『闇を見る眼』

segakiyui

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第5章

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「…っ」
 切なげな悲鳴を耳に蘇らせて顔が熱くなる。
 ああもう、どうしよう、あんな声を聞かされたら、忘れるわけにはいかなくなる。
 瞬時に乾いた喉に、ベッドを抜け出した。腰にもっと負担が来るかと思ったが、意外に大丈夫だ。
「…慣れてきたとか……おいおい」
 自分で思わず突っ込んでしまった。毎度毎度、あの調子で『お仕置き』を求められては、こちらの身がもたない。
 薄赤くなりながら、側に放り出していたタオルを纏ってキッチンで水を飲む。
 時計は5時を回っている。そろそろ起きて身支度して、一旦家に戻って着替えてこなくては。
 ベッドに戻ると、真崎はまだ目覚めていなかった。美並が抜け出したそのままに腕を開いて、ぐしょ濡れの枕で眠っているのが可哀想で、新しいタオルを枕に敷き込んで、濡れている頬と睫毛にキスした。
「…ん…」
 ほんわり、と微笑まれて気恥ずかしい。
「…反則だな」
 唸った途端、真崎が瞬きした。
「…美並…」
「おはよう」
「……おはよ…」
 掠れた声で笑うと、真崎が体を起こした。するりと伸ばされた手に手を差し出す。そっと掴まれた指先に恭しくキスされた。
「?」
「何?」
「いえ、こんなことをされたのは、初めてかな、と」
 脳裏を走ったのは、『お姫様に求婚する王子様』の姿だ。
「跪いた方が好き?」
 うっすら頬を染めて真崎は笑う。
「いえ…何というか」
 きらきらきらきら。
 真崎の周りを無数の光の蝶が飛び交っているように見える。
「…何かあったんですか?」
 引き寄せられるままにベッドに座った。
 そう言えば枕が濡れていた。また悪夢でも見てうなされていて、疲れ切っていた美並は気づかなかったのだろうか。
 けれど何度見ても、真崎の周囲を飛び交っているのは、かつての白い靄でも、砕かれたガラス片でもなく、自ら光を放って飛び交うような眩い羽ばたきだけだ。
「んー…」
 首を傾げながら、真崎は美並をそっと背後から抱きかかえた。
「美並が大事だなーと」
「…はい……?」
 何だろう。
 同じようなことを何度も言われた気がしたのに、背中から囁かれているこのことばは、ひどく甘くて懐かしい。
 宇野のことを思い出したような感覚、そう思ってふと、自分を見下ろして目を見開いた。
 何だこれは。
 紫色の刃のような光が体の周囲を舞っている。その内側には幾重にも重なったような緑の光、まるで日差しを透かした葉っぱのような。
「美並?」
「っ」
 慌てて背後を振り返った。激しい動きに思わず両手を開いた京介が、訝しそうに見返すのを、意識してまじまじと全身眺める。
 きらきらきらきら光の蝶。けれどその奥深くでは薄紅の甘い光が揺蕩っていて、特に今美並と触れている足や腰のあたりは光の蝶より甘い紅の方が強い。そしてそこでは、美並の体を取り巻いている紫の刃が包まれ崩され混じり合っていて、その内側の緑の層と甘い紅がゆっくり行き来しているのが見えた。光の蝶は今や美並の周囲も包みつつあって、朝の日差しの光度を跳ね上げている。
「…っあ」
 差し出した美並の手が触れて、真崎が眉を寄せた。
「…ひどいよ美並」
 口を尖らせる。
「時間がないのに……そんなことして」
 掌の下で力を溜めだしたものに触れる美並の手は、紫の刃を纏っていない。緑色の柔らかな光が伸びて、真崎の腰へ広がるのに、真崎が険しい顔で腰を引く。
「あのね、美並、僕だって一人前の男なんだから、朝一番にそんなことされるとね」
「…京介……痛くないです、よね」
「…痛いと言うより…辛い」
 ぼそりと唸った。
「そろそろ離してくれないと」
 熱を溜め、掌を押し上げる存在に、真崎が眉を寄せる。
「僕はね、美並とする方が好きなんだからね、一人でするのがどれだけ虚しいかって、わかってないでしょ」
 ゆらりと紅の光が立ちあがった。美並の掌を包み込み、手首から肘へと這い上る。むず痒くくすぐったく、熱くて切なくなる波が、皮膚から染み通って来る。
 ふいに緑の層を紫の刃が走って掌へ集まった。そればかりか、薄赤く染まり、見る見る滴るような真紅に変わって真崎の体へ滑り落ちる。
「…っ、駄目だ、美並…っ」
 苦しそうに真崎が呻いた。腰が揺れる。
「ごめん…ちょっと付き合って……」
 ベッドに倒れこみながら、美並を引き寄せ抱き締める。腰を美並に当てて揺さぶる。
「…ごめんなさい……京介……」
 囁いて抱きしめ返すと、んんっ、と甘い鼻声が返って来る。
 けれど美並は周囲に広がった光に目を奪われていた。
 自分の体を包む緑の光。その上を滑って真崎に流し込まれていく真紅の刃。裂かれるように光の蝶が飛び散り離れ、奥にある甘い紅の光が波打ちながら美並の刃を飲み込んでいく。血肉を腑分けするような容赦ない刃に見えるが、真崎は喘ぎながら快感を貪っていて、その甘い紅の光が美並の方に押し寄せ、緑の層に染み通って来る。
 濃度のある柔らかな熱。満たされる。
「…京介…」
「…っん」
「…もっと来て…」
「っふぅっ」 
 誘うと緑の層が開いた。幾重にも閉ざされていた葉が少しずつ薄くなり、真崎の紅の光が混じり込んで行く。
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