『ラズーン』第六部

segakiyui

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3.パディスの戦い(11)

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 小さな灯が草の上を渡っていく。まるで小人が掲げ持つ灯火のような、ごく小さなほの赤い灯がが草の上を……。
 さわさわと風が草を鳴らす。その葉音に隠れて、さやさやと別のものが草を鳴らす。
「おい…妙な音がしないか?」
 レトラデス野営地外周をゆっくり見回っていた歩兵の1人が、すれ違ったもう1人の歩兵に尋ねた。
「いや…それより……この臭い…気になるが…」
「臭い? そう言えば…」
 始めの兵が足を止める。辺りを見回し、黒い草波の向こうを透かすように目を凝らしながら、
「どこか……きな臭いような…」
 カラカラカラカラ!!
「?!」
 『それ』はいきなり目の前の長丈草(ディグリス)を押し分けて飛び出してきた。草を押し分け押しのけ、兵達の前をさっと通り過ぎ、見る間に夜営地の中へ走り込んでいく。ぎょっとして立ち竦んだ男達の足元を駆け抜け、天幕(カサン)の側を、夜営の火の側を、張られた綱の側をすぎて、ゴン、と飼い葉桶に当たって止まる。
「何だ……こりゃ…」
 歩兵はどうにも理由がわからぬように呟いて、じっと『それ』を見た。
 『それ』は見た所、小さな薪を乗せた小箱に四輪がついた手押し車のようなものだった。人一人が抱えこめるほどの大きさで、後輪をつなぐ軸に一本の縄が結び付けられており、その縄が草の中へ引き込まれて消えている。
 歩兵は恐る恐る、その縄を手に取った。覗き込んだ同僚が訝しげに眉をひそめる。
「おい…これは…」
「いやに濡れた縄……ん…?」
 不意に間近でパチパチという音が聞こえ、歩兵は慌てて縄を手から振り落とした。全くの直感、それこそ本能的に、それが『導火線』の燃える音だと気づいたのだ。それは全く正しかった。縄を振り落とすや否や、すぐ側まで来ていた小さな赤い火が、今の今まで歩兵が持っていた部分を走り過ぎていく。走り過ぎて、過ぎて……そして…。
「お、おい!」
「あっ…火…っ!」
 縄を走った火はたちまち車に辿り着いた。兵達が車に乗っている『もの』に勘づくのとほぼ同時に、鈍い音とともに火柱が立つ。
 ドゥンッ!
「わっ」「何だっ!」「来るぞっ!!」
 警告の叫びは既に遅かった。最初の車が火柱をあげたのを合図に、窪地に張られた夜営目指して数十個の小車が長丈草(ディグリス)を蹴散らして現れ、次々と天幕(カサン)や兵達にぶつかって来る、後ろに引きずった縄の先に小さな炎を灯らせて。
「わあっ!」
「起きろっ敵襲…っ!!」
「ぎゃうっ!」
 爆発に巻き込まれて悲鳴を上げながら、男が1人、レトラデスの天幕(カサン)に飛び込んだ。
「きゃっ」「うっっ!」
 抱き合っていたレトラデスとトフィンが互いの体を突き飛ばすように跳ね起きる。そのままトフィンは手近の剣を取り、レトラデスは鏡台の短剣に手を伸ばした。
「敵…っ」
「何事っっ」
 がくりと首を落とす兵を振り向きもせず、トフィンが裸に衣を羽織り外へ出る。その隙にレトラデスは慌ただしく下衣をつけ、鎧と被り物をつけ、朱色のマントを肩に止めた。
「ト、トフィン殿…っ」
「落ち着けっ、見苦し…」
 制したトフィンの声が途中で断ち切れる。
「こんな…馬鹿な……」
「トフィン?」
 レトラデスが天幕(カサン)の入り口から外へ踏み出し、凍りつく。
「そ…んな…」
 ドゥン!!
 レトラデスの呟きを消して、爆音が響き渡る。だが、レトラデスもトフィンも魅入られたように身動き一つしない。
 無理もなかった。
 兵がいなかった。
 兵どころではない、馬も天幕(カサン)も周囲には見当たらない。あるのはただ渦巻く炎、逆巻く火の粉、紅蓮の炎が650名の兵士を散らし巻き込み、逆に異常なほどに静まり返った長丈草(ディグリス)の原……。
 ドゥ…ン。
 遠い場所での爆発音に、ぴくりとレトラデスは体を震わせた。
「どう…いうこと……何が…あったの…」 
「謎解きは簡単です」
 トフィンが掠れた声で応じた、
「奴らの奇襲の方が早かった……それに……これだけ火が回っては……最早…」
「最早…?」
「逃げ道はありますまい」
「なぜ?!」
 悲鳴じみた声がレトラデスの唇を突いた。被り物を毟り取り、地面に叩きつける。がっと音を立てて撥ねたそれは、ころ、ころ、と不恰好に転がっていく。
「なぜ? わかりきったことだ……我らは夜営のために広範囲に長丈草(ディグリス)を刈った。炎は夜営地から発している。長丈草(ディグリス)は水気の多い草だ、火の回りは遅いでしょう。何とか外周まで辿り着けば生き残れもしたでしょうが、この炎の円陣を突っ切るための馬も既に逃げている………しかし、奴らはどうやって火を……長丈草(ディグリス)から姿を見せれば、すぐに見つけられたはずなのに……」
 見るともなしに、レトラデスの被り物が転がっていくのを見ていたトフィンが目を見開いた。熱気に煽られた髪が乱れる顔に口が開く、大きく、大きく、気づいたことを叫ぶべく。
 被り物が転がっていった先に、小さな手押し車があった。見覚えのないもの、粗末な作りの物だった。被り物が小さな音を立てて当たり、薪のようなものを乗せたまま、押しやられて背後の火の中へ突き進む。
「レトラ…っ!!」
「っっっ!!」
 ド……ウン!!
 一瞬後に吹き上がった炎が、2人を熱く抱きしめた。
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