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第2章 『竜夢』
7.落魄 「小さな気持ちを捨てないできただけ」(1)
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『何、これ』
『何って、君の服だ。サイズは合うだろう。換えはまた準備させる』
『いや、そうじゃなくって。これって普通のスーツじゃん。………ってか、あんたも何、その普通のスリーピース!』
『おかしいか?』
『いや、おかしいとかそういう問題じゃなくて! あんた、ログ・オウライカだろ? 「斎京」のトップだろ! でもって、今「塔京」から「斎京」に戻ってきたんだろ!』
『説明してもらわなくともわかっているが』
『や、だからっ』
きつい。
禄は乾燥してくる喉に苛立ちながら、畳み掛けるような舜の台詞に応じる。
もちろん、この部分は十分に練習したし何度も積み重ねてセリフを間違えるはずもない、けれど、舞台の上でライトに照らされながら、カメラの映りを視界に入れて寸分狂いもなく演技し続けるのは、こんなにきついものだったのか。
『俺、テレビで見たことあるもん! ログ・オウライカが外から戻ってくる時も、外に出かける時も、「斎京」じゃ盛大な迎えと送りの儀式があって、それで外の「ケガレ」を落として「斎京」に入るって! 黒いオープンカーに乗って! 白い手袋の手を振って! でもって、周りに大きな旗が翻ってて!』
『なんだ、オープンカーに乗りたかったのか。なら、早く言っておけばよかったんだ』
『…は?』
『今日は諦めろ。次の時に乗せてやる……っごふっ』
ひや、とした次の瞬間、ことばを叩きつけているはずの舜の目に心配を読み取ってしまった。客席の寺戸が片手を上げる。ダメ出しだ。
「理由はわかるな?」
「はい、すみません」
情けなく息が上がったまま頷く。寸秒刻みに繰り出される舜のことばを無視するのでも受け流すのでもなく、きっちり聞き取った上で余力でやり返すことで、オウライカという人間の度量が示せる場所なのに、しかも微笑みながら返す部分なのに、舞台の上だとこんなにも勝手が違う。
「経験不足は仕方がない」
寺戸は淡々と指摘する。
「この瞬間から積め」
「はい」
他の誰も、こんな風に舞台の上で声を掠れさせないし、咳き込んだりしない。練習の時には問題なく演じられていたと思うし、声が出ないと感じたこともなかった。けれど今、同じ台詞なのに、自分の声が遠くに吸い込まれていくようで、聞こえているのかどうか自信が持てない。立ち位置は説明されて理解しているが、この体の向きでいいのか分からない。舜との距離が違う。いや、距離は同じなのだろうが、挟まれている空気の密度が違う。うんと薄い。視界にいろんなものが飛び込む。客席の小さな動きが棘みたいに刺さる。視線を感じておくのはいいことだと聞いたが、情報量が多すぎる。これで客席にぎっしり人が居て、しかもざわめいていたり囁きを交わされていたりしたら、禄のことばは消えてしまうんじゃないか。
これで正しいのか。それとも間違っているのに舞い上がって気づいていないのか。どうやって確かめればいい。舜の表情は『カザル』のものだ、練習の時みたいに禄の演技を見てくれているわけじゃない。止めて尋ねたい、これで合ってるのか、それとも間違い始めているのか、どこで確かめればいいのか。それとも確かめよう、誰かに頼ろうと考えることがまずいのか。
素人が、と思う。
才能も経験も何もない素人が、辞めたくない、やって見たいと小さな気持ちを捨てないできただけだ。けれど、それじゃ、全く足りない世界なんだ、ここにいることがそもそも間違いだったんだ。
「禄!」
「っ」
強く呼ばれて顔を跳ね上げる。瞬間、気づいた。
「あ」
「違うだろう」
寺戸が冷ややかに断じる。
「お前は今、雷牙禄じゃない、ログ・オウライカだ」
「う…」
「禄……」
舜、いや、まだカザルの顔をしたままの見知らぬ男が、不安そうにこちらを眺めている。なぜ、この男が僕の名前を呼ぶんだと思って、その違和感を引き起こしたのが自分だと気づいて、なお怯む。
寺戸が立ち上がった。
降りろ。
そう言われると思った瞬間。
「信じろ」
「…え…?」
「間違ってないと言えるのは、お前だけだ」
「……」
「そのオウライカでいいのか、どうか」
そのオウライカで。
オウライカじゃない、と言われたのではなかった。
お前はオウライカができない、と言われたのでもなかった。
禄がオウライカであることは当たり前で、「どんなオウライカ」であるかを尋ねられている。
信じろ。
気持ちを抱いた瞬間を。
全くできないと思っていたなら、思いつかなかったし、やろうともしなかったはずだ。
無理かも知れない、できないかも知れない、けれど百に一つ千に一つ、できるかも知れないと思った小さな気持ちが、禄をこの舞台に立たせているのなら、今禄にできることは信じることだけ、ここまで来た日々と重ねて来た時間を。
それでもお前は捨てなかったんだろう?
「……このオウライカで行きます」
気がつくと答えていた。
「オウライカはここではまだ、本体なのか影なのか明らかにしていない。カザルに暴かれた自分で行くのか、認められているオウライカで行くのか」
答えながら気づいた。
余裕で受け答えしてカザルをからかっているふりをしながら、その実、オウライカも迷っていたかも知れない、どこまで相手に自分を晒すのか。考えていたかも知れない、どちらが自分の本性なのか。ああ、だから。台詞が口を突く。
『まあ、ああやって、露骨にログ・オウライカの出入りを派手にしとけば、その実私個人はこうやってあちこち好き勝手なところに出かけられるわけだ』
オウライカは完璧に演じ分けていた。カザルに会って、初めてその境界があやふやになった。
『……ついでに、公式訪問は彼が出かける。私は表には出ない。寧ろ、私がライヤーの「影」だな……じゃ、行こうか、私は徒歩で戻るんだ』
オウライカは、本当はどう生きたかったんだ?
禄の胸に、初めての疑問が湧き、同時に冷や汗が出る。
なんで、今になって思いつく、明日が本番という、この時に。
「いい解釈だ」
寺戸はひょいと振り向いた。
「オウライカは初めからお前を信じていたわけでもなさそうだぞ、カザル」
「…ですね」
芝居の続きさながらに、少し青ざめた顔で舜が笑った。
『何って、君の服だ。サイズは合うだろう。換えはまた準備させる』
『いや、そうじゃなくって。これって普通のスーツじゃん。………ってか、あんたも何、その普通のスリーピース!』
『おかしいか?』
『いや、おかしいとかそういう問題じゃなくて! あんた、ログ・オウライカだろ? 「斎京」のトップだろ! でもって、今「塔京」から「斎京」に戻ってきたんだろ!』
『説明してもらわなくともわかっているが』
『や、だからっ』
きつい。
禄は乾燥してくる喉に苛立ちながら、畳み掛けるような舜の台詞に応じる。
もちろん、この部分は十分に練習したし何度も積み重ねてセリフを間違えるはずもない、けれど、舞台の上でライトに照らされながら、カメラの映りを視界に入れて寸分狂いもなく演技し続けるのは、こんなにきついものだったのか。
『俺、テレビで見たことあるもん! ログ・オウライカが外から戻ってくる時も、外に出かける時も、「斎京」じゃ盛大な迎えと送りの儀式があって、それで外の「ケガレ」を落として「斎京」に入るって! 黒いオープンカーに乗って! 白い手袋の手を振って! でもって、周りに大きな旗が翻ってて!』
『なんだ、オープンカーに乗りたかったのか。なら、早く言っておけばよかったんだ』
『…は?』
『今日は諦めろ。次の時に乗せてやる……っごふっ』
ひや、とした次の瞬間、ことばを叩きつけているはずの舜の目に心配を読み取ってしまった。客席の寺戸が片手を上げる。ダメ出しだ。
「理由はわかるな?」
「はい、すみません」
情けなく息が上がったまま頷く。寸秒刻みに繰り出される舜のことばを無視するのでも受け流すのでもなく、きっちり聞き取った上で余力でやり返すことで、オウライカという人間の度量が示せる場所なのに、しかも微笑みながら返す部分なのに、舞台の上だとこんなにも勝手が違う。
「経験不足は仕方がない」
寺戸は淡々と指摘する。
「この瞬間から積め」
「はい」
他の誰も、こんな風に舞台の上で声を掠れさせないし、咳き込んだりしない。練習の時には問題なく演じられていたと思うし、声が出ないと感じたこともなかった。けれど今、同じ台詞なのに、自分の声が遠くに吸い込まれていくようで、聞こえているのかどうか自信が持てない。立ち位置は説明されて理解しているが、この体の向きでいいのか分からない。舜との距離が違う。いや、距離は同じなのだろうが、挟まれている空気の密度が違う。うんと薄い。視界にいろんなものが飛び込む。客席の小さな動きが棘みたいに刺さる。視線を感じておくのはいいことだと聞いたが、情報量が多すぎる。これで客席にぎっしり人が居て、しかもざわめいていたり囁きを交わされていたりしたら、禄のことばは消えてしまうんじゃないか。
これで正しいのか。それとも間違っているのに舞い上がって気づいていないのか。どうやって確かめればいい。舜の表情は『カザル』のものだ、練習の時みたいに禄の演技を見てくれているわけじゃない。止めて尋ねたい、これで合ってるのか、それとも間違い始めているのか、どこで確かめればいいのか。それとも確かめよう、誰かに頼ろうと考えることがまずいのか。
素人が、と思う。
才能も経験も何もない素人が、辞めたくない、やって見たいと小さな気持ちを捨てないできただけだ。けれど、それじゃ、全く足りない世界なんだ、ここにいることがそもそも間違いだったんだ。
「禄!」
「っ」
強く呼ばれて顔を跳ね上げる。瞬間、気づいた。
「あ」
「違うだろう」
寺戸が冷ややかに断じる。
「お前は今、雷牙禄じゃない、ログ・オウライカだ」
「う…」
「禄……」
舜、いや、まだカザルの顔をしたままの見知らぬ男が、不安そうにこちらを眺めている。なぜ、この男が僕の名前を呼ぶんだと思って、その違和感を引き起こしたのが自分だと気づいて、なお怯む。
寺戸が立ち上がった。
降りろ。
そう言われると思った瞬間。
「信じろ」
「…え…?」
「間違ってないと言えるのは、お前だけだ」
「……」
「そのオウライカでいいのか、どうか」
そのオウライカで。
オウライカじゃない、と言われたのではなかった。
お前はオウライカができない、と言われたのでもなかった。
禄がオウライカであることは当たり前で、「どんなオウライカ」であるかを尋ねられている。
信じろ。
気持ちを抱いた瞬間を。
全くできないと思っていたなら、思いつかなかったし、やろうともしなかったはずだ。
無理かも知れない、できないかも知れない、けれど百に一つ千に一つ、できるかも知れないと思った小さな気持ちが、禄をこの舞台に立たせているのなら、今禄にできることは信じることだけ、ここまで来た日々と重ねて来た時間を。
それでもお前は捨てなかったんだろう?
「……このオウライカで行きます」
気がつくと答えていた。
「オウライカはここではまだ、本体なのか影なのか明らかにしていない。カザルに暴かれた自分で行くのか、認められているオウライカで行くのか」
答えながら気づいた。
余裕で受け答えしてカザルをからかっているふりをしながら、その実、オウライカも迷っていたかも知れない、どこまで相手に自分を晒すのか。考えていたかも知れない、どちらが自分の本性なのか。ああ、だから。台詞が口を突く。
『まあ、ああやって、露骨にログ・オウライカの出入りを派手にしとけば、その実私個人はこうやってあちこち好き勝手なところに出かけられるわけだ』
オウライカは完璧に演じ分けていた。カザルに会って、初めてその境界があやふやになった。
『……ついでに、公式訪問は彼が出かける。私は表には出ない。寧ろ、私がライヤーの「影」だな……じゃ、行こうか、私は徒歩で戻るんだ』
オウライカは、本当はどう生きたかったんだ?
禄の胸に、初めての疑問が湧き、同時に冷や汗が出る。
なんで、今になって思いつく、明日が本番という、この時に。
「いい解釈だ」
寺戸はひょいと振り向いた。
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