『遺産相続人』〜『猫たちの時間』7〜

segakiyui

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6.地底(2)

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 朝食はあまり美味くなかった。もっとも料理人の腕が悪いわけではなく、食卓にある種の話題を出すまいとする、それぞれの努力が裏目に出たのだ。
 そしてそれは、食事中に久が厚木警部に呼ばれて立っていくことで決定的になった。どうやら、昨日の久の姿を、俺と周一郎以外に見ていた人間がいて厚木警部に伝えたらしい。
 苛立たしげに席を立って行った久、不安そうな表情を面やつれした顔に浮かべて見送った鈴音、そして双方に氷のような視線を投げた周一郎。
 食卓が和やかになろうはずもなかった。
 居づらい雰囲気に閉口して気分転換に外へ出たものの、溜め息しか出て来ない。
 立ち止まって、今日も暑くなりそうな空を見上げる。輝き始めた太陽が殺伐として来た石蕗家の中を明るく照らし出している。その光は、山のどんな緑をも浮かび上がらせ、木々のどんな影をも美しい緑の濃淡に還してしまう。
 けれど。
 いつか周一郎は例えようのない虚ろな物憂げな瞳を、もう一つの視界である深い闇へ投げて呟いた。それでも、どんな光も届かない影もあるんです、と。己の生まれてきたことを悔やむような、孤独を浮かべた表情で。
「滝様」
「!」
 不意に声をかけられ、どきりとして振り返る。家の外に出ているのはてっきり俺一人だと思っていた。
 日差しの中、輪郭をぼやけさせるような淡さで、吉田弁護士の姿があった。ぱちぱちと数回瞬きする俺に、上品な微笑を浮かべながら、老人は近寄って来た。
「どうかなさいましたか?」
「ああ、吉田さん」
 俺はちょっと苦笑いした。
「少々めげてます」
 老人が静かに首を傾げる。
「あんまり自分が見事に厄介事を掘り当てるもんだから。ここ掘れわんわん、の意地悪じいさんになった気分だ」
 その場合の『犬』はルトということになるんだろうか?
「あまり良いことがありませんね」
「俺が来てからでも二人目、でしょう? 二人とも、言っちゃ悪いが冗談みたいな死に方だ。自分の未来を見てる気がするんです」
 少し首を竦めて見せた。
 俺なら畳の縁に躓いてこけることもあり得るし、そこにたまたま刀の抜き身があったり、あるいは宮田あたりが放り出していたメスとかがあるかもしれない。ついでに、山の上から転げ落ちてどこかの塀にぶつかることもあり得ないこともない。
 俺の引き攣った顔に、吉田は俺よりはるかに様になる肩の竦め方をして見せ、一歩下がって俺の姿をまじまじと眺めた。
「?」
「なかなかお似合いですよ」
「…はあ」
 自分の紺の着物姿を見下ろす。吉田の言うほど様になっているとは思えない。
「そう…」
 相手は静かにことばを継いだ。
「私は是非あなたにこの石蕗家を継いで頂きたい」
 一転して厳しい口調になった。
「それは、その、石蕗伸次さんの遺言だからですか?」
「それもあります。私の命は大館様に頂いたものです。大館様の命を貫くことが、今では私の生きがいになっているのですから」
 吉田老人の瞳が異様な熱っぽさをたたえてぎらついた。正視に堪え難いほどの光、急に凄みを増した姿から目を離せなくなる。
「大館様はお優しい方でいらっしゃいました。さく様のことも、ただただ不憫と思われておられました」
「不憫、と言うと」
「そうです」
 吉田は曖昧に微笑んだ。
「ご存知のようですね。大館様はさく様の為さったことを気づいておられました。…哀れな女だと常々おっしゃられておりました。差し伸べた手を見もせずに、己の劣等感にのみ心を縛り付けている女だ、と。いくら由緒を重んじる家柄を負うとはいえ、さくを選んだのは他でもない私であったのに、と」
 懐かしげに目を細める。が、すぐに、また険しく熱っぽいものを瞳に湛えて、
「さく様は大館様の御心にはお気づきになられませんでした。憎しみと劣等感で、授かられた久様を猫かわいがりされ………結果、久様はあのように愚かしい方となられました」
 ルトが聞いていれば、猫の立場から憤慨しただろう、侮蔑を含んで吐き捨てた。
「さく様と久様は同じことを為さいました。これほど見事な母子(おやこ)もおりますまい。だからこそ、私はあなたに石蕗家を継いで頂きたいのです。大館様の守って来られた石蕗家を、これ以上瓦解させるわけには参りません。既に、悲劇は十分すぎるほど起こっております。石蕗家に連なる者は、もう五人も死んでいるのですから」
「五人?」
 思わず首を傾げる。先代の若奥様、次に伸次、それにさく、昨日の皖で四人のはずだ、後の一人は、一体誰のことだろう?
「吉田さん、その、五人って」
「かあさま!」
 尋ねようとした俺は響いた声に気を取られ、そちらへ視線を向けた。
「どこ行くの、かあさま」
「ちょっと村の方へね。警察の方のお望みなの」
「じゃ、ぼくも行く!」
「あーあ……片割れがいないから甘えて……あれ?」
 呟いた俺は鈴音にまとわりついている亘にまたもや違和感を感じた。
 亘は鈴音を見上げて気弱そうに、おずおずとした笑みを浮かべ、それが相手に受け入れられていると知ると、ぱっと笑顔を輝いたものに変えていく。しっかりしがみつきながら、甘いうっとりした表情で鈴音に身を寄せている。
 そこには、昨日、皖の死に怯えて助けを求め、俺にしがみついて来た亘の姿はなかった。
 だが、俺の中の違和感はなくならない。どうして『あいつ』が、あんな風に鈴音にまとわりつけるのかと考え続けている。
 確かに、あのどこかはにかんだような甘えた笑みは亘のものだ。微笑み返す儚げでたおやかな鈴音の様子も、少しやつれたように見える程度、そりゃ義理とは言え息子が死んだのだから。やつれないほうがおかしいのだが、それ以上に特におかしな様子はない。
 なのに、俺は何に引っかかっているんだろう?
「うーん」
 この感じはどこかで味わったことがあった。
 いつだっただろう? これととてもよく似た感じを受けたことがある。明らかな現実が目の前にあるというのに、まるで映画のスクリーンを見ているような平面感、感情のままに動いているように見える出演者が演技しているのだとわかってしまう、ある種の空虚感。
(そうだ)
 脳裏にいきなり焦点を結んだ像に瞬きした。
 周一郎。
 それも、最近の少し素直になってとっつきやすくなった(とは言え見知らぬ街へ来て地図を手にした程度の)周一郎じゃなくて、初めて顔を合わせた頃の、ただひたすらに腹の立つ、だけどどうしても放っておけない周一郎。本来の役割を、鋭すぎる頭と見事なポーカーフェイスでやり抜いていってしまう……。
「っ!」
 一瞬、心臓が止まった。
 あたりが静まり返る。遠くに聞こえていた鳥の声も、照りつける日差しも、全てがセットだと種明かしされた瞬間のように、突然浮かんだ考えに心が乗っ取られる。
 そう、なんだろうか、本当に。
 俺はまだ鈴音に甘えている亘を見つめた。
 甘えん坊の亘。しっかり者の皖。
 殺された皖。一体なんのために? たかが子ども一人のことだ、何ができるわけもなかっただろうに。けれど、皖は鈴音の『何か』を知っていた。父を憎む皖。なぜだ? 何かを見た皖。父を睨みつける皖。母にしがみつく亘。『亘は…いいな』『…ぼくと亘とどっちが好き?』問いかける皖。逃げ去る皖。皖。皖。皖……。
 だとしたら。
「っ」
 再び稲妻が頭に走る。「どんがらぐわっしゃん」と派手な音を立てて、脳の真下へ落ちてくる。
 だとしたら、どういうことになる?
 『何か』を見てしまった目撃者が、生きているとわかったら、犯人はどんな態度をとるだろう。
(あいつが危ない!)
 慌ててあたりを見回した。
 吉田はいつの間にか姿を消している。そして、未だにニの門のあたりで押し問答している鈴音と亘の他、人影はない。
 ごくり、と唾を呑んだ。
 何はともあれ、確かめて見なくてはならない。
 ゆっくり二人の側へ歩み寄る。
「かあさま!」
「だから、ほんの少しだけ。ね、わかって、亘」
「だから! ぼくも連れてってよ! ねえ!」
 亘は必死に訴える。
「こわいんだよ! 一人でいたくないの、ねえ、かあさま!」
 ただ甘えて鈴音を引き止めているのとは、どうも様相が違うようだ。
「かあさま!」
「亘…?」
 鈴音が不審そうに眉を潜めて亘に目を落とした。今にも泣き出しそうに歪めた少年の顔をじっと見つめて続ける。
「…あなた……」
「あ」
 何が伝わったのか、亘がびくっと体を震わせて竦め、怯えた表情になった。視線を母親から反らせ、周囲を見回す。その目が俺に止まった。
「滝様…」
 ほっとしたような鈴音の声と対照的に、亘の顔はますます歪んだ。どうして来たんだ。そう言いたげな責める視線で俺を射抜く。大きく澄んだ瞳に暗く重い絶望が漂っている。
「申し訳ありません、少し亘をお願いできないでしょうか」
 鈴音は淡くて脆い、保護欲をそそる微笑を投げ、亘をこちらへ押しやった。はっとした亘が鈴音を振り返る。
「かあ、さま…」
「ね、駄々をこねないで、すぐに帰って来ますから」
 覗き込まれて亘が唇を嚙む。
「う…ん…」
 亘はようよう頷いた。頷くと言うよりは首を落とした、に近かった。のろのろと顔を上げた時には、目に涙が一杯に溜まっていた。
「それでは…」
 軽く会釈してニの門を出て行く鈴音と、凍てついたように見送る亘を視界に入れて俺は頷き、少年を呼んだ。
「亘君」
「……どうして……来たんだよ…かあさまが……出て…ちゃったじゃ…ないか…」
 ゆっくりと少年は振り向いた。潤んだ目に責め立てたい感情が溢れている。
「…今度こそ……止めようと…思ってたのに……二度と…あんなこと……母さま……させたく…かったのに…」
 口調が微妙に変わっていた。手を伸ばし頭に触れるのを避けようとした相手は、呼びかけたことばにぎくりとした。
「何を知ってるんだ、『皖』?」
「!!」
 顔を跳ね上げた後は、頭に手を載せても身動きもせず、少年は俺を見上げていた。驚愕に大きく見開いた目が、激情に耐えられなくなったように曇っていく。
「『亘』じゃないんだろ? お前、『皖』の方だよな?」
「滝、さんっ!」
 次の瞬間飛びついて来た皖を、俺は屈み込んでかろうじて受け止めた。子どもの力とはとても思えない激しさでしがみついてきながら、皖は声を殺した。時折漏れる微かな嗚咽さえも罪であるかのように、声を立てそうになっては俺の服を握りしめて声を殺し、静かに泣き続ける。
「皖…」
 苦い思いが広がった。一瞬、こんなに泣くなら、こんな泣き方をさせるなら、言うんじゃなかった、とそんな想いが胸を掠めた。
「…して…」
「ん?」
 しゃくりあげるのをしばらく堪えて皖が尋ねてきた。
「どうして…わかったの…? ……母さまも……わからなかった……よ…?」
「どうして、かな」
 少し笑った。
「なんとなく、だな。お前によく似た奴を知ってるんだよ」
 もっとも、あっちはこんなに素直に飛びついてなんぞ来ないが。
「ん…」
 涙がおさまってきたのだろう。手の甲でごしごし目のあたりを擦りながら、皖が体を起こす。その前に膝を折り曲げしゃがみ込む俺を、真っ赤になった目で見下ろした。
「どうして入れ替わった?」
 問いかける俺に皖は弱々しく笑った。
「亘なら…母さまを止められると…思ったんだ」
「? どう言うことだ?」
「母さまは悪くないんだ! みんなあいつが…父さまが…」
 激しい語調で応じた皖は、ぽつりぽつりと顛末を話し始めた。
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