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第1章 『竜は街に居る』
9.どこかへ行きたい 「優しい声が欲しい」(7)
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「どうぞ」
「…お邪魔します…」
狭い玄関を抜けて、短い廊下の奥はリビングで、その向こうにはもう突き当たりの窓。リビング右隅にベッド、左側にテレビ。
「シャワー浴びる?」
「…うん」
「はい」
タオルを渡されて示されたのは玄関横の扉、入ると、ウォークインクローゼットではなくて洗面所が1つ、左右に扉がある。右がトイレ、左が風呂場。洗面所の前で服を脱いで、狭い浴槽を眺めつつシャワーを浴びた。
シャンプーとボディソープの匂いがいつかの陸斗と同じで、体は勝手に期待したけれど、もう2度とないかもと考えると元気をなくす。正直なものだ。
シャワーを終えると、バスタオルとトレーナーとトレパンが準備されていて、新しい下着の封を破り、身につけてリビングに戻った。
「少し早いけど」
部屋の左側から声がして、覗き込むと小さなキッチンに陸斗が向かっている。右隣に置かれた赤い炊飯器が可愛い。
「夕飯作るから、食べて行ったら? ……ホテルほどじゃないけどね」
「ありがとう…」
これはあれだ、最後の晩餐と言う奴かな。
座る所に悩んで、テレビ前のテーブルに向かって腰を下ろすと、竦む気がした。
とてもプライベートな空間に入れてもらえて、十分舞い上がっていいはずなのに、いつ別れようと言われるのかとそればかり気になる。しかも理由はあの馬鹿女達で、けれども貢も彼女らを切り離してなかったのだから、言い訳のしようもない。
「くそっ…」
悔しい。どうしてあの馬鹿女達をさっさと切り捨てておかなかったのか。貢の金にも見かけにも十分執着していたから、貢と陸斗が距離を縮めれば当然勘付く。勘付いてどのような行動をとるかは、新参の女が増える時に繰り返し見たから知っていたのに、手配りを忘れて陸斗に辛い思いをさせた。
忘れていたのか、本当に?
それとも、あんな馬鹿女達でも陸斗のいないベッドには欲しいと願ってしまっていたのか、本当に欲しいおもちゃがもらえない子どもが二番目三番目に示された『ほどほどの選択肢』を選ぶように?
「こら」
「っ」
髪の毛を掴んでいた手にふんわりと優しく触れられて驚いた。慌てて顔を振り上げると、陸斗が奇妙な顔で微笑んでいる。
「何をしてる?」
「……自分を、責めてる」
優しく聞かれて素直に答えてしまった。
「何を」
「あいつら、殺しとけば良かった」
「ばか」
とん、と軽く頭を叩かれた。
「そんなことを言っちゃいけない。馬鹿でもチョンでも命だからな」
苦く笑った唇が、
「言われる方の身になれよ」
さらりと言い捨てられて、また血の気が引いた。
ああそうか。
死ねばいいのにって、そんなことまで言われたことがあるんだ、あなたは。単に性的嗜好のせいで。単に男が好きなだけで。
悔しくて、唇を噛む。視界が滲む。
「かっこよかった」
「ん?」
漏れた声にキッチンに戻った陸斗が振り向く気配がした。
「かっこよかった、あなた」
たった数日のことで、陸斗が視界にいないのが我慢できなくて、嫌がるかも知れないと避けていたカフェを訪ねた瞬間、目に飛び込んだ光景は鮮烈、それこそまるでドラマの1シーンのようで。
傲慢な指先がひっくり返すコップの水を頭から浴びて、激情に視界が眩んだ貢も噛み付くマスターも、しなやかな手の動き一つで抑え切って。
『……お洋服は濡れませんでしたか』
震えた、ぞくぞくした、体が一気に沸騰した。
抱きたい、押し倒したい、澄み渡る気配の、この細身を。
揺れる体で容赦なく理解する、これこそがリフト・カーク、濡れそぼって薄いシャツを素肌に張り付かせて、無防備に背中を向けて蹂躙してみろと唆しながら、その実格下の男など寄せ付けもしない大輪の花。
舐めたい、跪きたい、踏みにじられたい、矜持の全てを。
欲しい欲しい欲しい欲しい、ああそうだとも、今なら貢はカークを抱いた全ての男の気持ちになれる。犯して、奪って、咲かせ散らして、それでもこの掌に何も残らないと確信できる。
あの瞬間、はっきりわかった。
足りない。
貢では、このカークには全然足りない。
ようやく全てを役者に投げ込もうと決心した矢先、こんな巨大な相手にぶつかるなんて、敗北する以外の結末が見えない。
この人こそ龍、この人こそ支配者、この人こそ、僕の、愛しい…。
ぽん。
「っ」
不意に頭に乗せられた重みに貢は我に返った。
「ありがとう。飯出来たよ、親子丼。鶏、嫌いか?」
「…吐くほど嫌いでも絶対食べます」
「そうか」
陸斗が穏やかに頷いて、乗せた手をゆっくり引く。いつもならそれを掴んで引き寄せて、唇を奪うところなのに動けなかった。
「はいどうぞ」
「…頂きます」
添えられた箸は割り箸じゃなかった。陸斗と揃いの箸、二膳。
一体誰と。
でももう、貢にはそんな資格はないのかも知れない。
最後の晩餐。
とても美味しい。
「……伊谷……」
「…っく、あぐ…っ……え……っく」
陸斗の呆然とした声にも構わず、貢は吹き零れる涙とともに親子丼を掻き込んだ。
「…お邪魔します…」
狭い玄関を抜けて、短い廊下の奥はリビングで、その向こうにはもう突き当たりの窓。リビング右隅にベッド、左側にテレビ。
「シャワー浴びる?」
「…うん」
「はい」
タオルを渡されて示されたのは玄関横の扉、入ると、ウォークインクローゼットではなくて洗面所が1つ、左右に扉がある。右がトイレ、左が風呂場。洗面所の前で服を脱いで、狭い浴槽を眺めつつシャワーを浴びた。
シャンプーとボディソープの匂いがいつかの陸斗と同じで、体は勝手に期待したけれど、もう2度とないかもと考えると元気をなくす。正直なものだ。
シャワーを終えると、バスタオルとトレーナーとトレパンが準備されていて、新しい下着の封を破り、身につけてリビングに戻った。
「少し早いけど」
部屋の左側から声がして、覗き込むと小さなキッチンに陸斗が向かっている。右隣に置かれた赤い炊飯器が可愛い。
「夕飯作るから、食べて行ったら? ……ホテルほどじゃないけどね」
「ありがとう…」
これはあれだ、最後の晩餐と言う奴かな。
座る所に悩んで、テレビ前のテーブルに向かって腰を下ろすと、竦む気がした。
とてもプライベートな空間に入れてもらえて、十分舞い上がっていいはずなのに、いつ別れようと言われるのかとそればかり気になる。しかも理由はあの馬鹿女達で、けれども貢も彼女らを切り離してなかったのだから、言い訳のしようもない。
「くそっ…」
悔しい。どうしてあの馬鹿女達をさっさと切り捨てておかなかったのか。貢の金にも見かけにも十分執着していたから、貢と陸斗が距離を縮めれば当然勘付く。勘付いてどのような行動をとるかは、新参の女が増える時に繰り返し見たから知っていたのに、手配りを忘れて陸斗に辛い思いをさせた。
忘れていたのか、本当に?
それとも、あんな馬鹿女達でも陸斗のいないベッドには欲しいと願ってしまっていたのか、本当に欲しいおもちゃがもらえない子どもが二番目三番目に示された『ほどほどの選択肢』を選ぶように?
「こら」
「っ」
髪の毛を掴んでいた手にふんわりと優しく触れられて驚いた。慌てて顔を振り上げると、陸斗が奇妙な顔で微笑んでいる。
「何をしてる?」
「……自分を、責めてる」
優しく聞かれて素直に答えてしまった。
「何を」
「あいつら、殺しとけば良かった」
「ばか」
とん、と軽く頭を叩かれた。
「そんなことを言っちゃいけない。馬鹿でもチョンでも命だからな」
苦く笑った唇が、
「言われる方の身になれよ」
さらりと言い捨てられて、また血の気が引いた。
ああそうか。
死ねばいいのにって、そんなことまで言われたことがあるんだ、あなたは。単に性的嗜好のせいで。単に男が好きなだけで。
悔しくて、唇を噛む。視界が滲む。
「かっこよかった」
「ん?」
漏れた声にキッチンに戻った陸斗が振り向く気配がした。
「かっこよかった、あなた」
たった数日のことで、陸斗が視界にいないのが我慢できなくて、嫌がるかも知れないと避けていたカフェを訪ねた瞬間、目に飛び込んだ光景は鮮烈、それこそまるでドラマの1シーンのようで。
傲慢な指先がひっくり返すコップの水を頭から浴びて、激情に視界が眩んだ貢も噛み付くマスターも、しなやかな手の動き一つで抑え切って。
『……お洋服は濡れませんでしたか』
震えた、ぞくぞくした、体が一気に沸騰した。
抱きたい、押し倒したい、澄み渡る気配の、この細身を。
揺れる体で容赦なく理解する、これこそがリフト・カーク、濡れそぼって薄いシャツを素肌に張り付かせて、無防備に背中を向けて蹂躙してみろと唆しながら、その実格下の男など寄せ付けもしない大輪の花。
舐めたい、跪きたい、踏みにじられたい、矜持の全てを。
欲しい欲しい欲しい欲しい、ああそうだとも、今なら貢はカークを抱いた全ての男の気持ちになれる。犯して、奪って、咲かせ散らして、それでもこの掌に何も残らないと確信できる。
あの瞬間、はっきりわかった。
足りない。
貢では、このカークには全然足りない。
ようやく全てを役者に投げ込もうと決心した矢先、こんな巨大な相手にぶつかるなんて、敗北する以外の結末が見えない。
この人こそ龍、この人こそ支配者、この人こそ、僕の、愛しい…。
ぽん。
「っ」
不意に頭に乗せられた重みに貢は我に返った。
「ありがとう。飯出来たよ、親子丼。鶏、嫌いか?」
「…吐くほど嫌いでも絶対食べます」
「そうか」
陸斗が穏やかに頷いて、乗せた手をゆっくり引く。いつもならそれを掴んで引き寄せて、唇を奪うところなのに動けなかった。
「はいどうぞ」
「…頂きます」
添えられた箸は割り箸じゃなかった。陸斗と揃いの箸、二膳。
一体誰と。
でももう、貢にはそんな資格はないのかも知れない。
最後の晩餐。
とても美味しい。
「……伊谷……」
「…っく、あぐ…っ……え……っく」
陸斗の呆然とした声にも構わず、貢は吹き零れる涙とともに親子丼を掻き込んだ。
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