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第2章 『竜夢』
8.ラッキー・ガール 「幻は幻でいい」(4)
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ぞわ、と身体中の毛が空気を含んで立ち上がった気がした。
何だ、この解釈。
何だ、この理解。
演技ではなく、必然。
構築ではなく、運命。
駅のホームで、自分の一挙手一投足に視線が集まっているのを感じた。絡みつくような情念の吐息、妄想一歩手前の感覚と今までは排除してきたはずなのに、舜はホームに立ったまま、その感覚を引きずりながら前へ進み、ホームから飛び降りる気配に変えた。そこへ繋がる体の揺れ、指先の震え、足を踏み出す前の下半身の緊張、周囲が何かを感じうろたえて舜を見つめ始める。重なったのは『飢峡』に誘い込まれて弄ばれるカザルの気配だ。視線は蔓、見ようと見まいと触手を伸ばして探る人の意識に縛り上げられ、舜は思わず小さく息を吐く。
「は…」
びく、と数人が体を震わせた。気配に応じて振り返り、微かに前屈みになった男の一人と視線が合って、舜は薄く微笑んだ。相手が見る見る頬を紅潮させ、そういう自分に戸惑ったように体を引いて離れようとするが、静かに首を傾げていく舜に魅入られたように目を外せない。
今度は天空の竜とやりとりするカザルの光景が重なった。『斎京』の破壊を引き起こす双頭の竜、人の希望で傷つき絶望で癒される竜を地上に戻すために、カザルは人の希望を砕き続ける、『塔京』で培った殺人機械の技量と非情さで。
舜は動きを切り替える。人の視線や意識を引き入れる危うい気配を収め、穏やかに静かに自分の内側に動きを殺していくと、見る見る周囲の緊張が弱まり薄らいでいくのがわかった。打って変わって滲み出るように迫ってきたのは、舜の存在を一顧もしないひんやりとした無関心の波、それが体に一つ到達するたびに、自分がどれほど世界の中で意味がない存在なのかをひしひしと感じ取る。
「ふ…」
舜が吐息したところで、誰も振り向かないし気にも留めない。むしろホームに立つ舜がいる場所さえ気づかなかったように、突き当たりそうな勢いで行き過ぎる人々、押し出されてホームから落ちないように舜は後ろに下がるが、それさえも近づいて来る電車に押し寄せて来る動きの中で翻弄され、望まない場所へと流されていく。
以前なら身の安全を確保し、再度注目を得るためにもう一度演技を重ね魅了し、人を支配しただろう。けれど今、舜の胸に佇んでいるのは雷牙禄、オウライカの姿。
天空に飛ばされたカザルがオウライカの幻と同化するように寄り添っているのは、カザルの人生では理解仕切れないオウライカの命の作りを、天空の竜の願いに応じて与えられた破壊をやりきった後でようやく感じ取れたからだ。つまり、誰よりも大事なのは自分ではなく、守りたく愛しく何者にも代えがたい一人の存在であるという、心の場所。
禄は誰にも望まれなかった人生を送ってきた。命は大事にされず守られもせず望まれもしなかった。それでも禄は自分を守り育て続けた。その禄はようやく得た芝居という居場所を、この舞台一つに全て捧げ、オウライカという役柄に命を注ぎ、今この先で舜を待つ。
その禄に、完全に応えたかった。
幻だ。幻でいい。
言い聞かせる。
今ここにいる舜はカザルという役柄の依り代、ただの幻に過ぎない。
無数に繰り返した多くの芝居は、舜の個性を飲み込み、カザルの人生だけを残してここに存在する。風柳舜という役者は、その全てを吐き出し尽くして殺されているようなものだ。
「んっ」
電車が到着し、開かぬドアに群衆の圧力で押し付けられそうになっていた舜は、ゆっくり足に力を入れて踏み止まった。違和感に、そして不快感に、流されてホームに落ちない舜に、周囲が圧力を強めようとする、それを感じながら静かに足を踏ん張り続ける。
演技はずっと天性のものだった。演じることに苦労したことはないし悩んだこともない。支配を失おうともすぐにそれを取り戻し、ふさわしい地位を取り返してきた。けれど今、初めて舜は禄のためだけに舞台に向かおうとしている。今舜は、禄のためだけに、自分の支配力を放棄し、幻として流され消え去ることに同意し、禄の望む立ち位置の全てに応じられるようにただ磨き抜いてきた。
そうして次に、この体が受け入れるものは。
ドアが開き、乗客が溢れる。中央に立つ舜を忌々しげに見遣る人々の中で、流れが途切れるのも待たず舜は乗り込む。今まで感じたことのない、現実の中の怒りと苛立ちを、舜は満足して受け止める。幸福だけに喜びを得ていた幼い世界はもう終わりを告げたのだ。
禄が舞台に現れた。話しながら中央へ進むのと同時に、滑り込むようにもう片端の舞台へ数人の役者と走り出る。観客が視線を動かそうとするのを気配を殺して闇に沈み注目を消す。
オウライカが重い密度を纏いながらブライアントと話し始める。
『そろそろ戻られませんか』
『そうだな』
『……かなり時間がたっております』
『だろうな』
『……オウライカさま』
『わかっている』
『うぜえんだよっ!』
穏やかな会話を切り裂く不快でけたたましい叫び声を上げ、驚いて振り返る禄の視線に笑み綻びながら、舜は舞台を蹴って体を舞わせた。
何だ、この解釈。
何だ、この理解。
演技ではなく、必然。
構築ではなく、運命。
駅のホームで、自分の一挙手一投足に視線が集まっているのを感じた。絡みつくような情念の吐息、妄想一歩手前の感覚と今までは排除してきたはずなのに、舜はホームに立ったまま、その感覚を引きずりながら前へ進み、ホームから飛び降りる気配に変えた。そこへ繋がる体の揺れ、指先の震え、足を踏み出す前の下半身の緊張、周囲が何かを感じうろたえて舜を見つめ始める。重なったのは『飢峡』に誘い込まれて弄ばれるカザルの気配だ。視線は蔓、見ようと見まいと触手を伸ばして探る人の意識に縛り上げられ、舜は思わず小さく息を吐く。
「は…」
びく、と数人が体を震わせた。気配に応じて振り返り、微かに前屈みになった男の一人と視線が合って、舜は薄く微笑んだ。相手が見る見る頬を紅潮させ、そういう自分に戸惑ったように体を引いて離れようとするが、静かに首を傾げていく舜に魅入られたように目を外せない。
今度は天空の竜とやりとりするカザルの光景が重なった。『斎京』の破壊を引き起こす双頭の竜、人の希望で傷つき絶望で癒される竜を地上に戻すために、カザルは人の希望を砕き続ける、『塔京』で培った殺人機械の技量と非情さで。
舜は動きを切り替える。人の視線や意識を引き入れる危うい気配を収め、穏やかに静かに自分の内側に動きを殺していくと、見る見る周囲の緊張が弱まり薄らいでいくのがわかった。打って変わって滲み出るように迫ってきたのは、舜の存在を一顧もしないひんやりとした無関心の波、それが体に一つ到達するたびに、自分がどれほど世界の中で意味がない存在なのかをひしひしと感じ取る。
「ふ…」
舜が吐息したところで、誰も振り向かないし気にも留めない。むしろホームに立つ舜がいる場所さえ気づかなかったように、突き当たりそうな勢いで行き過ぎる人々、押し出されてホームから落ちないように舜は後ろに下がるが、それさえも近づいて来る電車に押し寄せて来る動きの中で翻弄され、望まない場所へと流されていく。
以前なら身の安全を確保し、再度注目を得るためにもう一度演技を重ね魅了し、人を支配しただろう。けれど今、舜の胸に佇んでいるのは雷牙禄、オウライカの姿。
天空に飛ばされたカザルがオウライカの幻と同化するように寄り添っているのは、カザルの人生では理解仕切れないオウライカの命の作りを、天空の竜の願いに応じて与えられた破壊をやりきった後でようやく感じ取れたからだ。つまり、誰よりも大事なのは自分ではなく、守りたく愛しく何者にも代えがたい一人の存在であるという、心の場所。
禄は誰にも望まれなかった人生を送ってきた。命は大事にされず守られもせず望まれもしなかった。それでも禄は自分を守り育て続けた。その禄はようやく得た芝居という居場所を、この舞台一つに全て捧げ、オウライカという役柄に命を注ぎ、今この先で舜を待つ。
その禄に、完全に応えたかった。
幻だ。幻でいい。
言い聞かせる。
今ここにいる舜はカザルという役柄の依り代、ただの幻に過ぎない。
無数に繰り返した多くの芝居は、舜の個性を飲み込み、カザルの人生だけを残してここに存在する。風柳舜という役者は、その全てを吐き出し尽くして殺されているようなものだ。
「んっ」
電車が到着し、開かぬドアに群衆の圧力で押し付けられそうになっていた舜は、ゆっくり足に力を入れて踏み止まった。違和感に、そして不快感に、流されてホームに落ちない舜に、周囲が圧力を強めようとする、それを感じながら静かに足を踏ん張り続ける。
演技はずっと天性のものだった。演じることに苦労したことはないし悩んだこともない。支配を失おうともすぐにそれを取り戻し、ふさわしい地位を取り返してきた。けれど今、初めて舜は禄のためだけに舞台に向かおうとしている。今舜は、禄のためだけに、自分の支配力を放棄し、幻として流され消え去ることに同意し、禄の望む立ち位置の全てに応じられるようにただ磨き抜いてきた。
そうして次に、この体が受け入れるものは。
ドアが開き、乗客が溢れる。中央に立つ舜を忌々しげに見遣る人々の中で、流れが途切れるのも待たず舜は乗り込む。今まで感じたことのない、現実の中の怒りと苛立ちを、舜は満足して受け止める。幸福だけに喜びを得ていた幼い世界はもう終わりを告げたのだ。
禄が舞台に現れた。話しながら中央へ進むのと同時に、滑り込むようにもう片端の舞台へ数人の役者と走り出る。観客が視線を動かそうとするのを気配を殺して闇に沈み注目を消す。
オウライカが重い密度を纏いながらブライアントと話し始める。
『そろそろ戻られませんか』
『そうだな』
『……かなり時間がたっております』
『だろうな』
『……オウライカさま』
『わかっている』
『うぜえんだよっ!』
穏やかな会話を切り裂く不快でけたたましい叫び声を上げ、驚いて振り返る禄の視線に笑み綻びながら、舜は舞台を蹴って体を舞わせた。
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