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8.夜襲(3)
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赤い酒がギヌアの手の中で揺れている。ゆったりと重そうに、たっぷりととろみを持って。
それは、これまでギヌアが手に掛けてきた人間達の生き血のようにも見えた。ただ、この生き血は透明で、香りが甘くどこか切ない。
ふっと何者かが実体化した気配に振り返りもせず問う。
「首尾は?」
「東の『銀羽根』『銅羽根』とも潰れましてございます。野戦部隊(シーガリオン)が応援に東へ向かいましたが、『穴の老人』(ディスティヤト)の勢い衰えることなく、崩れるのも時間の問題かと思われます。『金羽根』は西から動いておりません。『鉄羽根』のジーフォ公はテッツェ共々まだ行方不明のまま、長がなくては『鉄羽根』も動きますまい。中央『氷の双宮』では『太皇(スーグ)』は依然動かず、ラズーン内壁内ではこちらの手の者の扇動に『氷の双宮』への反感が強まりつつあり、きっかけ一つで暴走は必至、なお『泉の狩人』(オーミノ)は動きが掴めませんが、ラズーンへ降りた気配はありません。また、ジュナからの報告では、アシャは死の床についてかた状態好転認めずとのこと…」
シリオンのことばでアシャの名が出た一瞬のみ、ギヌアの酒の器を揺らす手が止まったが、すぐに再び物憂げに揺らし出しながら、
「とすると、南が空いたな」
「御意。まさかの時はセシ公がでるつもりなのでしょうが、行かんせん、手勢なしでは勝てますまい」
「ふむ…」
ギヌアは酒から机に広げた世界図に目を落とした。
邪魔者は一人、また一人と消えていっている。同時に、ラズーン、目の眩むような権力の頂点は一歩、また一歩とギヌアの進む道の先に近づいてきている。
「ジュナに用心しろと伝えろ。ミダスが切られた今はあやつもまた貴重な『眼』だ」
「はい。代わりに望みのままの地位を申し立てておりますが…」
「よかろう、好きな地位に就くが良い……ただし『死の女神』(イラークトル)の膝元でな」
「は」
にんまりとした笑みがシリオンとギヌアの唇に呼応するように広がった。
「好きな地位を望め、と伝えておきましょう。他には」
「シーラとカザディノを長とし一軍を成せ。南から『氷の双宮』へ攻め上がらせる。同時に内壁から揺さぶりを掛け、門を開かせるがいい。ただし『運命(リマイン)』を同道させるな」
「と申されますと」
「ここまで粘ったセシと言う男が、こうも軽々と南を空けておくのが気に食わん。何か企んでおるかも知れん」
「…」
「万に一つの賭けなら、人間の駒で十分。この世を制すのは我らが『運命(リマイン)』」
「はっ」
シリオンは薄く笑みを滲ませて頭を下げ、姿を消した。それを見届けてから、ギヌアは再び酒を揺らす手を止めた。
勝利は目前にある。いまにも掴み取れそうなほどはっきりと、ギヌアの眼に映っている。
だが、この不安は何だろう。何か、今一つ手応えがない。いや、なさ過ぎる。
(アシャ…)
心を片時も離れぬのはその名前だ。
アシャ・ラズーン。神々の御子。魔性の美を邪気ない心にたたえる男。
だが、その優しげな男が牙を剥いた時の恐ろしさ、凄まじさをもギヌアは熟知している。死の床にあると言う、毒酒のせいで。確かにアシャも人間、そう言うこともあり得よう。が、ギヌアの本能が叫び続けているのもまた、確かだった。
(アシャ…なぜ動かん。なぜ、死の床で大人しく眠ってなぞいるのだ)
叫ぶ心の片隅で、ギヌアにも聞こえない小さな声がそっと呟いた。
死ぬな、アシャ、と。
それは、これまでギヌアが手に掛けてきた人間達の生き血のようにも見えた。ただ、この生き血は透明で、香りが甘くどこか切ない。
ふっと何者かが実体化した気配に振り返りもせず問う。
「首尾は?」
「東の『銀羽根』『銅羽根』とも潰れましてございます。野戦部隊(シーガリオン)が応援に東へ向かいましたが、『穴の老人』(ディスティヤト)の勢い衰えることなく、崩れるのも時間の問題かと思われます。『金羽根』は西から動いておりません。『鉄羽根』のジーフォ公はテッツェ共々まだ行方不明のまま、長がなくては『鉄羽根』も動きますまい。中央『氷の双宮』では『太皇(スーグ)』は依然動かず、ラズーン内壁内ではこちらの手の者の扇動に『氷の双宮』への反感が強まりつつあり、きっかけ一つで暴走は必至、なお『泉の狩人』(オーミノ)は動きが掴めませんが、ラズーンへ降りた気配はありません。また、ジュナからの報告では、アシャは死の床についてかた状態好転認めずとのこと…」
シリオンのことばでアシャの名が出た一瞬のみ、ギヌアの酒の器を揺らす手が止まったが、すぐに再び物憂げに揺らし出しながら、
「とすると、南が空いたな」
「御意。まさかの時はセシ公がでるつもりなのでしょうが、行かんせん、手勢なしでは勝てますまい」
「ふむ…」
ギヌアは酒から机に広げた世界図に目を落とした。
邪魔者は一人、また一人と消えていっている。同時に、ラズーン、目の眩むような権力の頂点は一歩、また一歩とギヌアの進む道の先に近づいてきている。
「ジュナに用心しろと伝えろ。ミダスが切られた今はあやつもまた貴重な『眼』だ」
「はい。代わりに望みのままの地位を申し立てておりますが…」
「よかろう、好きな地位に就くが良い……ただし『死の女神』(イラークトル)の膝元でな」
「は」
にんまりとした笑みがシリオンとギヌアの唇に呼応するように広がった。
「好きな地位を望め、と伝えておきましょう。他には」
「シーラとカザディノを長とし一軍を成せ。南から『氷の双宮』へ攻め上がらせる。同時に内壁から揺さぶりを掛け、門を開かせるがいい。ただし『運命(リマイン)』を同道させるな」
「と申されますと」
「ここまで粘ったセシと言う男が、こうも軽々と南を空けておくのが気に食わん。何か企んでおるかも知れん」
「…」
「万に一つの賭けなら、人間の駒で十分。この世を制すのは我らが『運命(リマイン)』」
「はっ」
シリオンは薄く笑みを滲ませて頭を下げ、姿を消した。それを見届けてから、ギヌアは再び酒を揺らす手を止めた。
勝利は目前にある。いまにも掴み取れそうなほどはっきりと、ギヌアの眼に映っている。
だが、この不安は何だろう。何か、今一つ手応えがない。いや、なさ過ぎる。
(アシャ…)
心を片時も離れぬのはその名前だ。
アシャ・ラズーン。神々の御子。魔性の美を邪気ない心にたたえる男。
だが、その優しげな男が牙を剥いた時の恐ろしさ、凄まじさをもギヌアは熟知している。死の床にあると言う、毒酒のせいで。確かにアシャも人間、そう言うこともあり得よう。が、ギヌアの本能が叫び続けているのもまた、確かだった。
(アシャ…なぜ動かん。なぜ、死の床で大人しく眠ってなぞいるのだ)
叫ぶ心の片隅で、ギヌアにも聞こえない小さな声がそっと呟いた。
死ぬな、アシャ、と。
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