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第2章 『竜夢』
3.乱暴な嫁 「お日様が当たるとほっとしない?」(3)
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「お日様が当たるとほっとしない?」
「…」
バス停で隣に立った女性に呟かれて、陸斗は相手を見下ろした。
小柄で細身。くるくるした茶色の猫っ毛、頭を撫でたくなる衝動に駆られる上目遣いの瞳は鮮やかな緑のカラーコンタクト、唇は薄い紅色で全体の印象はファンタジーに出てくる猫娘。
「…ああ、そりゃあ、するだろうね、猫ならば」
微笑みながらことばを返した。
バスは後1時間は来ない。どこかへ行くために来たのなら、他の手段を選ぶだろう。陸斗がバスを待っているのではないことは気づいたはずだ、ずっとまっすぐ前のマンションの入り口を見つめていたから。
今日は外食しませんか、いい店を見つけているので。
滑らかな口調で伊谷が誘ったのは昨夜だ。寝そべった陸斗の背中に優しいキスを落としながら、まだ少し乱れた吐息で囁いて来て、何だろう、いつになく色っぽくて煽られた。何か話があるのかと尋ねると、少し、と考え込んだ口調に別れ話かと考えなくなっただけ、進歩したものだ。別れてもいいと思っているわけではなくて、もし別れ話なら、伊谷は焦らさずすぐに話してくれるだろうとわかっている。陸斗が怯えているのも諦めているのも感じてくれている。
それだけで十分だと思っている。
朝起きて、のんびりと身支度して、迎えに来ると言った時間まで間があるから、外で待っていようと思った。マンションの前で待つのは目立つし迷惑だろうから、向かいのバス停でいかにもバスを待っている顔で立っていた。
そこへこの得体の知れない女性の接近だ。
「猫?」
瞬きして陸斗を凝視する、また少し微笑んでしまう。
この気配は伊谷にそっくりだ。醸し出す演技の色味がと言った方がいいか。
つまりは相手は『人心売買』の団員だろうと検討がついて、それでも名乗るまで待って見ようと思った。伊谷が仕掛けたゲームなら、陸斗は喜んで乗ってみる。カークならそうするだろう、ライヤーが配置した罠に薄笑いして踏み込んでみるだろう、自分の体を引き裂かれるのもまた一興と。
「猫の話はしていないのだけど」
「奇遇だね、私もだよ」
「では何の話を?」
「君の話」
不思議なものだ、伊谷とやり合っている間に、主導権を得る方法が知らず知らずに身に付いた。新たに覚えた方法ではなくて、元々陸斗の中にあった誇りとか過去とか経験とか、つまりは色々なものが全て武器に使えると気づかせてくれたのは伊谷だ。
「私はあなたに聞いたのよ?」
「それは君の感覚も語るよね」
お日様が当たるとほっとするのかな。
「そうとも限らないんじゃない?」
女性は意地悪そうに唇を曲げてみせる。
「あなたに合わせて、ことばを操ったのかも」
「ならば、君はずいぶん私との話を大事にしてくれてるんだね」
「え?」
「私の好みに合わせて、話したくもない感覚を話し、感じてもいない気持ちを作っているわけだから、大変な労力だろう?」
ふと気づく。
「君は、私のために演じてくれているようだけど、何が欲しいのかな。賞賛? それとも嫉妬?」
「…絶望を寄越しなさい」
「…」
「伊谷貢は空っぽの駒よ。あなたを落とすためだけに踊ってるの」
「…」
「何よ」
くすくすと笑いだした陸斗に女性は眉を逆立てる。
「何がおかしいの」
「私を落とすためだけにか。誰のために踊っているのか聞いても?」
「決まってるわ、私の為よ」
「ふうん」
頷きながら、陸斗は微笑むのをやめられない。マンションの入り口に駆け込もうとした人影が、前のバス停に居る陸斗に気づき、離れた横断歩道とどうやら陸斗の側に誰が居るのか気づいたのとで、狼狽え慌てて次々通る車に地団駄踏んでいるのが見えるからだ。
「じゃあ、君はあの観客に報いてあげたほうがいい」
陸斗が指差し、女性が振り向き、小さく息を引いた。
今しも通りすぎた車と車の間を、あわや轢かれそうなタイミングですり抜けて、高級なスーツを不似合いな不恰好さで翻しながら伊谷が道路を渡ってくる。
「何してるの、あれ」
「君の為に走って来てるんじゃないのかな」
「バカじゃないの、みっともない!」
「陸斗!」
話している間に伊谷は道路を渡り切った。ガードレールを飛び越えて、一気に陸斗に駆け寄り抱き着く。
「待っててって言ったのに!」
「伊谷、彼女がびっくりしてる」
「そんなのいいから、ご飯に行きましょう!」
「彼女は君の為に、話したくもない私に声かけてくれたみたいだよ?」
せめて名前ぐらい知りたいな?
「……」
「何よ、教えたくないのね、なら自己紹介するわ、篠崎真琴です、どうも」
女性は伊谷に唇を尖らせると、少し離れて優雅にお辞儀をし、名乗って見せた。
「伊谷さんと同じ『人心売買』に属しています、さあこれで如何?」
「だそうだよ、伊谷」
「……ご飯」
相変わらず陸斗にしがみついて肩に顔を埋めていた伊谷が、のろのろと顔を上げて唸った。
「今からご飯するから、俺達」
「最後の晩餐ってわけね、ご自由に。見届けてあげるわ」
「命令なの?」
陸斗を無視して会話は進む。
「失敗してんなら、さっさと戻れって?」
「あの人がそんなこと言うわけないし」
真琴が唇を尖らせた。
「いつまで遊んでいるつもりかって聞いてたけど」
「ずっと。永遠に。死ぬまで。二度と戻らないって伝えて」
伊谷がぎゅうっと力を込める。
「僕は『竜夢』で生きていくから」
「あんたはね。でも、その人がおんなじぐらい必要としていると思ったら大間違いよ。誰も影なんて必要としてないんだし」
「…いいもん」
「は?」
「それって、また別口で萌える」
はぁ、と甘い呼吸を首筋に吹き付けられて陸斗はそれとなく視線を空へ上げた。しがみついている体の一部が、演技ではなく本能だと伝えてきている。こう言う時に男は便利だ。
「篠崎さん?」
「何」
「このまま会話を続けると、伊谷が脱ぎそうなんで、失礼していいかな」
「はあ?」
「夕食は私になりそうなんだ」
見上げてくる瞳に視線を合わせて、僅かに眉を下げてみせる。
「少し軽く食べておかないと身が持たないから」
「…っバカっ!」
薄赤くなった篠崎が身を翻した。足を踏み鳴らしながら遠ざかる。
「伊谷。次に逢ったら殺されるかも」
「……じゃあ、殺される前に抱いて」
小さく呟いた伊谷の声が濡れている。
主客逆転を押し付けたのは陸斗だ。責任を取る必要はあるだろう。
「…部屋に戻ろうか?」
ん、と伊谷が小さく鼻を鳴らした。
「…」
バス停で隣に立った女性に呟かれて、陸斗は相手を見下ろした。
小柄で細身。くるくるした茶色の猫っ毛、頭を撫でたくなる衝動に駆られる上目遣いの瞳は鮮やかな緑のカラーコンタクト、唇は薄い紅色で全体の印象はファンタジーに出てくる猫娘。
「…ああ、そりゃあ、するだろうね、猫ならば」
微笑みながらことばを返した。
バスは後1時間は来ない。どこかへ行くために来たのなら、他の手段を選ぶだろう。陸斗がバスを待っているのではないことは気づいたはずだ、ずっとまっすぐ前のマンションの入り口を見つめていたから。
今日は外食しませんか、いい店を見つけているので。
滑らかな口調で伊谷が誘ったのは昨夜だ。寝そべった陸斗の背中に優しいキスを落としながら、まだ少し乱れた吐息で囁いて来て、何だろう、いつになく色っぽくて煽られた。何か話があるのかと尋ねると、少し、と考え込んだ口調に別れ話かと考えなくなっただけ、進歩したものだ。別れてもいいと思っているわけではなくて、もし別れ話なら、伊谷は焦らさずすぐに話してくれるだろうとわかっている。陸斗が怯えているのも諦めているのも感じてくれている。
それだけで十分だと思っている。
朝起きて、のんびりと身支度して、迎えに来ると言った時間まで間があるから、外で待っていようと思った。マンションの前で待つのは目立つし迷惑だろうから、向かいのバス停でいかにもバスを待っている顔で立っていた。
そこへこの得体の知れない女性の接近だ。
「猫?」
瞬きして陸斗を凝視する、また少し微笑んでしまう。
この気配は伊谷にそっくりだ。醸し出す演技の色味がと言った方がいいか。
つまりは相手は『人心売買』の団員だろうと検討がついて、それでも名乗るまで待って見ようと思った。伊谷が仕掛けたゲームなら、陸斗は喜んで乗ってみる。カークならそうするだろう、ライヤーが配置した罠に薄笑いして踏み込んでみるだろう、自分の体を引き裂かれるのもまた一興と。
「猫の話はしていないのだけど」
「奇遇だね、私もだよ」
「では何の話を?」
「君の話」
不思議なものだ、伊谷とやり合っている間に、主導権を得る方法が知らず知らずに身に付いた。新たに覚えた方法ではなくて、元々陸斗の中にあった誇りとか過去とか経験とか、つまりは色々なものが全て武器に使えると気づかせてくれたのは伊谷だ。
「私はあなたに聞いたのよ?」
「それは君の感覚も語るよね」
お日様が当たるとほっとするのかな。
「そうとも限らないんじゃない?」
女性は意地悪そうに唇を曲げてみせる。
「あなたに合わせて、ことばを操ったのかも」
「ならば、君はずいぶん私との話を大事にしてくれてるんだね」
「え?」
「私の好みに合わせて、話したくもない感覚を話し、感じてもいない気持ちを作っているわけだから、大変な労力だろう?」
ふと気づく。
「君は、私のために演じてくれているようだけど、何が欲しいのかな。賞賛? それとも嫉妬?」
「…絶望を寄越しなさい」
「…」
「伊谷貢は空っぽの駒よ。あなたを落とすためだけに踊ってるの」
「…」
「何よ」
くすくすと笑いだした陸斗に女性は眉を逆立てる。
「何がおかしいの」
「私を落とすためだけにか。誰のために踊っているのか聞いても?」
「決まってるわ、私の為よ」
「ふうん」
頷きながら、陸斗は微笑むのをやめられない。マンションの入り口に駆け込もうとした人影が、前のバス停に居る陸斗に気づき、離れた横断歩道とどうやら陸斗の側に誰が居るのか気づいたのとで、狼狽え慌てて次々通る車に地団駄踏んでいるのが見えるからだ。
「じゃあ、君はあの観客に報いてあげたほうがいい」
陸斗が指差し、女性が振り向き、小さく息を引いた。
今しも通りすぎた車と車の間を、あわや轢かれそうなタイミングですり抜けて、高級なスーツを不似合いな不恰好さで翻しながら伊谷が道路を渡ってくる。
「何してるの、あれ」
「君の為に走って来てるんじゃないのかな」
「バカじゃないの、みっともない!」
「陸斗!」
話している間に伊谷は道路を渡り切った。ガードレールを飛び越えて、一気に陸斗に駆け寄り抱き着く。
「待っててって言ったのに!」
「伊谷、彼女がびっくりしてる」
「そんなのいいから、ご飯に行きましょう!」
「彼女は君の為に、話したくもない私に声かけてくれたみたいだよ?」
せめて名前ぐらい知りたいな?
「……」
「何よ、教えたくないのね、なら自己紹介するわ、篠崎真琴です、どうも」
女性は伊谷に唇を尖らせると、少し離れて優雅にお辞儀をし、名乗って見せた。
「伊谷さんと同じ『人心売買』に属しています、さあこれで如何?」
「だそうだよ、伊谷」
「……ご飯」
相変わらず陸斗にしがみついて肩に顔を埋めていた伊谷が、のろのろと顔を上げて唸った。
「今からご飯するから、俺達」
「最後の晩餐ってわけね、ご自由に。見届けてあげるわ」
「命令なの?」
陸斗を無視して会話は進む。
「失敗してんなら、さっさと戻れって?」
「あの人がそんなこと言うわけないし」
真琴が唇を尖らせた。
「いつまで遊んでいるつもりかって聞いてたけど」
「ずっと。永遠に。死ぬまで。二度と戻らないって伝えて」
伊谷がぎゅうっと力を込める。
「僕は『竜夢』で生きていくから」
「あんたはね。でも、その人がおんなじぐらい必要としていると思ったら大間違いよ。誰も影なんて必要としてないんだし」
「…いいもん」
「は?」
「それって、また別口で萌える」
はぁ、と甘い呼吸を首筋に吹き付けられて陸斗はそれとなく視線を空へ上げた。しがみついている体の一部が、演技ではなく本能だと伝えてきている。こう言う時に男は便利だ。
「篠崎さん?」
「何」
「このまま会話を続けると、伊谷が脱ぎそうなんで、失礼していいかな」
「はあ?」
「夕食は私になりそうなんだ」
見上げてくる瞳に視線を合わせて、僅かに眉を下げてみせる。
「少し軽く食べておかないと身が持たないから」
「…っバカっ!」
薄赤くなった篠崎が身を翻した。足を踏み鳴らしながら遠ざかる。
「伊谷。次に逢ったら殺されるかも」
「……じゃあ、殺される前に抱いて」
小さく呟いた伊谷の声が濡れている。
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