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第2章 『竜夢』
8.ラッキー・ガール 「幻は幻でいい」(7)
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「…」
蘇った記憶に少し瞬きして、貢はライヤーに戻る。
一瞬の空白は、自分を仕上げて行くのに夢中になっている輝夜には気づかれなかったようだ。
『あ、そうだ……午後ちょっと出てきていいでしょうか』
前半部最後の場面の台詞を静かに唇に載せる。
『案件か?』
『ええまあ、調査の一つですね』
そうか、と呟いたカークは物語の始めと違い、全身に滑らかな甘やかな、ライヤーへの信頼を漂わせている。情欲ではない、もっと静かで穏やかで、豊かな感情。肌に擦り寄る感触にライヤーは警戒し、貢はベッドでの陸斗を思い出して唇が綻ぶ。虚構と現実。両方を手にした今は、不思議にしっかりと足が地に着いている気がする。
幾通りにも演じられる選択肢の中から今ここで最善を選び取れる時間感覚が手に入っている。
ぽとりと芝居を空間に落とす、波紋を予測し、味わいながら。
『午後お出かけになるようでしたら、エバンスくんに頼んでおきましょうか』
『……いや、出かける予定はない』
びくりと体を震わせた陸斗の震えはカークと重なっているが別物だ。
『竜は街に居る』の後半部の展開が難しいと言う話は出ていた。舞台の上で広げるには限界がある、けれどその先はどうする、いやまずは前半部を終わらせて、じっくり後半部を固めていこう。
その結論に、何か言いたげに貢を見ていた陸斗は恐らく、後半に貢がいなくなることを想定している。この前半で自分の芝居を使い切ってしまおうと思っているのがよくわかる。
これで最後。
ここで最後。
今が最後。
掛け替えのない一瞬一瞬を、宝石のように胸に集めて仕舞い込みつつある可愛い人。
手放さない。
今後何があろうとも、貢は陸斗のために『竜夢』を支配し、『人心売買』を蹴散らし、人の心に楔を打ち込み、そのエネルギーを吸い上げていく所存だ。
『少し時間がかかるかもしれないし……ややこしいところへ行くことになるかもしれないですし……カークさんには入れない場所かもしれない』
台詞が面白いように現実と重なる。今のカークに入れない場所があるかもだが、陸斗には入れるだろう。陸斗が入れる方法を見つければ、そこで新たなカークを作り上げられるはずだ。
『私に、入れない場所』
戸惑いと不快感が響く台詞は、ライヤーがファローズと同行することを予測しているかのように掠れ声で囁かれた。滲むように広がる、優しい微笑。
『わかった』
ほう、と観客席から切なげな吐息が漏れた。
『申し訳ありません。じゃあ、夕方には戻ります』
踏みにじるように冷たく言い捨て、ライヤーは背中を向け、舞台から去る。
残されたカークは俯いて小さく呟く。
『ファローズ…か』
唇を噛む。カークにしては幼い仕草。
『それでこそ、オウライカさんの子飼いということじゃないか』
嘲るように吐いた次の瞬間、鳴り出した携帯を耳に当てる。
『はい、カークです………ハイトさんですか』
ハイト? 誰? ひょっとして黒幕の?
観客は不穏を感じ取って微かにざわめく。
『わかりました、今夜ですね』
言い切って黙り込む。
沈黙、数秒。
『ライヤーの匂いなんて………つくほども手放したことがないくせに』
観客を見る。
恐らくはライヤーの遠ざかった先を。
ら、い、や。
声もなく動いた唇が、一瞬小さく開いたまま止まる。
その瞬間、誰もがカークに自分を重ねた。
望んでも望んでも、満たされなかった願いを、口にしてしまった時の後悔と絶望。
ゆっくりと唇が閉じられる。
静かで穏やかな瞳が閉じられ、作り物めいた微笑で顔が覆われ。
くるりとカークは背中を向けた。携帯を机に置く。
歩み去る、舞台の奥へ、それほど距離はないはずなのに、歩幅を狭めて歩数を稼ぐ間に、するり、するり、と薄物のカーテンが観客とカークの間に落とされ、数枚重なってカークの姿が見えなくなった後、激しい水音が響いた。
ああ、これからきっと。
観客の想像が届いたと前後して、静かに幕が引かれる。
『竜は街に居る』第一部、本日の公演は終了しました。
静かなアナウンスに、深く重い溜息が客席を覆った。
蘇った記憶に少し瞬きして、貢はライヤーに戻る。
一瞬の空白は、自分を仕上げて行くのに夢中になっている輝夜には気づかれなかったようだ。
『あ、そうだ……午後ちょっと出てきていいでしょうか』
前半部最後の場面の台詞を静かに唇に載せる。
『案件か?』
『ええまあ、調査の一つですね』
そうか、と呟いたカークは物語の始めと違い、全身に滑らかな甘やかな、ライヤーへの信頼を漂わせている。情欲ではない、もっと静かで穏やかで、豊かな感情。肌に擦り寄る感触にライヤーは警戒し、貢はベッドでの陸斗を思い出して唇が綻ぶ。虚構と現実。両方を手にした今は、不思議にしっかりと足が地に着いている気がする。
幾通りにも演じられる選択肢の中から今ここで最善を選び取れる時間感覚が手に入っている。
ぽとりと芝居を空間に落とす、波紋を予測し、味わいながら。
『午後お出かけになるようでしたら、エバンスくんに頼んでおきましょうか』
『……いや、出かける予定はない』
びくりと体を震わせた陸斗の震えはカークと重なっているが別物だ。
『竜は街に居る』の後半部の展開が難しいと言う話は出ていた。舞台の上で広げるには限界がある、けれどその先はどうする、いやまずは前半部を終わらせて、じっくり後半部を固めていこう。
その結論に、何か言いたげに貢を見ていた陸斗は恐らく、後半に貢がいなくなることを想定している。この前半で自分の芝居を使い切ってしまおうと思っているのがよくわかる。
これで最後。
ここで最後。
今が最後。
掛け替えのない一瞬一瞬を、宝石のように胸に集めて仕舞い込みつつある可愛い人。
手放さない。
今後何があろうとも、貢は陸斗のために『竜夢』を支配し、『人心売買』を蹴散らし、人の心に楔を打ち込み、そのエネルギーを吸い上げていく所存だ。
『少し時間がかかるかもしれないし……ややこしいところへ行くことになるかもしれないですし……カークさんには入れない場所かもしれない』
台詞が面白いように現実と重なる。今のカークに入れない場所があるかもだが、陸斗には入れるだろう。陸斗が入れる方法を見つければ、そこで新たなカークを作り上げられるはずだ。
『私に、入れない場所』
戸惑いと不快感が響く台詞は、ライヤーがファローズと同行することを予測しているかのように掠れ声で囁かれた。滲むように広がる、優しい微笑。
『わかった』
ほう、と観客席から切なげな吐息が漏れた。
『申し訳ありません。じゃあ、夕方には戻ります』
踏みにじるように冷たく言い捨て、ライヤーは背中を向け、舞台から去る。
残されたカークは俯いて小さく呟く。
『ファローズ…か』
唇を噛む。カークにしては幼い仕草。
『それでこそ、オウライカさんの子飼いということじゃないか』
嘲るように吐いた次の瞬間、鳴り出した携帯を耳に当てる。
『はい、カークです………ハイトさんですか』
ハイト? 誰? ひょっとして黒幕の?
観客は不穏を感じ取って微かにざわめく。
『わかりました、今夜ですね』
言い切って黙り込む。
沈黙、数秒。
『ライヤーの匂いなんて………つくほども手放したことがないくせに』
観客を見る。
恐らくはライヤーの遠ざかった先を。
ら、い、や。
声もなく動いた唇が、一瞬小さく開いたまま止まる。
その瞬間、誰もがカークに自分を重ねた。
望んでも望んでも、満たされなかった願いを、口にしてしまった時の後悔と絶望。
ゆっくりと唇が閉じられる。
静かで穏やかな瞳が閉じられ、作り物めいた微笑で顔が覆われ。
くるりとカークは背中を向けた。携帯を机に置く。
歩み去る、舞台の奥へ、それほど距離はないはずなのに、歩幅を狭めて歩数を稼ぐ間に、するり、するり、と薄物のカーテンが観客とカークの間に落とされ、数枚重なってカークの姿が見えなくなった後、激しい水音が響いた。
ああ、これからきっと。
観客の想像が届いたと前後して、静かに幕が引かれる。
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静かなアナウンスに、深く重い溜息が客席を覆った。
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