『ドラゴン・イン・ナ・シティ』

segakiyui

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第1章 『竜は街に居る』

10.ドラマが始まる 「なんで君は笑ってられるの?」(3)

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「粗通しを始める!」
 寺戸の声に立ち上がりながら、舜は思わず顔を顰めた。
「どうかしたかい?」
 陸斗が鋭く見て取って聞いてくれる。
「あー…大丈夫、その、ちょっと大荷物を持ち運びしたから」
「大荷物?」
 訝しそうな陸斗に冷や汗をかきながら答える。
「その、今度引っ越すことになって」
 本当は違う。禄に気が狂いそうなほど責められて、なんて説明できやしない。
「引っ越す? 家を出るの?」
「あ、うん」
 話が深くならないうちに稽古が始まればと思ったのに、寺戸になぜか伊谷が話しかけてしまったから、少し間が空いた。当然のように訝しげな口調で陸斗が訪ねてくる。
「藍那ちゃんが結婚するとか?」
「あ、いや、違う、まだ全然」
「舜が1人暮らし?」
「あ、うん、その、いや、1人じゃなくてルームシェアで」
「ルームシェア…」
 それと言う意図はないのだろうけど、陸斗が視線を遠くへ上げて思わず追って。
 心配そうにこちらを見ている禄に気づいた。
 体が一気に熱くなって、顔が赤くなっていくのがわかる。
 あの腕で抱え込まれて引き寄せられて、抉られて押し付けられて、内側が溶けて。
「ああ…」
「あ、うん」
 なぜか納得したように頷く陸斗に違和感があって、赤面しながらも見返すと、相手は奇妙に優しい表情で微笑んでいた。
「そう、なのか」
「うん、あの、禄、この間倒れたし、家狭いし、『竜夢』やっていくのにもルームシェアしたら少しマシなところに住めるし」
「うん…良いんじゃない?」
「え」
 思わぬ同意を示されて驚いてしまう。
「奇遇だね」
「何?」
「俺も今度仕事変わるし、ひょっとしたら引っ越すかも」
「陸斗も?」
「うん」
 振り向く顔が今まで見たこともないほど静謐で、なのに綺麗で、視界がちかちかした。
「いや、引っ越すのはないかな。でもまあ、そのうちに一緒に住もうって言いそうだ」
「誰と?」
「伊谷」
「へ」
 思わず変な声が出たのは、思いもかけぬ相手だったからで。
「どうしてって聞く?」
「ううん、あの、なんか、わかる気がした」
「そう」
 陸斗は優しい目で伊谷を見ている。それが今までになく大人な雰囲気で色気があって、舜は戸惑った。
「一緒に暮らすんだ?」
「そうだよ」
「ずっと?」
「それはわからない」
 でも、と陸斗は微かな声で続ける。
「できるだけ長く一緒に居られると良いなと思ってる」
「うん」
 頷いて、俺もだよ、と答えようとした時、舜は初めて気がついた。
 ああ、そうだ。
 俺は、誰かに対して初めて、できるだけ長く一緒に居たいと思ってる。

『なぜ笑っていられたの?』
 初エッチの後、禄にそう聞かれた。
 何が、と尋ねると、人の顔が覚えられなかったんだろう、と重ねられて、何を聞かれているのかわからなかった。
『ずっと小さい時からなら、舜はずっと見知らぬ人ばかりに囲まれて生きてきたってことだよね?』
 相手が敵か味方かわからない。優しい人なのか悪意を持っているのかわからない。自分とどう言う関係なのかもわからない、のに。
『舜は笑いかけてるよね、皆んなに』
 強かったんだね。
 褒められた、そう思った瞬間、ぼろぼろ溢れた涙に驚いた。驚きながら理解していた、自分のことを、役を理解するように、相手の役者の人となりを知るように。
 この場所が安全なのか、この人が誰なのか、そもそもなぜ自分はここに居るのか、ずっとずっとわからなかった。簡単に役に嵌り込めるのは、舜にとって現実も虚構も同じだったからだと気づいてはいた。けれど、それを話せば家族は、特に藍那は悲しむだろう、自分が妹だと認識してもらえていないと知って。
 どうしてわかった、と聞いてしまった。
 どうして、俺が藍那のことも毎回覚え直してるってわかったの? どうして俺が家族のこともわかっていないってわかったの?
『ぼくは漢字が読めない。どの漢字だから読みやすいって言うのではなくて、漢字は基本的に読めないんだ。舜は人の顔が覚えられないって言う。もし、家族だけは別だって考えるなら、簡単だよ、すごく頻回に繰り返し覚え直し続けてるからだろうって。ひょっとしたら「竜夢」の皆んなに対してもそうなんじゃないか? それって、ものすごい努力を毎日毎日し続けてるってことだよね? それだけの「記憶力」があれば、そりゃあ脚本なんか簡単に頭に入るはずだよ、ただの文字でしかないんだから』
 ああ、そうだったのか。
 そう言うことだったのか。
 パキンと何かが額の真ん中で割れて、舜は瞬きした。
 俺は人の顔が覚えられないんじゃなくて、覚えたものをどこかに失くしちゃうんだ。けれどそれはきっと、思っているよりたくさんのことを一気に覚えちゃうせいで、取捨選択しなくちゃ、やっていけなくなるからだ。俺は人の顔を捨てちゃう。顔は『その人』を見分ける決定項目じゃないからだ。俺は確かに『顔』を覚えられないけれど、『顔』の代わりに『何か』を残しているはずだ。それさえうまく使えれば、俺は『顔』を知らなくても『その人』を見分けられるんじゃないの?
 舜ならできる、舜しかできない「世界」の理解の仕方。
 そうしてきっと、カザル、はそう言う男だっただろう。
 暗殺を生業とし、闇に紛れて標的を襲う男は、『顔』を頼りに見分けてなどいない、偽物だって何人も作れる。『人』を語るのは『顔』ではなくて、違う何か。
 それが何かを舜はことばで表現できないが、演技では表現できる、舜そのものの感覚の再現で。
「……俺は、禄と会って、初めて自分がどう言う人間なのか、わかったんだ」
「……うん」
 陸斗は頷いた。
「俺が何をしてたか、全く違う場所から眺めたみたいに」
「………うん」
「今日、来る時にさ、俺、女の子が落としたハンカチ、拾ったの」
「うん?」
「でさ、そのハンカチ、追いかけて、横断歩道を渡って、人混みの中駆け抜けて、ちゃんとその子に渡せたんだよね」
「…うん」
「お母さんが驚いてた、双子なのに、よく落とした方がわかりましたねって」
 『顔』で見分けたんじゃないんだ。
「なんでかは、言えないけど」
 落としたハンカチを受け取った子どもの「ありがとう」と言う声が、世界から届いた気がした。
 ありがとう。ようやく気づいてくれたんだね、君だけの「世界の理解の仕方」に。
 なら君にあげよう、君だけが理解できる「たった1人のカザル」を。
 いや違う、君だけが作り出せる「唯一無二のカザル」を世界に付け加えて欲しい。
 手を振る女の子と頭を下げる母親を見送った視界に飛び込むあらゆる光景が、全く知らぬものに見えて、けれど不安ではなくて、ただただ吸い込んだ、新しい世界の空気を。
「…今なら俺、禄のオウライカに相応しいカザルがやれると思う」
「舜!」
「はい!」
 寺戸が話を終えて手を振るのに立ち上がる。
 この前までのカザルではない、『本物』をこの世界に呼び出してみせよう。
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