13 / 13
13
しおりを挟む
いや、わかる。そんな声が彼方から響いたようだった。
そう、あれはあえて言えば「道の護り手」、平たく言えば死に神とやらの鎌の切れ味だったのだ。畑中さんは通り切れぬ道を無理を道理に押し通ろうとした。この道、つまり「流れ」には生者亡者が入り乱れて「流れ」を塞いでしまっていたので、死に神はそのお得意の技、私の中の虚無を利用して、体を貫く道を開いたのだろう。
ただし、その道は清らかではない、清らかならば悪意と敵意に堕ちた畑中さんは通せない。畑中さんの重いどろどろに響き合いながら、それに巻き込まれぬ重さがいる、そういう点でも生体を持った私はかっこうの依代だったというところか。
そんなあんなを考えていると、部屋の前を過ぎる足音が聞こえてそのまま隣の部屋の前、がしゃんと鍵の開く音に続き、「ただいま、道子、……」と半端に切れると、「うはやああああ」と意味不明の声に変わった。がたっ、ばたばた、ばたっばたばたと、歌舞伎の拍子木鳴らすように慌ただしく駆け抜ける音にくっついて、
「誰か、誰か警察をぉう、救急車をぉう!」と叫びながら畑中さんが走り去る。それはまた、奥さんの死に様の惨さを周囲に知らしめほくそ笑む、冥界の役の悪ふざけに似た脚本か。
そうだ、秋子は。
そうようやく気づいてみると、ぺたん、ぺたんと一対の赤い靴が玄関からこっちへ歩いてきているところだった。
ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺた。
その赤い靴はあいもかわらずベランダでへたりこんでいる私の前までやってくると、しばらくじっと止まっていた。それはもう秋子の姿には見えず、けれどなんとなく気分的には、そこで秋子がお辞儀しているような気がして、私はそのままがくがくと不器用に頭を下げるしかない。と、再び靴は前進し始め、ぺた、ぺた、ぱた、ぱたと私の体を上り始めた。足から腹へ。腹から胸へ。顔に近づくにつれ、その靴が黄色地を真っ赤に染めた血塗れ靴とよくわかる。しかし、不思議に荒くれた臭いはなく、どこかしんと厳かで、静かでそして悲しげで。肩から頭へ、ぽん、とそこばかりは幼い少女のようなふざけた仕草で飛び乗ると、止める間もなくふ、と外へと蹴り出すように重さが消えた。
「秋子」
ふいと呟いてみると、ふいになぜか切なくて、ぼろぼろ涙をこぼしながら、まだまだ手足を震わせながら、ベランダのてすりに寄り添って立ち上がって見てみれば、放り投げたとしてもそれほど遠くまでは届くまい、マンションの駐車場の上を遠くはるかに横切って、真っ赤な靴がばらばらと、飛び散っていくのがただ見えた。
おわり
そう、あれはあえて言えば「道の護り手」、平たく言えば死に神とやらの鎌の切れ味だったのだ。畑中さんは通り切れぬ道を無理を道理に押し通ろうとした。この道、つまり「流れ」には生者亡者が入り乱れて「流れ」を塞いでしまっていたので、死に神はそのお得意の技、私の中の虚無を利用して、体を貫く道を開いたのだろう。
ただし、その道は清らかではない、清らかならば悪意と敵意に堕ちた畑中さんは通せない。畑中さんの重いどろどろに響き合いながら、それに巻き込まれぬ重さがいる、そういう点でも生体を持った私はかっこうの依代だったというところか。
そんなあんなを考えていると、部屋の前を過ぎる足音が聞こえてそのまま隣の部屋の前、がしゃんと鍵の開く音に続き、「ただいま、道子、……」と半端に切れると、「うはやああああ」と意味不明の声に変わった。がたっ、ばたばた、ばたっばたばたと、歌舞伎の拍子木鳴らすように慌ただしく駆け抜ける音にくっついて、
「誰か、誰か警察をぉう、救急車をぉう!」と叫びながら畑中さんが走り去る。それはまた、奥さんの死に様の惨さを周囲に知らしめほくそ笑む、冥界の役の悪ふざけに似た脚本か。
そうだ、秋子は。
そうようやく気づいてみると、ぺたん、ぺたんと一対の赤い靴が玄関からこっちへ歩いてきているところだった。
ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺた。
その赤い靴はあいもかわらずベランダでへたりこんでいる私の前までやってくると、しばらくじっと止まっていた。それはもう秋子の姿には見えず、けれどなんとなく気分的には、そこで秋子がお辞儀しているような気がして、私はそのままがくがくと不器用に頭を下げるしかない。と、再び靴は前進し始め、ぺた、ぺた、ぱた、ぱたと私の体を上り始めた。足から腹へ。腹から胸へ。顔に近づくにつれ、その靴が黄色地を真っ赤に染めた血塗れ靴とよくわかる。しかし、不思議に荒くれた臭いはなく、どこかしんと厳かで、静かでそして悲しげで。肩から頭へ、ぽん、とそこばかりは幼い少女のようなふざけた仕草で飛び乗ると、止める間もなくふ、と外へと蹴り出すように重さが消えた。
「秋子」
ふいと呟いてみると、ふいになぜか切なくて、ぼろぼろ涙をこぼしながら、まだまだ手足を震わせながら、ベランダのてすりに寄り添って立ち上がって見てみれば、放り投げたとしてもそれほど遠くまでは届くまい、マンションの駐車場の上を遠くはるかに横切って、真っ赤な靴がばらばらと、飛び散っていくのがただ見えた。
おわり
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる