『ラズーン』第六部

segakiyui

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8.夜襲(4)

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「くそ! …つっ」
 激しく叩きつけた手に、ユカルはぐっと眉をしかめた。飢粉(シイナ)を被ったのをすっかり忘れていた。解けかけた包帯を再び右手首に巻き直し始める。利き手まで怪我してしまった苛立ちが、ユカルの焦りに拍車を掛けた。
「え…ええいっ!」
「ユカル」
 なかなか上手く巻けない包帯に、ますます苛立って喚くユカルを、シートスの落ち着いた声が制した。
「少しは落ち着け」
「落ち着いてなんかいられない!」
 ユカルは隊長への礼も忘れて叫んだ。
「ヤンもシグルもあそこにいるって言うのに、骸さえ埋めてやれない! あのくそ忌々しい飢粉(シイナ)のせいだ!」
 熱くなった顔で一気に続け、静かに自分を見据えているシートスの黄色の虹彩の冷ややかさに我に返る。俯くユカルの耳に、シートスの声が届く。
「悔しいのはお前だけじゃない。捨て身の攻撃を掛けて戦線を死守したシャイラやグードス公の遺体もまだあそこだ。あいつらの気持ちを考えてみろ」
 諭されて、ユカルはそっと天幕(カサン)の隅を伺った。
 そこには4~5人の『羽根』が、傷の手当をするでもなく茫然と空を見ている。シートス達、野戦部隊(シーガリオン)の精鋭がかかっても、その数人の生き残りをかき集めるのが精一杯だったのだ。
「…すみ、ません」
 ユカルは小さく唸り、別の熱で火照った顔を下げ、誰へともなく謝った。だが『羽根』の残りは誰も反応しない。行き場をなくし黙り込んだユカルは、再び包帯を巻きにかかった。
 と、不意に、天幕(カサン)の外がざわざわとした物音に囲まれた。ユカルも動きを止め、シートスが立ち上がる。警告は聞こえない。耳を澄ませる2人の眼に、天幕(カサン)の垂れ幕がいささか傍若無人に掻き分けられ、ためらうことなく入ってくる姿が映る。
「やあ、ユカル、久しぶりだね。怪我したの?」
「……」
 相手はぽかんと口を開けたユカルの手から包帯が滑り落ちたのに気づき、近寄ってきて拾い上げ、慣れた様子で巻き始めた。
「ユ……ユ……ユ……」
「何だよ、ユカル、喉でも詰まったのか、目を白黒させてさ」
 巻き終わりを巧みに止めて、にやっと笑う相手に、ユカルの胸に様々なものが一気に吹き出す。
「ユ、ユーノぉ!!」

「わっ…たっ…」
 いきなりがばりとしがみつかれ、続いてオイオイ泣き出されて、ユーノは困惑した。
 ユカルは決して弱虫ではない。むしろ歴戦の勇士だ。その男が人前も憚らず、女に抱きつき泣き始める。それは、ユカルがどれほど追い詰められた精神状態だったのかを語って余り有る、同時に戦況の厳しさも語る。
「おい、ユカル」
「…」
「ユカルってば」
「………」
 困り切って目を上げると、シートスの視線にぶつかった。
「シートス・ツェイトス……隊長」
「久しぶりだな、『星の剣士』(ニスフェル)」
「はい」
「いい加減にしろ、ユカル!」
「はっ…はいっ」
 叱りつけられて、ユカルはようやくユーノから離れた。さすがに照れ臭くなったのだろう、すまん、と呟いて、急ぎ足に天幕(カサン)の外へ出て行く。
 それを見送って、ユーノは微笑んだ。
「変わってないな」
「ちっとも成長せんで困る。だが、気持ちはわからなくもない」
「え?」
 シートスの声に振り返ると、相手は汚れた顔に滅多に見せない優しい笑みを広げていた。
「お前は不思議な人間だ」
「?」
「お前がいると、万に一つの望みでも捨てたものではないと言う気になる。何かまだやれそうな、もう一歩、踏み堪えようと言う覇気が湧く」
「シートス」
 名だたる隊長に褒められて思わず照れた。そのユーノをまじまじと眺めながら、
「で? お前が手ぶらでやってきたとは思えん。何の策を持ってきた?」
「策は撤退…」
「は?」
 大きく目を見開いて固まるシートスを凝視し、一気に言い切る。
「以後は『泉の狩人』(オーミノ)がこの戦場を預かる」
「何…っ…」
 さすがにシートスの顔が呆けた。
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