『ラズーン』第六部

segakiyui

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9.人として(3)

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 目覚めて気づいたのは、この上もなく深く暗い喪失感だった。ついに自分は取り返しのつかぬことをしてしまった、もう償えない。罪悪感と悔恨に胸が潰れそうな気がした。
 眉を顰めたのを素早く見て取ったのだろう、枕元に侍っていた2人の女が代わる代わる声をかけて来た。
「アシャ?」
「アシャ様、どうなさったの?」
「痛いの?」
「苦しいの?」
「どこ?」
「胸かしら、それともお腹?」
 心を一杯にした喪失感があまりにも強かったので、アシャは自分を覗き込んだ2人の名前を思い出せないほどだった。
 1人は濃い黒髪を顔の左右に一房ずつ垂らし、残りを後ろで一纏めにした、目鼻立ちのはっきりした美人、きらきらと意志の強さを溢れさせて輝く黒の瞳に、真紅の唇が艶やかに映えている。
 もう1人は柔らかく波打つ茶色の髪を細く滑らかなうなじや肩に遊ばせ、赤茶色の宝石のような瞳を潤ませ、淡いピンクの唇を少し開いた姫、心配そうな表情がアシャの心にあった誰かの像と重なって胸を痛ませた。
「アシャ様?」
「アシャ?」
「…お久しぶりですね、『西の姫君』アリオ・ラシェット様……レアナ姫」
 アリオが薄く頬を染めたが、続いたアシャのことばにむっとした表情になった。
「ジーフォ公はお元気ですか?」
「あんな男の事など存じませんわ」
「大丈夫、アシャ」
 病み上がりであまり話しては体に触ると思ったのだろう、優しくレアナが割って入る。
「何かスープでも持って来ましょうか」
「そう…ですね。そうしてもらえるとありがたい」
「じゃあ、持って参りますわ」
 さらりとレアナが立ち上がるのに、アリオが慌てて付け加える。
「少しお腹に入れた方がいいでしょ、魚の蒸したものもいかが?」
「ええ…」
 アシャは複雑な笑みを浮かべた。
「お願いします」
「そう、お待ちになってて」
 レアナとアリオが前後して部屋を出ていくと、アシャは深い溜息をついた。スープも何もかも、どうでもよかった。ただ一人になりたかったのだ。
 両手を挙げる。きらきらとした金の粉のような影が、朝の光の中でさえ浮き上がって見えた。一度解放した体だ。下手に興奮すると、いつまた分離してしまうかわからない。それでなくとも、リディノの毒酒のせいか、頭も体もどこかぼんやりして現実感がなかった。
(リディノ…)
 薄桃色のドレス、笑う小さな花だった。幼い頃からアシャを慕い、まとわりつき、恋しがった。いつの間にか美しい少女になって、アシャを愛し、それを成就させようとして命を散らせていった。
(『太皇(スーグ)』…)
 力の解放の度に傷つけた。何度も封印に力を貸してくれたのに、ついにアシャは封印を破ってしまった。
(ユーノ…)
 その名前が今は一番辛かった。彼女のどれ一つとしてアシャを魅きつけぬものはないのに、アシャの持ち得るどれ一つとしてユーノを救い切れず、愛し切れず、守り切れない。あまつさえ、後先顧みず飛び出して、疲れ切っているはずのユーノを苛立たせ、苦しめた。
(『魔』と化してしまうか……いっそ、このまま)
 ミネルバのように夜闇を駆って、人の心の闇に潜み。
 『魔』というものは、本来そういうものかも知れない。人の心の奥に、形を成さぬわらわらとしたものがあることを突きつけて見せ、人に己の闇を知らせる。闇があるぞ、ふらつくな。『魔』に呑み込まれるぞ、気をつけろ、と。昔語りの数々の恐ろしい物語もそうなのかも知れない。人の心が落ち込む落とし穴に気をつけよ、との警告を含んでいるのかも知れない。
(せめて、そう言う警告の『魔』になるか)
 そうすれば、いつかユーノがそう言う危機に陥った時に、少しでも役に立つのではないか。
 ふうっ、と体にまとわりつく金の粉が浮いた。ほんの少し思えばいい、『人』を捨てようと。それでアシャは『魔』に戻る。本当なら、とうに戻っていなくてはならなかったのかも知れない、幼い頃に。そして、ミネルバなり、他の勇者に狩られているべきだったのかも知れない。
(それとも、ユーノ……お前が狩るか、『魔』と化した俺を…)
 あの東の原でのように剣を向け、一太刀で切り捨てるか。
(それならそれで、俺は本望だ)
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