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沈黙。私もこんなこと言われたら、とてもまともに相手はできない。けれど、今はこうするしかないし、説明のしようもないことで。
霊能力者って大変だろうなあ。
ぼさぼさと玄関に立たされたままそう思ったとたん、があっとこちらをひき殺しそうな勢いでドアが開いて、畑中さんの奥さんがモーションが見えるぐらいに手を振り上げて「これならある!」と投げつけた靴、びたあん、と私の額を直撃した。
べた、ずる、ぼとん。
まるで、秋子の固くなった体を投げられたみたいな、それもその体っていうのは、もう既にべとべとに崩れ出しているような。額に当たって廊下に落ちたものは、それでも幸い薄汚れた靴だった。ただし、一個。もともとは黄色だったんじゃないかな、そう思いながら額を擦り、指先でつまんで持ち上げると、何かまだらに赤黒くて。
けど、一個じゃなあ、一個じゃ納得してくれないだろう。そう思ってぐたぐた疲れながら「すみません、残りの一個は」。
答えはしばらくなかった。秋子が何かに縛られて流れていけないのなら、きっと一足揃うのがどうのこうのより、畑中さんの奥さんが握りしめてるほうが困ってること、そういう気がして待っていると、「それしかないのよっ!」。きんきんした声がたまりかねたように叫んできた「人でなし!」。
ああ、なるほど、事故だから。
指に引っ掛かってる靴は事故のときのもの、つまりは赤い靴ではなかったということで。この靴の中に、はねられた瞬間にぐねりといった体の苦痛が押し込まれ、切り飛ばされた首からあふれた血がたっぷりと色をつけてくれたわけ。
痛いよなあ、そりゃ痛いよなあ。
そう思いながらも、引っかけた指がまがいものになったみたいで固まってしまって動いてくれず、それが右手だったもので、左手でドアを開けると、ああ、こういうときに、左手でドアなんて開けるものじゃない。大体左は無意識の体、見えない世界を示すもの、開いたところがこの世ではないことぐらい、わかっていてもよさそうだった。
玄関にぽつんと立っている小さな後ろ姿。赤い上着に紺赤まだらのミニスカート、赤い靴下片方だけの赤い靴。その右足がなぜか靴を履いていなくてぐりりとねじれて不安定そうに体をかしげているけれど、首を片手にまりのように抱えているから、重心は崩れず立てるのか。黄泉路へ向かうのに、左に顔を抱えるなんて、さてうまい具合にはまったものだ。
「返してくれた?」心細げに聞く声は、切り取られた首から出てくるにしては、意外に鮮やかで澄んでいる。「返してくれたよ」「みっともなくて、この服嫌いよ」「上から下まで真っ赤だね」「あのワンピースならよかったのに、きれいに染まってくれたのに」
ああ、なるほどねとようやく少し納得した気がした。
秋子は死に方も知ってたから、あの日来ていた黄色のトレーナーと紺のミニスカートが不服だったのだ。首を飛ばされ鮮血に塗れ、右足が傷んでしまうから、少し長めの白地のワンピースを着たかったのだ。
「靴置いてよ」「ごめんね、指が固まって置けないんだ」「じゃあ、あたしがひきはがして上げましょうか」。
今にもくるりと振り返りそうな気配に、少々うろたえて首を振る。「いいよ、いいよ、努力する」「そうなの、へえ、それじゃがんばって。無理ならいつでも手をかすわ、あたしもけっこう急いでるから」「うん、待たせて悪いね」。
私は左手で右手の指をこじ開ける。靴はべとべとしていて泥のような、それではないもののようなもので汚れていて、それらの汚れが指に絡んでいて、なかなか手から離れない。
ああ、でも、そういうものかもしれないな。左手で右手をねじりながら考える。こうして人は、全く見知らぬ体験と言うものを理解したり対処したりするときには、右手が示す現実の世界やまともな思考というものを、左手が支える無意識の見えないあやふやな、けれどここの秋子のように透けてしまうことのない存在感でもって、こじ開けねじ開け引きはがし、時にはひどく右手を傷つけてやっていくしかないのだろうな。
ところがそこでもやっぱり、後生大事に現実を守って、右手を傷つけることを嫌う人々なんかがいる。隣の畑中さんの奥さんのように。そして、彼女がしたことというのは、ほとんど関係のない隣人に全ての原因を押しつけて憎み、自分の右手を守るのだ。
「ねえ、おかあさんに話はしたの」「そうね、うん、何度でも」。
霊能力者って大変だろうなあ。
ぼさぼさと玄関に立たされたままそう思ったとたん、があっとこちらをひき殺しそうな勢いでドアが開いて、畑中さんの奥さんがモーションが見えるぐらいに手を振り上げて「これならある!」と投げつけた靴、びたあん、と私の額を直撃した。
べた、ずる、ぼとん。
まるで、秋子の固くなった体を投げられたみたいな、それもその体っていうのは、もう既にべとべとに崩れ出しているような。額に当たって廊下に落ちたものは、それでも幸い薄汚れた靴だった。ただし、一個。もともとは黄色だったんじゃないかな、そう思いながら額を擦り、指先でつまんで持ち上げると、何かまだらに赤黒くて。
けど、一個じゃなあ、一個じゃ納得してくれないだろう。そう思ってぐたぐた疲れながら「すみません、残りの一個は」。
答えはしばらくなかった。秋子が何かに縛られて流れていけないのなら、きっと一足揃うのがどうのこうのより、畑中さんの奥さんが握りしめてるほうが困ってること、そういう気がして待っていると、「それしかないのよっ!」。きんきんした声がたまりかねたように叫んできた「人でなし!」。
ああ、なるほど、事故だから。
指に引っ掛かってる靴は事故のときのもの、つまりは赤い靴ではなかったということで。この靴の中に、はねられた瞬間にぐねりといった体の苦痛が押し込まれ、切り飛ばされた首からあふれた血がたっぷりと色をつけてくれたわけ。
痛いよなあ、そりゃ痛いよなあ。
そう思いながらも、引っかけた指がまがいものになったみたいで固まってしまって動いてくれず、それが右手だったもので、左手でドアを開けると、ああ、こういうときに、左手でドアなんて開けるものじゃない。大体左は無意識の体、見えない世界を示すもの、開いたところがこの世ではないことぐらい、わかっていてもよさそうだった。
玄関にぽつんと立っている小さな後ろ姿。赤い上着に紺赤まだらのミニスカート、赤い靴下片方だけの赤い靴。その右足がなぜか靴を履いていなくてぐりりとねじれて不安定そうに体をかしげているけれど、首を片手にまりのように抱えているから、重心は崩れず立てるのか。黄泉路へ向かうのに、左に顔を抱えるなんて、さてうまい具合にはまったものだ。
「返してくれた?」心細げに聞く声は、切り取られた首から出てくるにしては、意外に鮮やかで澄んでいる。「返してくれたよ」「みっともなくて、この服嫌いよ」「上から下まで真っ赤だね」「あのワンピースならよかったのに、きれいに染まってくれたのに」
ああ、なるほどねとようやく少し納得した気がした。
秋子は死に方も知ってたから、あの日来ていた黄色のトレーナーと紺のミニスカートが不服だったのだ。首を飛ばされ鮮血に塗れ、右足が傷んでしまうから、少し長めの白地のワンピースを着たかったのだ。
「靴置いてよ」「ごめんね、指が固まって置けないんだ」「じゃあ、あたしがひきはがして上げましょうか」。
今にもくるりと振り返りそうな気配に、少々うろたえて首を振る。「いいよ、いいよ、努力する」「そうなの、へえ、それじゃがんばって。無理ならいつでも手をかすわ、あたしもけっこう急いでるから」「うん、待たせて悪いね」。
私は左手で右手の指をこじ開ける。靴はべとべとしていて泥のような、それではないもののようなもので汚れていて、それらの汚れが指に絡んでいて、なかなか手から離れない。
ああ、でも、そういうものかもしれないな。左手で右手をねじりながら考える。こうして人は、全く見知らぬ体験と言うものを理解したり対処したりするときには、右手が示す現実の世界やまともな思考というものを、左手が支える無意識の見えないあやふやな、けれどここの秋子のように透けてしまうことのない存在感でもって、こじ開けねじ開け引きはがし、時にはひどく右手を傷つけてやっていくしかないのだろうな。
ところがそこでもやっぱり、後生大事に現実を守って、右手を傷つけることを嫌う人々なんかがいる。隣の畑中さんの奥さんのように。そして、彼女がしたことというのは、ほとんど関係のない隣人に全ての原因を押しつけて憎み、自分の右手を守るのだ。
「ねえ、おかあさんに話はしたの」「そうね、うん、何度でも」。
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