『ドラゴン・イン・ナ・シティ』

segakiyui

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第2章 『竜夢』

5.羅針盤 「いつか楽になるから」(3)

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「舜っ!」「おいっ」
 崩れた舜を禄が抱きかかえて寺戸を振り返り、声を上げて駆け寄りながら、陸斗はぞくぞくしたものを背中に走らせた。
 化けた、化けた、舜が全く違う人間に見えた。
 陸斗だって十分それまでのカークからはみ出たつもりだったのに、舜は禄の存在を踏み台に、自分のあり方まではみ出てしまった。
「今日は終わりだな。どうする?」
 寺戸は落ち着いたものだ、禄が舜をとりあえず寝かせて呼吸やら何やらを見ているのに狼狽もしていない。淡々と側に居る荒破に聞いている。
「そうだな」
 軋るような声が荒破の口から漏れた。それはそうだろう、いよいよ衣装をつけての通し稽古、どこまで芝居が出来上がっているのか、どのあたりから奪い取れるのかと検分に来たつもりだっただろうに、通しどころか細切れにされた場面場面で、次々と前後に結びつかない芝居が飛び出す。正直なところ、まともに展開できていると思えない、ここまで来ているのに、まるでまだまだ脚本読み合わせの状態じゃないかと思っただろう。もちろん、これは荒破用の破綻した舞台、と言う芝居かとも疑ってはいるだろうが、実際に舜はくったりと気を失ってしまっており、甲斐甲斐しく世話する禄の動きにも目覚める様子はない。
「もういい」
「そうか」
 立ち上がった荒破は礼を述べなかったし、寺戸は相手を引き止める様子もなかった。虚ろな影のように荒破が姿を消して、一番大きな溜息をついたのは伊谷だった。
「…厳しいな」
「うん?」
 振り向くと、伊谷は無表情にこちらを見返す。
「どうした?」
「いや、今のカザルでこられると、僕のライヤーが霞むなあと」
 こいつも役者ばかだ。
 陸斗はくすりと笑う。
 倒れた仲間よりも、そいつが引っ掴んだ別の世界に気を取られてしまう。本当に人でなしの集団だ。
「禄、舜を連れて帰ってやれ。今日はもう無理だろう」
「はい」
 寺戸の声に、よいしょ、と禄が舜を背負う。タクシー呼ぶわね、とミコトが駆け出して行き、寺戸はゆっくりと陸斗を向いた。
「どうする? もう少し詰めてくか?」
「次はもう、ゲネプロですか」
「いや、もう1回通しをやる予定だ。もっとも今回の揺さぶりで流れに幅が出たから、その分の調整はいるから…」
 寺戸はハンチングの下で一瞬目を閉じ、
「どの形で揃えるか、どこのラインで手を打つか、頭を冷やして固めてもらう必要はあるな」
「舜が随分ばらけちゃいましたから」
 陸斗は思わず苦笑いする。
「こっちのバランスが計算できません」
「あいつらは芝居を楽しんでる」
 寺戸は珍しく薄く笑った。
「このまま演り続けていってもいいと思うが」
「冗談でしょう、まとめ上げる楽しさは別物だと教えるんでしょう、若者には」
「…そうだな。老兵の仕事だ」
 寺戸は小さく吐息をつき、お前も上がれ、と付け加えた。
「わかりました。伊谷」
「はいっ」
 舜達を送り出した後、じっと寺戸とのやりとりを聞いていた伊谷が、慌てて戻ってくる。
「終わりだってさ、上がろう」
「え? ええ? この状態で?」
 伊谷が戸惑う。不満そうに捻じ曲げた唇、そうかこいつも芝居に酔っていたくなったのかと苦笑し、
「このまま続けても楽にならないから」
「え?」
「独りよがりなんて虚しいだけだろ?」
「それは…そうです、けど」
「帰るよ。ほら。また次の日に、だ」
「え…あ、はい」
 不承不承従う姿に、怒られた子犬みたいに垂れた尻尾と耳が見える。
「夢中になって演じている時は楽しいよねえ、伊谷」
「ええ、はい…」
「夢の中みたいでさ、何をやっても何が起こっても、全部自分の身になってさ」
「…はい」
「けれど、選ばなくちゃならないんだよ、最終最後はただ1つ」
「…リク」
「っ」
 不意に強く腕を握られて振り返る。
「どういうこと?」
「何が」
「あなた、今、僕と別れそうな顔してるけど」
 勘がいいねえ。
 口まで出かけた台詞を飲み込む。
「伊谷はさあ、これが終わったらどうする気?」
「え?」
「『竜は街に居る』が終わったら」
 荒破の姿は否応無く夢を食い破った。伊谷がこの先の人生を共に生きてくれるわけがないと確信させた。芝居は演じただけでは終わらない。演じ合って、どこで切り捨てどこで添わせるか、何を残し何を消すのか、そうやって整理していかなければ、夢で終わってしまう。
 繰り返し生まれ続ける新しいカークを追いかけてばかりでは、芝居は完成しなくなる。
「どうするって…そんなこと」
「あのさあ」
 決まってる、あなたと一緒に。
 そう呟かれるだろう続きを、陸斗は切った。
「次の芝居に、お前の役柄があるとは限らないよ?」
「…」
「お前が必要とは限らない」
「……リク」
「私は、役者を止められない」
 業って言うんだろうか、何をしていても、これは芝居とどう繋がるのかと考えている。
「優先順位は、役者の方がお前より上」
 だから必要があれば、荒破とも組む。
「お前は組めないよね、そういう時には」
 なら、お前は何をするの?
 元がノンケの伊谷は、長い年月の間に男を愛するあり方に迷い悩み傷つくだろう。演技であろうと、陸斗が荒破に乱れれば穏やかではいられないだろう。
「いつか楽になる……なんてことはないよ」
 役者に取り憑かれた人間は、修羅場の中を歩き続ける、全てを演技の肥やしにするために。
「どうしてそんなことを今言いだすんですか」
「通し稽古だからね。どれだけ熱を持って打ち込んだ場面でも、全体から見てバランスが悪ければ切り捨てる覚悟をしとかないと」
「それが俺との生活だって?」
「違う保証はない」
 外に出た瞬間、冷たくて激しい風が吹き付け、陸斗は目を閉じた。乾燥した風に叩かれた眼球が痛くて、しばらくじっと目を閉じていると、風が止む。薄く目を開けると、真面目な表情をした伊谷が、風を遮るように立っていた。
「伊谷」
「夢みたいなもんですよ、現実も」
 目を細めて笑う。
「僕には現実なんて1つもなかった。あなたが唯一無二の現実なんです」
 そういう男のことなんて、あなたは何一つ知らないでしょう。
「あなたはカフェでバイトして、赤い炊飯器でご飯炊いて、風柳舜に恋して、生きてた」
「…知って……?」
 全身から血の気が引いた。確かに芝居絡みの付き合いで、演技でしかない恋人同士で、いつの間にか近く心も体も寄せてきて、けれど一度だって舜への想いを気づかせたはずはなかったのに。
「知らないはずないでしょう、あなたのことしか見てなかったんだから」
 強い風が伊谷の前髪を乱して表情が曖昧になる。
「あなたが当たり前に享受していた現実は、僕にはカケラも存在していなかった……どういうことかわかる?」
 優しい伊谷の声だった、今まで聞いたことがないほど甘い。
「僕の存在は、誰にもどこにも意味がない」
「伊谷…」
 違う、そういうことじゃなくて。
 いきなり陸斗はとんでもない寒さに震えた。手足が無意識にがたがたする。まるで熱源全て奪い去られてしまったように。
 そうして見えてきた、自分のズルさ。
 禄と舜の、他に譲ることも遮られることもない距離が羨ましかった。あれほど近くわが身を引き換えにするほど深く、陸斗は伊谷に溺れていない。それがカークを演じてわかってしまった。伊谷の熱情を役者への燃料と考えるほど、陸斗は非情で冷徹だ。
 だからこそ、舜に恋していられた、絶対振り向かない安全圏の幻だから。
 あの禄と舜の繋がりにふさわしい重量を、陸斗は伊谷に持たせてやれない。それはこの芝居の崩壊を意味する。伊谷が自分の人生を投げ捨ててまで守ってくれようとした、この芝居を、『竜夢』を、陸斗が壊して潰していくのが透けて見える。
 そんなことは、許せない。
 呼吸ができない。
「リク」
 ふわりと抱きしめられて固まった。
 往来だ。人が見ている。伊谷も陸斗も知っている人が、抱き合う2人を見てしまう。
「楽になるから」
「…え?」
「約束する、楽になるから。あなたは今よりうんと楽になるよ、全てを受け入れてくれたら」
「な…にを…」
 言ってるんだ、の声は伊谷の口に飲み込まれて行く。
 見開いたままの瞳に伊谷の目が近づいて、頬を静かに涙が伝った。
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