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ベランダは昼過ぎてるのに、曇り出した空のせいか、朝とは打って変わって冷え冷えと、確かに今なら畑中親子が黄泉路を行くのにふさわしい気配になっている。
風が空を舞い、地面に当たって翻り吹き上がって首筋から髪をかきあげる。母親の反対を押し切った一人暮らしの結末が、こうして悲惨な末路になったと知ったなら、やっぱり私の母親も目の前の畑中さんのように、それ見たことかと血のついた牙を日なたに出ている心のすぐ下、皮一枚の深さ辺りで、自分でも気づかぬうちに剥き出しながらにんまりと、鬼の顔して笑うだろうか。
ならば、それを見ないことが、子どもにしてはせめてもの救い、秋子のように我が親がただ鬼であるとの本性を細かく見知ってしまえば、それこそ浮かぶものも浮かばれない、それなら私はぼんやりと、鬼だか蛇だか知らぬという顔であの世へ旅立ってしまうだけで、幸運ということになるかもしれない。
が、その次の間に。
「ひえええええいいい!」
目の前にまで口元の深紅のよだれをこすりあげながら、そしてまた、もはやことばもなくぐったりと肉塊となっている秋子を軽く引きずりながら、ほんの間近に迫っていた畑中さんが、それこそあたり四方に浮いたり散ったりしている魂全ても散らしてしまうほどの絶叫を上げて、私のはるか後方を振り仰いだ。巨大なアオガエルの目を思わせる赤と黄まだらの目の玉がぐりりとなおも剥き出された、そう思ったとたんに、ごぐっ!と鋭いやら鈍いやらする音が響いて私は背骨を貫かれ、ぐいと胸ををそらして立ち竦んだ。
何か巨大な固いもの、それは刃というにはあまりにも無骨に背中から胸へと突き刺さって、痛みに驚く暇さえなく、ごごごごごぐんと腹へ向かって裂き降りる。ばりばりばりと肋骨が砕け剥がさればらばらになるのがわかった。これでは形を保てない、そう思ったとたんのこと、がふうと背中が背後へ開き、大きな虚ろな闇の通路が私の胸から背へ抜ける。そこへぐいいいと風を巻いて、すさまじい力が流れ始めた。
「ああいや、いやいやいや、いあいや、あいあや! あ!」
畑中さんは身もがいて、始めは体を揺すりながら抵抗し、ついには秋子を放り出して居間の壁だのテレビだのにしがみつこうとしたけれど、そこはそれ、実体でない悲しさかどこにも何にもすがることかなわず、掃除機に吸い込まれていく綿ぼこりのようにするすると私の胸の穴へと吸い込まれていく。
「やめやめやめて、ひいひいいあやあああ!」
やめろと言われても私だってこんなことに平然と耐えられるほど強靱な心を持ってるわけでもなく、今にもふうといきそうなのを、窓枠をつかんで歯を食いしばり、トイレで起こした気持ち悪い貧血症状に、倒れることだけは避けたいと思うような、妙にあほらしげなうろたえ方でようようしのいでいるところ、その私の胸の辺りの暗がりに畑中さんはまずは片手を突っ込んで、ひいひい激しく泣きわめきながら次は片足突っ込んで、それでこらえるものがなくなってしまったせいか、すぽんと入り込みそうになるのを絶叫しながら残った片手でびたびたびたと私の胸と言わず手と言わず叩きながら吸い込まれていき、最後の最後には私のあえぐ口に指を突っ込んだ。けど、それも、濃い血の臭いに塗れてたので、思わず吐きそうになってむせ返ってしまった私が指を食いちぎりかけ、ゆるめた一瞬にひょおととうとう吸い込まれてしまう。
そしてまあ、妙なことに胸から背中に開いた穴は、畑中さん一人しか呑み込まないと決めていたらしく、彼女の絶叫が体の奥に引き込まれて消えてしまうと、ふわふわ漂う幻が体の層を形づくり、見る間に元の通りの実体となり、まるで何事もなかったように静まり返った、冬の二月の小春日和、再び淡い日も射して。
手足をがたがた震わせながら、窓枠から体を引き離し、よろめいてべたりとベランダに座り込んで胸のそこをなでてみても、そこにはもう何の穴もない。
いったい何が起こったのやら、誰が背中を裂いたのやら。
風が空を舞い、地面に当たって翻り吹き上がって首筋から髪をかきあげる。母親の反対を押し切った一人暮らしの結末が、こうして悲惨な末路になったと知ったなら、やっぱり私の母親も目の前の畑中さんのように、それ見たことかと血のついた牙を日なたに出ている心のすぐ下、皮一枚の深さ辺りで、自分でも気づかぬうちに剥き出しながらにんまりと、鬼の顔して笑うだろうか。
ならば、それを見ないことが、子どもにしてはせめてもの救い、秋子のように我が親がただ鬼であるとの本性を細かく見知ってしまえば、それこそ浮かぶものも浮かばれない、それなら私はぼんやりと、鬼だか蛇だか知らぬという顔であの世へ旅立ってしまうだけで、幸運ということになるかもしれない。
が、その次の間に。
「ひえええええいいい!」
目の前にまで口元の深紅のよだれをこすりあげながら、そしてまた、もはやことばもなくぐったりと肉塊となっている秋子を軽く引きずりながら、ほんの間近に迫っていた畑中さんが、それこそあたり四方に浮いたり散ったりしている魂全ても散らしてしまうほどの絶叫を上げて、私のはるか後方を振り仰いだ。巨大なアオガエルの目を思わせる赤と黄まだらの目の玉がぐりりとなおも剥き出された、そう思ったとたんに、ごぐっ!と鋭いやら鈍いやらする音が響いて私は背骨を貫かれ、ぐいと胸ををそらして立ち竦んだ。
何か巨大な固いもの、それは刃というにはあまりにも無骨に背中から胸へと突き刺さって、痛みに驚く暇さえなく、ごごごごごぐんと腹へ向かって裂き降りる。ばりばりばりと肋骨が砕け剥がさればらばらになるのがわかった。これでは形を保てない、そう思ったとたんのこと、がふうと背中が背後へ開き、大きな虚ろな闇の通路が私の胸から背へ抜ける。そこへぐいいいと風を巻いて、すさまじい力が流れ始めた。
「ああいや、いやいやいや、いあいや、あいあや! あ!」
畑中さんは身もがいて、始めは体を揺すりながら抵抗し、ついには秋子を放り出して居間の壁だのテレビだのにしがみつこうとしたけれど、そこはそれ、実体でない悲しさかどこにも何にもすがることかなわず、掃除機に吸い込まれていく綿ぼこりのようにするすると私の胸の穴へと吸い込まれていく。
「やめやめやめて、ひいひいいあやあああ!」
やめろと言われても私だってこんなことに平然と耐えられるほど強靱な心を持ってるわけでもなく、今にもふうといきそうなのを、窓枠をつかんで歯を食いしばり、トイレで起こした気持ち悪い貧血症状に、倒れることだけは避けたいと思うような、妙にあほらしげなうろたえ方でようようしのいでいるところ、その私の胸の辺りの暗がりに畑中さんはまずは片手を突っ込んで、ひいひい激しく泣きわめきながら次は片足突っ込んで、それでこらえるものがなくなってしまったせいか、すぽんと入り込みそうになるのを絶叫しながら残った片手でびたびたびたと私の胸と言わず手と言わず叩きながら吸い込まれていき、最後の最後には私のあえぐ口に指を突っ込んだ。けど、それも、濃い血の臭いに塗れてたので、思わず吐きそうになってむせ返ってしまった私が指を食いちぎりかけ、ゆるめた一瞬にひょおととうとう吸い込まれてしまう。
そしてまあ、妙なことに胸から背中に開いた穴は、畑中さん一人しか呑み込まないと決めていたらしく、彼女の絶叫が体の奥に引き込まれて消えてしまうと、ふわふわ漂う幻が体の層を形づくり、見る間に元の通りの実体となり、まるで何事もなかったように静まり返った、冬の二月の小春日和、再び淡い日も射して。
手足をがたがた震わせながら、窓枠から体を引き離し、よろめいてべたりとベランダに座り込んで胸のそこをなでてみても、そこにはもう何の穴もない。
いったい何が起こったのやら、誰が背中を裂いたのやら。
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