『BLUE RAIN』

segakiyui

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20.GLAY ZONE

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 電話を切って一時間たたないうちに、やつは側に立っていた。
「シーン」
 掠れた声がそっと俺を呼ぶ。目を開けると、びくっと身体を震わせた。
「早かったな」
「戻って、きました」
「うん」
「明日まで、待てなくて」
「うん」
「俺」
「スープ」
「はい」
「シャワー、連れてってくれ」
「……はい」
 やつが唾を呑み込むのに、手を伸ばす。手を掴んだやつを強く引く。あっさりと身体の上に落ちてきたやつ、とっさに両手をついて体を支えたやつの首を抱き締めた。
「あ」
「どこに行ってた?」
「え、だ、だから」
「ん?」
「俺は、あなたの、を『グランドファーム』に」
 どぎまぎしてもがくやつの耳に囁く。
「違う」
「はい?」
「俺を置いて、どこに行ってた」
「え?」
「動けねえのに」
「あ」
「喉乾いた」
「あの」
「腰が痛い」
「う」
「全部お前のせいだ」
「……はい……」
「だから俺の面倒見なくちゃいけねえだろ」
「は……い」
「なのに、どこ行ってたんだ? 俺を、一人、にして?」
「……シー……ン」
 少し腕を緩めて体を起こしたやつの目を覗き込む。
「怒って、ないんですか?」
「怒ってる」
「やっぱり」
「話も聞かねえし」
「だって」
「ん?」
「だって、他の人との」
「んん?」
「こと、なんて聞きたくないでしょう」
「何を」
「だから」
「だから?」
「ナタシアと」
「ナタシアと?」
 緑の瞳が揺れた。
「俺にはそんな資格ないけど」
「うん?」
「それでも、ちょっとは気づいてくれたって」
「あん?」
「お、俺には、シンパシーシステム、ついてるんですよ?」
「うん」
「だから、あなたがナタシアにしたことぐらい」
 泣き出しそうに濡れる艶やかな目の色に見愡れる。
「俺に、筒抜け、なのにっ」
「繋いでたのか?」
「っ」
「ずっと?」
「違いますっ」
「じゃあ、どうして繋いだ?」
「あなたが」
「俺が」
「あなたが、彼女と一緒にいる、から」
 零れた涙をそっと吸い取ってやった。ひくりと震えて、またスープが涙を零す。
「辛かったか?」
「辛かった、です」
「苦しかった?」
「いえ、でも」
「でも?」
「気持ちよくて」
「うん」
「それが、辛くて」
「ああ」
 噛み締められた唇に口を重ねる。熱い吐息を舌ごと受け取る。
「っん」
「すまん」
「ふ」
「だが、勘違いしてるぞ、たぶん」
「え?」
「ナタシアを抱いたのは俺じゃない」
「……は……?」
 スープは茫然とした顔で見返した。
「確かに、キスはした」
「えっ」
「けど、それだけだ」
「……」
「なんか、その気にならなかった」
「……」
「お前のキスを思い出してた」
「シーン」
「お前が俺にしてくれるやつ」
「んっ」
「俺がお前にしてるやつ」
「んん」
「そっちで、勃っちまって」
 キスを間にかましながらささやくと、スープが目を見開いた。
「お前のことばっかり、思い出してた」
「シーン」
「お前が顔しかめるとことか」
「う」
「お前が喘ぐとことか」
「っっ」
「お前が……俺を欲しがるとこ、とか」
 みるみる赤くなったやつの耳にことばを注ぐ。
「お前が欲しくて、すぐにナタシアんとこを出た」
「でも」
「うん?」
「俺は、感じた」
「うん」
「ナタシアが……あなたを、呼んだの」
 俺は目を細めた。疑われたと感じたのか、スープが不安そうに言い募る。
「ナタシアが快感に攫われて、それから、あなたの名前を呼んで」
「……そう、か」 
 俺が黙ったのに今度はスープが眉をしかめる。
「まさか」
「ああ」
「あれの相手は……あなたじゃ、なかった?」
「うん」
「あなたを呼んだのは」
「たぶん、助けを求めて」
「!」
 すうっとスープが白い顔になった。
「じゃあ、あれは……」
「たぶん、襲われて、B.P.を破損される寸前の」
「シーンっ」
 スープは顔を歪めて、それ以上言わせまいとするように俺の頭を抱き寄せた。
「俺は、また、あなたを傷つけた……っ」

 熱いシャワーを夜中に浴びる。一人で立つのがまだ無理だったので、支えられて湯を浴びる。
 俺を抱えながら、スープがゆっくり体中を洗ってくれた。あちこちに散る細かな擦り傷や鬱血した斑点に、眉をしかめて拭い去ろうとするように何度も滑らかな掌で摩る。特にしばらくきつく押さえつけられて、真っ赤な手錠をはめられたようについた手首の傷はやつにとって堪えたようで、強ばった顔でそっとそっと擦れた跡を撫でた。
 冷えた身体が温まり、乾いた口に何度も優しいキスが与えられ、深い吐息をつく。バスタオルで俺をくるんで、スープが部屋に連れていってくれる。タブでつかっている間にシーツも何もかも交換されたベッドに戻されたとき、一瞬無意識に身体が竦んだ。
「シーン」
「す、まん」
 味わった経験に意味があり、納得できても、身体はすぐに理解しない。痛みと傷は感覚の深くに沈められていく。それをスープも俺も、よくわかっている。
 スープが顔を歪めて唇を寄せてきた。
「謝らないでください」
 掠れた柔らかな声。目を伏せながら口に直接ことばを移すように囁きかける。
「俺を許さなくていいから」
「んぅ」
「俺を憎んでいいから」
「んっん」
「それで、俺を忘れないでくれるなら」
「んんっ、っ、おい」
 俺の答えを拒むように繰り返しキスしてくるのを押し返した。
「待て、そんな理由で俺をヤったのか?」
「……違います」
「……来いよ、スープ」
「……」
 俺の声にかぶさってきた身体を抱き寄せる。スープの身体も湯に温まってほんわりとしていた。
「最後なのか?」
「……」
「もう、行っちまうのか?」
 微かに首が振られた。濡れた髪の感触が首筋にくすぐったい。
「もう少し……もう一つの役割が終わるまで、ということになりました」
「もう一つの役割?」
「俺は、オリーブ……ドラゴンですから」
「?」
「ドラゴンって何か知ってますか?」
「伝説上の怪物だろ? 火を吐く竜」
「宝物を守り、それを狙うものを炎で焼き尽くす」
 くす、と久々に低い笑い声が鎖骨あたりで響いてぞくりとした。切ない痺れが身体を走る。やつの声に感じやすくなってる。密かにうろたえてる俺をよそに、スープは暗い声で続けた。
「けれど、もう」
「うん?」
「あなたの側にはいられない」
「……どうして?」
「護衛は解かれたし」
「ああ?」
「ああ、って」
「だから、どうして」
「え?」
「何で、護衛を外されると、俺の側にいられない?」
「だって」
 スープが追いつめられた、苦しそうな顔で覗き込んできた。
「だって、シーン」
「うん?」
「俺は……あなたを傷つけた」
「……」
「一番、酷い、やり方で。一番、あなたが望んでいない、やり方で」
「そうだな」
「だから、もう、俺は」
 滲んで掠れた声が吐き捨てた。ことばとは反対に、ぐすぐすと鼻を啜りながら、俺にしがみつき頭を擦り寄せてくるのを、そっと抱き締めながら天井を見上げる。
 まだ一週間ぽっちしか住んでいない俺達の家。そのうち数回しか一緒に眠ったことのないベッド。
 一人でもう終わりにしようとしているやつを、どう引き止めようかと考える。
「シーン」
「ん?」
「俺は」
「ん」
「俺は、もう」
「うん」
「あなたの、側に、いられない……いちゃいけないんだ……っ」
「目玉焼き」
「は?」
 スープが顔を上げた。涙でぐしょぐしょになっている顔は端正な作りがめちゃくちゃだ。溜息をついて、繰り返す。
「俺は目玉焼きの方が好きだ」
「……はぁ?」
「スクランブルエッグは苦手なんだ」
「はい?」
「お前が作ってくれた目玉焼きが、凄く好きだ」
「……」
「だから、朝になったらそれを食わせろ」
「はい……?」
「それで、今回の件はちゃらにしてやる」
「シーン……」
 また新しい涙を溜めたスープの瞳の鮮やかさに、ついつい魅入られてしまった。照れ隠しに、零れた涙を吸い取る。微かに目を伏せ、身体を震わせたスープが甘い息を吐いて、ずくりと下半身が疼いた。
 思い出したのは中身を引き抜かれるような快感。こいつの唇が、指が、声が、俺に植えつけた新しい回路。とろけた脳みそが勝手にことばを紡ぎ出す。
「次からは」
「はい」
「合意の上でやってくれ」
「は?」
 スープが固まり、俺ははたと我に返った。スープが瞬きしながら俺を見つめる。
「シーン」
「あ」
「それはどういう意味ですか?」
「いや」
「それって、つまり?」
 ごく、とスープが喉を鳴らした。さっきまでへたり込んで泣きじゃくっていた子どもの顔が、みるみる消え失せる。目がきらきら光り出す。殺気に近い貪欲な炎を散らつかせる。
「いいんですか?」
「う」
「シーン?」 
 まずい。まずいぞ。取り返しのつかないことを言った気がする。
 また、抱かれる? また、あんな目に合うのか? 
 しかもそれを、了承しちまったのか、俺は? 
「また、あなたを抱いてもいいんですね?」
「いや、あの」
「目玉焼き、いっぱい作りますからっ」
「いや、そういう問題じゃ」
「夜中でもいつでも作りますからっっ」
「いたっ、痛い、痛いっ」
 力の限り強化プラスティックのDOLLに抱き締められて、悲鳴を上げた。
「シーンっっっ」
「痛いって言ってるっ……スープっ……っん、んんんっ!」
 上機嫌のスープは夢中で口を貪ってくる。
 ひょっとしてひょっとすると、壊れちまったのはスープじゃなくて、俺の方なのか? 
 そう考えて、しばらく海より深く落ち込んだ。

 翌朝スープに送られて、署に出勤した。スープはそのまま、奥の方へ。しばらく『グランドファーム』による調整とチェックが行なわれるらしい。
「スープ」
「はい?」
 ずいぶんと晴れ晴れした顔で歩み去ろうとするやつを引き止める。指で呼んで、首を引き寄せ、キスを交わした。
「無理するな」
「はい」
「どんな記憶も削らせるな」
「はい」
「俺がいるから」
「はい」
「俺が全部受け止めてやるから」
「はい、シーンこそ」
 このうえなく嬉しそうに笑って、スープがキスを返してくる。
「無茶しないでくださいね?」
「ああ」
「一人で動かないで下さい」
「ああ」
「あなたが傷ついたら俺が壊れる」
「うん」
「忘れないでくださいね?」
「わかった」
「じゃ、行ってきます」
 いつも通りに向けられた背中が、妙に脆く見える。
「シーン」
 呼びかけられて振り返る。ルシアが眩い笑顔で見上げている。
「もう大丈夫ですか?」
「ああ、心配かけたな」
「さっそくですが、ナタシアの状況検分が指示されてます」
 にこやかに見上げてくる青い瞳を覗き込む。その瞳に曇りはない。スープの今の目のように、ためらい怯み揺れる心は見当たらない。
 ずっと考えていた。レッドのこと、ジェシカのこと、あの時失敗した潜入捜査のこと。DOLL殺人のこと、B.P.のこと、ROBOTのこと、スープ、のこと。
 身動き取れなかった、スープが戻ってくるまでの時間を、俺はベッドに寝そべって身体の痛みに耐えながら、繰り返し浮き上がる一つの模様を眺めていた。
 そうだ、ここにはそっくりなものがある。繰り返されるその流れは、一人の人間を思いつかせる。
 その相手に気づいたときに、まるで新しい視力を得たように、10年前のことも今起こっていることも、一つの線で見通せた。後は確認するだけだ。
「わかった」
「私が運転しますが?」
「頼む」
 うなずいて、少しよろめいた足を踏ん張りながら、ルシアの後に従った。

 28区はいつも通りだった。
 DOLLが破損されたところで、警戒網が敷かれるわけでもない。今回の連続事件だって、鉾先がどうも俺絡みで一般市民に被害は及ばないと予測されつつある。署長が俺が出てくるまで状況検分を放置したのも、てめえで片付けろ、みたいなとこだろう。
 部屋は不思議なほど荒されていなかった。
 ナタシアが相手に警戒していなかったことは、テーブルの上の2つのカップでわかる。両方に入っていたコーヒーは飲み干されていて、乾燥し茶色の汚れがこびりついている。迎え入れて、談笑して、抱かれて、そして『殺された』のだ。
 おそらくは、何が起こったのか感知するほどの間もなかっただろう。スープが感じ取ったように、相手の愛撫にとろけた直後にB.P.を破損されたのだ。
 ナタシアは昨日俺が立ち去ったときの姿のまま、玄関脇のキッチンに倒れていた。大きく見開かれた淡い緑の瞳は依然澄んでいる。恐怖の表情はない。ピンクの唇が履いていた淡いベージュのパンプスを銜え込んでいる。ヒールが唇に突き刺さっていて、その先端は喉の奥を貫いているのは明らかだった。ワンピースは引き裂かれていて、白い胸元がはだけられている。
 だらりと広がった身体がただの物体になっている。
「シーン」
「大丈夫だ」
 一瞬立ちすくんだ俺にルシアが背中から心配そうな声をかけてきた。
 ナタシアの側にしゃがみ込み、目を閉じさせ、口からパンプスを引き抜き、衣服を整える。
 可哀想に。ジェシカのB.P.さえ仕込まれていなければ、耐用年数を全うできただろうに。
 シーン。そう震える声で呼んで、しがみついてきた柔らかな体。
 けれど人間と違って、『死んだ』今でもその身体は弾力を保っている。零れているのは血液ではなく、白銀の疑似体液だ。パンプスを引き抜いた奥に金属の構造体が覗く。暴行されても妊娠しない。局部を引き裂かれても血を流さない。
 機能的なDOLL。人間の欲望のままに、壊される。
 このまま『グランドファーム』に回収されても、状態がよければ数カ所補修されて記憶を入れ替えられ、数日内に俺はナタシアに再会できるだろう。シーン。そう呼んで、前と変わらない笑顔で、俺にコーヒーを出すだろう。記憶処理がうまくいっていれば、俺が好むという情報だけを頼りにカフェオレを出してくれ、今回の事件についてコメントさえくれるかもしれない。
 ROBOTに傷は残らない。トラウマは存在しない。今存在するのに必要な記憶、有効な記憶だけを蓄え、未来は可能性の重なりとしてしか認識しない。それがROBOTだ。現在を『生きる』ためだけの最低限必要な機能を備えた存在。
 けれど、B.P.を仕込まれたROBOTは過去の記憶に苛まれ、現在の状況に怯え、未来の恐怖に不安を抱く。極限まで機能的に作られたシステムに、B.P.はそのシステムの在り方自体を否定するような働きをもたらす。
 だから、ROBOTはB.P.に『侵食』されるのだ。
 『人』としての個性や揺らぎを加えるB.P.は、ROBOT本来の『生き方』を真っ向から崩していく。バランスを保つことにシステムは奔走し、やがて崩壊する。
 ナタシアはまだそこまでジェシカB.P.に侵されていなかった。だが、俺ともっと早く接触していたら? 俺という存在に刺激されたB.P.は、ジェシカの個性を揺さぶられる。スープの作ったスクランブルエッグのように。やつが作る卵料理は目玉焼きだったのに、俺に食べさせるものはスクランブルエッグの方がいいのだと信じ込み始める。内側から響く見えない強制力によって。
 そして、そのB.P.に関わる『人』もまた否応なく、失ってしまった過去、捨てざるを得なかった過去、捨て去ってしまった過去を呼び戻され強制される。
 レッド、もそうなのだ。
 あいつは死んでからも、俺への執着に振り回されている。俺と紡げたはずの時間を手に入れようとして、宿ったかりそめの機械の身体を暴走させる。
 けれど、その暴走の果てに残るのは、自分がどこまでいってもROBOTでしかないという認識だろう。計画され設定され処分される時間まで定められて『グランドファーム』に回収されていく、機械。
 俺を犯しながらスープが苦しみ抜いていたのを知っている。俺の目の中に映っているのが、ジェシカB.P.に食い込まれていく『自分』なのか、それとも、『自分』をかぶっているジェシカB.P.なのか、わからなくなってしまったのだ。
 どんなことばも通じなくて、どんなことばも信じられなくて、スープはことばより確かな繋がりを望んだ。
 だが、それもまた、『グランドファーム』に指示された任務でしか、ない。
『あなたが、ほんとに、ずっと欲しくて』『あなたの全部が、欲しくて』
 切羽詰まって掠れた声。
『もっと、下さい、シーン』『シーン』『俺の、シーン』
 懇願するような、悲しげな声。やつが欲しがっていたのは、身体の俺だけじゃない、俺の中にある俺、スープをスープと呼んでくれる俺、B.P.に崩されていくやつを抱え込んで抱き締めてくれる俺、『何ものにも揺らがないでやつを認めてくれる存在』みたいなものだ。
 そしてやつは今、ナタシアの状況検分でまた揺れ動くだろう俺の気持ちに不安がってるはずだ。けれど、必死に笑って離れてみせた。それを口に出せなくて、それで俺を傷つけるのが怖くて。
「ばかが」
「え?」
「どこまで許してやっても気づかないばかがいる」
「は?」
「だから、こんな無茶する羽目になるんじゃねえか」
 不審そうなルシアに構わず、溜息をつく。
 そうだ、信じられないぐらい、俺はうろたえていなかった。周囲に血が飛び散っていなかったということもある。ナタシアが機能を停止した瞬間にROBOTに戻ったのを実感したということもある。
 だが、何より俺はそんなことを考えているほど暇ではなかった。これからするべきことに心身の全てのテンションをあげていた。胸に刺しているスティックを痛いほどに意識する。へたって熱っぽい体を、鈍ってる反応を、少しでもコントロールしようと呼吸を整える。
「ルシア」
「はい」
「俺にはわからねえ」
「はい?」
「なぜ、俺に向けない?」
「は?」
「なぜ、ジェシカに向ける?」
「何を」
「お前の、欲望、ってやつを?」
 沈黙があった。ナタシアの側から立ち上がりながら振り返る。キッチンの戸口に立っていたルシアが、両腕で胸を抱くように組みながら、俺を見つめている。
 それは俺のよく知っている男の仕草だった。
「何の話ですか、シーン」
「少し調べるとわかる。お前が署に居ない時にDOLL破損は起こっている。だけど、誰も、女性形のROBOTがDOLLを破壊して回っているなんて思わなかった、ましてや、それが警察内部にいたなんて」
「誤解です」
「ラルゴ殺害のときは署にいるはずのお前がいなかったけどな」
「私が犯人だとする論拠は?」
「靴だよ」
「靴?」
「破損したDOLL はみんな靴を口に突っ込まれてる。けれど、俺を襲ったサイコ野郎は靴じゃなかった。スープを襲ったときもだ。てめえの一物を突っ込んできた。レッドのB.P.なら同じふうに振舞うはずだろう、ジェシカの時もそうだったんだから。なぜ、他のは靴なのか? 簡単だ、そいつにはないんだよ、突っ込みたくても、それがねえ」
 ルシアは冷ややかな青い目を伏せた。
「こじつけです」
「もう一つ」
「え?」
「お前はよく知り過ぎている」
「は?」
「スープのことも、B.P.のことも。俺が知る限り、スープの存在ってのは人類存亡に関わるもんなんだろう? 『グランドファーム』直轄の情報みたいじゃねえか。なのに、お前はそれを知っている。ただの護衛ROBOTが知ってるとは思えねえな」
「推測に過ぎません」
「ジットのこともある」
「ジット?」
「なぜジットと付き合いだした? あいつに優しくしてやって側にいたのは監視のためじゃねえのか? ナタシアの破損を知らせてきたジットは、今どこにいる?」
 ゆっくりとルシアが目を上げる。瞳の底に真紅の光が走ったように見えた。それでも、それをするりと沈めて、ルシアはにっこり笑った。
「シーン、あなたの信頼を得られてると思ってましたが」
「いい奴だと思ってたよ」
「それなら、なぜ」
「凄く似ている」
「は?」
「10年前、俺とレッドが潜入捜査を指示されたときの雰囲気に。気配に。どこか噛み合わない、ぴんとこない。けれどいつの間にか話が進んで、気づいたら俺は俺を狙うやつと敵地のど真ん中に取り残されていた」
 潜入は簡単だった。だが抜けるタイミングが難しかった。レッドは夜眠れないからと不安定になりつつあって、芝居だったキスでひどく長く拘束されたことがあった。街角で人目があったから、突き放すわけにはいかなかった。
 すまない、けれど、見張りが妙に神経質になっているから見せつけてやんなくちゃと思ったんだ。そう謝ったレッドの目にあったものを確かめるのが嫌で、俺は気づかぬふりをした。
 終わってみればあまり意味のない潜入捜査だった。後々、実は別の事件を隠蔽するために工作だったとの噂も流れて後味悪いものになった。
「あの時も流れた噂の中心は、署長だったパターソン管理官だったよな?」
 似ている。自分の手を汚さずに、手駒を使って目障りなものをどこから見ても正当な手段で処分する。パターソンはそういうやり方を繰り返し指摘されている。
「今回の事件の後ろに、またあいつがいるんじゃないのか?」
「では、どうしますか?」
 ルシアはにこやかな笑みのまま、俺を凝視した。
「質問に答えろ、なぜいつも『お前』は『俺』じゃなくて、『ジェシカ』を狙う?」
 サイコ野郎のように、直接俺を狙えばいい。
 ルシアが目を細めて口を開きかけた瞬間、彼女のインカムが鳴った。真っ青な目を据えたまま、ルシアが応答する。
「はい、え? まさか」
「どうした?」
「わかりました、追跡します」
「何だ?」
 尋ねた俺に向けた目が初めて冷えた。微かな怯えを満たして見つめ返してきながら、ルシアは固い声で言った。
「スープが『グランドファーム』から逃亡しました」
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