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第2章 『竜夢』
8.ラッキー・ガール 「幻は幻でいい」(5)
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『もう、死んでる』
『え』
『もう、死んでるんだから、どれだけ殺してもいい』
観客の熱は感じない。静まり返った空間に沈む人々がどんな顔をしているのか、いつもならあれやこれやと考えつつ情景を形作って行くのに、今の陸斗には自分を含む舞台さえ思いつかなかった。
見えるのは、目の前で脚を投げ出し、自分の体を受け止めてくれている伊谷、いや、ライヤーの姿だけ。その体に自分の体を擦り付けつつ、陸斗はライヤーの顔を見上げる。
『あなたを、殺したんだから、何度殺されても、いいんだ』
『…カークさん?』
『きっと、これは罰なんだ』
『ちょっと…』
『あなたを、殺した、罰なんだ』
受けるライヤーのことばに戸惑いが混じる。ゲネプロで演じたよりもずっと自然な、そしてわずかに恐怖を伴った響きに、陸斗は微笑む。
ああ、本当だよなあ、伊谷?
カークを演じるために、どれほどお前の柔らかな部分を喰い破ってきたのだろう。自分の世界に『現実』などはなかったと笑う男に、どれほど自分の『幸福な夢』を満たせと迫ったことだろう。そうして『現実』がなく、芝居しか持たない男に、その『虚構』さえ捨てさせて、陸斗は一体何を得るつもりだったのだろう。
脚本を読み続けて気がついたのは、カークの動きは全て贖罪だということだった。自分の弱さや脆さや傲慢さが招いたオウライカの不遇や贄としての宿命、権力への階を駆け上がるように見えて、その実後に続く誰をも育てる事もなく、階段を全て踏み砕いて空中の楼閣としてしまった『塔京』、そうして崩れ朽ちる自分に巻き込んで行く『塔京』生まれの青年、いや、ひょっとすると、栄華の頂点として輝いた『塔京』の嗣子だったかも知れない男さえ、自分の暗い情念に絡めて飲み込んでしまった、慚愧。
後悔しかない。
もっと早く、芝居の中で死ぬべきだったのに、中途半端に現実に残っていたからこそ、近しい者に代価を払わせた。
『だから、殺してくれ』
伊谷が戸惑い続けている。カークではない、輝夜そのものでしかない慟哭に。
『もっと、ちゃんと殺してくれ』
『……カークさん……』
絞るような声は陸斗の意図を理解したと告げている。
『そんなものじゃ、私は死なない……っ』
『っ』
押し付けた下半身に、伊谷が、ライヤーが、それまでの無表情を捨てて眉を寄せる。切なげで激しい表情、陸斗の背中に震えが走り上がる。
ああ、本当に。
お前にその表情をさせたのが、私だったら良かったのに。
舞台の上ではなくて、カークではなくて、ただの輝夜陸斗だったら。
だから、その願いを今、この舞台にぶちまける。
私はカークになりたかった。
カークになって、好き放題に男を嬲り、男に愛され、ただ一人と決めた相手に屠られたかった。
この舞台の上にいるのは、『竜は街に居る』のカーク・リフトではない。欲望まみれの、浅ましくあがき続ける、輝夜陸斗と言う男。
けれど安心してくれ、今のお前は『ライヤー』だ。この舞台が終われば、お前は『ライヤー』を脱げばいい。激しい舞台だったな、けれどもう終わった、千秋楽だ、やり切った。そう言って、『竜夢』から出て行けばいい。
そうして、私は。
『もっと、ちゃんとっ』
『カークさん』
『わけが、わからなくなるまでっ』
『カークさん』
『何も、考えられなく、なるまでっ』
『カーク…』
『あなたを、思い出せなく……なるまでっっ』
あいつはカークだ、と呼ばれるんだ。『竜は街に居る』のカーク・リフトだ、と。
カークを演った役者じゃない、カークだと呼ばれる事、それが役者にとってどれほど致命的なことか、よく分かっている。
その作品が、全てで全部だ。
言い換えれば、輝夜陸斗という役者は、カーク・リフトしかできない、と言うことだ。
そう言う役者は、素人以下だ。
単に現実の種類が違うだけ、演技でもなんでもないと言うことなのだから。
『んんっ』
ライヤーが強く陸斗を抱き締めた。
『カークさん、あなた……正気じゃないの?』
優しい囁きに視線を上げる。自分を覗き込む伊谷の目が冷ややかに澄んでいて嬉しかった。
良かった、まだ陸斗はここに居られる。この幻の中に自分を放り込んだまま、終わりまで見守れる。
『殺してあげましょうか』
『……え…?』
『僕は「斎京」から来た刺客で、あなたを殺しにやってきたとしたら?』
薄く笑った伊谷が震えるほど凄みがあって、陸斗はとろりと蕩ける自分を感じた。
『私を殺してくれるのか…?』
笑み返したのは演技ではない、既に本心そのものだ。
『私を…殺してくれ……待っていたんだ、ずっと、ずっと待っていたんだ、あなたが迎えに来てくれるのを』
ここで死ねる。
輝夜陸斗という役者は、この舞台で終わりを迎える。
陸斗は幻となって現実から消え、後にはライヤーに愛されたカークとしての記憶だけが残る。
『もう私は保てない、あなたが来る前に狂ってしまう、それがどれほど怖かったか。せめてその前に一目でいいから、あなたに会いたいと、どれほど強く願っていたか』
熱を吐き出す台詞を零れるままに伊谷の胸に落とす。
もうどこへも行かなくていいんだ。
長い放浪の旅路は終わる。
だが。
「幻は幻でいい」
いきなり静かな声が耳元で響いて、陸斗はぞくりとして顔を上げた。
そんな台詞はなかったぞ。
無意識に伊谷の胸を掴む。すがりつくようにも見えるから予定の範囲、けれども伊谷は薄笑みを浮かべてその手を解き、逆に自分の手で強く握り締めて囁いた。
『あなたは僕の言うことをちゃんと聞かなくちゃいけないんですよ』
この台詞には頷かなくてはならない。後に繋がる場面だ。
けれど頷いてはならない、陸斗が消そうとしている自分を呼び戻すことになる。
『カークさん?』
静かな微笑み、まるで聖母のような、いや、全てを裁く慈悲なき正義の神のような。
『……』
伊谷に敵認定された。
陸斗は震えだす体を止められないまま頷いた。
『え』
『もう、死んでるんだから、どれだけ殺してもいい』
観客の熱は感じない。静まり返った空間に沈む人々がどんな顔をしているのか、いつもならあれやこれやと考えつつ情景を形作って行くのに、今の陸斗には自分を含む舞台さえ思いつかなかった。
見えるのは、目の前で脚を投げ出し、自分の体を受け止めてくれている伊谷、いや、ライヤーの姿だけ。その体に自分の体を擦り付けつつ、陸斗はライヤーの顔を見上げる。
『あなたを、殺したんだから、何度殺されても、いいんだ』
『…カークさん?』
『きっと、これは罰なんだ』
『ちょっと…』
『あなたを、殺した、罰なんだ』
受けるライヤーのことばに戸惑いが混じる。ゲネプロで演じたよりもずっと自然な、そしてわずかに恐怖を伴った響きに、陸斗は微笑む。
ああ、本当だよなあ、伊谷?
カークを演じるために、どれほどお前の柔らかな部分を喰い破ってきたのだろう。自分の世界に『現実』などはなかったと笑う男に、どれほど自分の『幸福な夢』を満たせと迫ったことだろう。そうして『現実』がなく、芝居しか持たない男に、その『虚構』さえ捨てさせて、陸斗は一体何を得るつもりだったのだろう。
脚本を読み続けて気がついたのは、カークの動きは全て贖罪だということだった。自分の弱さや脆さや傲慢さが招いたオウライカの不遇や贄としての宿命、権力への階を駆け上がるように見えて、その実後に続く誰をも育てる事もなく、階段を全て踏み砕いて空中の楼閣としてしまった『塔京』、そうして崩れ朽ちる自分に巻き込んで行く『塔京』生まれの青年、いや、ひょっとすると、栄華の頂点として輝いた『塔京』の嗣子だったかも知れない男さえ、自分の暗い情念に絡めて飲み込んでしまった、慚愧。
後悔しかない。
もっと早く、芝居の中で死ぬべきだったのに、中途半端に現実に残っていたからこそ、近しい者に代価を払わせた。
『だから、殺してくれ』
伊谷が戸惑い続けている。カークではない、輝夜そのものでしかない慟哭に。
『もっと、ちゃんと殺してくれ』
『……カークさん……』
絞るような声は陸斗の意図を理解したと告げている。
『そんなものじゃ、私は死なない……っ』
『っ』
押し付けた下半身に、伊谷が、ライヤーが、それまでの無表情を捨てて眉を寄せる。切なげで激しい表情、陸斗の背中に震えが走り上がる。
ああ、本当に。
お前にその表情をさせたのが、私だったら良かったのに。
舞台の上ではなくて、カークではなくて、ただの輝夜陸斗だったら。
だから、その願いを今、この舞台にぶちまける。
私はカークになりたかった。
カークになって、好き放題に男を嬲り、男に愛され、ただ一人と決めた相手に屠られたかった。
この舞台の上にいるのは、『竜は街に居る』のカーク・リフトではない。欲望まみれの、浅ましくあがき続ける、輝夜陸斗と言う男。
けれど安心してくれ、今のお前は『ライヤー』だ。この舞台が終われば、お前は『ライヤー』を脱げばいい。激しい舞台だったな、けれどもう終わった、千秋楽だ、やり切った。そう言って、『竜夢』から出て行けばいい。
そうして、私は。
『もっと、ちゃんとっ』
『カークさん』
『わけが、わからなくなるまでっ』
『カークさん』
『何も、考えられなく、なるまでっ』
『カーク…』
『あなたを、思い出せなく……なるまでっっ』
あいつはカークだ、と呼ばれるんだ。『竜は街に居る』のカーク・リフトだ、と。
カークを演った役者じゃない、カークだと呼ばれる事、それが役者にとってどれほど致命的なことか、よく分かっている。
その作品が、全てで全部だ。
言い換えれば、輝夜陸斗という役者は、カーク・リフトしかできない、と言うことだ。
そう言う役者は、素人以下だ。
単に現実の種類が違うだけ、演技でもなんでもないと言うことなのだから。
『んんっ』
ライヤーが強く陸斗を抱き締めた。
『カークさん、あなた……正気じゃないの?』
優しい囁きに視線を上げる。自分を覗き込む伊谷の目が冷ややかに澄んでいて嬉しかった。
良かった、まだ陸斗はここに居られる。この幻の中に自分を放り込んだまま、終わりまで見守れる。
『殺してあげましょうか』
『……え…?』
『僕は「斎京」から来た刺客で、あなたを殺しにやってきたとしたら?』
薄く笑った伊谷が震えるほど凄みがあって、陸斗はとろりと蕩ける自分を感じた。
『私を殺してくれるのか…?』
笑み返したのは演技ではない、既に本心そのものだ。
『私を…殺してくれ……待っていたんだ、ずっと、ずっと待っていたんだ、あなたが迎えに来てくれるのを』
ここで死ねる。
輝夜陸斗という役者は、この舞台で終わりを迎える。
陸斗は幻となって現実から消え、後にはライヤーに愛されたカークとしての記憶だけが残る。
『もう私は保てない、あなたが来る前に狂ってしまう、それがどれほど怖かったか。せめてその前に一目でいいから、あなたに会いたいと、どれほど強く願っていたか』
熱を吐き出す台詞を零れるままに伊谷の胸に落とす。
もうどこへも行かなくていいんだ。
長い放浪の旅路は終わる。
だが。
「幻は幻でいい」
いきなり静かな声が耳元で響いて、陸斗はぞくりとして顔を上げた。
そんな台詞はなかったぞ。
無意識に伊谷の胸を掴む。すがりつくようにも見えるから予定の範囲、けれども伊谷は薄笑みを浮かべてその手を解き、逆に自分の手で強く握り締めて囁いた。
『あなたは僕の言うことをちゃんと聞かなくちゃいけないんですよ』
この台詞には頷かなくてはならない。後に繋がる場面だ。
けれど頷いてはならない、陸斗が消そうとしている自分を呼び戻すことになる。
『カークさん?』
静かな微笑み、まるで聖母のような、いや、全てを裁く慈悲なき正義の神のような。
『……』
伊谷に敵認定された。
陸斗は震えだす体を止められないまま頷いた。
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