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第1章 『竜は街に居る』
8.ドクターを呼んで下さい 「昔考えたことがあった。でも、それはありえないって思ってた」(6)
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『…だれ…』
背中から聞こえてきた声がどこか悲痛な響きを宿して、ぞっとした。陸斗が今の貢の返答をどう解釈したのか不安になる。大丈夫だよ、芝居のことだよ、あなたの快楽の始末をしたなんて考えていない、その快楽を『買う』ためにスーツやホテルを用意したんじゃない、ただあなたと一緒に一番気持ち良く過ごしたかっただけなんだ、けれど。
ひやりと冷たい意識が滑り込んでくる。
あなたは本当に気持ち良かったのかな。
それなら夜中に泣いたりしなかったんじゃないのかな。
『…ああ……』
声は悲しげに聞こえた。さっきまでの幸福感を微塵も響かせない、裏切りと背徳に濡れた声。
恋人の居る女性と寝たことがある。彼への誠意に泣きながら、自分の中の魔性に酔いながら、彼女は貢に命じてきた、私を壊してと。面倒臭かった、ヒロインになりたいが為に男を巻き込む狡さが鼻についた。抱いた翌日に恋人に電話を掛けて知らせた、昨夜は僕と一緒でした。嘆くはずのヒロインは激怒し、弁護士を雇って訴えると脅し、けれど結局は貢の支払った『お詫びのプレゼント』で彼氏と仲良く旅行に出掛けた。薄汚い女を抱いたと思った。けれどそういう自分も薄汚い男だったのかもしれない。
『いや…っ』
『いいよ…』
両腕を解く。
『いって……』「すみません」
台詞を吐き出した瞬間に続けて謝り、溜息をついた。
「もう1回、いいですか」
寺戸はハンチングの下で貢を凝視している。
「違うな?」
「違います」
「ポイントは?」
「ライヤーは自分にがっかりしていません。いきなり『繋がった』相手の快楽の道具にされたことに不満はないし、拒否もない」
「なぜだ」
「影である以上自我を消すのは日常茶飯事だし、自分への評価はライヤーの目的には関係がない。ましてや『塔京』に入り込もうとしている時、ファローズ以外の手立てとなるなら掴むのが当然です。今の台詞は『お客』に対する丁寧さのかけらもなければ、注意力もない」
「次が無理なら一旦変われ」
寺戸が命じた理由はわかった。貢はライヤーの台詞を理解しているし、演じ方にも問題がない。
ただ、演じられない、だけだ。
戻れない。ライヤーに、戻れない。
こんなことは初めてだ。
背後の陸斗を置き換える。カークに置き換え、血肉を抜く。3Dキャラクターのように個性だけを纏わせて、それに背中を合わせてみる。なるほど怒りも不安もなくなる、もちろん、今ここでライヤーが持っているはずがないカークへの愛情も。
『だ…れ……?』
声は柔らかく優しい。快楽に揺れながら相手を確かめようとしている幼さが透ける。カークにしては珍しい、そこまで崩れてきていると響く。
貢は両腕を組まなかった。組む必要を感じなかった。だらりと垂らして、静かに待つ。
意識は探索、もしくは検索だ。キャラクターは把握した。状況も想像がつく。残った問題は誰なのか、なぜなのか。両方を明らかにする為に、ライヤーは感覚を研ぎ澄ませたはずだ。同時にいきなり意識に滑り込めたこの声に、警戒を満たした。攻撃される可能性を考えた。だから、ここでライヤーは臨戦態勢になったはずだ、この幼い声に対して。返答しなかったのは、こちらのスペックと所在を明らかにしないため、と気づく。
そうか、このライヤーは『兵器』だった。
『……ぁあ………っ』
「…っ」
身体中の毛が逆立った。これは凄い。『兵器』に対して素裸で無防備に抱きつかれたような気がする。いやむしろ、『兵器』だったからこそ、この衝撃を感じるのか。『人』であったら知っている、甘い快楽の温もりを重ねたこともなく、望まない悦楽に時間を食い潰される後悔をしたこともないから、これを『何か』に分類することができなくて、処理に戸惑った。
そうか、だから、改めて『要注意』なのか。
この声はライヤーの反応を遅くする。それは『兵器』にとって致命的なものだ。
『…い…や……っ』
なお台詞の甘さのレベルが上がった。同時にその声に怯えが聞こえた。
戸惑っている、自分の夢にライヤーが存在することを感じて。貪る快楽を別の人間がコントロールできると知って。
カークがライヤーを認識した途端、ライヤーには影響力が与えられた。相手の感覚に干渉し、状況を変える力が。そうしてそれを、ライヤーも理解した。『繋がった』と感じたのは、カークの存在を感知したことだけじゃない、カークの感覚に影響を及ぼせるとわかったからだ。それは『斎京』のライヤー、人の心の紋章を操ることができる男にとって『力の回復』に他ならない。
なるほど、だから。
『いいよ、いって』
これは許可だ。絶対的な力を持つ王が、その支配を振るう声。
「…ふっ」
背後の陸斗の気配がすとんと落ちた。
できた、そう思った瞬間、視界が眩む。
昔考えたことはあった。でも、それはありえないと思っていた。
役者で生きて、役者で死ぬ。
けれどこの、全身貫く興奮と衝撃を、他の何で味わえるのか。
「あ…は…」
すげえ。
本当にもう、戻れないかもしれない、役者から。
「伊谷っ?!」
悲鳴じみた陸斗の叫びとともに崩れる。突然近づいてきた床に抵抗することもなく貢は目を閉じた。
背中から聞こえてきた声がどこか悲痛な響きを宿して、ぞっとした。陸斗が今の貢の返答をどう解釈したのか不安になる。大丈夫だよ、芝居のことだよ、あなたの快楽の始末をしたなんて考えていない、その快楽を『買う』ためにスーツやホテルを用意したんじゃない、ただあなたと一緒に一番気持ち良く過ごしたかっただけなんだ、けれど。
ひやりと冷たい意識が滑り込んでくる。
あなたは本当に気持ち良かったのかな。
それなら夜中に泣いたりしなかったんじゃないのかな。
『…ああ……』
声は悲しげに聞こえた。さっきまでの幸福感を微塵も響かせない、裏切りと背徳に濡れた声。
恋人の居る女性と寝たことがある。彼への誠意に泣きながら、自分の中の魔性に酔いながら、彼女は貢に命じてきた、私を壊してと。面倒臭かった、ヒロインになりたいが為に男を巻き込む狡さが鼻についた。抱いた翌日に恋人に電話を掛けて知らせた、昨夜は僕と一緒でした。嘆くはずのヒロインは激怒し、弁護士を雇って訴えると脅し、けれど結局は貢の支払った『お詫びのプレゼント』で彼氏と仲良く旅行に出掛けた。薄汚い女を抱いたと思った。けれどそういう自分も薄汚い男だったのかもしれない。
『いや…っ』
『いいよ…』
両腕を解く。
『いって……』「すみません」
台詞を吐き出した瞬間に続けて謝り、溜息をついた。
「もう1回、いいですか」
寺戸はハンチングの下で貢を凝視している。
「違うな?」
「違います」
「ポイントは?」
「ライヤーは自分にがっかりしていません。いきなり『繋がった』相手の快楽の道具にされたことに不満はないし、拒否もない」
「なぜだ」
「影である以上自我を消すのは日常茶飯事だし、自分への評価はライヤーの目的には関係がない。ましてや『塔京』に入り込もうとしている時、ファローズ以外の手立てとなるなら掴むのが当然です。今の台詞は『お客』に対する丁寧さのかけらもなければ、注意力もない」
「次が無理なら一旦変われ」
寺戸が命じた理由はわかった。貢はライヤーの台詞を理解しているし、演じ方にも問題がない。
ただ、演じられない、だけだ。
戻れない。ライヤーに、戻れない。
こんなことは初めてだ。
背後の陸斗を置き換える。カークに置き換え、血肉を抜く。3Dキャラクターのように個性だけを纏わせて、それに背中を合わせてみる。なるほど怒りも不安もなくなる、もちろん、今ここでライヤーが持っているはずがないカークへの愛情も。
『だ…れ……?』
声は柔らかく優しい。快楽に揺れながら相手を確かめようとしている幼さが透ける。カークにしては珍しい、そこまで崩れてきていると響く。
貢は両腕を組まなかった。組む必要を感じなかった。だらりと垂らして、静かに待つ。
意識は探索、もしくは検索だ。キャラクターは把握した。状況も想像がつく。残った問題は誰なのか、なぜなのか。両方を明らかにする為に、ライヤーは感覚を研ぎ澄ませたはずだ。同時にいきなり意識に滑り込めたこの声に、警戒を満たした。攻撃される可能性を考えた。だから、ここでライヤーは臨戦態勢になったはずだ、この幼い声に対して。返答しなかったのは、こちらのスペックと所在を明らかにしないため、と気づく。
そうか、このライヤーは『兵器』だった。
『……ぁあ………っ』
「…っ」
身体中の毛が逆立った。これは凄い。『兵器』に対して素裸で無防備に抱きつかれたような気がする。いやむしろ、『兵器』だったからこそ、この衝撃を感じるのか。『人』であったら知っている、甘い快楽の温もりを重ねたこともなく、望まない悦楽に時間を食い潰される後悔をしたこともないから、これを『何か』に分類することができなくて、処理に戸惑った。
そうか、だから、改めて『要注意』なのか。
この声はライヤーの反応を遅くする。それは『兵器』にとって致命的なものだ。
『…い…や……っ』
なお台詞の甘さのレベルが上がった。同時にその声に怯えが聞こえた。
戸惑っている、自分の夢にライヤーが存在することを感じて。貪る快楽を別の人間がコントロールできると知って。
カークがライヤーを認識した途端、ライヤーには影響力が与えられた。相手の感覚に干渉し、状況を変える力が。そうしてそれを、ライヤーも理解した。『繋がった』と感じたのは、カークの存在を感知したことだけじゃない、カークの感覚に影響を及ぼせるとわかったからだ。それは『斎京』のライヤー、人の心の紋章を操ることができる男にとって『力の回復』に他ならない。
なるほど、だから。
『いいよ、いって』
これは許可だ。絶対的な力を持つ王が、その支配を振るう声。
「…ふっ」
背後の陸斗の気配がすとんと落ちた。
できた、そう思った瞬間、視界が眩む。
昔考えたことはあった。でも、それはありえないと思っていた。
役者で生きて、役者で死ぬ。
けれどこの、全身貫く興奮と衝撃を、他の何で味わえるのか。
「あ…は…」
すげえ。
本当にもう、戻れないかもしれない、役者から。
「伊谷っ?!」
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