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第3章 『異世界』
1.ご当地キャラ 「好きなものばかり増えて、困る」(5)
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パルクールか!
舜がショベルカーに絡みつくように跳ね飛んで登って行くのを、陸斗は呆気にとられて眺めた。
身軽なのは知っていた、細身に見えても、その全身が筋肉で作られていることも。ああ、その腕に抱かれることを妄想するぐらいには知っていた。
ネットで見たことはあるが、実際に誰かが目の前でやって見せるのとは別物だ。ネットで見ていた安定感が消え失せて、今にも手を滑らせるんじゃないか、足を引っ掛け損なうんじゃないかとはらはらするが、考えてみればあの舜のことだから、それも十分計算尽くなのだろう。
薄闇にアームに跨った舜が高々と声を張る。
「高い山脈だなあ、飛び越えられる? それは重畳!」
舌足らずな若者の台詞と老獪な男の響きが入り混じって、舜が見かけは若いが、相当の歳を経た魔術師のように思わせる。
カザルは竜を内側に飼っている。体はただの人間でも、その精神は数百数千年の時を超えて生きて来ており、意識していなくとも感覚が人とズレていると知らせている。
「そうれ!」
舜が高く差し上げたアームの先でふわりと体を浮かび上がらせた。薄明かりに見えたのは、見えない風に今にも飛ばされそうな小さな姿、わ、と周囲の人間から小さな声と息を呑む気配が伝わってくる。浮かび上がっているのではなく、筋肉で体を浮かせているのだが、その緊張も強さも全く感じさせず、ただただ軽やかに薄く閃く小さな体。
誰もが皆、今舜の感覚を味わっている。
誰もが今、竜の背中で風を受け、数百年生きた男でさえ見たことのない高い山脈の、恐らくは雪に縁取られた白く輝く峰を飛び越そうとしている。
いつか舜に尋ねたことがあった。
どうしてそれほど上手く、観客の心を掴めるんだ。どうしたらそんなタイミングでアドリブを繰り出せる。
『んーと、信じてもらえないかも知れないけど、陸斗だから話していいかな』
悪戯っぽい目で舜は唇に指を当てた。話していいけど内緒だよ、と指一本で語らせて、
『俺ね、他人の感覚がわかるんだ』
陸斗が訝しい顔をしたのだろう、一瞬黙って、それでも根気よく、
『人が何を今感じてるかわかるの。だから簡単なんだよ、見たいものを見せるなんて』
その時、少し首を伸ばして見せたのは、陸斗の視線に無意識に応じたからだろうか。首のラインに思わず滑らせてしまった目を、急いで伏せたのを苦笑いで受けた。
『…だけど、その先へは、行けないんだよね…』
小さな呟きの意味が今ならわかる。
見たいものを見せられるから、仕事は無くならない。
けれど人は見たいものを見せられるだけでは満足しない生き物だ。見たいものを裏切り、想像もしなかったものを見せてくれるからこそ、次を期待する。
こう演じて欲しいと願われて、それに十二分に応えられる才能と身体を持ってはいるが、『その先』には何もない。美しく描いた絵画には誰も恋しない。その絵画と自分の関係性を願うからこそ、恋が始まる、想いが募る。
ふいに今、しなやかな体を空中に翻らせる舜に、この場に全くそぐわない、けれどはっきりした確信が満ちた。
そうか、舜は抱かれているんだ。
相手は、と寸分狂いもなく禄に視線が向く。
一番初めにオーディションに来た時には、ひょろりとして影の薄い、肉の厚みのない、まるで絵に描いた少年のような体つきだったのに、舞台を踏んで随分と逞しくなったと思っていたが、それだけではない、内側に骨太のしっかりとした芯みたいなものが育っていて、それが淡くて薄い輪郭を存在感で裏打ちしている。
舜にもちろん見惚れていたけれど、陸斗の視線を感じたように振り向いた禄が、まっすぐ目を合わせて来た。
静かな視線。
揺るがない、怯まない、威圧してこない、けれど引く気もない視線。
いつの間にこの男は、これほどの器を身に付けたんだろう。
いや、違うのか。
オウライカを通して、禄は自分の内側にあった何ものかと折り合いをつけた。それは禄が生きていくことを阻んでいたものだ。オウライカと同じく、生きるのを諦めることを強要されていた禄が、舜と関わりカザルと関係するようになって、その命を注がれた。
『その先』へ進みたかった舜は道が見つけられず、禄という器にであって初めて熱の流れる先を見出した。他人の感覚がわかるということは、望む通りに振る舞えるということだが、逆転すれば相手を意のままに操れるということだ。この世界で気持ち良く楽しく生きていきたかった舜には、魔性の道だっただろう。関係を持つことを怖がり怯み竦んでいたのに、禄は舜の熱を丸ごと受け取って成長した。大丈夫だと保証した。舜の願いは誰も傷つけないと伝えた。
それは舜を解放した。
「…はなから勝ち目はなかったのか」
タチだとかネコだとか、そんな役割の問題ではなく。
自分の望んだ道を願い通りに生きるために、唯一無二のパートナー。
他の場所には必要ではなく、けれどその場所に欠くことができず、それなしでは何も語れず未来もあり得ないと思い定められた存在。
すこん、と自分の底が抜けたような気がして、不安定さによろめいた。
後半部分のカークは理解できなかった部分が多かった。
全てを傷つけられ貪られ痛めつけられ欲望のままに破壊されて、なぜ清冽さを増していくのか。
オウライカに対する殉教なのか。
抜けた底に黄金の海がたゆたゆと揺れている。
「これが…現実…だって?」
自分の底に、こんな光景を見ることになるとは。
「好きなものばかり…増えて……困るじゃないか」
「陸斗さん?」
呼びかけられて、視界の隅に黄金の海を見下ろしたまま顔を上げると、伊谷が不安そうに眉を寄せていた。
「大丈夫ですか? 次行けますか?」
「行け…る」
歩き出した足元で金色の波が揺れる。
舜がショベルカーに絡みつくように跳ね飛んで登って行くのを、陸斗は呆気にとられて眺めた。
身軽なのは知っていた、細身に見えても、その全身が筋肉で作られていることも。ああ、その腕に抱かれることを妄想するぐらいには知っていた。
ネットで見たことはあるが、実際に誰かが目の前でやって見せるのとは別物だ。ネットで見ていた安定感が消え失せて、今にも手を滑らせるんじゃないか、足を引っ掛け損なうんじゃないかとはらはらするが、考えてみればあの舜のことだから、それも十分計算尽くなのだろう。
薄闇にアームに跨った舜が高々と声を張る。
「高い山脈だなあ、飛び越えられる? それは重畳!」
舌足らずな若者の台詞と老獪な男の響きが入り混じって、舜が見かけは若いが、相当の歳を経た魔術師のように思わせる。
カザルは竜を内側に飼っている。体はただの人間でも、その精神は数百数千年の時を超えて生きて来ており、意識していなくとも感覚が人とズレていると知らせている。
「そうれ!」
舜が高く差し上げたアームの先でふわりと体を浮かび上がらせた。薄明かりに見えたのは、見えない風に今にも飛ばされそうな小さな姿、わ、と周囲の人間から小さな声と息を呑む気配が伝わってくる。浮かび上がっているのではなく、筋肉で体を浮かせているのだが、その緊張も強さも全く感じさせず、ただただ軽やかに薄く閃く小さな体。
誰もが皆、今舜の感覚を味わっている。
誰もが今、竜の背中で風を受け、数百年生きた男でさえ見たことのない高い山脈の、恐らくは雪に縁取られた白く輝く峰を飛び越そうとしている。
いつか舜に尋ねたことがあった。
どうしてそれほど上手く、観客の心を掴めるんだ。どうしたらそんなタイミングでアドリブを繰り出せる。
『んーと、信じてもらえないかも知れないけど、陸斗だから話していいかな』
悪戯っぽい目で舜は唇に指を当てた。話していいけど内緒だよ、と指一本で語らせて、
『俺ね、他人の感覚がわかるんだ』
陸斗が訝しい顔をしたのだろう、一瞬黙って、それでも根気よく、
『人が何を今感じてるかわかるの。だから簡単なんだよ、見たいものを見せるなんて』
その時、少し首を伸ばして見せたのは、陸斗の視線に無意識に応じたからだろうか。首のラインに思わず滑らせてしまった目を、急いで伏せたのを苦笑いで受けた。
『…だけど、その先へは、行けないんだよね…』
小さな呟きの意味が今ならわかる。
見たいものを見せられるから、仕事は無くならない。
けれど人は見たいものを見せられるだけでは満足しない生き物だ。見たいものを裏切り、想像もしなかったものを見せてくれるからこそ、次を期待する。
こう演じて欲しいと願われて、それに十二分に応えられる才能と身体を持ってはいるが、『その先』には何もない。美しく描いた絵画には誰も恋しない。その絵画と自分の関係性を願うからこそ、恋が始まる、想いが募る。
ふいに今、しなやかな体を空中に翻らせる舜に、この場に全くそぐわない、けれどはっきりした確信が満ちた。
そうか、舜は抱かれているんだ。
相手は、と寸分狂いもなく禄に視線が向く。
一番初めにオーディションに来た時には、ひょろりとして影の薄い、肉の厚みのない、まるで絵に描いた少年のような体つきだったのに、舞台を踏んで随分と逞しくなったと思っていたが、それだけではない、内側に骨太のしっかりとした芯みたいなものが育っていて、それが淡くて薄い輪郭を存在感で裏打ちしている。
舜にもちろん見惚れていたけれど、陸斗の視線を感じたように振り向いた禄が、まっすぐ目を合わせて来た。
静かな視線。
揺るがない、怯まない、威圧してこない、けれど引く気もない視線。
いつの間にこの男は、これほどの器を身に付けたんだろう。
いや、違うのか。
オウライカを通して、禄は自分の内側にあった何ものかと折り合いをつけた。それは禄が生きていくことを阻んでいたものだ。オウライカと同じく、生きるのを諦めることを強要されていた禄が、舜と関わりカザルと関係するようになって、その命を注がれた。
『その先』へ進みたかった舜は道が見つけられず、禄という器にであって初めて熱の流れる先を見出した。他人の感覚がわかるということは、望む通りに振る舞えるということだが、逆転すれば相手を意のままに操れるということだ。この世界で気持ち良く楽しく生きていきたかった舜には、魔性の道だっただろう。関係を持つことを怖がり怯み竦んでいたのに、禄は舜の熱を丸ごと受け取って成長した。大丈夫だと保証した。舜の願いは誰も傷つけないと伝えた。
それは舜を解放した。
「…はなから勝ち目はなかったのか」
タチだとかネコだとか、そんな役割の問題ではなく。
自分の望んだ道を願い通りに生きるために、唯一無二のパートナー。
他の場所には必要ではなく、けれどその場所に欠くことができず、それなしでは何も語れず未来もあり得ないと思い定められた存在。
すこん、と自分の底が抜けたような気がして、不安定さによろめいた。
後半部分のカークは理解できなかった部分が多かった。
全てを傷つけられ貪られ痛めつけられ欲望のままに破壊されて、なぜ清冽さを増していくのか。
オウライカに対する殉教なのか。
抜けた底に黄金の海がたゆたゆと揺れている。
「これが…現実…だって?」
自分の底に、こんな光景を見ることになるとは。
「好きなものばかり…増えて……困るじゃないか」
「陸斗さん?」
呼びかけられて、視界の隅に黄金の海を見下ろしたまま顔を上げると、伊谷が不安そうに眉を寄せていた。
「大丈夫ですか? 次行けますか?」
「行け…る」
歩き出した足元で金色の波が揺れる。
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