『BLUE RAIN』

segakiyui

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16.CYANIC PERSON

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 右目の痛覚機能はシンパシーシステムに繋がっていたのと、中央回路に近かったせいで、切断に時間がかかった。
 初期の分析で32区のジェシカB.P.のDOLLが損壊したのが確認できた。とりあえずは『グランドファーム』に回収を依頼する。
 破壊は一瞬だった。
 老夫婦がいつもの通りお茶を飲もうと準備していたら、たまたま通りがかったように頬のこけた金髪の男が現われて、周囲を囲っていた金属製の柵を引き抜き、DOLLに飛びかかったのだ。
 悲鳴をあげて逃げる老人は、DOLLが身動きするまもなく地面に押さえつけられ、悲鳴に開いた口に男が股間を押し付けるのを見た。そのまま、男がのしかかって身動きを封じ、手にしていた柵でDOLLの右目を貫くまで、老人は悲鳴をあげるしかできなかった。
 そして、その全てをDOLLの破壊を免れた中枢回路が記憶していたのだ。
「もう、よろしいのではありませんか?」
「いや」
「しかし」
「あんたにできることは終わった、もう行ってくれ」
「……では」
 老婆のDOLLを抱えたまま、おそらくシーンが来たときから抱え続けているのだろう老人は、俺の右目に垂らしたうっとうしい前髪にも注意を払わなかった。
 シーンはどこへ行ったのか、と聞いたが知らないと言う。28区のナタシアには問題がない。
 とりあえず、今は熱のある身体で飛び出していったシーンを探さなくては。
 叱られるのを覚悟でシンパシーシステムを繋いだまま、老夫婦の家を離れる。
 車は路地近くに止めてあった。戻った気配はない。妙な不安が募った。
 あまりにもタイミングよすぎる事件だ。夜勤明けでシーンが疲れ切っていたところで発生した。人手が足りてなくて、シーンか俺が出るのは当然だった。いつでも起こせる事件をわざわざ今引き起こした、そんな感覚がある。
「感覚?」
 一人ごちた。シーンと行動を一緒にして、どうも人間的になり過ぎたようだ。この不安だって。
「おびき出された」
 そうだ、たぶん、そういうことだ。
「なぜだ?」
 簡単だ。ターゲットはあの老婆のDOLLではない。
 結論して改めてもう一度老夫婦の家から車までの道を辿り直してみる。
 シーンの姿がない。あの身体で暇潰しにうろつくとは考えられない。署に情報はなく、事件も他には起こっていない。となると拉致された可能性が高い。理由は? 
「シーンそのものだ」
 シーンが狙われた。そう考えた上での観察と分析はすぐに路上脇の痕跡を確認した。
 誰かがここで殴られたか何かで壁に叩きつけられている。壁を探る。大柄な人間、それを地面から数センチ、吊り上げた状態で押し付けている。並の力ではないがDOLLなら可能だ。
  DOLLがこれほど攻撃的に出る、それも真っ昼間からというのは、通常あり得ない。
 壁を探る。毛髪が見つかった。DNAを検索する。シーンのものだ。引き続き、分析と観察。引きずられた跡がある。ずいぶん焦っていたものだ。いや、目的のものが手に入れば、後はどうでもよかったというわけか。
 ひんやりと胸の底に冷たい感触がにじんだ。
 跡を追う。
 俺は焦らない。必要な情報を完璧に集め、唯一の結論に辿り着く。時間が限られているなら、情報の確保が優先される。誤った行動を導く情報を見分けることだけに全力を注ぐ。
 跡はずるずると続いている。シーンは抵抗した様子さえない。抵抗できないほど傷めつけられているのか、それとももう。
「廃棄処分?」
 くすりと自分が笑ったのに驚いた。一番きわどい境界を越えつつある、ふいにそう思った。
「俺は、壊れかけてる、らしい」
 つぶやいてまたくすくすと笑った。
 長期間酷使されたオリーブ・ドラゴンがコントロールを失い『グランドファーム』から送られたオリーブ・ドラゴンに処分される例がたまにある。並のDOLLでは対抗できないからだ。
 俺もその対象になるのかもしれない、いずれ。
 一軒のドアで跡は途切れている。ドアを押す。鍵がかかっていない。不用心すぎる。あるいは、もうそんなことはどうでもいいのか。また不愉快な感覚が広がる。
 自分が摘発されることを容認しての犯罪行為は限界を越えやすい。限界を越えているために自己防衛機能が働かないのか。あるいは限界を越えることが目的だからか。
 拳銃を抜き出す。相手はDOLLだ。ふいをついて確実に仕留めなくてはならない。
 奥の部屋から微かな物音が聞こえ、明かりが漏れている。探知では人間一人とDOLL一体。空中に漂う湿った空気に熱っぽい汗の匂いが混じっている。
「?」
 この、汗の気配を俺はよく知っている。不愉快さが増した。胸が低い音で轟き始める。
「ぁおっ」「ぐっ…っんんっ」「おっ……ぐ、ぐぅ……っ」
 シーンの声が認識できた。ただくぐもっていて、ひどく分析しにくい。
 奥の部屋のドアの影にそっと寄る。中の一人と一体は俺に気づかない。血の匂いがして俺は眉をしかめた
 怪我? 怪我をしている? シーンが?
 ドアを数センチずつ開いていく。中を覗き込んで凍り付く。
 壁際にシーンが座り込んでいる。後ろ手に手錠がかけられている。首に数センチずつの数カ所の傷、そこからの出血があったようだが、今は止血している。
 立てて開いたシーンの膝の間に、DOLLが仁王立ちしている。薄汚れたジーパンが膝近くまでずり落ちている。下着も同様だ。シーンは薄目を開け、息苦しそうに眉をしかめている。顔が上気して真っ赤だ。熱に潤んだ黒い瞳が朦朧とどこかを見ている。
 だが、その口が。
 本当ならば熱を逃がす早い呼吸を紡いでるはずの口が、こじ開けられ広げられている。低いうめきが漏れるのは頭を押さえられているからだろう。
 俺はするすると部屋に入った。
 音を立てたつもりはない。もっとも音をたててもわからなかっただろう、それほどDOLLはシーンをいたぶるのに熱中していた。真後ろに立ったときにさえ気づいていなかったかもしれない。
 俺はゆっくりと中指を反らせた。そのまま一気にDOLLの金髪が乱れた首筋のポイントへ、ためらいなく突き刺す。
「がああっ!」
 絶叫が上がった。仰け反ったDOLLの首を掴んで、シーンの脚の間から引き抜き、後ろに投げる。
「っあ」
 甘い、とさえ聞こえそうな頼りないシーンの声に体中がぎりぎりと締められた気がした。シーンは放って、部屋に転がったDOLLの始末にかかる。
「あ、あ、あ、あ、」
 名前も知らない相手は俺の接近にパニックになっていた。
「あ、あ、あ、あ、あ」
「痛いでしょう?」
「あ、あ、あ、あ」
「その部分で押さえると、痛覚機能切れないんですよね」
「あ、あ、あ、あ」
「けど、俺は優しいから」
 にっこり笑ってやると、相手ががちがち歯を鳴らしながら俺を見る。
「本当はこのまま『グランドファーム』回収まで様子を見てていいと思うんですけど」
「あ、あ、あ、あ、あ」
「シーンが嫌がるだろうし」
 ゆっくりと拳銃を構えた。DOLLの目が大きく見開かれるのに、また笑う。
「おやすみなさい」
「gyuaa!!」
 ぱん、と軽い音が響いた。相手の股間に垂れ下がっていたものを撃ち抜く。砕かれたものが金属フレームと白銀の疑似体液とコードに解体する。相手が声にならない悲鳴をあげて動かなくなってから、俺はシーンに振り向いた。
「シーン」
「っは」
 ぼんやりと上げた瞳が俺を捉えて、とたんに胸が苦しくなる。
「遅れてすみません」
 謝った。許されるとは思っていない。けれど、このまま屠られるつもりで頭を下げた。
「酷い目に合わせて、すみません」
「すー……ぷ」
「はい」
「水……くれ」
「あ、はい」
 急いで水道へ走り、汚れたカップが嫌で口に含んで戻る。
「ん」
「んんっ!」
 唇を寄せて含ませたとたん、激しく顔を振られて慌てて口を離した。俺とのキスも嫌なぐらいの思いをした。そう思った。
 だが、シーンはいきなり口に含んだ水でぶくぶくごぼごぼとうがいを始め、顔を背けてべ、っと派手に中身を吐いた。
「うげえ」
「シーン?」
「追加」
「は、はいっ」
 もう一度慌てて水を含んでくる。俺から水を受けて、再びうがい、咳き込んで中身を吐く。
「っはあああ」
「シーン」
「ったく、クソ野郎が」
「大丈夫ですか?」
「おい」
「はい」
「泣きそうな顔するな」
「でも」
「大丈夫だってのは無理だが、ガキじゃねえから」
「はい」
「それに」
 にや、と苦しそうな顔に笑みを広げてくれた。
「死ねねえし」
「は?」
「お前のいないとこで」
「あ」
 視界が滲んで零れ落ちた。急いでそれを擦り取る。
「だから、大丈夫だ、それより、手錠外してくれ」
「わかりました」
 転がってるDOLLのジーパンのポケットから鍵を取り出す。シーンの身体を抱えると、夕べよりも遥かに熱くそのまま腕から蕩けそうだ。手錠を外すとぐったりと壁にもたれながら
「すまん、もう一回水くれ」
「はい」
 水を含む。唇で移す。熱いシーンの唇が震えているのがふいにわかって、俺は無性に切なくなった。
「もう大丈夫ですから」
「ん」
「俺が連れ帰ります」
「頼む」
 シーンを一瞬強く抱き締めて、俺は彼を抱え上げた。

 スープに抱えて連れ戻され、それから三日間ほど俺は眠り続けたらしい。途中で医療セクションに移され、診療を受け、過労と風邪による憔悴と診断されて点滴を受けた。
 スープが片付けたDOLLにはやっぱりレッドのB.P.が仕込まれているのが確認され、残ったのは後一つ。
 28区のナタシアは無事ですよ、と笑ったスープが窓際から振り返る。その前髪が右だけ瞳を覆っている。
「どうして」
「え?」
「右目隠してる?」
「ああ」
 柔らかい表情でやつは軽く髪を上げて見せた。開いた瞳は虹彩の部分が黄金色の円盤になったままだ。
「ちょっとこれじゃ目立ちますから」
「直せないのか?」
「中枢回路に近いんで」
「そっか」
「それに」
「え?」
「忘れないように」
「なにを」
 スープは静かにベッドの側に戻ってきた。
「あやうくあなたを失うところだった」
「ああ」
「二度と離れない」
「大丈夫だって」
「俺が」
 軽く唇を触れてきた。優しい、微かな、触れたことさえわからないぐらいのキス。
「大丈夫じゃありません」
「は?」
「今度あんなことがあったら」
「ねえよ」
「あったら」
「ねえって」
「それでも、あったら」
「スープ」
「俺は、壊れる」
 静かな声がぽつんと途切れて俺はことばを失った。
「何をするかわからない」
「……」
「なにせ、そろそろ限界のきてるオリーブ・ドラゴンですから」
「……」
「あのときだってあいつを粉々にしたかった」
「おい」
「データなんかいらない」
「おいおい」
「『グランドファーム』も気にならない」
「おいって」
「俺はあいつを壊したかった」
「スープ」
「あいつのB.P.をこの指で握り潰したかった」
「……」
「あなたが嫌がるだろうからやめただけだ」
「……スープ」
「次は、やめません」
 黄金の瞳は表情がない。緑の左目が炎をちらつかせる。
「止めないで下さいね?」
 溜息をついた。炎の向こうに泣き顔が見える。しがみついていた幼い仕草が潜んでる。
「一緒に暮しましょう」
 低い声がねだる。
「どこでもいい、一緒に」
「……わかった」
「ほんとに?」
「そのかわり」
「はい?」
「シンパシーシステム、切れ」
「……だめです」
「スープ」
「そんなことをしてナタシアまで損壊したら」
「スープ」
 腕を伸ばして首を引き寄せてやる。びくりと身体を強ばらせたやつが不安そうに顔をゆがめる。
「いやです」
「何が」
「無理強いしないでください」
「は?」
「そんなことしてもシンパシーシステム切りませんよ?」
「なあ」
「はい?」
「俺はお前を失いたくない」
 緑の目から炎が消える。
「シンパシーシステムあっても、お前が苦しいだけだろ?」
「でもすぐに異変に気づきます」
「気づいたときにはやられてる」
「はい」
「その傷みを全部お前が引き受けてる」
「でも」
「俺がつらいんだ」
「シーン」
「俺が、つらいのに」
 に、と笑いかける。
「お前はほっておくのか?」
「え」
「俺がつらいんだぞ?」
「でも、だって」
「そうか、ほっておかれるのか、俺は」
「いえ、あの、シーン」
「そっか、仕方ねえなあ」
「あの、シーン?」
「泣くぞ」
「!」
 やつが凍った。はぁ、と肩を落として溜息をつく。
「あなたって人は」
「ん?」
「幾つなんですか?」
「35は過ぎてる」
「いばって言うことですか?」
「聞いたのはそっちだろ」
「四捨五入して40になる人が泣いても」
「泣いても?」
「可愛くも何ともないんですよ?」
「そうか?」
 じっとやつを見上げる。
「お前にも?」
「俺は」
「うん?」
「………可愛いです」
「そりゃよかった」
 にやにや笑って肩口へやつの頭を引き寄せる。くぐもった声がうなる。
「熱あるって言い訳聞きませんからね?」
「あん?」
「一緒に暮してくれるって」
「ああ」
「あの家?」
「そうだな」
「いつ?」
「こっから出たら」
「はい」
 顔を上げたやつがそっと唇を重ねかけたとき、ドアに高いノックが響いた。慌てて体を起こしたスープがドアを開いて、いぶかしげな顔になる。
「スープ?」
「あの」
「なんだ? 誰だ?」
「ひさしぶりだな、シーン・キャラハン」
「!」
 よく響く声に俺は目を見開いた。
 ドアを開けて入ってきたのは、まさか再会することなど考えていなかった相手、藍色に近い青の目は相変わらず鋭い。昔はその目から、遥かな宇宙が裂けて見えてる、と言われてた。することなすこと全てが意図的、全てが計算ずく、そして全てに貪欲な男。
 世界を手に入れることを望んだ男は左遷をものともせずに着実に権力の階段を昇っている。
「パターソン地区管理官…」
「クリフでいいぞ、昔なじみだろ?」
 広い肩幅の体をびしりとしたスーツに包んだ相手は、クリフ・パターソン、他ならぬレッドとの潜入捜査を指揮した人間だった。
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