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第2章 『竜夢』
7.落魄 「小さな気持ちを捨てないできただけ」(3)
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こんなの、あり、なのか。
陸斗は茫然とベンチで空を見上げる。
今日はゲネプロで、舞台で一通り浚えて、ほぼ完成というところまで仕上げて、足りないのは観客だけという日で。
なのに、寺戸は不意に陸斗と伊谷を外へ放り出した。
『空気を吸って来い』
そんな時間などないはずだ、昨夜寝ずに伊谷と磨いた芝居は、どのような形に嵌るか待ちかねて、体の中で唸っていると言うのに。
「陸斗さん」
周囲の視線を気にしてだろう、伊谷が手にしたコーヒーのカップを渡してくれながら、他人行儀に声を掛けて来た。
「すまん」
受け取りながら、また茫然と空を見上げる。
年末に近い街中の、公園に置かれた貧相なベンチにふさわしく、寒そうでかじかんだ色合いの空だった。晴れているはずなのに、煙ったように色が淡い。
「温かいうちに飲んで下さい」
「…うん」
隣に腰を降ろした伊谷も、どこかぼんやりした顔で公園を走る子どもを眺めている。ゆっくりと口元に運ぶカップ、風に乱れる髪の毛が目元を覆う。
家からここに来るまで、あらゆる場面を考えていた。ああ演じよう、こう演じよう、あの解釈よりはこっちがいい、この解釈は浅い気がするから、もうすこし深めて台詞にしよう、立ち位置を、ライトを、マイクの範囲を、観客の視線を、全てを計算に入れて、なお完璧を求めて。
なのに、寺戸が要求したのはまるで。
「捨てて来い」
「っ」
隣の伊谷がぼそりと呟いてぎょっとする、自分の声が溢れたみたいで。
「……そう言われた気がするんですが?」
ちろりとこちらを見た視線は少し拗ねている。ああそうとも、拗ねもするだろう、昨夜はお互いの熱を楽しむ時間さえ投げ捨てて、この芝居の完成度を上げるために頑張っていた、少しでもいいものにしたい、自分の小さな願いさえ後回しにして、なのに。
「…そうだな」
伊谷の拗ね顔が妙に可愛らしくて、思わず笑ってしまった。
「そう言うことだろうな」
「あれだけ頑張ったのに」
「うん」
「久しぶりに真面目に取り組んだんですよ、僕は」
「なのに、捨てて来い、か」
「何、考えてんですか、あの人」
「…違うってことだろう」
「違う?」
伊谷がきらりと目を光らせる。こう言う時にライヤーに酷似するのは、元々のキャラクターが被っているのかも知れない。
「捨ててどうやって演じろと」
「……うーん」
陸斗はコーヒーを含んだ。ゆっくり飲み込み、ベンチに置いて手足を突っ張り広げて思い切り伸びをする。
「……はぁ…」
「色っぽい溜息ですね、今はやめてもらえませんか、僕がやばい」
「……うん」
陸斗は目を閉じた。
久しぶりに陽の光を浴びている気がする。人の声がする。街の音がする。風が渡る。微かな匂いは花じゃない、どこかの家の昼食か。
「…どんな人が見るんだろうなあ」
「え?」
「…『竜は街に居る』」
「どんな人が?」
「舞台なら観客の顔が見えるけど、動画だよなあ、誰が見るんだろう」
一応18禁だから、子どもは見ないはずだ。BLに分類されるだろうし、ファンタジーの要素もあるから、見る層はすごく限られて来るだろう。アンケートとカウンターでどんな年齢層の、男女比率がどれぐらいの、どんな職業に就いている客が見てくれるのかわかる仕掛けだが、本当のところはわからない。人は嘘をつけるし、真実のみを書けと強制するわけにもいかない。
よいしょ、と体を起こして、公園の中、街並みの方まで眺めて見る。
「この中の何人か、見てくれたりするのかなあ」
「走り回ってる幼稚園児は見ないと思いますよ」
「母親がつけてたら覗かないか?」
「覗いてもわからないんじゃないでしょうか」
「何をしてるか意味がわからない?」
ひょいと意味ありげに伊谷を見上げてやると、少し薄く赤くなった。
「そんな年齢で判っちゃまずいでしょうが」
「何を思い出したのやら」
「振ったのは陸斗さんですからね」
口を尖らせる伊谷にくすくす笑って気がついた。
「そうか」
「ん?」
「自分達だけで芝居を作っちゃ、いけなかったな」
「……ああ」
伊谷も意味を察した。
「何をしながら見るんでしょうね」
「飯食いながら、はあるな」
「仕事の合間に」
「まずいだろう」
「トイレや風呂」
「あり得る」
「…最後まで見てくれるんでしょうか」
「………見て欲しいな」
この世界に、まだカークもライヤーも生まれていない。
生まれたい、と望むキャラクター達に命を吹き込むのは明日だ。
周囲の人間を見て居るうちに、いつの間にか肩肘張ってがつがつしていた部分が、ゆっくりと剥がれ落ちていくような気がした。剥がれ落ちて、剥がれ落ちて、どんどん細く薄くなって、残ったのは一つの小さな気持ち。
「…オウライカを助けたい」
方法はどうでもいい、理由も何でもいい、だからカークは、自分が一番効果的に使える力を使ってのし上がると決めた。
「原点に戻れ、か」
「…帰れそうですか?」
「お前は?」
「僕は簡単でしたから。ライヤーはオウライカを殺してでもカークを守ることに決めている。それを知ったカークが嘆くことだけを怖がっている」
に、と笑う伊谷に、陸斗は笑み返して立ち上がった。
「そのライヤーを利用してでもオウライカを助ける」
「存分にどうぞ」
歩き出す背後に従う伊谷に、陸斗は立ち位置が嵌ったのを感じて目を見開いた。
「そうか」
「え?」
「傲慢でさえ、なかったのか」
「何がです?」
「カークの心情は献身……いや、殉死、か」
「殉死……」
背後で小さく呟く伊谷の声が、僅かに曇った。
陸斗は茫然とベンチで空を見上げる。
今日はゲネプロで、舞台で一通り浚えて、ほぼ完成というところまで仕上げて、足りないのは観客だけという日で。
なのに、寺戸は不意に陸斗と伊谷を外へ放り出した。
『空気を吸って来い』
そんな時間などないはずだ、昨夜寝ずに伊谷と磨いた芝居は、どのような形に嵌るか待ちかねて、体の中で唸っていると言うのに。
「陸斗さん」
周囲の視線を気にしてだろう、伊谷が手にしたコーヒーのカップを渡してくれながら、他人行儀に声を掛けて来た。
「すまん」
受け取りながら、また茫然と空を見上げる。
年末に近い街中の、公園に置かれた貧相なベンチにふさわしく、寒そうでかじかんだ色合いの空だった。晴れているはずなのに、煙ったように色が淡い。
「温かいうちに飲んで下さい」
「…うん」
隣に腰を降ろした伊谷も、どこかぼんやりした顔で公園を走る子どもを眺めている。ゆっくりと口元に運ぶカップ、風に乱れる髪の毛が目元を覆う。
家からここに来るまで、あらゆる場面を考えていた。ああ演じよう、こう演じよう、あの解釈よりはこっちがいい、この解釈は浅い気がするから、もうすこし深めて台詞にしよう、立ち位置を、ライトを、マイクの範囲を、観客の視線を、全てを計算に入れて、なお完璧を求めて。
なのに、寺戸が要求したのはまるで。
「捨てて来い」
「っ」
隣の伊谷がぼそりと呟いてぎょっとする、自分の声が溢れたみたいで。
「……そう言われた気がするんですが?」
ちろりとこちらを見た視線は少し拗ねている。ああそうとも、拗ねもするだろう、昨夜はお互いの熱を楽しむ時間さえ投げ捨てて、この芝居の完成度を上げるために頑張っていた、少しでもいいものにしたい、自分の小さな願いさえ後回しにして、なのに。
「…そうだな」
伊谷の拗ね顔が妙に可愛らしくて、思わず笑ってしまった。
「そう言うことだろうな」
「あれだけ頑張ったのに」
「うん」
「久しぶりに真面目に取り組んだんですよ、僕は」
「なのに、捨てて来い、か」
「何、考えてんですか、あの人」
「…違うってことだろう」
「違う?」
伊谷がきらりと目を光らせる。こう言う時にライヤーに酷似するのは、元々のキャラクターが被っているのかも知れない。
「捨ててどうやって演じろと」
「……うーん」
陸斗はコーヒーを含んだ。ゆっくり飲み込み、ベンチに置いて手足を突っ張り広げて思い切り伸びをする。
「……はぁ…」
「色っぽい溜息ですね、今はやめてもらえませんか、僕がやばい」
「……うん」
陸斗は目を閉じた。
久しぶりに陽の光を浴びている気がする。人の声がする。街の音がする。風が渡る。微かな匂いは花じゃない、どこかの家の昼食か。
「…どんな人が見るんだろうなあ」
「え?」
「…『竜は街に居る』」
「どんな人が?」
「舞台なら観客の顔が見えるけど、動画だよなあ、誰が見るんだろう」
一応18禁だから、子どもは見ないはずだ。BLに分類されるだろうし、ファンタジーの要素もあるから、見る層はすごく限られて来るだろう。アンケートとカウンターでどんな年齢層の、男女比率がどれぐらいの、どんな職業に就いている客が見てくれるのかわかる仕掛けだが、本当のところはわからない。人は嘘をつけるし、真実のみを書けと強制するわけにもいかない。
よいしょ、と体を起こして、公園の中、街並みの方まで眺めて見る。
「この中の何人か、見てくれたりするのかなあ」
「走り回ってる幼稚園児は見ないと思いますよ」
「母親がつけてたら覗かないか?」
「覗いてもわからないんじゃないでしょうか」
「何をしてるか意味がわからない?」
ひょいと意味ありげに伊谷を見上げてやると、少し薄く赤くなった。
「そんな年齢で判っちゃまずいでしょうが」
「何を思い出したのやら」
「振ったのは陸斗さんですからね」
口を尖らせる伊谷にくすくす笑って気がついた。
「そうか」
「ん?」
「自分達だけで芝居を作っちゃ、いけなかったな」
「……ああ」
伊谷も意味を察した。
「何をしながら見るんでしょうね」
「飯食いながら、はあるな」
「仕事の合間に」
「まずいだろう」
「トイレや風呂」
「あり得る」
「…最後まで見てくれるんでしょうか」
「………見て欲しいな」
この世界に、まだカークもライヤーも生まれていない。
生まれたい、と望むキャラクター達に命を吹き込むのは明日だ。
周囲の人間を見て居るうちに、いつの間にか肩肘張ってがつがつしていた部分が、ゆっくりと剥がれ落ちていくような気がした。剥がれ落ちて、剥がれ落ちて、どんどん細く薄くなって、残ったのは一つの小さな気持ち。
「…オウライカを助けたい」
方法はどうでもいい、理由も何でもいい、だからカークは、自分が一番効果的に使える力を使ってのし上がると決めた。
「原点に戻れ、か」
「…帰れそうですか?」
「お前は?」
「僕は簡単でしたから。ライヤーはオウライカを殺してでもカークを守ることに決めている。それを知ったカークが嘆くことだけを怖がっている」
に、と笑う伊谷に、陸斗は笑み返して立ち上がった。
「そのライヤーを利用してでもオウライカを助ける」
「存分にどうぞ」
歩き出す背後に従う伊谷に、陸斗は立ち位置が嵌ったのを感じて目を見開いた。
「そうか」
「え?」
「傲慢でさえ、なかったのか」
「何がです?」
「カークの心情は献身……いや、殉死、か」
「殉死……」
背後で小さく呟く伊谷の声が、僅かに曇った。
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