『ラズーン』第六部

segakiyui

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7.ミダスの裏切り(5)

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 クサリヲトイテクレ。
 その声は遠い彼方の闇より、幼い頃からアシャの心に囁き続けていた。
 鎖ヲ解イテクレ。
 巨大な力の気配。圧倒的なエネルギー、他者の存在を許さぬほどの強烈な自己肯定、猛々しい『魔』の匂い。
 鎖ヲ、解ケ!
(駄目だ)
 アシャは心の中で身もがいて拒否した。
 ナゼダ。
(お前は『魔』だ)
 オ前モ同ジダ。
(違う。俺はお前と『同じ』ではない!)
 ドコガ違ウ。
 気配は心底不審そうに問いかけた。
 オ前ハ俺ノ分身、イヤ、オ前ハ、俺デハナイノカ。
(違う!)
 叫ぶアシャの心には、幼い頃のことが蘇っている。
 『氷の双宮』の中、ひとりぼっちの遊びの毎日。
 気に入りの『鳴き鳥』(メール)がいた。青と銀がかった羽根、美しい声で囀っていた。
 ある日、何に怯えたのか、アシャの手から逃げ、いくら呼んでも戻って来ない。近くの木の枝に止まり、囀りながら跳ね回っている。アシャは何度も呼び、ついには焦れて木に登った。呼びながら上へ上へと登ってゆき、手を伸ばし、チチチッと口真似をしながら指を伸ばすが、あちらこちらへと動く『鳴き鳥』(メール)は落ち着かない。ようやく指先までやってきて乗るかと思った次の瞬間、まるでからかうように『鳴き鳥』(メール)はアシャの指を飛び越え、逃げた。
 はっとして体重を前に掛け手を伸ばす。一瞬後、枝はアシャの体を支えきれず、音を立てて折れた。悲鳴、木から転げ落ちて地面に全身を打ち付けた、その痛みがアシャの心のどこかを切った。眉をしかめながら見上げた空に、今しも消え去ろうとする『鳴き鳥』(メール)、「行かないで!」と叫ぶ声と同時に心が命じていた、「行クナ!」
 びくっと『鳴き鳥』(メール)が羽ばたきを止めた。鈍い、濡れた布を叩きつけながら引き裂いたような音、チュグッと呻くような声が空に響き、『鳴き鳥』(メール)の姿が四散し赤いものが飛び散った。ぽたっとアシャの額に生温かいものが降り落ち、呆然と空を見上げているアシャの眉間を伝って頬へと流れ落ちる。何もなくなってしまった空にふわふわと舞う儚げな青い羽根……熱いものが瞳に溢れた。
 こんなことを望んだんじゃない。側を離れて欲しくなかっただけだ。こんなことを望んだんじゃない。
 子どもの姿で立ち竦むアシャの背後の地面がいきなり割れた。暗い気配が立ち昇る。男とも女ともつかぬ顔がにんまりと妖しく嗤う。
 王よ、と『それ』はアシャに呼びかけた。
 我ら『運命(リマイン)』、『魔』の王、アシャよ。
(違う!!)
 叫ぶアシャの前で、その顔は『運命(リマイン)』のシリオンと名乗る姿に変わった。
 『運命(リマイン)』の軍門に下れ、いや、王として迎えもしよう。
 いつかの夜に誘いをかけてきた相手は、ゆるゆると形を変え、やがてギヌア・ラズーンの酷薄そうな禍々しい笑みになった。
 ドコガ第一正当後継者、オ前ニハ『魔』ノ匂イガスルゾ。
 殺した『鳴き鳥』(メール)、足を失った馬、傷だらけになった『太皇(スーグ)』。
 繰り返された封印は、ユーノの危機に切れ、今やアシャの力は自制しか『魔』を抑える術は無い。
 だが、ユーノ、あの愛しい娘は戦場へ旅立っている。守るものなく、ただ一人、刃の中にその身を晒して。
 空に雲散霧消した『鳴き鳥』(メール)の最後がユーノと交錯した。折り重なる屍、噎せ返る血の臭い、その中にユーノの朱に塗れた身体!
(ユーノ!!)
 叫んで走り寄ろうとするのに、体が動かなかった。
 ソノ身デハ無理ダ。
 昏い嗤いを含んで声が囁いた。
 生身ノオ前ハ床ニイル。ゆーのガ死ヌノヲ黙ッテ見テオレ。
(やめろーっ!!)
 影が走り、倒れたユーノに覆い被さった。華奢な首をぐいと掴む。そのまま無造作に持ち上げる、体は踏みつけたままだ、ごぶっとユーノの口が紅を吐いた。細く白い首筋に朱色の亀裂、見る見るちぎれてぬるりと肉塊がはみ出る、ユーノの瞳がガラス玉となり反転する。
 声にならぬ声が己の喉を突き、何かがアシャの体を押し出した。金の炎が己の指先から爪先から髪から噴き出し、アシャは全ての枷を断ち切って、東へと走り出した。
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