『遺産相続人』〜『猫たちの時間』7〜

segakiyui

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4.女達(1)

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「うー……」
 結局俺はまんじりともできないまま朝を迎えた。
 障子を通して入ってくる日差しに部屋の中がぼんやり明るく見える。床の間の一輪挿し、屏風、そして隣の布団で安らかに『お休みあそばしている』周一郎。
「この野郎…」
 じろりと見遣った。
 こっちは中途半端に途切れたことばの続きがわからなくなってイラついた上に、また例の亡霊話を思い出したものだから、とても寝るどころじゃなかった。おまけに、さくが殺されたのは、庭の池を挟んでこの部屋とほぼ向かい側にある部屋だと気づいちまうし。
 なのにどうして『現場』を見たお前が、それほどすやすやと眠っていられるんだ? 経験値の差か?
「…」
 うつ伏せになっていたのをもぞもぞと起き上がる。十分朝だし、鼻でも摘んで叩き起こしてやるかと手を伸ばしかけ、同時にもこもこ動いた周一郎の布団にどきりとした。
 しまった、起きてたのか。
「にゃあ」
「ルト」
 ちゃっかりご主人の懐に潜り込んでいたらしい青灰色の猫は布団から抜け出してくると、前足を揃えてきちんと座った。
「お前、いつそこへ入った?」
「…」
 今度は応じず、じっと顔を上げて俺の手を見つめている。
「あ、え、あの、あはは、あの、これは別に殴ろうとかそういうのじゃなくてだな」
 弁解に戻ってきたのは冷ややかで硬質な視線。
「あは、は、はは」
「……」
「…すまん」
 とりあえず謝って手を下ろした。
 敵影が消えたことに満足したのか、ルトは周一郎の顔の側で長々と寝そべり、尻尾を指先に絡ませるようにくねらせている。
 それに刺激されたのか、周一郎は射してきた日を避けるように寝返りを打ってこちらを向いた。枕にきちんと頭を載せ、寝巻きの浴衣の襟元も整ったまま、布団の裾も乱さずに静かに眠っている周一郎は、二十歳前というより、もっと年下…子どもに見える。
 小さな子どもが精一杯大人の仕草で眠っている。
「そうか…」
 ふと気づいた。
「お前さん、そうやってずっとあの家でご主人を守ってきたのか」
「にゃあん」
 青灰色の小猫一匹しか味方がおらず、牙を隠し持った大人達に囲まれながら闇を見続けてきた周一郎には、今更殺人とか亡霊とかに怯える神経などないのだろう。死んだ者よりもっと残忍に人を嬲れる、生きた人間の欲の亡者達の方が、よっぽどおぞましくて恐ろしいのだろう。
「そういう経験値は、嫌だな」
「…なぁん」
 小さな声でルトが鳴く。
 二匹の猫が寝そべっている。甘えてこない、本音を見せない、そのくせ一挙一動を心に刻み込むように見つめている。
「……猫は猫でも、眠り猫だな、こいつは」
 眠れる時間はほとんどなかったのだろう。だからこれほど眠るんだろう。
「まだまだうんと…足りない、か」
 ふああう、と欠伸をした。
 俺みたいに十分眠ってきた人間だってまだまだ眠い。周一郎と対照的に乱れて今にも脱げそうな浴衣をかき合わせる。もう少し夜が長ければ、すっかり脱いでしまってるところだ。育ちというのはこういうところにも出るもんなのか。
「やれや…」
「この…売女!」バシン!「きゃっ!!」
「っっ?!」
 がしがし頭を掻きかけた途端、激しい罵声と何かを叩く音、悲鳴が響いてぎょっとした。
 耳を澄ませる。何か聞こえるような気もする。
 そろそろと床から離れて障子を開ける。外のサッシが少し開いていた。このせいで夕べが肌寒かったのかもしれない。
 窓の外、裏庭の端で肩を怒らせ息を荒げて立っているのは久。足元にいつかの亘のように、崩れるように鈴音が座って頬を押さえている。
「大方、あの滝とか言う若造に惚れたんだろうが!」
「違います!」
 悲鳴のような声が応じた。
「違う? ふん、それにしては最近妙に嬉しそうだな!」
「誤解です、あなた」
 赤くなった左頬から手を離し、鈴音は懇願するように久を見上げる。
「わたくしはあなたのために、あんなことまでしたではありませんか!」
(あんなこと?)
 切羽詰まった声の調子に首を傾げる。
「どこまで本当だか、わかったものではないな」
 吐き捨てる久の声は苦々しい。
「母がいなくなったからといって、ここからは逃げられんぞ。お前は誰にも渡すわけにはいかん。ずっと俺のものだ、俺の…」
「あ…いやっ…あなた、あな…」
「どわっ」
 久に抱きすくめられた鈴音がぐいと着物を剥かれ、白い肌を晒される。
 慌てて窓から飛び退いた。
「おいおい、いきなり何…」
「…あぁ…」
「ひえっ」
 急いでサッシを閉め、室内へ撤退して障子も閉めた。体がばくばくしている。何が悲しくて朝も早くから夫婦の営みなんぞ見せつけられる羽目になる。そんなことは室内でやれ室内で!
「ったく、怪異に殺人にポルノなんて三流映画館かここは…」
 くす、と微かな声が響いて思わず固まった。
「………」
 ぎくしゃく振り返ると、布団に横たわったままの周一郎が悪戯っぽい目でこっちを見ている。唇を片端だけあげて見せ、
「久と鈴音ですか?」
「っっ!」
 こいつ、知ってやがんのか。
 ざわっと身体中の血が顔に集まってきたみたいに熱くなった。
 ひょっとして覗き見してるのも見てたのか。
 今後は一気に顔が寒くなる。
「お前…」
「ところ構わず、ですね」
 俺が赤くなったり青くなったりしているのを気にした様子もなく、見ようによっては悪魔っぽい微笑が消えた。転がって天井を見上げ、淡々と続ける。
「この前の時もそうでしたよ。同じようなことがあって、たまたま亘と皖が見ていた。鈴音に拒まれて腹を立てた久が逃げ遅れた亘を捕まえて折檻したんでしょう」
 冷ややかな瞳がより硬く嘲りに満ちる。
「久は嫉妬深い男で、以前も天外和尚という生臭坊主が鈴音に言い寄った時、半殺しの目にあわせたようですよ。もっとも……さくが圧力をかけて表沙汰になるのは押さえたみたいだけど」
「…ふぅん」
 突き放した物言いに、物騒な男だなと呟いて気づく。
「…よく知ってるな?」
「一日あれば、人の裏なんて十分見えてきますよ」
「…そんなもんかね」
 俺には人の表と裏の区別さえ、見分けがついた試しがない。
「…そんな何とか和尚の話なんか、誰も話してなかっただろ?」
「知らなかったんですか?」
 ちらりと周一郎は横目をくれた。
「あなたがここに来た時から、天外和尚の二の舞になるんじゃないかと使用人達が怯えてましたよ」
「…あ……ああ」
 そう言われりゃ、何かひそひそ話をよくしていたな。
「なるほど……って、待てよ?」
 もう一つ、奇妙なことに気がつく。
「俺が来た時からって、どうしてお前がそんなことを知ってる?」
 確かこいつが来たのはもっと後のはずで。
「え、あ…」
 急いで視線を逸らせた周一郎の頬が薄く赤くなったようだった。
「いえ、だから、僕は仕事のこともあって、ここに来た時からルトにですね」
 いつものこいつらしくない野暮ったさで口ごもりつつ体を起こし、布団の上に目を落としたまま黙り込む。
「うん、ルトに?」
「にゃあ!」
 ふいに、いつの間に抜け出していたのか、障子近くでルトが鋭い声を上げた。きらっと目を光らせた周一郎がそちらを見やる。振り向いて手を伸ばし、いきなり廊下側の障子を開け放った。
 ばたばたとした足音が廊下の端へ消えて行く。
 ちらりと見えたのは子どもの姿だった。
「に!」「おう!」
 走り出すルトにつられて追いかけると、屋敷中を追い回すこともなく、すぐにそいつを捕まえられた。
「おい、待て!」「にゃっ!」
「わっ」
 なおも逃げようともがく相手を前に回り込んだルトが制する。肩を掴まれ逃げられそうにないと判断したのだろう、相手はきっとこちらを振り仰いだ。顔貌はほぼ同じ、けれど激しい目の色は、きっと皖の方だろう。
「なにするんだよ!」
 皖だ皖だ。間髪入れずに食ってかかるような真似は亘にはできまい。
「なんで逃げんだよ?」
「っ」
 何か叫びかけたことばを呑み込み、きつく唇を噛む。怯えた色などどこにもない。
「逃げたんじゃない」
 すぐに勝気な口調で反論して来た。
「逃げただろうが」
「こっちへ走って来ただけだ」
「じゃあ走って何してたんだ」
「…」
 皖はますますきつく下唇を噛んだ。怒りのせいか焦りのせいか、真っ赤になった頬に焦ったそうな表情を浮かべ、眉を寄せる。
「何もしてない」
「にゃあん」
 嘘つけ。
 ルトの鳴き声がそう聞こえたのは俺ばかりじゃなかったらしい。そちらへ一瞬険しい視線を投げ、負けるもんかと言いたげに、皖はもう一度俺を見上げてきた。
「けど、部屋の前に居たよな?」
「あれは……母さまを探してて…」
 言い淀んでますますじわじわ赤くなる。さすがにぴんときた。
「見たのか」
「……………」
 弓でもあれば俺を射抜いていそうな強い視線が、ふっと弱まった。のろのろと首を落とす。
「皖君…?」
「……初めてじゃ……ないんだ…」
 掠れた声で呟いた。ぎょっとする俺に、
「前にも…」
 ぼんやり続けかけ、我に返ったように体を強張らせて首を振りながら叫ぶ。
「大っ嫌いだ! 父さまなんか……父さまなんか!」
 握りしめた拳に全身の力を込めながらぶるぶる震えている。
 話したい話したくない、訴えたい訴えたくない。
 内側に力を溜め込んでいくしんどさは、俺にも覚えがある。
 腰を落としてそっと皖を覗き込んだ。
「それで……この前……時……滝さん……亘に優しかったから……それで…」
 今にも消えそうな声で続けた。
「…和尚さんの時も……母様が……だから…今度は…滝さんが…」
「へ?」
 きゅと口を結ばれて凍りついた。
 ちょっと待て、左右確認横断歩道、じゃない!
 なんかとんでもないことを聞いてないか?
 今のややこしいあれのことじゃないな? 和尚さんって例の和尚だよな? でもって、さっき和尚が鈴音にどうこうってので久がブチ切れて、って聞いたよな? けれど、こいつが今話してるのは、鈴音が俺を誘惑して、それでややこしいことになりかねないって、そういう意味だよな?
 脳裏に昨夜の鈴音の姿が蘇る。熱っぽくて色っぽくて、いやいや待てよ待って下さい、まさか。
「おい、母親のことをそんな風に」
「母さまは好きだよ!」
 皖は真剣な目の色で俺を見つめた。
「母さまは好きなんだ…」
 じれったそうな口調、寂しさを滲ませる。
「亘は…いいな…」
「? どうして?」
「だって…」
 ふうと大人びた溜息をついた。一瞬、亘によく似た気弱そうな微笑を浮かべた。
「…だって…さ」
「皖君?」
「……ぼくと……亘とどっちが好き?」
 唐突に尋ねられた。
「え?」
「それに答えられたら答えるよ!」
 ぽかんとした俺の手を振り解き、身を翻して走っていく。
「なんだ?」
「にゃ」
 隣でルトが応じて振り向く。ぱっちりした金色の虹彩、黒い糸のような瞳孔が見つめ返してくる。
「お前わかったか?」
「にゃん」
「俺には全然わからん」
「でしょうね」
「っ」
 どきりとして振り返ると、着替えを済ませた周一郎が相変わらずの白い着物姿で立っていた。サングラスの向こう、眩そうに目を細めているのが日差しに透けて見える。
「でしょうねって、お前はわかってるのか?」
「少しは」
「にぁん…」
 甘えた声を上げてルトが周一郎の足元にすり寄った。そっと抱きあげながら、
「僕も……そういう繋がりがずっと欲しかったから」
「つながり?」
「もっとも…最近気付いたばかりだけど」
 すり、と伸び上がって頭を擦り付けるルトに珍しく頬を寄せて応じ、周一郎は苦笑した。
「?」
「あなたはわからなくっていいんです」
「??」
 くるりと背中を向けた姿の向こうから、いつものように感情のこもらない声が響いた。
「お由宇さんが探しているようでしたよ、滝さん」
 
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