『ラズーン』第六部

segakiyui

文字の大きさ
99 / 119

8.夜襲(4)

しおりを挟む
「くそ! …つっ」
 激しく叩きつけた手に、ユカルはぐっと眉をしかめた。飢粉(シイナ)を被ったのをすっかり忘れていた。解けかけた包帯を再び右手首に巻き直し始める。利き手まで怪我してしまった苛立ちが、ユカルの焦りに拍車を掛けた。
「え…ええいっ!」
「ユカル」
 なかなか上手く巻けない包帯に、ますます苛立って喚くユカルを、シートスの落ち着いた声が制した。
「少しは落ち着け」
「落ち着いてなんかいられない!」
 ユカルは隊長への礼も忘れて叫んだ。
「ヤンもシグルもあそこにいるって言うのに、骸さえ埋めてやれない! あのくそ忌々しい飢粉(シイナ)のせいだ!」
 熱くなった顔で一気に続け、静かに自分を見据えているシートスの黄色の虹彩の冷ややかさに我に返る。俯くユカルの耳に、シートスの声が届く。
「悔しいのはお前だけじゃない。捨て身の攻撃を掛けて戦線を死守したシャイラやグードス公の遺体もまだあそこだ。あいつらの気持ちを考えてみろ」
 諭されて、ユカルはそっと天幕(カサン)の隅を伺った。
 そこには4~5人の『羽根』が、傷の手当をするでもなく茫然と空を見ている。シートス達、野戦部隊(シーガリオン)の精鋭がかかっても、その数人の生き残りをかき集めるのが精一杯だったのだ。
「…すみ、ません」
 ユカルは小さく唸り、別の熱で火照った顔を下げ、誰へともなく謝った。だが『羽根』の残りは誰も反応しない。行き場をなくし黙り込んだユカルは、再び包帯を巻きにかかった。
 と、不意に、天幕(カサン)の外がざわざわとした物音に囲まれた。ユカルも動きを止め、シートスが立ち上がる。警告は聞こえない。耳を澄ませる2人の眼に、天幕(カサン)の垂れ幕がいささか傍若無人に掻き分けられ、ためらうことなく入ってくる姿が映る。
「やあ、ユカル、久しぶりだね。怪我したの?」
「……」
 相手はぽかんと口を開けたユカルの手から包帯が滑り落ちたのに気づき、近寄ってきて拾い上げ、慣れた様子で巻き始めた。
「ユ……ユ……ユ……」
「何だよ、ユカル、喉でも詰まったのか、目を白黒させてさ」
 巻き終わりを巧みに止めて、にやっと笑う相手に、ユカルの胸に様々なものが一気に吹き出す。
「ユ、ユーノぉ!!」

「わっ…たっ…」
 いきなりがばりとしがみつかれ、続いてオイオイ泣き出されて、ユーノは困惑した。
 ユカルは決して弱虫ではない。むしろ歴戦の勇士だ。その男が人前も憚らず、女に抱きつき泣き始める。それは、ユカルがどれほど追い詰められた精神状態だったのかを語って余り有る、同時に戦況の厳しさも語る。
「おい、ユカル」
「…」
「ユカルってば」
「………」
 困り切って目を上げると、シートスの視線にぶつかった。
「シートス・ツェイトス……隊長」
「久しぶりだな、『星の剣士』(ニスフェル)」
「はい」
「いい加減にしろ、ユカル!」
「はっ…はいっ」
 叱りつけられて、ユカルはようやくユーノから離れた。さすがに照れ臭くなったのだろう、すまん、と呟いて、急ぎ足に天幕(カサン)の外へ出て行く。
 それを見送って、ユーノは微笑んだ。
「変わってないな」
「ちっとも成長せんで困る。だが、気持ちはわからなくもない」
「え?」
 シートスの声に振り返ると、相手は汚れた顔に滅多に見せない優しい笑みを広げていた。
「お前は不思議な人間だ」
「?」
「お前がいると、万に一つの望みでも捨てたものではないと言う気になる。何かまだやれそうな、もう一歩、踏み堪えようと言う覇気が湧く」
「シートス」
 名だたる隊長に褒められて思わず照れた。そのユーノをまじまじと眺めながら、
「で? お前が手ぶらでやってきたとは思えん。何の策を持ってきた?」
「策は撤退…」
「は?」
 大きく目を見開いて固まるシートスを凝視し、一気に言い切る。
「以後は『泉の狩人』(オーミノ)がこの戦場を預かる」
「何…っ…」
 さすがにシートスの顔が呆けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

あやかしたちのとまりぎの日常

彩世幻夜
キャラ文芸
吉祥寺は井の頭公園界隈の一画で、ひっそりと営業するダイニング・バー【ペルシュ】に訪れるお客の大半はひとではないもの、いわゆるあやかしたち。 勿論店の店主や店員もまた人ではない。 そんな店でバイトをするとある専門学校生とあやかしたちが織りなす〝日常(?)〟物語

「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」

まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。 目が覚めたら、婚約破棄されていた。 理由は「地味で面白みがない」から。 泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。 最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。 でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。 厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。 そして就任スピーチで宣言した。 「500人全員の名前を、覚えます」 冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。 悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。 元婚約者は——後悔し始めていた。 婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。 なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。

処理中です...