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秋子の事は残念だったけど、私は時々ああいう奇妙なことばを告げられたり打ち明けられたりすることがある。
たとえば、病院にお見舞いにいったときに、ぼんやりと中庭を見ていたら、すぐ側にきた痩せた小さなおばあさんが「見えますかね、やっぱりあなたにも見えるんでしょう」と言われる。「失礼ですが、何が見えるんでしょう」と丁寧に尋ねてみると、おばあさんは静かな微笑を浮かべて「そうそう、そうやって当たらず触らずで行かれる方がいいですよ、何せそうわかると世の中はあなたを放っておきませんから」と続けられる。そしてそのままふわりふわりと漂うように歩いて去って行く老婆の背中に、それこそ微かな寒さを感じて慌てて目をそむけてしばらく、今の今まで穏やかに静まり返っていた中庭をいきなり騒然とストレッチャーが走り過
ぎ「早く!」「気道確保!」「大島先生を!」と叫びながら行く、そのがらがら台の上に横になっているのは、まぎれもなくさきほどの老婆だったりするとか。
あるいはまた、テレビで深刻そうに行方不明の小学生の女の子として画面に移ったその顔を、ひょいと立ち寄ったコンビニの棚の前に見つけてしまい、声をかけようかどうしようかと悩んでいる間に店員が何やら声をかけて外へ出て行く。おかしな感じだと見送って、まあそれでも警察に連れていってくれたのだろうと思って自宅に帰ろうとすると、雑誌の前でぱらぱらヌード写真を開いてにやついていた男がふいに「ああ、逃しちまったな」とつぶやいて、何とも気になることばだなと思いながらコンビニを出て帰ってみると、つけたテレビに「少女発見、遺体無残」などと報じられているあたり、こうなってくると、どこまで背負えばいいものなのか、もう自分の正気を疑わなくてはならないのかしらとも思い出すし。
そんなふうに受け止めるのに難しいことばもあるときに、そういうことばも持つ力、言魂とも少し違う、残酷な現実をぱさりとスポンジみたくそっけない味にしたててしまう絡み具合、そのきつさを逃がす道として私は内面の「流れ」を使っている。
つまり、ああ、あのおばあさんは自分の死の予告を誰かにしてみたかったのだけど、誰もほんとにはしてくれなかったので、とりあえずはぼんくらぼんやりと中庭の明らかさに見ほれている私に突きつけて見て、ふうむやっぱり私は死ぬのだねえ、と納得してみたかったのだな、とか。
あのヌード写真に見入っていた男は、それらの写真とそれが置かれたコンビニに勤めている店員と、そしてまた、誰からの目も気にせず女の尊厳みたいなものを踏みにじってるさまざまな画面をひたすら喜んでいる自分の中に、ふいとあの行方不明の女の子が見せた惨さのようなものを感じ取ってはいたけれど、それを制御するには至らなかった男の無力さみたいなものを、ふいと口に出して感想にして、自分は罪人でないと思いたかったのかも知れないねえとか。
けれど、それらの絡み具合というのは、時折私の心も現実も犯してつぶしてしまいそうなほど妖しいものだ。許容量外は受け止めきれないけどやっぱり感じてしまうし、逃がすのに寝込むほどの体力を使うものなので、たとえば、この部屋のように、それが外界に感じ取れることは、内側に抱え込みにくい重さや暗さやきつさを持ったものをも「流れ」に放ち漂わせて扱えることもできるということなのだから、この「流れ」を私は重宝しているのだが。
ああ、そうか。
私が引っ掛かっているのは、今回の秋子のことを私自身がうまく「流れ」に乗せかねてしまったと感じているせいなのかもしれない。そして、それは、隣の畑中さんの奥さんの切迫した行動によって、次第に厳しく責められているようで。
そこまで、考えて、ふいと玄関にたゆとうものを感じて見に行くと、乱暴に脱ぎ捨てたつっかけの横に、小さな赤い靴が一組ちょこんと、今脱いで上がりましたよという気配で置かれていた。さっきの泥の足跡と同じ大きさ、同じ感覚。
ああ、入ってきたんだな。
今度は隣の畑中さんがドアから入ってきたとは考えなかった。第一、ドアは開いていなかったし、ついでにもって鍵もかかっていたのだし、そして加えて、その赤い靴はまさにあの日秋子が履いていた靴、それも事故の日もやっぱり履いていたお気に入りの靴で、確か集会場の白木の小さな棺おけの中の固まった足にも履かされていたはずだった。そしてそのまま火葬場に行って、ぼうぼうごうごうと燃え盛って灰になり消えていったはずだったけど。
まさかあの直前に畑中さんが幼い足から無理やりはぎとった、いや、それだけはあり得ないという気がするけど。
だって、裸足じゃ足が痛いだろう、ましてや霜や氷で覆われ始めたこの二月の寒空じゃ。
それともそんな柔らかな娘への思いも失い怒りに変えるほど、奥さんの心は暗く重くなってしまったものだろうか。
どうしたものかなと悩んでみたけど、まあ、こうやって考えたから、秋子も何とか「流れ」に乗れたようでもあるし、落ち着いたならそれなりに消えて行くだろう。
そういうことで、その横のつっかけを足に、ぶらりと買い物にでかけた。
たとえば、病院にお見舞いにいったときに、ぼんやりと中庭を見ていたら、すぐ側にきた痩せた小さなおばあさんが「見えますかね、やっぱりあなたにも見えるんでしょう」と言われる。「失礼ですが、何が見えるんでしょう」と丁寧に尋ねてみると、おばあさんは静かな微笑を浮かべて「そうそう、そうやって当たらず触らずで行かれる方がいいですよ、何せそうわかると世の中はあなたを放っておきませんから」と続けられる。そしてそのままふわりふわりと漂うように歩いて去って行く老婆の背中に、それこそ微かな寒さを感じて慌てて目をそむけてしばらく、今の今まで穏やかに静まり返っていた中庭をいきなり騒然とストレッチャーが走り過
ぎ「早く!」「気道確保!」「大島先生を!」と叫びながら行く、そのがらがら台の上に横になっているのは、まぎれもなくさきほどの老婆だったりするとか。
あるいはまた、テレビで深刻そうに行方不明の小学生の女の子として画面に移ったその顔を、ひょいと立ち寄ったコンビニの棚の前に見つけてしまい、声をかけようかどうしようかと悩んでいる間に店員が何やら声をかけて外へ出て行く。おかしな感じだと見送って、まあそれでも警察に連れていってくれたのだろうと思って自宅に帰ろうとすると、雑誌の前でぱらぱらヌード写真を開いてにやついていた男がふいに「ああ、逃しちまったな」とつぶやいて、何とも気になることばだなと思いながらコンビニを出て帰ってみると、つけたテレビに「少女発見、遺体無残」などと報じられているあたり、こうなってくると、どこまで背負えばいいものなのか、もう自分の正気を疑わなくてはならないのかしらとも思い出すし。
そんなふうに受け止めるのに難しいことばもあるときに、そういうことばも持つ力、言魂とも少し違う、残酷な現実をぱさりとスポンジみたくそっけない味にしたててしまう絡み具合、そのきつさを逃がす道として私は内面の「流れ」を使っている。
つまり、ああ、あのおばあさんは自分の死の予告を誰かにしてみたかったのだけど、誰もほんとにはしてくれなかったので、とりあえずはぼんくらぼんやりと中庭の明らかさに見ほれている私に突きつけて見て、ふうむやっぱり私は死ぬのだねえ、と納得してみたかったのだな、とか。
あのヌード写真に見入っていた男は、それらの写真とそれが置かれたコンビニに勤めている店員と、そしてまた、誰からの目も気にせず女の尊厳みたいなものを踏みにじってるさまざまな画面をひたすら喜んでいる自分の中に、ふいとあの行方不明の女の子が見せた惨さのようなものを感じ取ってはいたけれど、それを制御するには至らなかった男の無力さみたいなものを、ふいと口に出して感想にして、自分は罪人でないと思いたかったのかも知れないねえとか。
けれど、それらの絡み具合というのは、時折私の心も現実も犯してつぶしてしまいそうなほど妖しいものだ。許容量外は受け止めきれないけどやっぱり感じてしまうし、逃がすのに寝込むほどの体力を使うものなので、たとえば、この部屋のように、それが外界に感じ取れることは、内側に抱え込みにくい重さや暗さやきつさを持ったものをも「流れ」に放ち漂わせて扱えることもできるということなのだから、この「流れ」を私は重宝しているのだが。
ああ、そうか。
私が引っ掛かっているのは、今回の秋子のことを私自身がうまく「流れ」に乗せかねてしまったと感じているせいなのかもしれない。そして、それは、隣の畑中さんの奥さんの切迫した行動によって、次第に厳しく責められているようで。
そこまで、考えて、ふいと玄関にたゆとうものを感じて見に行くと、乱暴に脱ぎ捨てたつっかけの横に、小さな赤い靴が一組ちょこんと、今脱いで上がりましたよという気配で置かれていた。さっきの泥の足跡と同じ大きさ、同じ感覚。
ああ、入ってきたんだな。
今度は隣の畑中さんがドアから入ってきたとは考えなかった。第一、ドアは開いていなかったし、ついでにもって鍵もかかっていたのだし、そして加えて、その赤い靴はまさにあの日秋子が履いていた靴、それも事故の日もやっぱり履いていたお気に入りの靴で、確か集会場の白木の小さな棺おけの中の固まった足にも履かされていたはずだった。そしてそのまま火葬場に行って、ぼうぼうごうごうと燃え盛って灰になり消えていったはずだったけど。
まさかあの直前に畑中さんが幼い足から無理やりはぎとった、いや、それだけはあり得ないという気がするけど。
だって、裸足じゃ足が痛いだろう、ましてや霜や氷で覆われ始めたこの二月の寒空じゃ。
それともそんな柔らかな娘への思いも失い怒りに変えるほど、奥さんの心は暗く重くなってしまったものだろうか。
どうしたものかなと悩んでみたけど、まあ、こうやって考えたから、秋子も何とか「流れ」に乗れたようでもあるし、落ち着いたならそれなりに消えて行くだろう。
そういうことで、その横のつっかけを足に、ぶらりと買い物にでかけた。
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