟に肩を竦めて首を振る。
 これはブライアンじゃない。禄にもわかる。
『ああいうのが側にいると退屈しない、だろうな』
『冗談じゃありません』
 これはひどくむっつりとそっけなく応じられた。禄を見もせず言い捨てる。面倒臭い上司だ、そう言う気配がありありでうんざりしていて、これもまたブライアンとは違う。
『ああいうのが、側にいると退屈しないだろうな…』
『冗談じゃありません』
 これはきっと禄を振り返り、激しく言い放たれた。心配過剰な、補佐についたばかりの新米警護官、無謀なことばかりする対象に苛立っているように見える。
 そしてこれも、ブライアン・テッドの在り方ではない。
「…」
 禄は黙り込んだ。
 さっきから止まると繰り返されるこの遣り取り、もう何十種類のブライアンを見たことか。そうして、そのどれも寺戸が演じるブライアンではないとわかったし、オウライカに寄り添うブライアンでないともわかる。
 これだけの演技の幅、それは禄と絡むことから産まれてくる。だが、どのブライアンもまだ、この芝居が表現しようとしているものとは違うと否定され続けている。寺戸の引き出しは無限にあるように見える、だが禄には引き出しの影さえ見つからない。
「カザル」
「はいっ」
 舜が気配を一瞬に変えて、
『うぜえんだよっ!』
 叫んで身を翻した。勿論、周囲には誰もいない。ここは一人芝居、一人で立ち回りをする場面だ。
 誰もいないのに、絡まれた相手から腕を取り返し、傷を受けて身を引き、蹲りながら相手を睨み上げ、飛びかかる。やっちまえ、そうだ、やっちまえ、カザルなんか、と叫ぶ声さえ聞こえる気がする。居ない相手に跳び蹴りを食らわせるから単に跳ねただけに見えそうなのに、空中でくん、と体が止まる。何かにぶつかったとわかる。それを踏み台に別の相手に飛ぶ。空気を蹴って反転できるわけがない、だからこれは、始めから体を翻して次の場所へ飛ぶという一連の動きでジャンプしているのだけど、そう見えない。こちらに見える何かに当たって跳ねた、としか見えない。
 凄い。
『オウライカさま』
 呼びかけられて我に返った。
『…今行く』
 不意に、一呼吸遅れた、と禄は気づいた。さっきまでは気づかなかった、ほんの僅かのタイムラグ。瞬間に、違う、『オウライカ』は遅れない、と考えた。なぜか。今、禄はカザルに『見惚れていた』。空間を見事に切り取る手足に、有り得ない動きを再現する体に、そして夜に輝く鮮やかな瞳を重ねて。
 けれど、『オウライカ』はもっと冷ややかにこの時のカザルを検分している。背後のブライアンさえ気づかない深さで、冗談と気まぐれを装いながら、『塔京』の刺客のレベルを見定めている。そうしてカザルが『使える』のか『使えない』のかを確かめている。
『痛くはないのかな』
 目を細めた。
『え?』
 寺戸が禄の視線を追って顔を動かし、失敗したとまたわかった。動き回るカザルのどこに目をやればいいのか、とあやふやな顔が伝えてくる。目を細めて見遣る、距離ではない。注目しているはずだ、カザル一人に、こちらの正体がバレることさえ天秤に掛けて。
 ああそうか。
 すとんと落ちた。
 オウライカはここで既にカザルを引き入れる算段をしている。オウライカを標的と狙い、その視線を引くために暴れている男が、オウライカが立ち止まったこと、自分を見たこと、連れと何か遣り取りしたことに気づいていないはずがない。だから、そのカザルに伝えている、気づいたぞ、興味を持った、さあそれで?
『ただの喧嘩です』
 振り向く寺戸に悪くはなかったとわかった。さっきのあやふやさは意味を変えて『ちゃんと』効いている。オウライカが何に注目したのかわからない、そういうあやふやさにすり替えられた、と。
『怪我をしてるんだが……楽しそうに見えないか』
『……見えますが…………それが何か」
 寺戸の目が底光りした。ああきっと、ブライアンもそんな警戒を満たしてオウライカを見ただろう、側近ならばオウライカが『仕掛けた』ことに気づいたはずだ。
『いや』
 零れた笑いは気持ち良かった。
『ああいうのが側にいると…退屈しないだろうな』
 ぞくりと寒気が走る。
 退屈なんか感じたことはない。日々を生き延びるだけで必死な生活、危険を側に置きたいと禄が思うわけもないのは、保護してくれた民生委員ならわかるだろう。虐待案件です、そう呟いた悲しげな声を忘れるわけもない。なのに、今禄は確かにいつ自分に危害を加えるかわからない男を引き込むのを楽しんでいた。
 これは、誰だ。
 再び味わう、この感覚。
 舜に見惚れた禄は、カザルをどうあしらおうかと考えるオウライカと重ならない。別の感覚を持つ2つの存在が同時にこの体の中に宿ってしまうから、心は常にどちらであるのかと問い続ける。禄のまま『演じて』いてはオウライカにならないが、オウライカになり切ってしまうと禄自身が消え去るようで、この冷たい刃物のような感覚に押し潰されそうになる。虐待案件。別人になり切って、自分を放棄して生き延びる。そうしなければ保たない命。
 昔考えたことがあった、体は本当は痛くなくて、今とても楽しい場所に居て、明日はもっといいことがあって、気持ち良く安心して眠っている……でも、それはあり得ないと思っていた、どこまでいっても、この苦しく辛い日々が悪夢のように自分を追いかけてくるのだろうと。
『冗談じゃありません』
 ひやりとブライアンが釘を刺す。
『我々が何のためにあなたを警護しているのかわからなくなる、あんなチンピラを近付けるなんて』
 一瞬、幸福感に胸が詰まった。
 守られ尊ばれ大事にされているオウライカ。
 今、禄は虐待案件と呼ばれる小さな少年ではなく、『あいおい』で必死に働き小さな部屋で暮らす引っ込み思案の青年でもなく、刺客に狙われながらも身を呈して庇おうとする配下に守られた支配者になっている。
 構わないじゃないか。
 このまま禄を失ってしまい、オウライカの亡霊と成り果てても、一時の夢に全てを明け渡して酔い痴れて、何が悪い。
「台詞」
 止まった禄に寺戸が命じる。
 薄く微笑みながら、禄は口を開いた。
『連れて帰ろう』
「へ?」
「いや、それは」
 『カザル』が訝しそうに瞬きし、『ブライアン』が眉を寄せる。
『退屈しのぎになる』
 くすりと笑って目を閉じる。
「台詞が違う」
『彼は連れ帰って欲しそうだ』
 『ブライアン』の声に『オウライカ』はゆっくり返答した。
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