『ドラゴン・イン・ナ・シティ』

segakiyui

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第2章 『竜夢』

5.羅針盤 「いつか楽になるから」(4)

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 ああ、そうか。
 貢は禄と舜の芝居を見ながら、悟る。
 僕の「現実」は、今ここから始まるんだな。
 5歳の悪夢から自分を守ろうとして、貢はじっと自分を閉じ込めて「現実」に触れないように生きてきた。「現実」は貢をそれ以上傷つけることはなくなったけれど、代わりに貢が経験して味わえたものを全て「芝居」の中に封じ込めて取り出せなくしてしまった。
 けれども「芝居」は好きなように変えられる。たとえ脚本があったとしても、台詞はことばの強弱や口調、声色で100通りにも1000通りにも演じ変えられる。ましてや「芝居」となれば変化は無限だ、相手のあり方でも、舞台装置一つの場所が違うだけで、意味が変わり展開が変わる。
 そうして貢はどんな「現実」も手に取ることがないまま、ずっと仮初めの人生を生きてきた。
 けれど今、衣装を変えて明らかに違う芝居になってしまった『竜は街に居る』を前に、貢は自分が演じるライヤーのイメージを失わずに立っていられる。だからこそ、
「次の芝居に、お前の役柄があるとは限らないよ?」
 馬鹿馬鹿しい問いだった。
「夢みたいなもんですよ、現実も」
 目を細めて笑う。
「僕には現実なんて1つもなかった。あなたが唯一無二の現実なんです」
 本当に陸斗は貢のことをわかっていないと思う。けれどそれも無理はない、今の今まで貢だってわかっていなかったのだから。
「あなたが当たり前に享受していた現実は、僕にはカケラも存在していなかった……どういうことかわかる? 僕の存在は、誰にもどこにも意味がない」
「伊谷…」
 陸斗が怯えた顔になって、その恐怖を快く味わった。
 いじめたいんじゃないよね、ライヤー。
 君にも「現実」はどこにもなかったから、ようやく得た「現実」が苦かろうと甘かろうと、そんなことはどうでもよかった。今始まった全ての経験が、未開封のおもちゃ箱と同じで、痛みも喜びも驚きと興奮を与えてくれるのは同じだけ。君にとってオウライカは確かに豊かで美しい現実だけど、カークが与えてくれたのはもっと色彩鮮やかな目も眩むほどの衝撃だったから、その強い輝きに魅かれていくのは自然なことだった。柔らかなベビータオルの中から、光溢れる外の芝生に駆け出すようなもの、転んだら怪我をするし駆け抜けられたら満足する、その振り幅に魅せられた。
 けれど陸斗はどの「現実」が貢にふさわしいかと考えている。
 陸斗が関わることで、貢にふさわしい「現実」を受け取れないんじゃないかと考えている。
 それが自分の嗜好と重なって、世界が受け入れない自分と合わさって、貢を手放さなくちゃいけないなんて考えている。
 そうじゃない。
 そうじゃないんだ。 
 あなたが関わっている全てのことが、全ての「現実」が僕は欲しい。
 芝生で転ばずに走りたいなんて思っていない。思いもしない大怪我をして、その後数日寝込んだとしても、その「現実」もまた貢にとっては得難い世界。
 何でもいいと言ってしまっては、この可愛い人は妥協させたと不安になるだろうし、どうでもいいから選んだのかと拗ねるだろう。
 そんなに難しいことじゃないのに。
「楽になるから」
「…え?」
「約束する、楽になるから。あなたは今よりうんと楽になるよ、全てを受け入れてくれたら」
「な…にを…」
 戸惑う陸斗に往来でキスを仕掛ける。抵抗はすぐに止んでしまう。 
 これが正しいとか間違っているとか考えている小さな頭に、貢が味わっている「現実」を少しでも伝えたい。
 楽になるよ、いつかなんて遠い先のことじゃなくて、今この瞬間から、ただ一緒に貢と過ごしてくれたなら。
 そうして陸斗も乗り越えることができるのだろう、禄や舜が飛び越えてみせた自分という枠組みを、「芝居」を使って「現実」を作り変えていく楽しさと怖さを、思う存分味わって。
 一緒に行こう、リク。
 一瞬離した唇で囁く。
 一緒に『竜夢』の最後まで。
 ことばが聞こえたとは思えないけれど、陸斗は静かに泣いていた。
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