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第1章 『竜は街に居る』
10.ドラマが始まる 「なんで君は笑ってられるの?」(4)
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「……禄のオウライカに相応しいカザル…か」
長くて重い鎖から解き放たれたように禄に駆け寄っていく舜の背中を見ながら、陸斗の気持ちは不思議に凪いでいた。
カフェでの一件で、どんなに真面目に息を潜めて暮らしていても、傷つける輩、それも意味のない理不尽なことを言い立てて居場所を奪ってくる人間は居るのだという現実に、否応なく向き合う羽目になって、舜に気持ちを告げられなかったのも、結局は自己保身でしかなかったと思い至った。
「気持ち悪いって思われたくなかった、だけかあ」
禄がこちらだとは思えなかった。けれど、禄は舜を望み、欲し、その自分にどこまでも忠実だったのだ。
嫌われようが、居場所を失おうが、生きていく世界が全く別のものになったとしても、舜の隣に立つ権利を得るために、禄は自分さえ壊すことを厭わなかった。
まさにオウライカ。
芝居とか役者とか演じるとか理解するとか、そんなこんなの理屈を全部投げ捨てて、禄はオウライカに飛び込んだ。あの屋上で、ためらいもせずに舜に駆け寄り、天空へ身を投げ出して辿り着いたように。
竜とは人の欲望だ。
力を望み、願いを吐き出し、時に破滅さえ引き寄せる。
「嘘くさいねえ」
あのカフェで頭から水を浴びせられた時、それを屈辱と思っていない自分に気づいた。傷つけられるどころか、揺らぎさえしない自分が居た。
なぜか?
「世界は私の掌にある」
こんな台詞は脚本にはない。
けれどカークはそう思っている。
オウライカへの思慕を綺麗なガラス細工のように愛でながら、それでも自分の中にある純然とした権力への渇望を、カークは十分認識していた。オウライカのように美しくはない、けれど多分闇の中では誰より大きく花を開き香りを放つ、紅蓮の毒花。
そのカークの成り立ちを、今陸斗は我が物のように感じ取れる。
世界を握る?
傲慢な笑みを浮かべて人を踏みつける?
ああ当然だろう、それが『塔京』の主であるということなのだから。
だからこそ、カークは自分の美貌を餌に次々と獲物を喰い殺していく、それこそが望みだと熱を込めた賛辞さえ冷笑で切り捨てて。
そんな男が自分の中に居る。
現れたのではない、初めから居たのだ、敗北を認めるまで薄笑いして待ち構えながら。
こんな自分じゃなかったはずだ。
こんな自分は知りたくなかった。
『伊谷?』
『はい』
『お詫びを……くれるかな』
丼飯なんて伊谷にすれば侘しいばかりの夕飯だろう、けれどそれをなぜか涙ぐみながら一所懸命に掻き込む相手に、疼くものがあった。
『お詫び…ええ、何でも、幾らでも!』
ぱっと顔を輝かせる伊谷に顔を近づけ、静かに唇を重ねる。
『シャワーなしで……俺を抱ける?』
ごくり、と伊谷の喉が鳴って、貪りつくように押し倒され、一晩中鳴かされた。あの部屋で初めての情事、声を限りに叫んで、ああもうこの部屋にも居られなくなる、何せ壁は一枚、薄い戸板、力任せの一発といい加減にしろよの怒鳴り声、重ねるように奥へ進んでくれた伊谷に、わかってるじゃないかと身体中を震わせながら応じて鳴いた。
開放感、全ての軛が切り飛ばされて、人の倫理も常識も、ずっと大切に守ってきたものを放り投げて、人の身体ってこんなに自由が利くものなんだと感嘆しながら伊谷を呑み込み続けた。
朝は静かだった。
真横でまだ爆睡している伊谷をよそに、体を起こして、カーテンの隙間から漏れた日の光で脚本を読み……一言一言が胸に沁みて嬉しくて、指で辿りながら読み続けた。
この世界に生きていられる。
この世界で呼吸ができる。
陸斗は、この脚本を、寸分狂いなく、演じ切れる、リフト・カークとして。
気がつけば、目覚めた伊谷がじっと陸斗を見上げていた。
『何だ?』
『…もう、ここでなくていいでしょう?』
静かな問いに同じことを考えていると知らせてくれた。
『僕のマンションを準備します』
『…そうだな』
『余計な邪魔が入らない場所で、ずっとあなたを愛してあげる』
『…気が向いたらな』
『……ひどい』
ぷくっと膨れてみせるその顔が、意外に本気でいじけていると気がついて、苦笑した。
『一つ、頼みがある』
『3日以上待ちません』
『そうじゃない。嫌だと言っていない。ただ』
『別の部屋もなしです』
『炊飯器を持っていきたい』
一瞬固まった伊谷は、憎しみを込めて赤い塊を睨みつけ、不承不承頷いた。
『いいですよ。僕より触る回数が多いなら拗ねます』
「…陸斗」
「はい」
呼ばれて歩き出す。
気のせいではなくて、ふうわりと体の周囲を取り巻く気配が香るのがわかる。ボディシャンプー、香水、そういう類のものではなくて、近づくだけで人を揺さぶる衝動の香り。
「出来上がっているようだな」
寺戸は理解していた。苦笑いしつつ、粗通しから無茶をするな、伊谷が潰れるぞ、と囁いた。
「潰れないでしょう」
陸斗は微笑む。
「これで潰れるなら、一から鍛え直します」
「手厳しいな。本番まで、そのキレを無くすな」
「わかっています」
ふらりと伊谷が引き寄せられるように近づいてくる。
「始めよう? オウライカとカザルに見劣りするわけにはいかないだろう」
「あ」
夢から醒めたように伊谷が瞬きし、薄赤くなる。
「あの」
「ん?」
「トイレです、すみませんっ!」
身を翻してダッシュする相手に呆然とすると、寺戸がほらな、と笑った。
「いくら若くても限界はあるからな」
「……ああ…その……すみません…」
弁解しながら、一瞬素に戻って、陸斗も顔が熱くなった。
長くて重い鎖から解き放たれたように禄に駆け寄っていく舜の背中を見ながら、陸斗の気持ちは不思議に凪いでいた。
カフェでの一件で、どんなに真面目に息を潜めて暮らしていても、傷つける輩、それも意味のない理不尽なことを言い立てて居場所を奪ってくる人間は居るのだという現実に、否応なく向き合う羽目になって、舜に気持ちを告げられなかったのも、結局は自己保身でしかなかったと思い至った。
「気持ち悪いって思われたくなかった、だけかあ」
禄がこちらだとは思えなかった。けれど、禄は舜を望み、欲し、その自分にどこまでも忠実だったのだ。
嫌われようが、居場所を失おうが、生きていく世界が全く別のものになったとしても、舜の隣に立つ権利を得るために、禄は自分さえ壊すことを厭わなかった。
まさにオウライカ。
芝居とか役者とか演じるとか理解するとか、そんなこんなの理屈を全部投げ捨てて、禄はオウライカに飛び込んだ。あの屋上で、ためらいもせずに舜に駆け寄り、天空へ身を投げ出して辿り着いたように。
竜とは人の欲望だ。
力を望み、願いを吐き出し、時に破滅さえ引き寄せる。
「嘘くさいねえ」
あのカフェで頭から水を浴びせられた時、それを屈辱と思っていない自分に気づいた。傷つけられるどころか、揺らぎさえしない自分が居た。
なぜか?
「世界は私の掌にある」
こんな台詞は脚本にはない。
けれどカークはそう思っている。
オウライカへの思慕を綺麗なガラス細工のように愛でながら、それでも自分の中にある純然とした権力への渇望を、カークは十分認識していた。オウライカのように美しくはない、けれど多分闇の中では誰より大きく花を開き香りを放つ、紅蓮の毒花。
そのカークの成り立ちを、今陸斗は我が物のように感じ取れる。
世界を握る?
傲慢な笑みを浮かべて人を踏みつける?
ああ当然だろう、それが『塔京』の主であるということなのだから。
だからこそ、カークは自分の美貌を餌に次々と獲物を喰い殺していく、それこそが望みだと熱を込めた賛辞さえ冷笑で切り捨てて。
そんな男が自分の中に居る。
現れたのではない、初めから居たのだ、敗北を認めるまで薄笑いして待ち構えながら。
こんな自分じゃなかったはずだ。
こんな自分は知りたくなかった。
『伊谷?』
『はい』
『お詫びを……くれるかな』
丼飯なんて伊谷にすれば侘しいばかりの夕飯だろう、けれどそれをなぜか涙ぐみながら一所懸命に掻き込む相手に、疼くものがあった。
『お詫び…ええ、何でも、幾らでも!』
ぱっと顔を輝かせる伊谷に顔を近づけ、静かに唇を重ねる。
『シャワーなしで……俺を抱ける?』
ごくり、と伊谷の喉が鳴って、貪りつくように押し倒され、一晩中鳴かされた。あの部屋で初めての情事、声を限りに叫んで、ああもうこの部屋にも居られなくなる、何せ壁は一枚、薄い戸板、力任せの一発といい加減にしろよの怒鳴り声、重ねるように奥へ進んでくれた伊谷に、わかってるじゃないかと身体中を震わせながら応じて鳴いた。
開放感、全ての軛が切り飛ばされて、人の倫理も常識も、ずっと大切に守ってきたものを放り投げて、人の身体ってこんなに自由が利くものなんだと感嘆しながら伊谷を呑み込み続けた。
朝は静かだった。
真横でまだ爆睡している伊谷をよそに、体を起こして、カーテンの隙間から漏れた日の光で脚本を読み……一言一言が胸に沁みて嬉しくて、指で辿りながら読み続けた。
この世界に生きていられる。
この世界で呼吸ができる。
陸斗は、この脚本を、寸分狂いなく、演じ切れる、リフト・カークとして。
気がつけば、目覚めた伊谷がじっと陸斗を見上げていた。
『何だ?』
『…もう、ここでなくていいでしょう?』
静かな問いに同じことを考えていると知らせてくれた。
『僕のマンションを準備します』
『…そうだな』
『余計な邪魔が入らない場所で、ずっとあなたを愛してあげる』
『…気が向いたらな』
『……ひどい』
ぷくっと膨れてみせるその顔が、意外に本気でいじけていると気がついて、苦笑した。
『一つ、頼みがある』
『3日以上待ちません』
『そうじゃない。嫌だと言っていない。ただ』
『別の部屋もなしです』
『炊飯器を持っていきたい』
一瞬固まった伊谷は、憎しみを込めて赤い塊を睨みつけ、不承不承頷いた。
『いいですよ。僕より触る回数が多いなら拗ねます』
「…陸斗」
「はい」
呼ばれて歩き出す。
気のせいではなくて、ふうわりと体の周囲を取り巻く気配が香るのがわかる。ボディシャンプー、香水、そういう類のものではなくて、近づくだけで人を揺さぶる衝動の香り。
「出来上がっているようだな」
寺戸は理解していた。苦笑いしつつ、粗通しから無茶をするな、伊谷が潰れるぞ、と囁いた。
「潰れないでしょう」
陸斗は微笑む。
「これで潰れるなら、一から鍛え直します」
「手厳しいな。本番まで、そのキレを無くすな」
「わかっています」
ふらりと伊谷が引き寄せられるように近づいてくる。
「始めよう? オウライカとカザルに見劣りするわけにはいかないだろう」
「あ」
夢から醒めたように伊谷が瞬きし、薄赤くなる。
「あの」
「ん?」
「トイレです、すみませんっ!」
身を翻してダッシュする相手に呆然とすると、寺戸がほらな、と笑った。
「いくら若くても限界はあるからな」
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弁解しながら、一瞬素に戻って、陸斗も顔が熱くなった。
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