88 / 121
第2章 『竜夢』
7.落魄 「小さな気持ちを捨てないできただけ」(2)
しおりを挟む
置いていかれる。
カザルの恐怖を、今、舜は我が身で味わっている。
完璧な演技でオウライカの下に潜り込み、庇護を受け取ろうとしたはずが、見せられていたオウライカは紛い物で実体はなく、従ってカザルが果たそうとした目論見も全て水の泡として消え失せる、その予感。
禄は本当にど素人で、芝居のしの字も知らなくて、側に付き添い手取り足取り、色んなことを一緒に経験して積み重ねてきた。思わぬ踏み込みの強さや、芝居のために自分さえも捨てようとする激しさに呑み込まれて、それほど深く欲されている自分を感じて、舜の薄皮も剥がれていくような、そうして今まで見えていなかった現実が生き生きと輝いてきて夢中になって。
聞こえてきた、聞こうとしなかった、小さな声。
ここで生きてみたい。
すぐに響いた囁き、そんなことは無理だ、それは間違っている。
お前は芝居のために生きてきた。芝居の中で生きてきた。それは絶対の安全圏だった。
けれど、禄に出会って身ぐるみ剥がされて、もう戻れないところまでやってきて、胸の中で小さな気持ちを捨てないできたんだと自覚して。
もう芝居だけの人生には戻れない。
けれど、現実の中でどう生きていけばいいのか、舜にはわからない。
きっとカザルもそうだっただろう。
オウライカに出会って、『塔京』の殺人機械として生きてきた自分を引き剥がされて、全く別の現実の中に放り込まれて。
どうして生きていけばいいんだろう。
殺しの技術は役に立たない。人を誘惑し堕とす技巧も不要だ。
周囲にあるのは、カザルには読めない書物と理解できない「見えない力」。手を伸ばしても、それに触れることも学ぶことさえできない壁が、オウライカとの間に立ちはだかっている。
それでもここで居たいと、オウライカと寄り添いたいと、手仕事に打ち込んでみたり、読めない書物を写してみたり、多少の役に立つのならと華街で身売りをしてみたり。
すぐに気づいた、これでも無理だと。
オウライカには届かない。
届かなければ、カザルは1人、この見覚えのない理解できない『斎京』の中で取り残されていくしかない。
何のためにいるのかなあ、俺。
だからカザルはトラスフィに同行してオウライカの元を離れた。
『オウライカさん……俺、ほんとはここで暮らしたい、あんたの側で、細工物とか作っちゃって』
『…なら』
尋ねるような禄の表情に微笑み返す。
『でも、無理なんだ……俺、そういうふうには生きられない』
言いながら、もう一つのことばを胸に浮かべる。
本当は、どのオウライカでも大丈夫だよって言いたかったよ、禄。俺ならどれにでも、なんとでも合わせられるから。けれど、そんな風に生きちゃいけないって、カザルが教えてる。
『とっさの時、ぎりぎりの時、俺は容赦なく牙を剥く、たぶんあんたにだって』
そんな風に生きなくちゃ駄目だ。
『しかし……それなら殺されてやってもいいんだが』
困ったようなオウライカの台詞に切なくなる。
ああ、ほんと、オウライカってわかっちゃいない。
オウライカを殺したくないからこそ、カザルはどんな風にでも振る舞えるのをやめて、オウライカを殺さないたった一つの道を探しに行こうとしているのに。
禄の役者人生をこの舞台で最後にしないために、舜は禄の演技に抵抗しなければならないのに、今の舜にはそれができない。
『……あんたが……大事だ……俺、あんたが大事です』
ああ、この台詞、こんなにはっきり口に出すのが難しいことばだったのか。
舜はゆっくり俯いて、詰まった声で続ける。
『だから、あんたを失いたくない……どんな無茶してでも、失いたくないんだ』
今の舜じゃ、さっきのように禄が動けなくなった時に、腕を引いてもやれないし背中を押してもやれない。大事すぎて、守ることしか考えつかない。それでは、いつか禄を駄目にする。
『だから、俺は俺の、できることを……俺が俺として一番有能なことを、する』
禄と一緒に住む、あの家を出て実家に戻ろう、少なくとも、この舞台が終わるまで。
離れている間、禄との芝居のことだけを考えよう。
今まで空気みたいに演じていた全てを、一から組み直すつもりで考え直そう。
今の禄にはきっと伝わる。
舜が何を考えて、どんな風に変えてきたのか、きっとわかってくれる。
『オウライカさん』
『なんだ』
『キスし』
て、のことばの前に禄が唇を重ねてきて、思わず目を見開く。禄の瞳は舜を凝視している、その視線に微笑んだ。
ありがと、禄。
俺のこと、好きだって思ってくれてるの、伝わってる。
だから。
「っ」
少し舌を差し入れて、目を丸くする禄に顔を引く。
『それを守りに置いてくよ……あんたの中のものが、無闇に暴れないように』
禄はじっと舜を見返す。
寺戸が止めかけて、やめた。
『あんたの中のものが、俺以外の誰かを喰わないように………あんたの贄は、俺だ』
もう一度、少しだけ唇を触れる。
『忘れないで』
できたら、俺以外、あの家に入れないで欲しい、けど。
『まさか、お前』
掠れた禄の声にくらくらするほど欲しくなった、それを呑み込んで。
『じゃ…いきます』
背中を向けた自分は、今まで一番かっこいいはず。
滲みそうになった涙を、舜は飲み下した。
カザルの恐怖を、今、舜は我が身で味わっている。
完璧な演技でオウライカの下に潜り込み、庇護を受け取ろうとしたはずが、見せられていたオウライカは紛い物で実体はなく、従ってカザルが果たそうとした目論見も全て水の泡として消え失せる、その予感。
禄は本当にど素人で、芝居のしの字も知らなくて、側に付き添い手取り足取り、色んなことを一緒に経験して積み重ねてきた。思わぬ踏み込みの強さや、芝居のために自分さえも捨てようとする激しさに呑み込まれて、それほど深く欲されている自分を感じて、舜の薄皮も剥がれていくような、そうして今まで見えていなかった現実が生き生きと輝いてきて夢中になって。
聞こえてきた、聞こうとしなかった、小さな声。
ここで生きてみたい。
すぐに響いた囁き、そんなことは無理だ、それは間違っている。
お前は芝居のために生きてきた。芝居の中で生きてきた。それは絶対の安全圏だった。
けれど、禄に出会って身ぐるみ剥がされて、もう戻れないところまでやってきて、胸の中で小さな気持ちを捨てないできたんだと自覚して。
もう芝居だけの人生には戻れない。
けれど、現実の中でどう生きていけばいいのか、舜にはわからない。
きっとカザルもそうだっただろう。
オウライカに出会って、『塔京』の殺人機械として生きてきた自分を引き剥がされて、全く別の現実の中に放り込まれて。
どうして生きていけばいいんだろう。
殺しの技術は役に立たない。人を誘惑し堕とす技巧も不要だ。
周囲にあるのは、カザルには読めない書物と理解できない「見えない力」。手を伸ばしても、それに触れることも学ぶことさえできない壁が、オウライカとの間に立ちはだかっている。
それでもここで居たいと、オウライカと寄り添いたいと、手仕事に打ち込んでみたり、読めない書物を写してみたり、多少の役に立つのならと華街で身売りをしてみたり。
すぐに気づいた、これでも無理だと。
オウライカには届かない。
届かなければ、カザルは1人、この見覚えのない理解できない『斎京』の中で取り残されていくしかない。
何のためにいるのかなあ、俺。
だからカザルはトラスフィに同行してオウライカの元を離れた。
『オウライカさん……俺、ほんとはここで暮らしたい、あんたの側で、細工物とか作っちゃって』
『…なら』
尋ねるような禄の表情に微笑み返す。
『でも、無理なんだ……俺、そういうふうには生きられない』
言いながら、もう一つのことばを胸に浮かべる。
本当は、どのオウライカでも大丈夫だよって言いたかったよ、禄。俺ならどれにでも、なんとでも合わせられるから。けれど、そんな風に生きちゃいけないって、カザルが教えてる。
『とっさの時、ぎりぎりの時、俺は容赦なく牙を剥く、たぶんあんたにだって』
そんな風に生きなくちゃ駄目だ。
『しかし……それなら殺されてやってもいいんだが』
困ったようなオウライカの台詞に切なくなる。
ああ、ほんと、オウライカってわかっちゃいない。
オウライカを殺したくないからこそ、カザルはどんな風にでも振る舞えるのをやめて、オウライカを殺さないたった一つの道を探しに行こうとしているのに。
禄の役者人生をこの舞台で最後にしないために、舜は禄の演技に抵抗しなければならないのに、今の舜にはそれができない。
『……あんたが……大事だ……俺、あんたが大事です』
ああ、この台詞、こんなにはっきり口に出すのが難しいことばだったのか。
舜はゆっくり俯いて、詰まった声で続ける。
『だから、あんたを失いたくない……どんな無茶してでも、失いたくないんだ』
今の舜じゃ、さっきのように禄が動けなくなった時に、腕を引いてもやれないし背中を押してもやれない。大事すぎて、守ることしか考えつかない。それでは、いつか禄を駄目にする。
『だから、俺は俺の、できることを……俺が俺として一番有能なことを、する』
禄と一緒に住む、あの家を出て実家に戻ろう、少なくとも、この舞台が終わるまで。
離れている間、禄との芝居のことだけを考えよう。
今まで空気みたいに演じていた全てを、一から組み直すつもりで考え直そう。
今の禄にはきっと伝わる。
舜が何を考えて、どんな風に変えてきたのか、きっとわかってくれる。
『オウライカさん』
『なんだ』
『キスし』
て、のことばの前に禄が唇を重ねてきて、思わず目を見開く。禄の瞳は舜を凝視している、その視線に微笑んだ。
ありがと、禄。
俺のこと、好きだって思ってくれてるの、伝わってる。
だから。
「っ」
少し舌を差し入れて、目を丸くする禄に顔を引く。
『それを守りに置いてくよ……あんたの中のものが、無闇に暴れないように』
禄はじっと舜を見返す。
寺戸が止めかけて、やめた。
『あんたの中のものが、俺以外の誰かを喰わないように………あんたの贄は、俺だ』
もう一度、少しだけ唇を触れる。
『忘れないで』
できたら、俺以外、あの家に入れないで欲しい、けど。
『まさか、お前』
掠れた禄の声にくらくらするほど欲しくなった、それを呑み込んで。
『じゃ…いきます』
背中を向けた自分は、今まで一番かっこいいはず。
滲みそうになった涙を、舜は飲み下した。
0
あなたにおすすめの小説
【8話完結】いじめられっ子だった俺が、覚醒したら騎士団長に求愛されました
キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。
けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。
そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。
なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」
それが、すべての始まりだった。
あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。
僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。
だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。
過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。
これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。
全8話。
天の求婚
紅林
BL
太平天帝国では5年ほど前から第一天子と第二天子によって帝位継承争いが勃発していた。
主人公、新田大貴子爵は第二天子派として広く活動していた亡き父の跡を継いで一年前に子爵家を継いだ。しかし、フィラデルフィア合衆国との講和条約を取り付けた第一天子の功績が認められ次期帝位継承者は第一天子となり、派閥争いに負けた第二天子派は継承順位を下げられ、それに付き従った者の中には爵位剥奪のうえ、帝都江流波から追放された華族もいた
そして大貴もその例に漏れず、邸宅にて謹慎を申し付けられ現在は華族用の豪華な護送車で大天族の居城へと向かっていた
即位したての政権が安定していない君主と没落寸前の血筋だけは立派な純血華族の複雑な結婚事情を描いた物語
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
僕の恋人は、超イケメン!!
八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる
衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。
男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。
すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。
選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。
二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。
元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。
【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。
キノア9g
BL
異世界召喚されたのは、
ブラック企業で心身ボロボロになった陰キャ勇者。
国王が用意した褒美は、金、地位、そして姫との結婚――
だが、彼が望んだのは「何の能力もない第三王子」だった。
顔だけ王子と蔑まれ、周囲から期待されなかったリュシアン。
過労で倒れた勇者に、ただ優しく手を伸ばしただけの彼は、
気づかぬうちに勇者の心を奪っていた。
「それでも俺は、あなたがいいんです」
だけど――勇者は彼を「姫」だと誤解していた。
切なさとすれ違い、
それでも惹かれ合う二人の、
優しくて不器用な恋の物語。
全8話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる