『遺産相続人』〜『猫たちの時間』7〜

segakiyui

文字の大きさ
15 / 21

6.地底(3)

しおりを挟む
 いつの頃からか、皖は鈴音とひさしの間にある秘密に気がつきだしていた。どうしてそんな風に感じられたのかはわからない。けれど、それが禍々しい暗闇に属する秘密であることは心の何処かで感じ取っていた。双子でも、亘はそう言うことに気づいた様子はなかったが。
「亘は……いつも、そうなんだ」
 羨ましげに皖は呟き、先を続ける。

 秘密が決定的になったのは、ある夜、鈴音と久の会話を盗み聞きした時だった。
 その頃、石蕗家には天外和尚が出入りしており、鈴音にそれとなく誘いをかけていたらしい。
『え、和尚さまを?』
『そうだ。俺が表に出るのはまずい。今度はあいつを使おう』
『でも…』
『俺の言うことがきけないのか、鈴音?』
『いえ…そんなことは…でも…』
『俺はお前にもっと美しくなって欲しいんだよ。お袋を見ただろう? あの歳であの若々しさだ』
『ねえ、あなた…もうやめましょう……あれは迷信ですわ、伝説です』
『いや、俺はお前をもっと美しくしてやりたいのだ、な、鈴音……な、お袋よりももっと美しくだ……お袋よりも……お袋よりも…』
『あなた……あ……なた…』
 続いた荒い呼吸の意味を、皖は無理やり理解した。逃げるようにその場を離れ、次の日から鈴音が天外和尚に異様なほど優しくするのを見た。いつもなら不愉快そうに苛立つ久も何も言わない。
 その頃同時に、付近の子どもが神隠しにあったように姿を消し始めていた。

「っ」
 ぎょっとして俺は皖を見た。涙に濡れた頬に固い表情を浮かべている相手をまじまじと眺める。一体何を話してる、と訝る常識とは別に、心の中のお節介焼きがご丁寧にも一つの言葉を思い出させてくれた。
「陽子…伝説…」
 さくは陽子伝説殺人事件の犯人と思われていた女性だ。その息子の久が母親の所業を知っているようなことを話している。吉田の声が谺する。『さく様と久様は同じことを為さいました。これほど見事な母子もありますまい』
 まさか、だよな。
 まさか、そんなことがあるわけがない、見つからないわけがないよな。
 幼児誘拐殺人事件。陽子伝説。石蕗家の権力と、襲い続ける悲劇………連綿と繋がれる血の絆。
「…僕も…そう、だとは…思わなかったの」
 濡れたか細い声が打ち明ける。

 皖も、始めから父母の会話と子どもの神隠しを繋げて考えたわけではなかった。ただ、漠然と不安になって、追い詰められるように鈴音を観察するようになった、
 数日経ったある日、皖は母親の部屋の隅に転がっていたものを拾い上げて息を呑んだ。
 鈍い海老茶色の万年筆のキャップ。子どもの持ち物にしては随分古めかしいものだったが、それは確かに友達の茂森一雄の物に間違いなかった。一雄は、その万年筆を祖父から譲り受けたか何かでひどく自慢にしていて、肌身離さず持ち歩いて触らせてもくれなかったはずだった。
 わけもなく震えだしてくる体を壁に手をついて支えた皖の耳に、カタン、カタンと軽くて無機質な音が響いた。振り返ると、床の間の掛け軸が揺れていて。

「……そこから先は、あんまり…覚えてないけど…」

 熱に浮かされたように、万年筆のキャップを握ったまま、片手で掛け軸を避けると、薄寒い風が吹き込む部分を押し、現れた階段を降りて行った。
 地下道があるのは知っていた。よく亘とふざけて一緒に潜り込み、かくれんぼをしていた。けれど、そこが今も使われているとは知らなかった。
 気がつくと、皖は地下に設えられた小部屋の入り口に立っていた。あたりを見回す前に気配がして、慌てて身をひそめるや否や、向こう側の扉を開けて誰かが入ってきた。その姿を見て、皖は危うく叫ぶところだった。

「、おいっ」
 皖が突然からだをもたせかけてくるのにあわてて手を出す。ぐったりと頼りなく腕の中へ崩れてきながら、皖は囁いた。
「母様だった…」
「?」
「片手に…ナイフ…持ってて……血だらけのナイフで……母さまの手も…真っ赤で…っ」
 ぎゅっと皖が俺の服を掴み直す。滲む声を励ましながら、
「戸の向こうに…一雄君が血だらけで倒れてて…側に和尚さんが立ってて……、そしたら…」

 次の瞬間、皖が居るのには気づかなかったのか、目の前で鈴音はナイフを振り上げた。気を許し切った様子の天外和尚の腹に深々と刺す。絶叫して仰け反り倒れる和尚にとどめを刺すように、久が躍りかかった。そのまま次々と切り裂いていく、飛び散る鮮血、絶叫、やがて肉塊になっていく和尚から目が離せず、頬に流れ落ちた涙を拭うこともできずに、皖は震え続けた。
 やがて久の声がうっとりと響いた。
『これでいい。これで、表向きには、こっぴどく懲らしめられたから姿を消したと思われるだろうさ』
 魔王のように笑い始めた父親、側で優しく虚ろな瞳で微笑む母親、吐きそうになりながら、それでも冷たく熱い頭の中で、喋っちゃダメだ喋っちゃダメだと繰り返しながら、皖はそこから逃げ出した……。

「…だから、滝さんも…」
 皖はしゃくり上げる。
「おんなじことになっちゃうんじゃないかって。……だから母様が呼んだら…絶対止めなくちゃって………母さまは父さまのことしか…目に入ってなくて……っ」
 俺はぞくぞくしながら身を竦めた。
 妖しいほどの色気をたたえて近づいてきた鈴音を思い出す。ひょっとすると、あの時俺も、もう少しで餌食になるところだったのか?
「いや…」
 あの時の鈴音はちょっと違っていたような気がする。何かを伝えようとしていた気がする。閃光のようにことばが蘇る。三つ目の悲劇……『魔』が弱い…。
 明るいはずの日差しが妙に薄暗かった。寒々とした空気があたりを包む。
 しばらく泣き声を堪えていた皖は、熱い体を預けたまま、口を開いた。
「気が気じゃ…なかった…」

 また母親に同じことをさせるわけには行かなかった。嫌がらせをして意地悪をして、それでも俺はいつまでも出ていく様子はない。
 皖は焦ったが、別の方法も思いつかなかった。
 昨日、地下道を通り、いつものように、何かまたおかしなことが起きていないか見に行った皖は、聞こえてきた子どもの悲鳴にぞっとした。
 凍りつく手足を必死に動かして部屋に辿り着いた皖が見たのは、台の上で切り裂かれて転がっている子どもの死体と飛び散った血潮、側に置かれた容器にたっぷりと溜められたどろりとした赤い液体だった。
 口を押さえて後ずさりした皖の足が、近くの棚に触れる。がたりと揺れた棚の音とほぼ同時に、悪夢で見る顔もこれほどおぞましくはないだろう、半分喜び半分怒りを浮かべた奇妙に物凄い表情の久が顔を突き出した。皖は身を翻し、無我夢中で地下道を駆け抜けた。
『待て…待つんだ……アキラァ…』
 おどろおどろしい声が迫ってくる。普段なら亘と見分けもつかない男なのに、どうして今は皖だと気づいたのか。背後から響く闇の声に、耳元を覆われ、足に絡みつかれ、腕をねじ上げ腰を抱かれ、首を締め付けられる。身動き取れなくなってくる、手足がこわばり動けなくなる、それでも皖は悲鳴を上げながら必死に走った。
 飛び出した外では草が木が、皖の墓場になろうとでも言いたげに周囲に迫り崩れ落ちてくる。前方に闇、後方にはなお暗い人の闇がある。
『皖ちゃん!』
 ふいに側の茂みから亘が走り出てきた。
『どうしたの?!』
『あ、あ、あ』
『…、とう、さま……っ!!』
 声にならぬ皖の説明よりも、亘は、着物の裾を見出し、指を鉤爪のように曲げて腕を突き出し、眉をしかめ口は大声で笑いながら追いかけてくる久の姿に全てを悟った。
『皖ちゃん!』『亘!』
 二人は呼び交わすと暗闇の中を走り出した。
 どれだけ逃げたのだろう。いつ実の父親に首根っこを押さえつけられるかわからない恐怖に、ひたすら走る一人の足が空を踏んだ。
「いやあああーっ!!」
 悲鳴、滑り落ちる音、そして鈍い、骨が肉に入り混じる音。
 呆然と立ち竦む片割れは今まで逃げて来た方向から見つめる目を感じていた。とっさに身を翻しながら叫ぶ。
「皖…皖ちゃんが!!」
 茂みの向こう、冷酷な目でこちらを見定めていた人間が立ち去る気配がした。それを背中に感じ取り、皖は助けを求めながら俺達の方へ走り出した……。

「それでも…」
 掠れた声が呟く。
「ぼくは……母さまが……好きだったんだ…」
 俺の着物の肩の辺りがじんわりと濡れて熱くなる。
「誰よりも……好きで……母さまが……好きで…」
 そして、皖は、母への思慕と母が人を殺している恐怖の間で板挟みになった。
 おそらくは。
 打ち明けられたあまりにも辛い話にぼんやりと考える。
 おそらくは、皖が亘に成り代わったのは、身を守るためだけでも、鈴音を止めるためだけでもないのだろう。素直に鈴音に甘えていられる亘が羨ましく、何も知らずに鈴音に跳びつける亘が妬ましかった。その死のレースの後では、鈴音が亘を殺したことにもなるのだとさえ思えて、もうどうにもしがみつけなくなったのだろうに。それでも、同じ姿を持つ分身として、亘になりたいと幾度も願ったのだろう、鈴音の愛をその手に受け止めるために。
 一体誰が、何の絆を求めていたのか。どうして、その絆はこんな風に繋がれなくてはならなかったのか。
 辛くて暗い想いが胸に詰まる。
「滝さん…」
「うん?」
「…なんだか……熱い…よ…」
 皖のことばにはっとした。
 そう言えば、ぐったりともたれかかっている皖の体が異常に熱い。単に興奮したせいじゃないのかもしれない。急いで体を起こしてやると、真っ赤になった顔に汗を伝わらせながら、荒い呼吸をしている。ぐずぐずと崩れ込んでくる額に手を当てると、あからさまに熱かった。
「あきっ……亘!」
 思わず本名を呼びかけて慌てて言い直す。どこで誰が聞いているかわからない。
「もう…皖でいいよ……もう…」
 淡い声で皖は呟いた。はあはあと息を荒げている。
「おい、しっかりしろ!」
「…」
「亘!」
 返答はなかった。急いで皖を抱き上げ、母屋に入ろうとして木立にふわりと舞う白い亡霊の影を見た。不思議と怖さはなかった。ただただ無性に腹が立った。
「この忙しいのに酔狂に出てくんな、ボケ!」
 思い切り怒鳴りつけて、俺は母屋へ駆け込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

あやかし警察おとり捜査課

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

幽縁ノ季楼守

儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」 幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。 迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。 ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。 これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。 しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。 奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。 現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。 異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー 様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。 その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。 幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。 それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

処理中です...