『ドラゴン・イン・ナ・シティ』

segakiyui

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第2章 『竜夢』

4.ラスボス登場 「命が欲しいならどうぞ、僕には無用のものなので」(2)

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 やっぱり客が1人でもいるのはいいな。
 舜は思わず漏れそうになる鼻歌を堪える。
 たとえそれが、『竜夢』をなんとか潰せないかと虎視眈々と狙っている視線であっても、客が観ていると言う感覚は特別だ。
 見られるのが好き、と言うより、見ている人間が1人でも入れば、舜はその「視点」を借りられる。場所的なものだけではなく、どのように見ているかが、まるで頭の中に染み込むように広がってくる感覚に、気づいたのはいつだったか。
 実のところ、それは芝居ではなく舞台の上でさえなかった。バイトの帰りに、肩に当たったの当たらないのと酔っ払いに絡まれて、よほど悪い酔い方をしたのだろう、酒場の裏通りだったのも災いした。側にあったビールケース、空き瓶を一本取り上げて歩道の角で割り、据わった目をして迫られたのは、正直驚いた。もっともその驚きは、今時こんな芝居じみたことをする奴がいるんだと言ういささか恐怖とは別の部分で、思わずほえ、とかおかしな声が出たと思う。
 それが相手を挑発した。
 このお、とかバカにしやがって、とか、まあそう言う台詞も聞こえた気がする。気がすると言うのは、舜が他のことに気を取られていたせいだ。
 何だこれ。
 視界がかすかに揺れていた。ぼやけながら滲みながら、周囲の灯りがぼわぼわと広がる中で、シルエットになった男に急速に接近して行く感覚。突っ込んだ、つもりだったのに、シルエットの男は軽く足を踏み替えて避けた。
 その瞬間、戸惑った。
 なぜなら、踏み替えた脚の感覚を舜は確かに感じていたし、突き出されたビール瓶の砕けた端がきらりと灯りに光ったのも見えた、とんでもないスローモーションで。右手を側の壁に突く、軽く押しやれば体は慣性で別方向に跳ねる。その少し後にビール瓶ががしゃんと壁にぶつけられて、いてえ、と男が喚いた。
 途端、舜は突き出したビール瓶に加わった衝撃と強く痛んだ右手首を感じていた。ビール瓶を取り落とし、右手首を掴んでいてえと叫ぶ、その喉を焦りが締め付ける、まずい、俺は何をやってんだ、とんでもないことをしてるんじゃないのか。
 ああ、俺、今こいつの感覚を味わってる。
 いや、こいつだけじゃない、舜の感覚もしっかり残ってて、くるくると感覚が入れ替わるのが万華鏡を回すみたいに眩くて。
「命が欲しいならどうぞ」
 気がつくと、その時に演っていた芝居の台詞を吐いていた。踊るようにステップを踏み、うろたえる男の前にひらひらと手足を振り回して飛び出す。
「俺には無用のものなので」
 言い放った瞬間に視界を焼く怒り、怯んでいた男が両手で掴みかかってくるのが読み取れた。もちろんそこに舜はいない。数歩先を駆け出して、脱兎のように逃げ出し、冷や汗をかきながら笑っていた。
 何だこれ。何だこれ。何だこれ。
 面白え。
 その直後からではなかったか、舜の演技が一皮剥けたと言われ、異常な人気を得る時が出てきて、他の芝居の助っ人に呼ばれなくなったのは。
 自分に絡む人間の感覚が読める、わかる、感じ取れる。
 舜が今どんな風に見えているのか、どんな風に動けば求められるものが出せるのか。
 そうして世界は輝きを失ってしまった、芝居以外には。
「あ」
「舜?」
「…や、何でもない」
 衣装をつけている禄が訝しげに覗き込んで、舜はすとんと落ちてきた理解に瞬きする。
 俺、わかったかも、人の顔が覚えられなくなった理由。
 きっと、あの時が初めてじゃなかったんだ、人の感覚がわかってしまうの。
 周囲にいる人間のほとんどが、感覚で読み取れてわかってしまって、舜はきっと興味をなくした。話さなくとも関わらなくとも、相手が舜をどう見てどう感じているか理解できてしまうから、それは舜にとって「別の存在」にならなかった。
 全てが自分。
 全てが同じ。
 ならば「違う」顔のはずもない。
「禄?」
「ん?…舜、どうしたの?」
 舞台袖でカザルの衣装できゅ、としがみついてみると、禄は戸惑いながら振り向いてくれる。けれど、その後ことんとくっついた舜に頭を寄せてくれて、
「やっぱり、あの人が見ているのが不安?」
「じゃなくて」
 俺は今まで誰にどう見られたって平気だったんだ、そんなものはすぐに操作できるから。
 けれど、禄、君にはちゃんと見て欲しい。
「…違うな」
「ん?」
 舜は今願っている。
 「世界」に禄をちゃんと見て欲しい。
 例え、あそこにいる、自分の劇団とそれが巣食う狭い空間しか見えていない男であっても、「世界」の切れ端かも知れないなら。
「禄、俺全開で行くから。好きなように突っ走っていいよ、絶対付いてくから」
「……ありがとう……カザル」
 ほら、ここだよ。普通なら舜、って呼ぶところだろうにさ。
 舜は微笑んだ。
 禄は俺の予想を裏切ってくれるから、好きなんだ。
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