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5.亡霊(2)
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周一郎に案内されて、俺達はさくの部屋に入った。死体はさすがになかったが、部屋は生々しい血の跡でべっとり、未だに赤みを残しているのが何とも不気味だ。
「何だね、周一郎君」
「ここです」
周一郎は地獄絵図に構わず、すたすたと入って行くと、ある場所でピタリと足を止めた。
「そこが?」
「来てもらえばすぐにわかりますよ」
「?」
厚木警部は不承不承、周一郎の立っている場所へ近づいた。
初めは意味がわからない顔できょろきょろしていたが、そのうち、周一郎のサングラスの奥の目が周囲を見回すのに、はっとしたように声を上げる。
「え、ま、まさか!」
大人びた微笑を唇の端に滲ませ、周一郎は頷いた。
「そうなんです。『ここ』は、家屋の中からは決して『見えない』」
周一郎の言っている意味がわからない。
俺が目をパチクリさせているのに構わず、
「だから、十一時十五分までに『ここ』に居ても、誰にも見えません」
「…とすると…」
厚木警部は周一郎を深々と覗き込んだ。
「じゃあ君も、由宇子と同じ考えなのか?」
「今のところは」
「そうか!」
厚木警部は一声叫んで慌ただしく部屋を飛び出していった。と、その瞬間、ふっと障子に警部とは別の影が動いた気がした。どきりとしてその辺りを見つめたが、人の気配はない。
(亡霊…?)
思わず首を竦めると、周一郎がくるりと振り返った。
「滝さん?」
「え、あ…」
「どうしたんですか?」
「いや、その…」
なんかその辺りに妙なものが居てさ。
言いかけて、周一郎の凝視に口を噤む。
また滝さんの想像力は凄いですねとか普通じゃないですねとか、ありがたくない評価が付け加えられるのがオチだろう。
「いや、別に…それより、どういう意味だ?」
「今のことですか?」
「ああ」
「簡単ですよ。『ここ』に立って周囲を見回してください」
「周囲を?」
周一郎が示した場所に立って、ゆっくり見回す。気づかなかったが、いかにも老婦人風の部屋だ。磨き抜かれた違い棚、高価そうな花瓶、凝った作りの置物…。
「違いますよ」
周一郎が首を振った。
「窓の外を見てください」
「窓の外?」
促されて、開いたままになっている窓を眺める。特にどこと言って変わったことのない景色に見えた。
「?」
おい、一体何が見えるんだ。
そう尋ねようとした矢先、突然『それ』が見えた。
「…あれ?」
見えた?
いや、『見えない』のだ。
母屋のどの窓も、ただの一つも、『ここ』に立つ限り、さくの部屋からは見えない。
「障子と襖は開け放したまま、つまり事件の夜と状況は同じ。その時も、そこに立って居たなら、決して母屋の窓からは見えなかったでしょう」
周一郎はもう一度確認するようにゆっくりと部屋の中を見回した。
「開け放たれているから、全部見えていると誤解する……『ここ』は開放空間だからこその死角になっているんです」
「じゃあ昨日だって」
「そうです。その位置からこちら、床の間の方へ近づいて行くと、母屋から姿は全く見えないことになります。だから、この辺りで殺人が…」
唐突に周一郎はことばを途切らせた。振り向いた俺の目に、まじまじと床の間を見ている姿が映る。
「…どうした?」
「いえ……これは…どうして、こんな風に…」
何を熱心に見ているのかと思ったら、風に揺れているらしい掛け軸と置物だった。両方ともどす黒い血の染みが付いている。どうやら、その染みのつき方が周一郎の興味を引いたらしい。
ふわりとまたも妙な気配が過った気がして、俺は肩を竦めた。
「わかったよ、厚木警部にも説明したし、もういいだろ、行こう」
「ええ、ちょっと」
周一郎はひょいと無造作に手を伸ばした。
「おい!」
鑑識とかも入れていないし、現場保存とかも不十分だし、そんな中で下手に触ると犯人にされかけないぞ、一体何を、と目を剥いた俺の目の前で、周一郎は壁と掛け軸の境で揺れていたものを摘み上げた。
「何だ?」
「女性の髪の毛、のようですね。しかもかなり長い…」
周一郎の指先に艶やかに絡みつく細い髪にぞっとする。
「止めとけって、そんなに長い髪の毛なんてそうそうない…」
言いかけて気づく。ちらりと周一郎が俺を見やる。俺が飲み込んだことばを口にした。
「鈴音、ですね」
「お前まで!」
むっとした。
確かに全ての状況は鈴音に不利だったが、俺の頭には初めて彼女を見た時の、儚げで寂しげな姿が焼き付いている。どう考えても、手を血に染めて人を殺すようには思えない。
「人間は…」
俺を見つめていた周一郎はサングラスの向こうの瞳を少し陰らせたようだった。瞬きし、緩やかに俺から目をそらせ、独り言のように呟く。
「一つの想いに取り憑かれていると、どんな物静かな人でも鬼にも蛇にもなれるんですよ、滝さん」
淡々とした声が冷え冷えと響いた。
「それが愛であったり執念であったり願いであったり………断ちたくない絆、だったり…」
最後の方はどこか自分に言い聞かせているような、ぼんやりとした囁きに消えた。
「何だね、周一郎君」
「ここです」
周一郎は地獄絵図に構わず、すたすたと入って行くと、ある場所でピタリと足を止めた。
「そこが?」
「来てもらえばすぐにわかりますよ」
「?」
厚木警部は不承不承、周一郎の立っている場所へ近づいた。
初めは意味がわからない顔できょろきょろしていたが、そのうち、周一郎のサングラスの奥の目が周囲を見回すのに、はっとしたように声を上げる。
「え、ま、まさか!」
大人びた微笑を唇の端に滲ませ、周一郎は頷いた。
「そうなんです。『ここ』は、家屋の中からは決して『見えない』」
周一郎の言っている意味がわからない。
俺が目をパチクリさせているのに構わず、
「だから、十一時十五分までに『ここ』に居ても、誰にも見えません」
「…とすると…」
厚木警部は周一郎を深々と覗き込んだ。
「じゃあ君も、由宇子と同じ考えなのか?」
「今のところは」
「そうか!」
厚木警部は一声叫んで慌ただしく部屋を飛び出していった。と、その瞬間、ふっと障子に警部とは別の影が動いた気がした。どきりとしてその辺りを見つめたが、人の気配はない。
(亡霊…?)
思わず首を竦めると、周一郎がくるりと振り返った。
「滝さん?」
「え、あ…」
「どうしたんですか?」
「いや、その…」
なんかその辺りに妙なものが居てさ。
言いかけて、周一郎の凝視に口を噤む。
また滝さんの想像力は凄いですねとか普通じゃないですねとか、ありがたくない評価が付け加えられるのがオチだろう。
「いや、別に…それより、どういう意味だ?」
「今のことですか?」
「ああ」
「簡単ですよ。『ここ』に立って周囲を見回してください」
「周囲を?」
周一郎が示した場所に立って、ゆっくり見回す。気づかなかったが、いかにも老婦人風の部屋だ。磨き抜かれた違い棚、高価そうな花瓶、凝った作りの置物…。
「違いますよ」
周一郎が首を振った。
「窓の外を見てください」
「窓の外?」
促されて、開いたままになっている窓を眺める。特にどこと言って変わったことのない景色に見えた。
「?」
おい、一体何が見えるんだ。
そう尋ねようとした矢先、突然『それ』が見えた。
「…あれ?」
見えた?
いや、『見えない』のだ。
母屋のどの窓も、ただの一つも、『ここ』に立つ限り、さくの部屋からは見えない。
「障子と襖は開け放したまま、つまり事件の夜と状況は同じ。その時も、そこに立って居たなら、決して母屋の窓からは見えなかったでしょう」
周一郎はもう一度確認するようにゆっくりと部屋の中を見回した。
「開け放たれているから、全部見えていると誤解する……『ここ』は開放空間だからこその死角になっているんです」
「じゃあ昨日だって」
「そうです。その位置からこちら、床の間の方へ近づいて行くと、母屋から姿は全く見えないことになります。だから、この辺りで殺人が…」
唐突に周一郎はことばを途切らせた。振り向いた俺の目に、まじまじと床の間を見ている姿が映る。
「…どうした?」
「いえ……これは…どうして、こんな風に…」
何を熱心に見ているのかと思ったら、風に揺れているらしい掛け軸と置物だった。両方ともどす黒い血の染みが付いている。どうやら、その染みのつき方が周一郎の興味を引いたらしい。
ふわりとまたも妙な気配が過った気がして、俺は肩を竦めた。
「わかったよ、厚木警部にも説明したし、もういいだろ、行こう」
「ええ、ちょっと」
周一郎はひょいと無造作に手を伸ばした。
「おい!」
鑑識とかも入れていないし、現場保存とかも不十分だし、そんな中で下手に触ると犯人にされかけないぞ、一体何を、と目を剥いた俺の目の前で、周一郎は壁と掛け軸の境で揺れていたものを摘み上げた。
「何だ?」
「女性の髪の毛、のようですね。しかもかなり長い…」
周一郎の指先に艶やかに絡みつく細い髪にぞっとする。
「止めとけって、そんなに長い髪の毛なんてそうそうない…」
言いかけて気づく。ちらりと周一郎が俺を見やる。俺が飲み込んだことばを口にした。
「鈴音、ですね」
「お前まで!」
むっとした。
確かに全ての状況は鈴音に不利だったが、俺の頭には初めて彼女を見た時の、儚げで寂しげな姿が焼き付いている。どう考えても、手を血に染めて人を殺すようには思えない。
「人間は…」
俺を見つめていた周一郎はサングラスの向こうの瞳を少し陰らせたようだった。瞬きし、緩やかに俺から目をそらせ、独り言のように呟く。
「一つの想いに取り憑かれていると、どんな物静かな人でも鬼にも蛇にもなれるんですよ、滝さん」
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