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第1章 『竜は街に居る』
9.どこかへ行きたい 「優しい声が欲しい」(6)
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一番冷たい声を一番聞きたくない口調で。
いや彼女達にとっては一番言われたくないニュアンスで、と言うべきか。
今後あなたは一切僕に関わらない、関わらせない、未来永劫、存在さえ認識しない。
できたかどうか、それこそ役者生命を賭けるぐらいに完璧に?
「伊谷、あの」
「ごめんなさい、とにかく、この近くにあなたの家があるよね、そこへ送らせて」
顔が上げられない、陸斗の視線が怖い。
どこかへ行きたい、もう2度とこの人があんなひどい傷付け方をされないところまで。けれど、その原因は貢で。貢がいるから、こんなことが起こったのかも知れないなら、貢はいないほうがいいのかも知れないし、それならこのまま死んでもいい。
「伊谷」
「本当にごめんなさい」
続くことばが何であれ、怖くて苦しくて体が震える。さっさと遮り、謝罪を繰り返し、濡れたシャツの陸斗を包み込みながら、通りを抜ける。
「伊谷」
「あんなことをするなんて思わなかった」
「伊谷もう」
「2度と。本当に2度と店には行かせない、マスターにも謝るし、損害賠償ならするから」
「いいよ」
「良くない、あなたを」
「伊谷っっ!」
「っ!」
激しく叫ばれて足を踏ん張られ、マンションの入り口で立ち止まった。オートロックではなくて、薄いガラス扉が左右に開くだけのエントランス、そのままエレベーターに乗って2階で降り右に曲がって2つ目の部屋、そこまでわかっているのに、そこへは行けないのだと唐突に理解する。
ぐいと腕を押されて、顔を背けた陸斗が呟く。
「もういいから」
「…ごめんなさい」
そっと包み込んだ陸斗を放した。数歩離れる相手を静かに眺める。
奇妙な既視感だった。ずっと昔、こんな風に離れていく女性を見送った。貢の母だと名乗ったが、今の父親と婚姻関係にはなかった。自由になりたいの、と微笑む顔は覚えていない。ただ晴れやかな笑顔だった、立ち竦む貢が視界に入ってもいないようで、「その子は邪魔なの、あなたも要らないなら捨ててもいいわ」とあっさり言い放って背中を向けた。
誰にも要らない。
ならここにいなくていい。
ここに居ても居なくても、貢であってもそうでなくても、彼女達には関係ない。
こうしていつも消えちゃうんだよね。
この掌から何もかも。
でも役者やってるから、その中では好きなだけ居られるから。
だから絶対やり込んじゃダメだ、好きになっちゃダメだ、手にした途端消え失せるのがお約束だから、ああだから。
「…あなたも消えちゃうのか」
でも大丈夫、役者だから、『人心売買』では金も人員も必要とされている、だから好きなだけ居てもいい、金は劇団にとって無尽蔵に必要なもの、だから。
「…どうした、貢?」
覗き込まれてぎょっとする。
「陸斗……さん」
「はあ?」
訝しそうに濡れたシャツのまま、陸斗が腰に手を当てて首を傾げる。
「どうしたの? 男だから濡れシャツでも1人で帰れる。けど……今は君の方が倒れそうだ」
それにシャツもスーツもびしょびしょで、そのままじゃ帰れないのは君だろう。
穏やかに話しかけられて、思わずふらついた。
「貢!」
まだ本調子じゃないんじゃないか、と顔を顰められたのは、この前の稽古の後で熱を出したせいだ。ライヤーができたと思った途端に崩れて、気がついたらパイプ椅子を並べて寝かされていた。知恵熱かとからかわれて、結局は風邪で、3日寝込んでようやくの今日、ああ、あの時間に戻りたい。
「そう、かも知れない、けど」
そっと笑って見せる。
「でも、あなたには、関係ない?」
優しい声が欲しい。
陸斗は少し迷って、やがて溜息をついた。
「上がっていくか? どうせ今日は仕事には戻れない」
いや彼女達にとっては一番言われたくないニュアンスで、と言うべきか。
今後あなたは一切僕に関わらない、関わらせない、未来永劫、存在さえ認識しない。
できたかどうか、それこそ役者生命を賭けるぐらいに完璧に?
「伊谷、あの」
「ごめんなさい、とにかく、この近くにあなたの家があるよね、そこへ送らせて」
顔が上げられない、陸斗の視線が怖い。
どこかへ行きたい、もう2度とこの人があんなひどい傷付け方をされないところまで。けれど、その原因は貢で。貢がいるから、こんなことが起こったのかも知れないなら、貢はいないほうがいいのかも知れないし、それならこのまま死んでもいい。
「伊谷」
「本当にごめんなさい」
続くことばが何であれ、怖くて苦しくて体が震える。さっさと遮り、謝罪を繰り返し、濡れたシャツの陸斗を包み込みながら、通りを抜ける。
「伊谷」
「あんなことをするなんて思わなかった」
「伊谷もう」
「2度と。本当に2度と店には行かせない、マスターにも謝るし、損害賠償ならするから」
「いいよ」
「良くない、あなたを」
「伊谷っっ!」
「っ!」
激しく叫ばれて足を踏ん張られ、マンションの入り口で立ち止まった。オートロックではなくて、薄いガラス扉が左右に開くだけのエントランス、そのままエレベーターに乗って2階で降り右に曲がって2つ目の部屋、そこまでわかっているのに、そこへは行けないのだと唐突に理解する。
ぐいと腕を押されて、顔を背けた陸斗が呟く。
「もういいから」
「…ごめんなさい」
そっと包み込んだ陸斗を放した。数歩離れる相手を静かに眺める。
奇妙な既視感だった。ずっと昔、こんな風に離れていく女性を見送った。貢の母だと名乗ったが、今の父親と婚姻関係にはなかった。自由になりたいの、と微笑む顔は覚えていない。ただ晴れやかな笑顔だった、立ち竦む貢が視界に入ってもいないようで、「その子は邪魔なの、あなたも要らないなら捨ててもいいわ」とあっさり言い放って背中を向けた。
誰にも要らない。
ならここにいなくていい。
ここに居ても居なくても、貢であってもそうでなくても、彼女達には関係ない。
こうしていつも消えちゃうんだよね。
この掌から何もかも。
でも役者やってるから、その中では好きなだけ居られるから。
だから絶対やり込んじゃダメだ、好きになっちゃダメだ、手にした途端消え失せるのがお約束だから、ああだから。
「…あなたも消えちゃうのか」
でも大丈夫、役者だから、『人心売買』では金も人員も必要とされている、だから好きなだけ居てもいい、金は劇団にとって無尽蔵に必要なもの、だから。
「…どうした、貢?」
覗き込まれてぎょっとする。
「陸斗……さん」
「はあ?」
訝しそうに濡れたシャツのまま、陸斗が腰に手を当てて首を傾げる。
「どうしたの? 男だから濡れシャツでも1人で帰れる。けど……今は君の方が倒れそうだ」
それにシャツもスーツもびしょびしょで、そのままじゃ帰れないのは君だろう。
穏やかに話しかけられて、思わずふらついた。
「貢!」
まだ本調子じゃないんじゃないか、と顔を顰められたのは、この前の稽古の後で熱を出したせいだ。ライヤーができたと思った途端に崩れて、気がついたらパイプ椅子を並べて寝かされていた。知恵熱かとからかわれて、結局は風邪で、3日寝込んでようやくの今日、ああ、あの時間に戻りたい。
「そう、かも知れない、けど」
そっと笑って見せる。
「でも、あなたには、関係ない?」
優しい声が欲しい。
陸斗は少し迷って、やがて溜息をついた。
「上がっていくか? どうせ今日は仕事には戻れない」
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