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第2章 『竜夢』
7.落魄 「小さな気持ちを捨てないできただけ」(4)
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芝居と共に死ぬ。
そう陸斗に言われたようで、胸の中が寒くなった。
ゲネプロの最中、外に出てこいと放り出されるのは、『人心売買』なら舞台を降ろされるか退団促しだ。これ以上劇団に益はもたらさないと断じられ、放り捨てられることだ。貢は経験したことがないし、これからも経験することがない場面だろう、何せ器用貧乏で演じられる役は無限、資金源としても申し分なく、言わば、いずれ捨て駒に使うにしても残しておいて損のない物件。
肩を落とし、未練がましく振り返りながら去って行く仲間の姿を何度も見た。入団テストを潜り抜け、毎月の演技指導と称した選抜に耐え、それを仕事とすることもなく報酬もろくにないのにストレスに耐え続けた後の、酷い結末。
『竜夢』でも似たようなことがあるのかと思ったが、団員が少ない『竜夢』では直前に役を外すことは公演の中止に繋がる、だからそんなことはないだろう。そう考えていた矢先の放り出しだったから呆然としたが、陸斗の話によれば『竜夢』では滅多にないことらしい。
それだけ1人の団員の芝居の完成に賭けてしまうのか。
今もし、陸斗が自分と貢の思いだけに凝り固まった芝居を剥がさなければ、公演そのものを諦めなければならないだろうに、それでも剥がしてこれるだろうと放り出せたのは、信頼なのか、それとも寺戸の人を見抜く目の鋭さか。
昨夜あれだけの時間をかけて仕上げた芝居を、この數十分で、陸斗は捨てると思い切った。
それはきっと、カークがオウライカの為に『塔京』でのし上がり、オウライカを迎え入れると言う自分の願いが、結局は自分だけのものなのだと気づいたことと重なっている。オウライカの為に尽くしたつもりでいて、本当のところは自分可愛さ、能力を最大限に生かしてオウライカを助けると言う幻想を温めていただけなのだと、気づくことに繋がっている。
そうして今、芝居の為にかけた時間も、芝居に必要がなければ捨てると思い定めた陸斗の背中は、遠く芝居の為なら貢をも捨てると決めている。
陸斗の後ろから『竜夢』に戻りながら、貢はゆっくり思い出す。
5歳の時に胸の奥に押し込められた、重くて固くて冷たい金属の箱。
それが自分の中にあるとも思わなかった。思わないまま、それでもどこか生き難くて、伊谷貢と言う仮初めの姿を作り上げて、なんとか現実と折り合ってきた。
それが陸斗が芝居を深める中で、見つけ出されて初めて、自分の中にあった恐怖と不安の源に気づいた。気づいて、それを熱で溶かされ、体の中から取り出されて。
この胸の寒さは、長年抱えてきた不安と恐怖を、いつの間にか安心するための拠り所としていたせいなのかも知れない。
こんなひどい出来事があった、けれど、それを乗り越えて、こうして伊谷貢として生きている、だから今出くわしている不安や恐怖も大丈夫、伊谷貢ならば乗り越えられると安心するためのシステム。
この世界で生き延びたいという、小さな気持ちを捨てないため使っていた構造。
昨日練り上げた芝居は、そのラインの上に仕上がったもの。
「…そうか」
陸斗は、ゲネプロを放り出されて、芝居の外にある世界にもう一度目を向けた。自分だけの芝居に凝り固まらず、今度は観客をも視界に入れることで芝居を練り直そうとしている。
貢はどうだ。
大事なことが、もう傷つけられずに生き延びたいという願いなら、何も金属の箱に拘らなくていいんじゃないのか。
もう一度、自分の胸の中を覗き見る。
そこにはもう、重くて固い金属の箱はない。
ぽかりとした静かな空間があるだけだ。
楽だな。
ふっと蝶が止まるように思った。
随分と、楽だ。
重くない。冷たくない。
空間があるから寒いなんて、それは『伊谷貢』の感覚だったのか。
今こうして眺めてみると、あの記憶を思い出して放り出したところで、貢自体は傷ついていない。むしろ、それがあったことで今までずっと重くて冷たかったのを堪えていたとわかる。
何もなくなって、むなしいかと思ったけれど、そうじゃない。
楽だ。
本当に楽になった。
その空間に何を入れるか、今すぐ決めなくていい。
禄のように新しい世界に開かなくていいし、舜のように今までの在り方を問い直さなくていいし、陸斗のように不安な要素を受け入れなくていい。
この先ここに何が入るのか、いや何も入らなくて、ただぽかりと開いた温かい部屋なのか、それさえ決めなくていい。
『人心売買』から離れ、『伊谷貢』から離れ、名も無き見えない者となる不安からも離れ、殉死、そうだ確かに、この芝居で『伊谷貢』は一つの区切りを迎えるけれど、変わってもいいし変わらなくてもいい。
今はただ、この軽さを味わい続けていればいい。
ああ、しんどかったんだな、今まで。
「伊谷?」
ふいに陸斗が振り返って声を掛けてきたかと思うと、戸惑った顔で立ち止まった。
「どうした?」
「え?」
「何か、嬉しそうだけど」
「ああ…そう、ですか」
僕は嬉しいのか。
「笑ってます?」
「うん」
頷きながら戻ってきた陸斗が、小首を傾げて貢を見上げる。
「今まで見たことない笑顔だな」
「……ライヤーに使えますかね」
「…お前も結構役者ばかだね」
目を細めて陸斗が笑い、胸の中の空間にきらきらしい光が弾けた。
そう陸斗に言われたようで、胸の中が寒くなった。
ゲネプロの最中、外に出てこいと放り出されるのは、『人心売買』なら舞台を降ろされるか退団促しだ。これ以上劇団に益はもたらさないと断じられ、放り捨てられることだ。貢は経験したことがないし、これからも経験することがない場面だろう、何せ器用貧乏で演じられる役は無限、資金源としても申し分なく、言わば、いずれ捨て駒に使うにしても残しておいて損のない物件。
肩を落とし、未練がましく振り返りながら去って行く仲間の姿を何度も見た。入団テストを潜り抜け、毎月の演技指導と称した選抜に耐え、それを仕事とすることもなく報酬もろくにないのにストレスに耐え続けた後の、酷い結末。
『竜夢』でも似たようなことがあるのかと思ったが、団員が少ない『竜夢』では直前に役を外すことは公演の中止に繋がる、だからそんなことはないだろう。そう考えていた矢先の放り出しだったから呆然としたが、陸斗の話によれば『竜夢』では滅多にないことらしい。
それだけ1人の団員の芝居の完成に賭けてしまうのか。
今もし、陸斗が自分と貢の思いだけに凝り固まった芝居を剥がさなければ、公演そのものを諦めなければならないだろうに、それでも剥がしてこれるだろうと放り出せたのは、信頼なのか、それとも寺戸の人を見抜く目の鋭さか。
昨夜あれだけの時間をかけて仕上げた芝居を、この數十分で、陸斗は捨てると思い切った。
それはきっと、カークがオウライカの為に『塔京』でのし上がり、オウライカを迎え入れると言う自分の願いが、結局は自分だけのものなのだと気づいたことと重なっている。オウライカの為に尽くしたつもりでいて、本当のところは自分可愛さ、能力を最大限に生かしてオウライカを助けると言う幻想を温めていただけなのだと、気づくことに繋がっている。
そうして今、芝居の為にかけた時間も、芝居に必要がなければ捨てると思い定めた陸斗の背中は、遠く芝居の為なら貢をも捨てると決めている。
陸斗の後ろから『竜夢』に戻りながら、貢はゆっくり思い出す。
5歳の時に胸の奥に押し込められた、重くて固くて冷たい金属の箱。
それが自分の中にあるとも思わなかった。思わないまま、それでもどこか生き難くて、伊谷貢と言う仮初めの姿を作り上げて、なんとか現実と折り合ってきた。
それが陸斗が芝居を深める中で、見つけ出されて初めて、自分の中にあった恐怖と不安の源に気づいた。気づいて、それを熱で溶かされ、体の中から取り出されて。
この胸の寒さは、長年抱えてきた不安と恐怖を、いつの間にか安心するための拠り所としていたせいなのかも知れない。
こんなひどい出来事があった、けれど、それを乗り越えて、こうして伊谷貢として生きている、だから今出くわしている不安や恐怖も大丈夫、伊谷貢ならば乗り越えられると安心するためのシステム。
この世界で生き延びたいという、小さな気持ちを捨てないため使っていた構造。
昨日練り上げた芝居は、そのラインの上に仕上がったもの。
「…そうか」
陸斗は、ゲネプロを放り出されて、芝居の外にある世界にもう一度目を向けた。自分だけの芝居に凝り固まらず、今度は観客をも視界に入れることで芝居を練り直そうとしている。
貢はどうだ。
大事なことが、もう傷つけられずに生き延びたいという願いなら、何も金属の箱に拘らなくていいんじゃないのか。
もう一度、自分の胸の中を覗き見る。
そこにはもう、重くて固い金属の箱はない。
ぽかりとした静かな空間があるだけだ。
楽だな。
ふっと蝶が止まるように思った。
随分と、楽だ。
重くない。冷たくない。
空間があるから寒いなんて、それは『伊谷貢』の感覚だったのか。
今こうして眺めてみると、あの記憶を思い出して放り出したところで、貢自体は傷ついていない。むしろ、それがあったことで今までずっと重くて冷たかったのを堪えていたとわかる。
何もなくなって、むなしいかと思ったけれど、そうじゃない。
楽だ。
本当に楽になった。
その空間に何を入れるか、今すぐ決めなくていい。
禄のように新しい世界に開かなくていいし、舜のように今までの在り方を問い直さなくていいし、陸斗のように不安な要素を受け入れなくていい。
この先ここに何が入るのか、いや何も入らなくて、ただぽかりと開いた温かい部屋なのか、それさえ決めなくていい。
『人心売買』から離れ、『伊谷貢』から離れ、名も無き見えない者となる不安からも離れ、殉死、そうだ確かに、この芝居で『伊谷貢』は一つの区切りを迎えるけれど、変わってもいいし変わらなくてもいい。
今はただ、この軽さを味わい続けていればいい。
ああ、しんどかったんだな、今まで。
「伊谷?」
ふいに陸斗が振り返って声を掛けてきたかと思うと、戸惑った顔で立ち止まった。
「どうした?」
「え?」
「何か、嬉しそうだけど」
「ああ…そう、ですか」
僕は嬉しいのか。
「笑ってます?」
「うん」
頷きながら戻ってきた陸斗が、小首を傾げて貢を見上げる。
「今まで見たことない笑顔だな」
「……ライヤーに使えますかね」
「…お前も結構役者ばかだね」
目を細めて陸斗が笑い、胸の中の空間にきらきらしい光が弾けた。
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