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「流れ」に乗れないものはいろいろある。重すぎるものは乗れない。物質がぷかぷかするわけじゃないから重量ではなくて、それはたぶん、想いの強くこもったものが重いんだろう。沈むか留まるかのどちらかで、それらはやがてこの「流れ」から消えていく。それから、あんまり軽いものもここには乗れない。ふわふわしてしまって、誰かの気持ちが動くたびにそちらへ引きつけられてしまうらしく、やってきた宅配業者とか保険や学習教材の勧誘の人なんかにくるくる巻き込まれてしまうのか、やっぱり消えてしまってる。固いのも乗りにくいし、柔らかすぎるのも乗りにくい。これは重い、軽いに準じる様子。
とすると、たぶん、この世のどこかには、あるいはこの現実のどこかには、すごく重いものも運べる激しく強い「流れ」とか、ふわふわ頼りなく柔らかすぎるものをも巻き込むような波打っている「流れ」とかがあるのかもしれない。
私のとこにある「流れ」はそういう意味じゃたいしたものは乗れないし、ささやかすぎるものも乗ってこない。するりとこの世から出て行くことをよしとするような、そういう平凡な「流れ」なのだろう。
さてそうなると、秋子はどうやら平凡なものではないということになる。重いものは流れたくないという感じもあるけど、秋子は流れていきたいみたいだから、重いものじゃないのだろう。けれど、軽すぎてというのでもないのは、あくまで頑固に玄関に居座る赤い靴、何度も無謀に飛び込む窓にも現れている。
あ、それならば、ととりあえず窓を開け放ってみた。
風が冷たい。一気に温もりかけた部屋の温度を奪い去って、部屋の中を冷ややかな手で荒らしていく。
しばらく知らん顔をしていると、目の前のテーブルの向こうをきらきらきらと何かが通り抜けたような、いやまるで風を見せられたような、そんな感じが走り過ぎた。おお、行けるかという期待も数秒後には空しくなる。
どおっ!
どうして開け放ったところへ行かずに、わざわざ窓ガラスへぶつかっているかなあ。
ついついため息ついて、玄関を振り返ると、やっぱり赤い小さな靴が今度は思いっきりあちこちに投げられていて、そうか、あんたもくやしいのかという感じ。
鳴っているのは窓ガラスだとばかり思っていたけど、そしてまた、実際に音と窓ガラスが震えるのが同時なのだけど、ほんとはこの音と映像、別々に成立してるものなのかも知れない。にしても、こうなると、流れていけないのは、秋子のせいではないのかな。
そう思った矢先、ばたっと足元で音が響いた。とっさにびくっと足を引いて、それからそろそろとテーブルの下を覗くと、あらなんとしたこと、いつの間に上がってきたのか、そこに赤い靴が並んでいる。気になったので立ち上がって玄関を確かめにいったけど、そこには赤い靴はなくなっていて、あちこち暴れた泥靴の跡が残るだけ。
このままじゃ部屋中踏み荒らされそうだな、掃除が大変と思いかけて、ふいと気がつく。泥靴、泥靴、それを持っていて私が出てくる寸前までドアの内側に潜んでいたかもしれない畑中さん。
ひょっとして畑中さんの執着は秋子を流れに乗せてくれないほど重いだろうか。けれどそれをどうして確かめる、そう考えたとたん、
げあっ!
今度は玄関の金属ドアが派手に鳴った。
はいはい、見かけによらず、なんて騒々しいお嬢さんだ。
これからやろうとする突拍子もない行動に我ながら嫌気がさして、それでも窓だけじゃなくて玄関ドアまで鳴らしまくられては安眠どころか、この先管理人から出て行ってほしいと言われるのも明らかで、仕方ないかと腰を上げた。
半分飲みかけたコーヒーを残し、つっかけ履いて部屋を出て、隣の部屋のベルを鳴らす。ぴいんぽおん、と間抜けた音が部屋で響くやいなや、まるでそこで息を殺して待っていたように「どなたですかっ!」ときんきんした声が応じる。「あの、尾新木ですが」「何の御用ですかっ!」「あの、唐突なことですみませんが、秋子さんの靴、泥で汚れてるの持っておられませんか」。
とすると、たぶん、この世のどこかには、あるいはこの現実のどこかには、すごく重いものも運べる激しく強い「流れ」とか、ふわふわ頼りなく柔らかすぎるものをも巻き込むような波打っている「流れ」とかがあるのかもしれない。
私のとこにある「流れ」はそういう意味じゃたいしたものは乗れないし、ささやかすぎるものも乗ってこない。するりとこの世から出て行くことをよしとするような、そういう平凡な「流れ」なのだろう。
さてそうなると、秋子はどうやら平凡なものではないということになる。重いものは流れたくないという感じもあるけど、秋子は流れていきたいみたいだから、重いものじゃないのだろう。けれど、軽すぎてというのでもないのは、あくまで頑固に玄関に居座る赤い靴、何度も無謀に飛び込む窓にも現れている。
あ、それならば、ととりあえず窓を開け放ってみた。
風が冷たい。一気に温もりかけた部屋の温度を奪い去って、部屋の中を冷ややかな手で荒らしていく。
しばらく知らん顔をしていると、目の前のテーブルの向こうをきらきらきらと何かが通り抜けたような、いやまるで風を見せられたような、そんな感じが走り過ぎた。おお、行けるかという期待も数秒後には空しくなる。
どおっ!
どうして開け放ったところへ行かずに、わざわざ窓ガラスへぶつかっているかなあ。
ついついため息ついて、玄関を振り返ると、やっぱり赤い小さな靴が今度は思いっきりあちこちに投げられていて、そうか、あんたもくやしいのかという感じ。
鳴っているのは窓ガラスだとばかり思っていたけど、そしてまた、実際に音と窓ガラスが震えるのが同時なのだけど、ほんとはこの音と映像、別々に成立してるものなのかも知れない。にしても、こうなると、流れていけないのは、秋子のせいではないのかな。
そう思った矢先、ばたっと足元で音が響いた。とっさにびくっと足を引いて、それからそろそろとテーブルの下を覗くと、あらなんとしたこと、いつの間に上がってきたのか、そこに赤い靴が並んでいる。気になったので立ち上がって玄関を確かめにいったけど、そこには赤い靴はなくなっていて、あちこち暴れた泥靴の跡が残るだけ。
このままじゃ部屋中踏み荒らされそうだな、掃除が大変と思いかけて、ふいと気がつく。泥靴、泥靴、それを持っていて私が出てくる寸前までドアの内側に潜んでいたかもしれない畑中さん。
ひょっとして畑中さんの執着は秋子を流れに乗せてくれないほど重いだろうか。けれどそれをどうして確かめる、そう考えたとたん、
げあっ!
今度は玄関の金属ドアが派手に鳴った。
はいはい、見かけによらず、なんて騒々しいお嬢さんだ。
これからやろうとする突拍子もない行動に我ながら嫌気がさして、それでも窓だけじゃなくて玄関ドアまで鳴らしまくられては安眠どころか、この先管理人から出て行ってほしいと言われるのも明らかで、仕方ないかと腰を上げた。
半分飲みかけたコーヒーを残し、つっかけ履いて部屋を出て、隣の部屋のベルを鳴らす。ぴいんぽおん、と間抜けた音が部屋で響くやいなや、まるでそこで息を殺して待っていたように「どなたですかっ!」ときんきんした声が応じる。「あの、尾新木ですが」「何の御用ですかっ!」「あの、唐突なことですみませんが、秋子さんの靴、泥で汚れてるの持っておられませんか」。
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