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第1章 『竜は街に居る』
9.どこかへ行きたい 「優しい声が欲しい」(4)
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「ふふふ」
「あれ? あれがそうなの?」
「やあだ、気持ち悪い」
最後の聞こえよがしな囁きにマスターが険しい視線を上げる。
「陸斗」
「大丈夫です」
緩みかけた茶色のエプロンの紐を結び直し、水のコップを載せた盆を手に数人の女性が座っている席に近づく。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか」
「まあだでえす」
「ずうっと決まらないかも」
「では、後で参ります」
コップを置き、一礼してカウンターに戻る。背中からの視線は、いつものように恥ずかしげでくすぐったいものではなくて、刺々しい突き刺さるようなものだ。
「一体なんだよ、連日」
「…」
「覚えがあるかい?」
「いえ」
マスターの声に小さく首を振り、空いたテーブルを片付けにかかるが、粘りつくような視線は張り付いたままだ。
この数日、毎日やってくる客だがいつも全く同じ客と言うのではなく、数人の顔が組み合わせを変えてやってくる。同じグループだとは察しが付くが、なかなか決めないオーダー、繰り返し注文聞きをあしらいながらくすくす笑う気配、背中を向ければ聞こえよがしにゲイを揶揄うような内容を囁き合う。
お陰で店の雰囲気も落ち着かなくなり、いつも来てくれていた女の子達も最近足が遠ざかり、営業妨害一歩手前になっている始末、マスターもかなり苛々している。
しかも、この女性達、揃いも揃ってあからさまに高価なアクセサリーや香水、時計や指輪などで身を飾り、着ているものもブランド品だ。こんな下町に近い小さなカフェで休憩やランチを楽しむ階層とは思えない。
それでも、客は客だ。
「……お決まりになりましたか」
もう一度、穏やかに尋ねに行けば、ちろりと冷たい視線が戻って来て、
「ああ、コーヒー頂こうかしら」
「私はオレンジジュース」
「紅茶で」
それほど悩まなくてはならないようなオーダーではないし、メニューはテーブルに投げ出されたままだ。
「コーヒーがお1つ、オレンジジュースがお1つ、紅茶がお1つ。ご注文は以上でよろしいでしょうか」
「あ、待って、変えまーす」
1人がピンク色の唇を尖らせた。
「レモンスカッシュで」
「…では、紅茶を取り消して、レモンスカッシュ、お1つですね」
「私も変えます。ココアで」
「オレンジジュースを取り消して、ココアお1つで」
「私はコーヒーのまま……あ、紅茶で」
「…畏まりました。では、レモンスカッシュお1つ、ココアお1つ、紅茶お1つで」
「ミルクないんですか」
「ございます」
「じゃ、ミルクにします」
「ココア取り消しで、ミルクお1つで」
「…ムカつく」
ピンクパールに星を散らせた爪の女性が小さく呟く。陸斗がオーダーを変えた客を的確に認識して変更するのが面白くなさそうだ。
「あ、私ケーキセット頼もうかな、レモンジュレのチーズケーキで」
「申し訳ありません、レモンスカッシュはセットに入っておりませんので」
「何言ってるの、私は紅茶よ」
「では、紅茶とレモンジュレのチーズケーキセットお1つ、ミルクお1つ、紅茶お1つでよろしいでしょうか」
「私、紅茶にするって言ってないけど。紅茶でもいいなと思っただけ。だからコーヒーで」
大きな真珠のピアスの女性が冷ややかに言い放った。
「畏まりました」
陸斗は静かに続ける。
「紅茶とレモンジュレのチーズケーキセットお1つ、ミルクお1つ、コーヒーお1つ、以上ですね」
「はあい」
「単純なオーダーなのに時間かかるのねえ」
「頭が『他のこと』で一杯なのよ」
くすくす意地悪い声で笑う女性に、陸斗は開かれもしなかったメニューに手を掛ける、が動かない。良く見ると、1人の女性が肘を付いている。
「あのお客様」
「何?」
「メニューを頂いてもよろしいでしょうか」
「へえ、ここは客に次のオーダーをさせない店なのね、驚いた」
「…失礼致しました」
「新人でもしないミスよねえ」
「忙しいのよ、『他のこと』で」
無言で一礼して背中を向けるや否や、低い声で呟かれてどきりとする。
「許せないわ、こんなのが貢の相手だなんて」
貢。
確かにそう聞こえた。
振り返りたいのを我慢してカウンターに戻り、オーダーを告げると、マスターが訝しい顔で陸斗を見る。
「やっぱり知り合いか?」
「…」
「あんな絡み方、普通じゃないだろう」
「…申し訳ありません」
唇を噛み締めながら頭を下げる。
不機嫌そうにオーダーを準備するマスターの背中を見ながら、胸の中で凍える声に気づく。
じゃあ、何か、あれは伊谷の知り合いか。
どう見ても陸斗に対する嫌がらせ、それを伊谷が知っているとは思えないが、数日前のホテル住まいが全く無関係だとも思えない。
「あれ? あれがそうなの?」
「やあだ、気持ち悪い」
最後の聞こえよがしな囁きにマスターが険しい視線を上げる。
「陸斗」
「大丈夫です」
緩みかけた茶色のエプロンの紐を結び直し、水のコップを載せた盆を手に数人の女性が座っている席に近づく。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか」
「まあだでえす」
「ずうっと決まらないかも」
「では、後で参ります」
コップを置き、一礼してカウンターに戻る。背中からの視線は、いつものように恥ずかしげでくすぐったいものではなくて、刺々しい突き刺さるようなものだ。
「一体なんだよ、連日」
「…」
「覚えがあるかい?」
「いえ」
マスターの声に小さく首を振り、空いたテーブルを片付けにかかるが、粘りつくような視線は張り付いたままだ。
この数日、毎日やってくる客だがいつも全く同じ客と言うのではなく、数人の顔が組み合わせを変えてやってくる。同じグループだとは察しが付くが、なかなか決めないオーダー、繰り返し注文聞きをあしらいながらくすくす笑う気配、背中を向ければ聞こえよがしにゲイを揶揄うような内容を囁き合う。
お陰で店の雰囲気も落ち着かなくなり、いつも来てくれていた女の子達も最近足が遠ざかり、営業妨害一歩手前になっている始末、マスターもかなり苛々している。
しかも、この女性達、揃いも揃ってあからさまに高価なアクセサリーや香水、時計や指輪などで身を飾り、着ているものもブランド品だ。こんな下町に近い小さなカフェで休憩やランチを楽しむ階層とは思えない。
それでも、客は客だ。
「……お決まりになりましたか」
もう一度、穏やかに尋ねに行けば、ちろりと冷たい視線が戻って来て、
「ああ、コーヒー頂こうかしら」
「私はオレンジジュース」
「紅茶で」
それほど悩まなくてはならないようなオーダーではないし、メニューはテーブルに投げ出されたままだ。
「コーヒーがお1つ、オレンジジュースがお1つ、紅茶がお1つ。ご注文は以上でよろしいでしょうか」
「あ、待って、変えまーす」
1人がピンク色の唇を尖らせた。
「レモンスカッシュで」
「…では、紅茶を取り消して、レモンスカッシュ、お1つですね」
「私も変えます。ココアで」
「オレンジジュースを取り消して、ココアお1つで」
「私はコーヒーのまま……あ、紅茶で」
「…畏まりました。では、レモンスカッシュお1つ、ココアお1つ、紅茶お1つで」
「ミルクないんですか」
「ございます」
「じゃ、ミルクにします」
「ココア取り消しで、ミルクお1つで」
「…ムカつく」
ピンクパールに星を散らせた爪の女性が小さく呟く。陸斗がオーダーを変えた客を的確に認識して変更するのが面白くなさそうだ。
「あ、私ケーキセット頼もうかな、レモンジュレのチーズケーキで」
「申し訳ありません、レモンスカッシュはセットに入っておりませんので」
「何言ってるの、私は紅茶よ」
「では、紅茶とレモンジュレのチーズケーキセットお1つ、ミルクお1つ、紅茶お1つでよろしいでしょうか」
「私、紅茶にするって言ってないけど。紅茶でもいいなと思っただけ。だからコーヒーで」
大きな真珠のピアスの女性が冷ややかに言い放った。
「畏まりました」
陸斗は静かに続ける。
「紅茶とレモンジュレのチーズケーキセットお1つ、ミルクお1つ、コーヒーお1つ、以上ですね」
「はあい」
「単純なオーダーなのに時間かかるのねえ」
「頭が『他のこと』で一杯なのよ」
くすくす意地悪い声で笑う女性に、陸斗は開かれもしなかったメニューに手を掛ける、が動かない。良く見ると、1人の女性が肘を付いている。
「あのお客様」
「何?」
「メニューを頂いてもよろしいでしょうか」
「へえ、ここは客に次のオーダーをさせない店なのね、驚いた」
「…失礼致しました」
「新人でもしないミスよねえ」
「忙しいのよ、『他のこと』で」
無言で一礼して背中を向けるや否や、低い声で呟かれてどきりとする。
「許せないわ、こんなのが貢の相手だなんて」
貢。
確かにそう聞こえた。
振り返りたいのを我慢してカウンターに戻り、オーダーを告げると、マスターが訝しい顔で陸斗を見る。
「やっぱり知り合いか?」
「…」
「あんな絡み方、普通じゃないだろう」
「…申し訳ありません」
唇を噛み締めながら頭を下げる。
不機嫌そうにオーダーを準備するマスターの背中を見ながら、胸の中で凍える声に気づく。
じゃあ、何か、あれは伊谷の知り合いか。
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