71 / 121
第2章 『竜夢』
3.乱暴な嫁 「お日様が当たるとほっとしない?」(2)
しおりを挟む
「ねえ」
本を詰めた段ボール箱を奥から運んで来て目当ての棚前に置いた、矢先に声を掛けられ、舜は顔を上げた。
「お日様が当たるとほっとしない?」
見たことがない顔。けれど舜にとってはいつもの出来事。顔が売れてたり役者として少し名前が知られているからと言うより、世界の大半の人間は舜にとっていつも見知らぬ人間でしかない。
それでも最近は、禄を見習ってと言うか、禄風にと言うか、見たことがないと思った途端に観察を始める。柔らかく弧を描いた茶色の眉、白い頬はパウダーでふわりと仕上げてある。唇の淡いピンクはグロスが掛けられて、顎や鼻先の艶やかな光とよく合う。瞳はカラーコンタクトのブルーグレイ、身につけているフェイクファーをあしらったワンピースとよく合わせている、けれど手元の真っ黒のエナメルバッグだけが異質。
いや、異質なのは中途半端に屈み込んだ姿勢でも揺れもせずにキープできる筋肉量。
役者だ。
「はい」
真っ直ぐに見上げて笑顔を広げる。
「ご用でしょうか。何かお探しですか」
「探しているものを見つけたから、声を掛けたんだけど。あなたを、風祭舜を」
「風祭、ではなくて」
舜は微笑みながら、左胸の名札を示す。
「風柳です」
「カザル、と呼んだ方が話しやすい?」
女性はゆっくりと瞬きした。そうして改めて感じ取る、感情の消えた丸い瞳、まるで凝ったビー玉見たいな。
「飾る、ですか?」
「いいえ、カザル、よ」
役者だ。もしくは台詞に関わる仕事をしている人。脚本家というより現場だよね、ミキサーって感じじゃない、声優、ボイストレーナー、朗読者、そう言った感じの、ことばの発音に厳密で正確でこだわりのある人。
「あなたは…」
瞬きした。記憶の中を静かに掻き分けて進む。この声じゃない、あの姿じゃない、けれど多分、舜はこの女性を知っている。きっと向こうも舜を知っている、カザルではない、風柳舜を。
「劇団の人?」
「いやああんっ」
いきなり相手が甘い声を上げて身をくねらせぎょっとした。何が起こったかと振り向く周囲の視線を浴びて、女性はくすくすと笑いながら舜を見下ろす。
凄い。
姿勢が全く崩れないし、ぶれない。まるで針金に絡まったモビールみたいにぶわぶわ動いているのに、絶対の安定感、次のどんな演技を要求されてもするりとやってのけそう。
「……ああ」
感嘆が漏れたのは思い出した光景の鮮やかさからだ。
「あなた、雪女を演ったことがあるでしょう? 劇団『人心売買』の冬公演。主役は……篠崎真琴」
真冬の山で凍死寸前の男が彼方の楽園を夢見る。白い着物でふわふわ舞台上を漂う光景、実際にちゃんと立っているのに、微かな吐息に押されるように沈められるように、まるで中空漂うかのように足音を立てずに舞う篠崎に、多くの評論家が『天才』と呼んだ。
顔を思い出したのではなく、パンフレットの文字を頭の中で読み上げて気づいた。
「あなた、俺の家に来たことあるよね? もっと違う格好で」
「思い出してくれれば良かったのに、私を見ても忘れてたでしょ、『ゆきおんな』。酷いわ舜、あたしは何でも知ってるし、何でもしてあげるのに」
風柳舜、25歳。2月29日生まれの魚座、血液O型。妹1人藍那ちゃん。今は同じ劇団の雷牙禄と同居中、この冬『竜は街に居る』で配信デビュー乞うご期待。
揚々と言い放った相手が満足げに見下ろしてくる。
「…ありがとう」
舜は微笑み立ち上がり、箱の中から本を取り出し、棚に並べ始める。
「面白い芝居なんだ、見てくれると嬉しいな」
「見ないはずがないでしょ、あたしはあなたのファンだもの、どこかに連れ去られるなら、その相手を殺してもいいと思うぐらいに」
「…」
さらりと言い放たれた真琴のことばに周囲が凍りついたが、舜は平然と本を並べ続けた。
「気にならないのね?」
「言霊って知ってる?」
舜は1冊1冊丁寧に棚に収めながら、聞き返した。
「あなたのことばは薄くて軽いよ。繊細に表現してるつもりだろうけど、何一つ意味がないから、ことばじゃなくて音が並んでるだけだね」
「喧嘩売ってるの?」
「お日様が当たるとほっとするよ。背中が暖かくなるから眠くなる。光の中は安心する。けれど、そんなことはどうでもいいんだよね、あなたは」
最後の1冊を詰め終わって、今度は女性を見下ろした。
「自分のことを話すためのきっかけに過ぎない、全てのことばはあなたの装飾品だ。綺麗だと思う人はいるかも知れないけど、あなたと話したいと思う人は誰もいない。わかってるんじゃない?」
真琴の瞳が大きく開いた。
「役者なら舞台で聞かせられる。お客は聞きに来ているからね。けれど、ここじゃあ、ことばはちゃんと意味を含めなくちゃ通らないんだ、ただの騒音だよ」
舜はにこやかに微笑んだまま続ける。
「ファン、って何か知ってる? 殺してもいいなら、他に何したいの? 何でも知ってるなら、何でもしてあげることはできないってわかってるよね? 風祭って間違えたのもきっかけ作りだよね、間違えられて二度と話したくない人もいるって思わなかった?」
「舜……カザル……」
「あなたは俺を殺せない」
少し息を吸う。脳裏に禄の笑顔が浮かぶ。ひょっとして真琴は禄にもこんな問答を仕掛けたのかと思うと吐き気がした。
「…相打ち覚悟もできない女に命なんかくれてやらない」
低く不穏な気配を込めると、真琴に伝わったのだろう、白い頬をより白くして身を翻し去っていく。それを見たのか、慌てて同僚が駆け寄って来た。
「大丈夫、風柳君」
「あ、すみません、店先でおかしなやりとり始めちゃって」
「いや、えーとあの、何か凄かったね、お芝居の台詞の練習か何か?」
「いやいやとんでもない」
舜はひらひらと手をふって笑う。
「ガキんちょのピンポンダッシュみたいなもんですよ。本気で怒ったら逃げちゃった」
本を詰めた段ボール箱を奥から運んで来て目当ての棚前に置いた、矢先に声を掛けられ、舜は顔を上げた。
「お日様が当たるとほっとしない?」
見たことがない顔。けれど舜にとってはいつもの出来事。顔が売れてたり役者として少し名前が知られているからと言うより、世界の大半の人間は舜にとっていつも見知らぬ人間でしかない。
それでも最近は、禄を見習ってと言うか、禄風にと言うか、見たことがないと思った途端に観察を始める。柔らかく弧を描いた茶色の眉、白い頬はパウダーでふわりと仕上げてある。唇の淡いピンクはグロスが掛けられて、顎や鼻先の艶やかな光とよく合う。瞳はカラーコンタクトのブルーグレイ、身につけているフェイクファーをあしらったワンピースとよく合わせている、けれど手元の真っ黒のエナメルバッグだけが異質。
いや、異質なのは中途半端に屈み込んだ姿勢でも揺れもせずにキープできる筋肉量。
役者だ。
「はい」
真っ直ぐに見上げて笑顔を広げる。
「ご用でしょうか。何かお探しですか」
「探しているものを見つけたから、声を掛けたんだけど。あなたを、風祭舜を」
「風祭、ではなくて」
舜は微笑みながら、左胸の名札を示す。
「風柳です」
「カザル、と呼んだ方が話しやすい?」
女性はゆっくりと瞬きした。そうして改めて感じ取る、感情の消えた丸い瞳、まるで凝ったビー玉見たいな。
「飾る、ですか?」
「いいえ、カザル、よ」
役者だ。もしくは台詞に関わる仕事をしている人。脚本家というより現場だよね、ミキサーって感じじゃない、声優、ボイストレーナー、朗読者、そう言った感じの、ことばの発音に厳密で正確でこだわりのある人。
「あなたは…」
瞬きした。記憶の中を静かに掻き分けて進む。この声じゃない、あの姿じゃない、けれど多分、舜はこの女性を知っている。きっと向こうも舜を知っている、カザルではない、風柳舜を。
「劇団の人?」
「いやああんっ」
いきなり相手が甘い声を上げて身をくねらせぎょっとした。何が起こったかと振り向く周囲の視線を浴びて、女性はくすくすと笑いながら舜を見下ろす。
凄い。
姿勢が全く崩れないし、ぶれない。まるで針金に絡まったモビールみたいにぶわぶわ動いているのに、絶対の安定感、次のどんな演技を要求されてもするりとやってのけそう。
「……ああ」
感嘆が漏れたのは思い出した光景の鮮やかさからだ。
「あなた、雪女を演ったことがあるでしょう? 劇団『人心売買』の冬公演。主役は……篠崎真琴」
真冬の山で凍死寸前の男が彼方の楽園を夢見る。白い着物でふわふわ舞台上を漂う光景、実際にちゃんと立っているのに、微かな吐息に押されるように沈められるように、まるで中空漂うかのように足音を立てずに舞う篠崎に、多くの評論家が『天才』と呼んだ。
顔を思い出したのではなく、パンフレットの文字を頭の中で読み上げて気づいた。
「あなた、俺の家に来たことあるよね? もっと違う格好で」
「思い出してくれれば良かったのに、私を見ても忘れてたでしょ、『ゆきおんな』。酷いわ舜、あたしは何でも知ってるし、何でもしてあげるのに」
風柳舜、25歳。2月29日生まれの魚座、血液O型。妹1人藍那ちゃん。今は同じ劇団の雷牙禄と同居中、この冬『竜は街に居る』で配信デビュー乞うご期待。
揚々と言い放った相手が満足げに見下ろしてくる。
「…ありがとう」
舜は微笑み立ち上がり、箱の中から本を取り出し、棚に並べ始める。
「面白い芝居なんだ、見てくれると嬉しいな」
「見ないはずがないでしょ、あたしはあなたのファンだもの、どこかに連れ去られるなら、その相手を殺してもいいと思うぐらいに」
「…」
さらりと言い放たれた真琴のことばに周囲が凍りついたが、舜は平然と本を並べ続けた。
「気にならないのね?」
「言霊って知ってる?」
舜は1冊1冊丁寧に棚に収めながら、聞き返した。
「あなたのことばは薄くて軽いよ。繊細に表現してるつもりだろうけど、何一つ意味がないから、ことばじゃなくて音が並んでるだけだね」
「喧嘩売ってるの?」
「お日様が当たるとほっとするよ。背中が暖かくなるから眠くなる。光の中は安心する。けれど、そんなことはどうでもいいんだよね、あなたは」
最後の1冊を詰め終わって、今度は女性を見下ろした。
「自分のことを話すためのきっかけに過ぎない、全てのことばはあなたの装飾品だ。綺麗だと思う人はいるかも知れないけど、あなたと話したいと思う人は誰もいない。わかってるんじゃない?」
真琴の瞳が大きく開いた。
「役者なら舞台で聞かせられる。お客は聞きに来ているからね。けれど、ここじゃあ、ことばはちゃんと意味を含めなくちゃ通らないんだ、ただの騒音だよ」
舜はにこやかに微笑んだまま続ける。
「ファン、って何か知ってる? 殺してもいいなら、他に何したいの? 何でも知ってるなら、何でもしてあげることはできないってわかってるよね? 風祭って間違えたのもきっかけ作りだよね、間違えられて二度と話したくない人もいるって思わなかった?」
「舜……カザル……」
「あなたは俺を殺せない」
少し息を吸う。脳裏に禄の笑顔が浮かぶ。ひょっとして真琴は禄にもこんな問答を仕掛けたのかと思うと吐き気がした。
「…相打ち覚悟もできない女に命なんかくれてやらない」
低く不穏な気配を込めると、真琴に伝わったのだろう、白い頬をより白くして身を翻し去っていく。それを見たのか、慌てて同僚が駆け寄って来た。
「大丈夫、風柳君」
「あ、すみません、店先でおかしなやりとり始めちゃって」
「いや、えーとあの、何か凄かったね、お芝居の台詞の練習か何か?」
「いやいやとんでもない」
舜はひらひらと手をふって笑う。
「ガキんちょのピンポンダッシュみたいなもんですよ。本気で怒ったら逃げちゃった」
0
あなたにおすすめの小説
【8話完結】いじめられっ子だった俺が、覚醒したら騎士団長に求愛されました
キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。
けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。
そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。
なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」
それが、すべての始まりだった。
あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。
僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。
だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。
過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。
これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。
全8話。
天の求婚
紅林
BL
太平天帝国では5年ほど前から第一天子と第二天子によって帝位継承争いが勃発していた。
主人公、新田大貴子爵は第二天子派として広く活動していた亡き父の跡を継いで一年前に子爵家を継いだ。しかし、フィラデルフィア合衆国との講和条約を取り付けた第一天子の功績が認められ次期帝位継承者は第一天子となり、派閥争いに負けた第二天子派は継承順位を下げられ、それに付き従った者の中には爵位剥奪のうえ、帝都江流波から追放された華族もいた
そして大貴もその例に漏れず、邸宅にて謹慎を申し付けられ現在は華族用の豪華な護送車で大天族の居城へと向かっていた
即位したての政権が安定していない君主と没落寸前の血筋だけは立派な純血華族の複雑な結婚事情を描いた物語
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
僕の恋人は、超イケメン!!
八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる
衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。
男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。
すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。
選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。
二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。
元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。
【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。
キノア9g
BL
異世界召喚されたのは、
ブラック企業で心身ボロボロになった陰キャ勇者。
国王が用意した褒美は、金、地位、そして姫との結婚――
だが、彼が望んだのは「何の能力もない第三王子」だった。
顔だけ王子と蔑まれ、周囲から期待されなかったリュシアン。
過労で倒れた勇者に、ただ優しく手を伸ばしただけの彼は、
気づかぬうちに勇者の心を奪っていた。
「それでも俺は、あなたがいいんです」
だけど――勇者は彼を「姫」だと誤解していた。
切なさとすれ違い、
それでも惹かれ合う二人の、
優しくて不器用な恋の物語。
全8話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる