『ラズーン』第六部

segakiyui

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8.夜襲(5)

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「…どうしても…お連れ下さいませんか」
 天幕(カサン)の灯皿の光の中、身支度を手伝ってくれていたジノが、耐えかねたように口を開いた。
「だめだ」
 対するユーノの返事はにべもない。脚に布を、続いて皮を巻きつけ、革紐で縛っていたジノが顔を上げ、灯りの中、一層深く見える青の瞳でユーノを見つめた。
「もし、あなたに万が一の事があった場合、私はどのようにレスファート様やレアナ様に申し開きをすれば良いのでしょう?」
「もし、私に万が一の事があったなら」
 ジノのことばを繰り返し、相手を見返した。
「誰がラズーンの東が崩れたことを知らせてくれる? 中央に攻め込まれるのは時間の問題、早急に対策を練るようにと、誰がセシ公に警告してくれるんだ?」
 野戦部隊(シーガリオン)は既にユーノの策に従って、密やかに東の戦線から離脱しつつあった。東に手を取られたラズーンを一気に攻めるために、南からギヌアの兵が突っ込んでくるのは、火を見るより明らか、『鉄羽根』がどれほど巧みに戦ったところで、ギヌア特有の二段構えでやってこられれば、易々と突破されてしまう。ギヌアに悟られぬように第二の防御陣を張っておく必要があった。
 もちろん、ユーノを『星の剣士』(ニスフェル)として特別扱いしている野戦部隊(シーガリオン)は素直に納得するはずもなかった。特にユカル、シートスに至っては、強制的にでもユーノを連れ帰ろうとしたが、ユーノの策以外の方法となると、おいそれとより良い案も浮かばず、不承不承ながら撤退することに同意したのだ。
「心配しないでいいよ。ジノを残すのは、それこそ『万が一の事』のため、死ぬ気はないから」
「…お強い方ですね、あなたは」
 返ったことばに歪みかけた顔を笑顔に仕立てる。
「強くなんかない……私だって怖いさ、逃げたくなるほどね」
 答える心に『灰色塔の姫君』の伝えが蘇る。
「けれど、私にはこれしかできないから」
「……」
 ジノは何かを問いたげに見たが、それ以上ユーノが語ろうとしないのを知ると、諦めたように立ち上がり、ユーノの全身を検分した。
 『泉の狩人』(オーミノ)は飢粉(シイナ)に対して耐性があるらしく、所詮『穴の老人』(ディスティヤト)と同じく前世紀の残され者かとディーディエトは自嘲したが、飢粉(シイナ)に触れても何事も起こらなかった。が、ユーノは違う。全身を布と皮で包み、目だけを出した姿は異様だったが、背に腹は代えられない。どこもかしこもしっかりと守られているのを確かめると、ジノは低い声で吐いた。
「伝言は伺いません」
 ユーノの視線に微笑む。
「お帰りをお待ちしております」
「うん」
 頷いて、ユーノは立ち上がった。
「『泉の狩人』(オーミノ)の馬を一頭、借りている。戦線が少しでも崩れるようなら、すぐにラズーン目指して走るんだよ」
「はい」
 ジノが頷くのに背を向け、ユーノは天幕(カサン)を出た。

 その夜、ジノ、あるいは他の詩人(うたびと)が戦に同道していたなら、彼もしくは彼女は詩人(うたびと)としての才能を掛けて、この夜の戦を語っただろう。
 それほど、この夜の戦は、幻想的で凄惨なものとなった。
 襲ってくる『穴の老人』(ディスティヤト)は、樹皮を纏ったような身体から幾本もの触手を出し、出会うもの目についたものを全て、大きく赤く開く貪欲な口へと運びながら進んでくる。あたりには死臭と腐臭、一面の朱と臓物の原色図絵、『穴の老人』(ディスティヤト)が獲物を噛み砕き咀嚼する言語に絶する音で満ち、しかもその狂気の地獄は『穴の老人』(ディスティヤト)の飽きる事ない食欲に突き動かされ、瞬時も拡大を止めることはない。
 対して迎え撃つのは、金目の一つ目の馬に、時には1頭に2人が同乗した青い薄物を翻らせた優しげな女達、ただしその顔は一つを除いて白骨を晒している。十数人が馬の頭をほぼ一列に並べ、『穴の老人』(ディスティヤト)の一人たりと逃がさぬという構え、こちらも怯む事もなくじりじりと馬を進める。
 女達の長はどうやら頭巾と皮で体を覆い隠した1人の少女、小柄な体は金目の馬の背でひどくか細く見えはしたが、他の戦士と変わらぬ馬の進め方、腰に吊るした簡素な、けれどもこの上なく殺気を宿している剣で、どうにも只者ではないと思わせた。
 より近寄ってみれば、優しげなと形容するにはあまりにも猛々しい紅の気配が、女達の白骨の眼窩の奥に煌めいているのがわかっただろう。少女の目にも宿るその炎は生気に溢れ、これから起きる戦いを待ち望んでいるとしか思えないほどの覇気と力強さを感じさせる。
 二者の衝突は、互いに相手を認めた時からじわじわと上がった速度がほぼ最高に達した頃合い、ラズーン領土境界からラズーン外壁に接近すること、半分よりやや食い込まれた位置で起こった。
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