37 / 119
3.パディスの戦い(11)
しおりを挟む
小さな灯が草の上を渡っていく。まるで小人が掲げ持つ灯火のような、ごく小さなほの赤い灯がが草の上を……。
さわさわと風が草を鳴らす。その葉音に隠れて、さやさやと別のものが草を鳴らす。
「おい…妙な音がしないか?」
レトラデス野営地外周をゆっくり見回っていた歩兵の1人が、すれ違ったもう1人の歩兵に尋ねた。
「いや…それより……この臭い…気になるが…」
「臭い? そう言えば…」
始めの兵が足を止める。辺りを見回し、黒い草波の向こうを透かすように目を凝らしながら、
「どこか……きな臭いような…」
カラカラカラカラ!!
「?!」
『それ』はいきなり目の前の長丈草(ディグリス)を押し分けて飛び出してきた。草を押し分け押しのけ、兵達の前をさっと通り過ぎ、見る間に夜営地の中へ走り込んでいく。ぎょっとして立ち竦んだ男達の足元を駆け抜け、天幕(カサン)の側を、夜営の火の側を、張られた綱の側をすぎて、ゴン、と飼い葉桶に当たって止まる。
「何だ……こりゃ…」
歩兵はどうにも理由がわからぬように呟いて、じっと『それ』を見た。
『それ』は見た所、小さな薪を乗せた小箱に四輪がついた手押し車のようなものだった。人一人が抱えこめるほどの大きさで、後輪をつなぐ軸に一本の縄が結び付けられており、その縄が草の中へ引き込まれて消えている。
歩兵は恐る恐る、その縄を手に取った。覗き込んだ同僚が訝しげに眉をひそめる。
「おい…これは…」
「いやに濡れた縄……ん…?」
不意に間近でパチパチという音が聞こえ、歩兵は慌てて縄を手から振り落とした。全くの直感、それこそ本能的に、それが『導火線』の燃える音だと気づいたのだ。それは全く正しかった。縄を振り落とすや否や、すぐ側まで来ていた小さな赤い火が、今の今まで歩兵が持っていた部分を走り過ぎていく。走り過ぎて、過ぎて……そして…。
「お、おい!」
「あっ…火…っ!」
縄を走った火はたちまち車に辿り着いた。兵達が車に乗っている『もの』に勘づくのとほぼ同時に、鈍い音とともに火柱が立つ。
ドゥンッ!
「わっ」「何だっ!」「来るぞっ!!」
警告の叫びは既に遅かった。最初の車が火柱をあげたのを合図に、窪地に張られた夜営目指して数十個の小車が長丈草(ディグリス)を蹴散らして現れ、次々と天幕(カサン)や兵達にぶつかって来る、後ろに引きずった縄の先に小さな炎を灯らせて。
「わあっ!」
「起きろっ敵襲…っ!!」
「ぎゃうっ!」
爆発に巻き込まれて悲鳴を上げながら、男が1人、レトラデスの天幕(カサン)に飛び込んだ。
「きゃっ」「うっっ!」
抱き合っていたレトラデスとトフィンが互いの体を突き飛ばすように跳ね起きる。そのままトフィンは手近の剣を取り、レトラデスは鏡台の短剣に手を伸ばした。
「敵…っ」
「何事っっ」
がくりと首を落とす兵を振り向きもせず、トフィンが裸に衣を羽織り外へ出る。その隙にレトラデスは慌ただしく下衣をつけ、鎧と被り物をつけ、朱色のマントを肩に止めた。
「ト、トフィン殿…っ」
「落ち着けっ、見苦し…」
制したトフィンの声が途中で断ち切れる。
「こんな…馬鹿な……」
「トフィン?」
レトラデスが天幕(カサン)の入り口から外へ踏み出し、凍りつく。
「そ…んな…」
ドゥン!!
レトラデスの呟きを消して、爆音が響き渡る。だが、レトラデスもトフィンも魅入られたように身動き一つしない。
無理もなかった。
兵がいなかった。
兵どころではない、馬も天幕(カサン)も周囲には見当たらない。あるのはただ渦巻く炎、逆巻く火の粉、紅蓮の炎が650名の兵士を散らし巻き込み、逆に異常なほどに静まり返った長丈草(ディグリス)の原……。
ドゥ…ン。
遠い場所での爆発音に、ぴくりとレトラデスは体を震わせた。
「どう…いうこと……何が…あったの…」
「謎解きは簡単です」
トフィンが掠れた声で応じた、
「奴らの奇襲の方が早かった……それに……これだけ火が回っては……最早…」
「最早…?」
「逃げ道はありますまい」
「なぜ?!」
悲鳴じみた声がレトラデスの唇を突いた。被り物を毟り取り、地面に叩きつける。がっと音を立てて撥ねたそれは、ころ、ころ、と不恰好に転がっていく。
「なぜ? わかりきったことだ……我らは夜営のために広範囲に長丈草(ディグリス)を刈った。炎は夜営地から発している。長丈草(ディグリス)は水気の多い草だ、火の回りは遅いでしょう。何とか外周まで辿り着けば生き残れもしたでしょうが、この炎の円陣を突っ切るための馬も既に逃げている………しかし、奴らはどうやって火を……長丈草(ディグリス)から姿を見せれば、すぐに見つけられたはずなのに……」
見るともなしに、レトラデスの被り物が転がっていくのを見ていたトフィンが目を見開いた。熱気に煽られた髪が乱れる顔に口が開く、大きく、大きく、気づいたことを叫ぶべく。
被り物が転がっていった先に、小さな手押し車があった。見覚えのないもの、粗末な作りの物だった。被り物が小さな音を立てて当たり、薪のようなものを乗せたまま、押しやられて背後の火の中へ突き進む。
「レトラ…っ!!」
「っっっ!!」
ド……ウン!!
一瞬後に吹き上がった炎が、2人を熱く抱きしめた。
さわさわと風が草を鳴らす。その葉音に隠れて、さやさやと別のものが草を鳴らす。
「おい…妙な音がしないか?」
レトラデス野営地外周をゆっくり見回っていた歩兵の1人が、すれ違ったもう1人の歩兵に尋ねた。
「いや…それより……この臭い…気になるが…」
「臭い? そう言えば…」
始めの兵が足を止める。辺りを見回し、黒い草波の向こうを透かすように目を凝らしながら、
「どこか……きな臭いような…」
カラカラカラカラ!!
「?!」
『それ』はいきなり目の前の長丈草(ディグリス)を押し分けて飛び出してきた。草を押し分け押しのけ、兵達の前をさっと通り過ぎ、見る間に夜営地の中へ走り込んでいく。ぎょっとして立ち竦んだ男達の足元を駆け抜け、天幕(カサン)の側を、夜営の火の側を、張られた綱の側をすぎて、ゴン、と飼い葉桶に当たって止まる。
「何だ……こりゃ…」
歩兵はどうにも理由がわからぬように呟いて、じっと『それ』を見た。
『それ』は見た所、小さな薪を乗せた小箱に四輪がついた手押し車のようなものだった。人一人が抱えこめるほどの大きさで、後輪をつなぐ軸に一本の縄が結び付けられており、その縄が草の中へ引き込まれて消えている。
歩兵は恐る恐る、その縄を手に取った。覗き込んだ同僚が訝しげに眉をひそめる。
「おい…これは…」
「いやに濡れた縄……ん…?」
不意に間近でパチパチという音が聞こえ、歩兵は慌てて縄を手から振り落とした。全くの直感、それこそ本能的に、それが『導火線』の燃える音だと気づいたのだ。それは全く正しかった。縄を振り落とすや否や、すぐ側まで来ていた小さな赤い火が、今の今まで歩兵が持っていた部分を走り過ぎていく。走り過ぎて、過ぎて……そして…。
「お、おい!」
「あっ…火…っ!」
縄を走った火はたちまち車に辿り着いた。兵達が車に乗っている『もの』に勘づくのとほぼ同時に、鈍い音とともに火柱が立つ。
ドゥンッ!
「わっ」「何だっ!」「来るぞっ!!」
警告の叫びは既に遅かった。最初の車が火柱をあげたのを合図に、窪地に張られた夜営目指して数十個の小車が長丈草(ディグリス)を蹴散らして現れ、次々と天幕(カサン)や兵達にぶつかって来る、後ろに引きずった縄の先に小さな炎を灯らせて。
「わあっ!」
「起きろっ敵襲…っ!!」
「ぎゃうっ!」
爆発に巻き込まれて悲鳴を上げながら、男が1人、レトラデスの天幕(カサン)に飛び込んだ。
「きゃっ」「うっっ!」
抱き合っていたレトラデスとトフィンが互いの体を突き飛ばすように跳ね起きる。そのままトフィンは手近の剣を取り、レトラデスは鏡台の短剣に手を伸ばした。
「敵…っ」
「何事っっ」
がくりと首を落とす兵を振り向きもせず、トフィンが裸に衣を羽織り外へ出る。その隙にレトラデスは慌ただしく下衣をつけ、鎧と被り物をつけ、朱色のマントを肩に止めた。
「ト、トフィン殿…っ」
「落ち着けっ、見苦し…」
制したトフィンの声が途中で断ち切れる。
「こんな…馬鹿な……」
「トフィン?」
レトラデスが天幕(カサン)の入り口から外へ踏み出し、凍りつく。
「そ…んな…」
ドゥン!!
レトラデスの呟きを消して、爆音が響き渡る。だが、レトラデスもトフィンも魅入られたように身動き一つしない。
無理もなかった。
兵がいなかった。
兵どころではない、馬も天幕(カサン)も周囲には見当たらない。あるのはただ渦巻く炎、逆巻く火の粉、紅蓮の炎が650名の兵士を散らし巻き込み、逆に異常なほどに静まり返った長丈草(ディグリス)の原……。
ドゥ…ン。
遠い場所での爆発音に、ぴくりとレトラデスは体を震わせた。
「どう…いうこと……何が…あったの…」
「謎解きは簡単です」
トフィンが掠れた声で応じた、
「奴らの奇襲の方が早かった……それに……これだけ火が回っては……最早…」
「最早…?」
「逃げ道はありますまい」
「なぜ?!」
悲鳴じみた声がレトラデスの唇を突いた。被り物を毟り取り、地面に叩きつける。がっと音を立てて撥ねたそれは、ころ、ころ、と不恰好に転がっていく。
「なぜ? わかりきったことだ……我らは夜営のために広範囲に長丈草(ディグリス)を刈った。炎は夜営地から発している。長丈草(ディグリス)は水気の多い草だ、火の回りは遅いでしょう。何とか外周まで辿り着けば生き残れもしたでしょうが、この炎の円陣を突っ切るための馬も既に逃げている………しかし、奴らはどうやって火を……長丈草(ディグリス)から姿を見せれば、すぐに見つけられたはずなのに……」
見るともなしに、レトラデスの被り物が転がっていくのを見ていたトフィンが目を見開いた。熱気に煽られた髪が乱れる顔に口が開く、大きく、大きく、気づいたことを叫ぶべく。
被り物が転がっていった先に、小さな手押し車があった。見覚えのないもの、粗末な作りの物だった。被り物が小さな音を立てて当たり、薪のようなものを乗せたまま、押しやられて背後の火の中へ突き進む。
「レトラ…っ!!」
「っっっ!!」
ド……ウン!!
一瞬後に吹き上がった炎が、2人を熱く抱きしめた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
ぽっちゃり女子の異世界人生
猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。
最強主人公はイケメンでハーレム。
脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。
落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。
=主人公は男でも女でも顔が良い。
そして、ハンパなく強い。
そんな常識いりませんっ。
私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。
【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
生きるために逃げだした。幸せになりたい。
白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。
2020/9/19 第一章終了
続きが書け次第また連載再開します。
2021/2/14 第二章開幕
2021/2/28 完結
あやかしたちのとまりぎの日常
彩世幻夜
キャラ文芸
吉祥寺は井の頭公園界隈の一画で、ひっそりと営業するダイニング・バー【ペルシュ】に訪れるお客の大半はひとではないもの、いわゆるあやかしたち。
勿論店の店主や店員もまた人ではない。
そんな店でバイトをするとある専門学校生とあやかしたちが織りなす〝日常(?)〟物語
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる