『ドラゴン・イン・ナ・シティ』

segakiyui

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第2章 『竜夢』

3.乱暴な嫁 「お日様が当たるとほっとしない?」(2)

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「ねえ」
 本を詰めた段ボール箱を奥から運んで来て目当ての棚前に置いた、矢先に声を掛けられ、舜は顔を上げた。
「お日様が当たるとほっとしない?」
 見たことがない顔。けれど舜にとってはいつもの出来事。顔が売れてたり役者として少し名前が知られているからと言うより、世界の大半の人間は舜にとっていつも見知らぬ人間でしかない。
 それでも最近は、禄を見習ってと言うか、禄風にと言うか、見たことがないと思った途端に観察を始める。柔らかく弧を描いた茶色の眉、白い頬はパウダーでふわりと仕上げてある。唇の淡いピンクはグロスが掛けられて、顎や鼻先の艶やかな光とよく合う。瞳はカラーコンタクトのブルーグレイ、身につけているフェイクファーをあしらったワンピースとよく合わせている、けれど手元の真っ黒のエナメルバッグだけが異質。
 いや、異質なのは中途半端に屈み込んだ姿勢でも揺れもせずにキープできる筋肉量。
 役者だ。
「はい」
 真っ直ぐに見上げて笑顔を広げる。
「ご用でしょうか。何かお探しですか」
「探しているものを見つけたから、声を掛けたんだけど。あなたを、風祭舜を」
「風祭、ではなくて」
 舜は微笑みながら、左胸の名札を示す。
「風柳です」
「カザル、と呼んだ方が話しやすい?」
 女性はゆっくりと瞬きした。そうして改めて感じ取る、感情の消えた丸い瞳、まるで凝ったビー玉見たいな。
「飾る、ですか?」
「いいえ、カザル、よ」
 役者だ。もしくは台詞に関わる仕事をしている人。脚本家というより現場だよね、ミキサーって感じじゃない、声優、ボイストレーナー、朗読者、そう言った感じの、ことばの発音に厳密で正確でこだわりのある人。
「あなたは…」
 瞬きした。記憶の中を静かに掻き分けて進む。この声じゃない、あの姿じゃない、けれど多分、舜はこの女性を知っている。きっと向こうも舜を知っている、カザルではない、風柳舜を。
「劇団の人?」
「いやああんっ」
 いきなり相手が甘い声を上げて身をくねらせぎょっとした。何が起こったかと振り向く周囲の視線を浴びて、女性はくすくすと笑いながら舜を見下ろす。
 凄い。
 姿勢が全く崩れないし、ぶれない。まるで針金に絡まったモビールみたいにぶわぶわ動いているのに、絶対の安定感、次のどんな演技を要求されてもするりとやってのけそう。
「……ああ」
 感嘆が漏れたのは思い出した光景の鮮やかさからだ。
「あなた、雪女を演ったことがあるでしょう? 劇団『人心売買』の冬公演。主役は……篠崎真琴」
 真冬の山で凍死寸前の男が彼方の楽園を夢見る。白い着物でふわふわ舞台上を漂う光景、実際にちゃんと立っているのに、微かな吐息に押されるように沈められるように、まるで中空漂うかのように足音を立てずに舞う篠崎に、多くの評論家が『天才』と呼んだ。
 顔を思い出したのではなく、パンフレットの文字を頭の中で読み上げて気づいた。
「あなた、俺の家に来たことあるよね? もっと違う格好で」
「思い出してくれれば良かったのに、私を見ても忘れてたでしょ、『ゆきおんな』。酷いわ舜、あたしは何でも知ってるし、何でもしてあげるのに」
 風柳舜、25歳。2月29日生まれの魚座、血液O型。妹1人藍那ちゃん。今は同じ劇団の雷牙禄と同居中、この冬『竜は街に居る』で配信デビュー乞うご期待。
 揚々と言い放った相手が満足げに見下ろしてくる。
「…ありがとう」
 舜は微笑み立ち上がり、箱の中から本を取り出し、棚に並べ始める。
「面白い芝居なんだ、見てくれると嬉しいな」
「見ないはずがないでしょ、あたしはあなたのファンだもの、どこかに連れ去られるなら、その相手を殺してもいいと思うぐらいに」
「…」
 さらりと言い放たれた真琴のことばに周囲が凍りついたが、舜は平然と本を並べ続けた。
「気にならないのね?」
「言霊って知ってる?」
 舜は1冊1冊丁寧に棚に収めながら、聞き返した。
「あなたのことばは薄くて軽いよ。繊細に表現してるつもりだろうけど、何一つ意味がないから、ことばじゃなくて音が並んでるだけだね」
「喧嘩売ってるの?」
「お日様が当たるとほっとするよ。背中が暖かくなるから眠くなる。光の中は安心する。けれど、そんなことはどうでもいいんだよね、あなたは」
 最後の1冊を詰め終わって、今度は女性を見下ろした。
「自分のことを話すためのきっかけに過ぎない、全てのことばはあなたの装飾品だ。綺麗だと思う人はいるかも知れないけど、あなたと話したいと思う人は誰もいない。わかってるんじゃない?」
 真琴の瞳が大きく開いた。
「役者なら舞台で聞かせられる。お客は聞きに来ているからね。けれど、ここじゃあ、ことばはちゃんと意味を含めなくちゃ通らないんだ、ただの騒音だよ」
 舜はにこやかに微笑んだまま続ける。
「ファン、って何か知ってる? 殺してもいいなら、他に何したいの? 何でも知ってるなら、何でもしてあげることはできないってわかってるよね? 風祭って間違えたのもきっかけ作りだよね、間違えられて二度と話したくない人もいるって思わなかった?」
「舜……カザル……」
「あなたは俺を殺せない」
 少し息を吸う。脳裏に禄の笑顔が浮かぶ。ひょっとして真琴は禄にもこんな問答を仕掛けたのかと思うと吐き気がした。
「…相打ち覚悟もできない女に命なんかくれてやらない」
 低く不穏な気配を込めると、真琴に伝わったのだろう、白い頬をより白くして身を翻し去っていく。それを見たのか、慌てて同僚が駆け寄って来た。
「大丈夫、風柳君」
「あ、すみません、店先でおかしなやりとり始めちゃって」
「いや、えーとあの、何か凄かったね、お芝居の台詞の練習か何か?」
「いやいやとんでもない」
 舜はひらひらと手をふって笑う。
「ガキんちょのピンポンダッシュみたいなもんですよ。本気で怒ったら逃げちゃった」
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