『ラズーン』第六部

segakiyui

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7.ミダスの裏切り(3)

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「諸君も聞いたことがあるはずだ。夜を走る黒い影の噂を。月夜に猛る野獣のような声を」
「影…」
「…そういや…」
「けど…『壁』はあるぞ!」
 別の男が反論する。
「ラズーンには『壁』がある!」
「『壁』が絶対なのか!」
 被せるように壇上の男が言い放った。
「現に、西の『壁』ぎりぎりに『運命(リマイン)』が攻めてきている。セシ公配下の『金羽根』の働きがなければ、とっくに『壁』は突破されていただろう。今や東にも『運命(リマイン)』は迫っている。『銀羽根』『銅羽根』の守りは、先日ついに崩れたと聞く」
 壇上の男は硬直したように立ち竦む群衆に、依然、低いが人を威圧する声音で語りかけた。
「明日にも『運命(リマイン)』は東の『壁』に達するだろう。誰が守りに着けよう、この動乱の時期に? 東が崩れれば西も崩れ、ラズーンは遠からぬ先に滅するだろう……守り堅き……『氷の双宮』を除いては」
 男のことばが人々の胸の奥に沈むまで、数瞬の間があった。
「滅ぶ…?」
「この…ラズーンが…?」
「け、けれども!」
 先ほどの男が再び反論を試みた。
「まだ『壁』は崩されていないぞ!」
「『壁』…だと?」
 初めて壇上の男の唇に、うっすらと禍々しい笑みが広がった。人々が笑みに気づく前に、綻んだ男の口元から嘲笑に似た嗤い声を伴って声が零れる。
「『壁』などどこにあるものか……『我ら』…『運命(リマイン)』にとって!!」
 同時にかっと男の口が上下に避けた。閃いた手が黒剣を握り、柄まで通れと己の腹に突き立てる。鈍い音を立てて黒に近い紅の血飛沫が噴き出し、男のすぐ前にいた人々に降り注いだ。
「ぎゃっ!」「ひいっ!「きゃあああっ」
 劈くような絶叫、息を引く音、喉に詰まった呻きが一瞬にしてあたりを満たし、街角はいきなり混乱と暴徒の巷と化した。その中でずるずると崩れ溶けていきながら、修行者風の人間を装っていた『何者か』が、聞くに耐えないけたたましい嗤い声を上げる。
「逃げても無駄よ、すでに『運命(リマイン)』はお前達の隣におるわ!!」
「きゃあ!!」「うわああっ!!」
 ぶしゅっ…ぶしゅっ…と、同様の、液体の詰まった皮袋が一気に生温かい中身を噴き上げる音が、逃げ惑う群衆の中から聞こえた。それは、今の今まで男の辻説法に賛同の声を上げていた男達、一人はやはり短剣で己の首を掻き切り、もう一人は突いた胸をどす黒い朱に染めて倒れる。地面に倒れた後は腐臭を放ち、どろどろとした肉汁となって流れ広がっていくのを見たものが、吐き戻し気を失って倒れていく。
「ちいいいっ」
 鋭い舌打ちを響かせた大柄な男は、怯えた目で慌てて店じまいを始める主人を横目に、手にした品物を小脇に抱え、恐慌を起こしてあちらこちらへ走る人の波を縫った。
「『運命(リマイン)』が…!」
「影が迫ってるってよ!」
「化け物がいるぞ!」
「もう『壁』の中に…!!」
「『太皇(スーグ)』は何を為さってるんだ!」
 口々に叫んで逃げる人々が、壇上の男のことばを思い返すに、そう時間はかからないはずだ。不安は今や明確な恐怖となり、『氷の双宮』に対する無知と畏敬は、不信と疑惑、得体の知れないものへの憤りに育ち始めた。
「何て事をしやがる」
 大柄な男、イルファはぼやきながら、大股に道を急いだ。このままでは例えミダスの公邸とは言え、安全とは言い切れまい。彼はそこに貴重な仲間を2人、残してきている。
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