『ドラゴン・イン・ナ・シティ』

segakiyui

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第2章 『竜夢』

9.螺旋細工 「大きく息して、私のために」(1)

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『オウライカさん』
 舜が振り返る。いや、カザルが。
『キスして』
 顔を寄せてくる舜の頭を引き寄せる。観客席で微かにざわめきが起こる。初日もそうだった。男同士のキスを舞台上で劣情なしには済ませられない気配。脚本ならば深く絡めるそれを、あえて触れるか触れないかで離れることで、意識を引き寄せ想いを煽る。
『それを守りに置いてくよ……あんたの中のものが、無闇に暴れないように』
 間近でことばを紡ぐ舜の瞳は本当に綺麗だった。照明を浴びてまるで奥から照らされているようにきらきら輝く瞳を、ずっとずっと見ていたかった。いや、この舞台の上のオウライカを、ずっとずっと生きていたかった。
 けれど、舞台は終わる、芝居はハネる。
 オウライカとして生きて来た時間が、今終わっていく。
 気持ちが逸れたのを敏感に察して、舜がとんと額をぶつけてくる。目を細める、長い睫毛が伏せられる、毛先に光が踊っている。
『あんたの中のものが、俺以外の誰かを喰わないように』
 ことばがカザルではなく、舜のものとして響いてくる。
『………あんたの贄は、俺だ』
 もう一度、唇を近づけるけれど、触れない。
 切なくて、愛しくて、もう消えてしまうこの時間が、本当に失い難くて大事で。
『忘れないで』
『カザル…』
 胸が詰まる。

 10月の終わりに『竜夢』の団員募集チラシを手にした。『あいおい』が休みでなければ、オーディションなんか受けてみようと思ったかどうか。毎日平凡に暮らせれば、毎日無事に生きていければ、それでいいと思っていた日常に、小さな小さな綻びが出来た。初めて会ったのは輝夜で、同時にオーディションを受けたのは伊谷、8階の屋上、手すりの向こうに座って今にも落ちそうだった舜に向かって走って、自分の中にある硬くて鋭い凶器に気づいた。
 脚本は全く読めなくて、図書館に通い辞書を開き、圧倒的に足りない知識や世間の常識やらを詰め込みつつ、自分の特異な生育歴に自覚はあったが、なるほどこういうところが丸ごと欠けてしまっているのかと改めて知って、そんな自分じゃ何も出来ないと絶望して不安になって。けれど、舜や寺戸に導かれて、『オウライカ』に出会って。
 過去を凝視して、そこから伸びている自分の時間と言うものを、初めてちゃんと認識して理解して。灰色のカーテンではなくて緑色のカーテンの、舜と暮らす新しいマンションに引っ越して、何か新しく始まったと感じて、『オウライカ』に突っ込んでいって。
 内側も外側も、環境も人生も、何もかもが『竜は街に居る』で変わっていった。
 忘れられるわけがない、この舞台が最初で最後になったとしても。

 千秋楽はよく見ておけよ、と寺戸に申し渡されていた。
 一番始めから一番終わりまで。お前は特等席に居る。
 演じながら見ておけと言うことですか、と尋ねると、違う、お前の人生の特等席に居るんだ、何一つも見逃すなと叱られた。
 一昨日の夜はぐっすり眠った。舜がいないのは残念だったけれど、昨日はゆっくり室内を歩き回り、窓やテーブルやカーテンや、そんなものを一つ一つ眺めながら触れて見て、滲むように広がってくる記憶に驚いた。今までは人に与えられたものがほとんどだったから、自分が望んで選んだものなどなかった、それがどれほど世界を乏しくさせていたのか、初めて気づいた。
 世界に存在するものは、そのものの特性だけではなく、禄が関わって重ねたものが加わっている。『ひもちさん』は元々前の住人のものだったけれど、マンションに持ち込んで新しい植木鉢に植え替えて、葉の艶や色まで少し変わった気がする。舜にもらった机付きの書棚は、脚本を並べコーヒーを置き、ペンが当たって出来た傷や同じ場所にずっと載せているせいで出来た埃汚れが加わって、もっと身近な見知ったものになっている。
 気づくと、世界が鮮やかな輪郭で縁取られたようになった。
 歩いて舞台にやって来る。通りを走る車の煌めき、掲げられた看板の色合い、隣を通り過ぎる女性のスカートの揺れ、前から走って来る自転車の速さ。ドアの開く音、クラクションの響き、走る人のリズム。年末間近の冷えた風、店の戸口からの熱気。通り通りで変わっていく空気の匂い。
 禄は見続けた。
 今日がこの世界の最後の日と考えて。
 全てを見逃さず記憶に叩き込む。
 受付に並ぶ観客、冷えた手を擦りながら座る席、半数以上がらんどうの空間、人が増えるに従って温まっていく空気。脚本を眺める伊谷、ストレッチに余念がない舜、じっと目を閉じ何かを聞いている輝夜、寺戸と離庵が話している後ろを、礼新が難しい顔で小道具を運ぶ。
 開幕のベル、ざわめきが少しずつ静かになり、幕が上がっていく中、闇の中で始まることへの戸惑った気配、禄と寺戸が出ていくことで広がる安堵と集まる視線、やりとり一つ一つに、眉を寄せたり吐息したり隣の人と囁き合ったり身を乗り出したり椅子に沈んだり眠そうに目を閉じてしまったりする観客の姿。
 なぜ2日も公演するんだろうと思っていた。
 同じ内容を繰り返すのだから、客が来やすいように複数日を設けるだけかと思っていた。
 けれど違う、と気が付いた。
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