『遺産相続人』〜『猫たちの時間』7〜

segakiyui

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6.地底(1)

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 さっきまで泣きじゃくっていた亘は俺の手を握って泣き寝入りしてしまっていた。手足を縮めて胎児のような姿勢をとり、何かに怯えたような表情のまま、俺の布団に潜り込んでいる。
 時計は午前三時三十分。
 あれからずっと亘は俺から離れず、ようやく集まった警察の邪魔にならないようにと、部屋に引き上げて来た。
「一体どうして…」
 疲れ切った顔で寝息を立てている亘に目を落とす。
 周一郎は側にいなかった。なぜ俺達があの場所に居合わせたのかの説明の為に、志垣と厚木警部の所に留まっている。
「う……ん…っ」
 亘が眉を寄せて身動きし、夢の中でまた惨劇を思い出したのか、ひっく、と小さな声を上げた。閉じた瞼を震わせてポロポロ涙を零す。
「や…だ…」
「大丈夫だぞ…もう心配ないから」
 身悶えして体を強張らせるのに、空いてる片手を頭に乗せてやる。軽く撫でるとふうっと息を吐いて亘から力が抜けた。だが、溢れる涙はまだ枕を濡らし続けている。
 無理もない。
 溜め息をつく。
 生まれて十年と少し、自分とそっくりなもう一人の人間、同じ血と肉を持つ分身、それが目の前で死んだ恐怖はどんなものだろう。年老いたものだけではない、自分の年齢にも、死は容赦なく襲いかかってくるのだと思い知らされるのは、どんなに辛いだろう。
 脳裏に、薄暗い夜の中、草のざわめきに一条の軌跡を描いて滑り落ち、鈍い音と一緒に手足をおかしな具合に捻じ曲げ、壁にぶつかって亡くなっていた皖の姿が浮かび上がる。飛び散った鮮血、驚きに見張った目は既に濁り始め、少年の死と言うにはあまりにも残酷な地獄絵図だった。
 誰に追い詰められ、なぜ皖は命を断たれたのか、ただ一人の助けもないままに。
 答えが人の心の禍々しい闇から滲み出てくるような気がする。
 形相物凄く何かを追いかけていった久、逃げ去る足音、そして皖の死。
 自分と亘とどちらが好きかと尋ねていた少年の顔が、今ことさら苦く、無事に命長らえて眠っている亘の姿とダブって見える。
「…?」
 だがそこでふと、俺はまた、あのわけのわからない戸惑いを感じた。
 はっきりと形にはならない、けれどひどく重要な因子。
(なんだ、一体?)
 確かにわからないことは山ほどあった。伸次の死の疑い、鈴音の夜中の呼び出し、皖の反発と問いかけ、そして、忘れかけてはまとわりついてくる亡霊騒ぎ。さく殺しの犯人もまだわかっていないし、お由宇の見解を加えるならば、幼児誘拐殺人事件の方もケリが付いていない。
 それら全てが一本の糸に結ばれる、黒い予感がないこともない。
 だが、それにしては起こったこと全てが妙にバラバラと繋がりがなく、現実離れしている感じだった。
 そしてなぜか、今俺が感じている戸惑いもまた、それらと全く関わりがないことでもないような気がする。
 静かに障子が開き、周一郎が入って来た。
「どうだって?」
「納得してくれましたよ、物音に駆けつけた、ということで」
 少し疲れた顔で周一郎は答え、端然と亘の枕元に正座した。
「…どうしたんですか」
 俺の手を握っているのを見下ろす。
「怖かったらしい……けど」
「けど?」
 モヤモヤした口調に気づいたのだろう、視線を上げてくる。
「変、なんだよな」
「変?」
「うん……何か、引っかかってるんだが…」
 深く静かな、強烈に人を魅きつける瞳が先を促す。頷いて、まだ眠りながら涙をこぼし続けている亘を見下ろした。
「こいつが…」
「亘が?」
「ほら、皖が死んだ時に、こいつが飛び出して来たろ?」
 情景を思い出しながらゆっくり話し出す。落ち着かないことばを何とか形にして紡ぐ。
「それで、俺達に出くわした」
「はい」
「それで…」
 亘は泣きながら木立の中から飛び出して来た。そして、俺達を見ると一瞬立ち竦んで、さっと三人を一瞥し、次にまっすぐ俺にしがみついて来た…。
「そこ、なんだよな」
 ふっと急に警報ランプでも灯ったような気分で、口が勝手に動いた。
「そこなんだ。どうしてあの時、亘は『俺』にしがみついたんだ? 側に『母親』が居たのに、どうして『俺』に?」
 そうだ。
 あの時無意識に、俺は亘が鈴音に飛びつくものだと思って居た。恐怖と混乱を慰めてくれるのは、普段から甘えさせてくれ慈しんでくれる母親であるはずだ。安心を求める相手は、赤の他人のおっさんじゃなくて、身内のはずだ。
 あの一瞥で、亘はおそらく母親を認めたはずだったのに、まっすぐ俺にしがみついて来て、それで俺は一瞬混乱したんだ。
「それに」
 同時に、俺は『あれ』という奇異な感じを受けた。どうして『こいつ』が俺にしがみついてくるんだ、という意外さ。亘が母親に飛びついて行かなかったこととは別の、違和感、のようなもの。
「あなたはおかしなところでよく見えているから…」
 ためらいがちに呟いた周一郎を睨めつけた。元より、俺程度のそんな脅しに脅えるはずもなく、珍しくくすりと優しい微笑になって、周一郎は睫毛を伏せた。
「とにかく、まだ、僕はここに足止めされそうですね」
「仕事の方は?」
「ああ…」
 一瞬目を上げ、周一郎はちらりと俺を見た。
「そう大した用事ではないんです」
「大した用事じゃないのに、わざわざ来たのか?」
 訳が分からず問い返すと、相手はぐっと詰まった表情になって無言で立ち上がり、くるりと背中を向けた。
「仕事については、あなたに関係がないでしょう」
「そりゃ…そうだが」
 相変わらず可愛げのない言い方をする奴だ。
 そう思った瞬間、見透かすように肩越しに視線を投げてくる。
「あなたに『可愛げのある奴』だと思われたいとは思ってませんから」
「あ、そ…」
 呆気にとられる俺をよそに、さっさと周一郎は自分の布団に潜り込んだ。
「『今日』からまた本格的に捜査が始まるそうです。おやすみなさい、滝さん」
「ああ、おやすみ」
 取り残されてぽかんと一人、部屋の中央で座っている。
「んで……俺はどこに寝るんだ…?」
 俺の布団は亘が占領している。片手はまだ握られたままだ。こっちに背中を向けた周一郎の姿には取りつく島もない。
 仕方なしに、片手を亘に預けたまま、そろそろと畳の上へごろ寝した。
 手を抜くとなれば、せっかく寝付いた亘を起こしちまうだろう。なに、前に居たボロ下宿を考えれば、畳がさっぱりしてて、雨漏りもしないし、カビで黒ずんでもいないだけ全然ましだ。
 もっとも、あの頃は周一郎にも出くわしていなかった。厄介事もせいぜいテスト用紙を盗んだ疑いをかけられたのが最大級で、殺人事件なんかは小説と新聞、TVの中の出来事だと思っていたが。
 眠りに落ちる寸前、周一郎が布団から体を起こし、物思いに沈んだ顔で俺を覗き込んでいたような気が、ふと、した。
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