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第2章 『竜夢』
2.ライオンが居る 「大事なものなんて何もない」(5)
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『あれに手を出すと、こっちの領分を侵される』
『隊長』の台詞をミコトが読み上げる。
『魔王じゃねえよ、今のあいつはまんま魔界の入り口みてえだ』
たいしたものだ。
貢は脚本を頭の中で開きながら、相手をじっと見る。
通し稽古には画像に残さない部分の演技も含まれた。始めから残さないと決めているから、『隊長』には役者が当たっていない。この『隊長』はファローズを大事に思う情人でありながら、カークに動く欲望も自覚していて、ちゃんと距離を取っている男、つまり成熟した雄だ。
それをメイク・衣装を務める小柄で細身の離庵ミコトが演るのだから、違和感どころか、全く別物に感じていいはずなのに、声こそ細くて高いものの、ちょっとした肩の入れ方、目線の反らせた方、息の吐き方、どの部分にも自分の欲望を制御できる男の気配がして、そいつがカークのことを、つまりは陸斗のことを語るのに、ちゃんと不快感が募る。
なるほど、陸斗との繋がりを変換させてるわけだ。
昔からずっと『竜夢』として一緒に過ごしてきた時間を、貢より陸斗のことを知っていることを、ライヤーより深くカークを知っている『隊長』に反映させている。
けどよ、あれは手ぇ出すもんじゃねえと思うな。
今の台詞の少し前に吐かれたことばが、今も胸に突き刺さったままだ。
陸斗に手を出すんじゃないわよ。
冷徹に、ミコトに詰られた気がした。
あなたは大事なものなんてないんでしょ?
通し稽古の少し前だ。
会議室に入ろうとする貢を、ミコトが呼び止めた。ちょいちょいと招くしなやかな指先は色っぽくてしなやかで、そういう意図でなくとも絡めたくなるような綺麗さで。
つい立ち止まった後で罠だと気づいた。
物陰で見せられたパンフレットには『人心売買』の団員勧誘チラシが入っている。
「知ってるでしょ?」
「ええ、まあ」
名前は出ますよね、と微笑んだが、ミコトは薄笑いを返して白い歯を見せた。
「あら、まあ」
牙を剥かれたと感じた。
「ひとごとみたい」
「他人事でしょう」
「篠崎真琴って言う役者がいるのよね」
「そうらしいですね」
「天才女優と名高いわ」
「そうなんですか」
「しばらく舜を追い回してた」
「へえ」
それは初耳だった。
「恋人が1人」
「…」
嬉しくない方向へ転がりそうな展開だ。
「名前を伊谷貢」
「……へえ」
舌打ちしかけたのは真琴の裏にいる荒破須加屋の影に気づいたからだ。色事系なら、女は貢が、男は真琴が動くことが多かった。要らない役者を処分するのも慣れたものだ。欲しい役者を引き抜くのも同じ手立て、もちろん引き抜いたからと言って、相手の願い通りに主役を担うはずもなく、引き抜かれた後に、元の劇団が成り立たなくなって潰れた話をどす黒い納得とともに聞く羽目にもなる。
ああ、なるほどな、俺はそういう駒だったのか。
劇団は多くの人間が支えあってできている構築物だ。屋台骨はしっかりしていても、ふいの揺らぎを支えるストッパーみたいな人間が必ず居る。普段は認められず褒められもせず、ただ静かに劇団の根っこに座っている人間の中には、肝の据わった老成した者もいるが、不満で今にも爆発しそうになっている者も居る。
真琴は、そういう人間に鼻が効いた。
さりげなく近寄り、黒くて長い綺麗な髪をなびかせて擦り寄り、赤い唇でそっと囁く。
私はあなたの価値を知っているわ。
あるいは、茶色の髪の愛くるしい少女を装って、甘い声で呟く。
どうしてあなたが認められないの、不思議ね?
つまりは貢と同類と言うだけだが。
「役柄上、近づいちゃうんですが」
「貴重な役者なのよ、今時まっすぐな役者バカ」
溜息混じりの返答をミコトはさくっと切り捨てた。
「失うわけにはいかないの」
あんたみたいなヤサグレにやれない。
反論する間も無く、ぱたりと閉じられ押し付けられたパンフレットを手に立ち竦んだ。するりと抜けて平然と、陸斗、と声をかけるミコトの背中を見送ると、こちらを振り返った陸斗が目を細めて微笑み返して、断罪された気がした。
いいんだよ。
静かな優しい声。
いいんだ、いつでも捨て去ってくれても大丈夫だ、そんな覚悟なんてとっくに出来ているから。
ベッドの後で、腕の中で、裸のままの背中を無防備に貢に凭れさせて、小さく鼻歌を歌っていた。
柔らかい旋律、温かな音。
過去を捨てたい。
突然溢れた涙はなぜだったのだろう。
伊谷貢でなくていい。
ただただあなたに出会って跪くだけの男になりたい。
ライオンが居る。
ライオンが居る。
この腕の中に、何を捨てても守り抜きたい大事なものが居る。
それを守りたいと叫べる男に生まれたい。
『ファローズさんは、ほんとは僕が欲しいんじゃないと思いますよ?』
それでも貢は嘘の微笑を満たして、ミコトに応じる。
道化は踊る。
操り糸が切れるまで、後どれぐらいの時間が残されているのだろう。
大事なものなんて何もない。
あなたさえも僕さえも。
貢の中のライオンは、とうの昔に死んでいる。
『隊長』の台詞をミコトが読み上げる。
『魔王じゃねえよ、今のあいつはまんま魔界の入り口みてえだ』
たいしたものだ。
貢は脚本を頭の中で開きながら、相手をじっと見る。
通し稽古には画像に残さない部分の演技も含まれた。始めから残さないと決めているから、『隊長』には役者が当たっていない。この『隊長』はファローズを大事に思う情人でありながら、カークに動く欲望も自覚していて、ちゃんと距離を取っている男、つまり成熟した雄だ。
それをメイク・衣装を務める小柄で細身の離庵ミコトが演るのだから、違和感どころか、全く別物に感じていいはずなのに、声こそ細くて高いものの、ちょっとした肩の入れ方、目線の反らせた方、息の吐き方、どの部分にも自分の欲望を制御できる男の気配がして、そいつがカークのことを、つまりは陸斗のことを語るのに、ちゃんと不快感が募る。
なるほど、陸斗との繋がりを変換させてるわけだ。
昔からずっと『竜夢』として一緒に過ごしてきた時間を、貢より陸斗のことを知っていることを、ライヤーより深くカークを知っている『隊長』に反映させている。
けどよ、あれは手ぇ出すもんじゃねえと思うな。
今の台詞の少し前に吐かれたことばが、今も胸に突き刺さったままだ。
陸斗に手を出すんじゃないわよ。
冷徹に、ミコトに詰られた気がした。
あなたは大事なものなんてないんでしょ?
通し稽古の少し前だ。
会議室に入ろうとする貢を、ミコトが呼び止めた。ちょいちょいと招くしなやかな指先は色っぽくてしなやかで、そういう意図でなくとも絡めたくなるような綺麗さで。
つい立ち止まった後で罠だと気づいた。
物陰で見せられたパンフレットには『人心売買』の団員勧誘チラシが入っている。
「知ってるでしょ?」
「ええ、まあ」
名前は出ますよね、と微笑んだが、ミコトは薄笑いを返して白い歯を見せた。
「あら、まあ」
牙を剥かれたと感じた。
「ひとごとみたい」
「他人事でしょう」
「篠崎真琴って言う役者がいるのよね」
「そうらしいですね」
「天才女優と名高いわ」
「そうなんですか」
「しばらく舜を追い回してた」
「へえ」
それは初耳だった。
「恋人が1人」
「…」
嬉しくない方向へ転がりそうな展開だ。
「名前を伊谷貢」
「……へえ」
舌打ちしかけたのは真琴の裏にいる荒破須加屋の影に気づいたからだ。色事系なら、女は貢が、男は真琴が動くことが多かった。要らない役者を処分するのも慣れたものだ。欲しい役者を引き抜くのも同じ手立て、もちろん引き抜いたからと言って、相手の願い通りに主役を担うはずもなく、引き抜かれた後に、元の劇団が成り立たなくなって潰れた話をどす黒い納得とともに聞く羽目にもなる。
ああ、なるほどな、俺はそういう駒だったのか。
劇団は多くの人間が支えあってできている構築物だ。屋台骨はしっかりしていても、ふいの揺らぎを支えるストッパーみたいな人間が必ず居る。普段は認められず褒められもせず、ただ静かに劇団の根っこに座っている人間の中には、肝の据わった老成した者もいるが、不満で今にも爆発しそうになっている者も居る。
真琴は、そういう人間に鼻が効いた。
さりげなく近寄り、黒くて長い綺麗な髪をなびかせて擦り寄り、赤い唇でそっと囁く。
私はあなたの価値を知っているわ。
あるいは、茶色の髪の愛くるしい少女を装って、甘い声で呟く。
どうしてあなたが認められないの、不思議ね?
つまりは貢と同類と言うだけだが。
「役柄上、近づいちゃうんですが」
「貴重な役者なのよ、今時まっすぐな役者バカ」
溜息混じりの返答をミコトはさくっと切り捨てた。
「失うわけにはいかないの」
あんたみたいなヤサグレにやれない。
反論する間も無く、ぱたりと閉じられ押し付けられたパンフレットを手に立ち竦んだ。するりと抜けて平然と、陸斗、と声をかけるミコトの背中を見送ると、こちらを振り返った陸斗が目を細めて微笑み返して、断罪された気がした。
いいんだよ。
静かな優しい声。
いいんだ、いつでも捨て去ってくれても大丈夫だ、そんな覚悟なんてとっくに出来ているから。
ベッドの後で、腕の中で、裸のままの背中を無防備に貢に凭れさせて、小さく鼻歌を歌っていた。
柔らかい旋律、温かな音。
過去を捨てたい。
突然溢れた涙はなぜだったのだろう。
伊谷貢でなくていい。
ただただあなたに出会って跪くだけの男になりたい。
ライオンが居る。
ライオンが居る。
この腕の中に、何を捨てても守り抜きたい大事なものが居る。
それを守りたいと叫べる男に生まれたい。
『ファローズさんは、ほんとは僕が欲しいんじゃないと思いますよ?』
それでも貢は嘘の微笑を満たして、ミコトに応じる。
道化は踊る。
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大事なものなんて何もない。
あなたさえも僕さえも。
貢の中のライオンは、とうの昔に死んでいる。
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